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    かけはし2015.年10月5日号

強行採決に屈せず戦争法廃止へ


9.17〜19

戦争法許すな!連日行動

関生労組・全港湾がスト

不屈の思いを見せつける


 【大阪】安保関連法案(戦争法案)の参議院特別委員会での強行可決を目前にした九月一七日と強行可決した一八日の両日の夕刻、しないさせない戦争協力関西ネットワーク・戦争させない一〇〇〇人委員会大阪・秘密保護法廃止!ロックアクションの三団体の呼びかけで、自民党大阪府連(大阪市谷町三丁目)に対して抗議行動が取り組まれた。一七日には、三団体連名の抗議・要請行動が行われた。一七日には二五〇人の市民が、一八日には三五〇人の市民が参加した。
 全港湾大阪支部と全日建関西生コン支部は、安保法制の強行可決の可能性が高まる中、ストライキで決起して闘った。関西生コンのミキサー車が、側面に「戦争法廃案」と印刷された横断幕をつけて、抗議行動が行われている周辺道路を走って情宣した。

シールズ関西
集会に六千人
一八日は、大阪ヨドバシカメラ前(JR大阪駅が入っているビル側)でシールズ関西が呼びかけた抗議集会が、時間をずらして開かれた。自民党大阪府連に対する行動が終わった後は、多くの人はシールズ関西の集会に合流した。シールズ関西の集会に参加するために来た人に加えて、駅を利用する人たちも、「戦争に行く未来は嫌い。大の大人があんなやり方でしか決められないって、『まともな法案ではない』って自分で言っているようなもの」と若者が訴える言葉に耳を傾け、主催者シールズ関西の発表で六〇〇〇人が集まった。集会に集まった若者は、関西生コンのミキサー車に拍手。シールズ関西は、成立しても声を上げると訴えた。
法案が成立した一九日の午前、しないさせない戦争協力関西ネットワーク、秘密保護法!廃止ロックアクション等のよびかけで、「戦争法案強行可決を許さない!緊急市民行動」が行われた。また、二一日は、秘密保護法廃止!ロックアクションと関西共同行動の呼びかけで、戦争法廃案!強行採決糾弾の情宣行動が行われた。次の行動は九月二三日の予定。         (T・T)

9.12

日米合同軍事演習反対

戦争法の先取りだ!

沖縄・京丹後とつながって

 【大阪】九月一二日(日)、滋賀県高島市で日米合同軍事演習に反対する集会が、「フォーラム平和・関西ブロック」と「2015あいば野に平和を!近畿ネットワーク」の主催で行われ、六〇〇人が参加した。「あいば野自衛隊演習場」は全国五カ所の対テロ戦演習場の一つであること、また昨年秋には「陸上自衛隊今津駐屯地」にオスプレイが飛来したことに見られるように、今回の演習は現在参議院で強行採決されようとしている「戦争法案」を、先取りした演習であることが容易に推察された。
 また演習に先立つ七月一六日には、機関銃の銃弾が民家を貫通するという重大事故が発生しており、参加者の発言は集団的自衛権行使容認を目指す「戦争法案」阻止への決意と、法案を先取りして進められている日米合同軍事演習への批判に集中した。
 主催者あいさつに立った「近畿ネットワーク」代表の野坂さんは、「演習に参加しているのは、アフガンへの侵略戦争に最も数多く派遣されてきた沖縄駐留の海兵隊である」と指摘して、集団的自衛権行使を容認しようとする安倍政権の意図がはっきり見て取れると厳しく批判した。また「フォーラム関西」の池本事務局長は、「自衛隊の勝手な暴走を許さず、戦争法案の参院採決を阻止のために一丸となって闘おう」力強く決意を述べた。

北近畿の軍事
要塞化STOP
連帯のあいさつに立った「沖縄平和運動センター」の福元副議長は、「キャンプ・シュワブは普天間基地の代替ではなく、三〇〇メートル以上ある強襲揚陸艦が接岸できる軍港をすでに備えており、今後オスプレイ一〇〇機、F35ステルスも配備された巨大軍事要塞になる」、「この計画は米軍を引き留め、中国と対置するという安倍のシナリオの下で強引に進められている」と指摘した。また、「一四日にも翁長知事は辺野古埋め立て承認取り消しを表明するだろう」と述べ、予測される国との裁判闘争への支援を訴え、大きな拍手を浴びた。
京都の丹後半島に設置されたXバンドレーダー基地に反対する「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」の永井事務局長は、「今年の五月にはスパイ衛星の情報をキャッチするドーム型のアンテナが新設された」と報告し、このXバンドレーダー基地の重要性を指摘した。そして、「戦争法案が可決されれば、あいば野、福知山、舞鶴、小松の自衛隊の基地にも米軍が来ることになり、北近畿は軍事要塞化される」と、戦争法案への反対を強く訴えた。
集会は最後に、「滋賀県民平和・人権センター」議長の川瀬さんと、「しないさせない戦争協力関西ネットワーク」代表の中北さんの決意表明をうけ、デモに出発した。     (Y)

8.14

戦後70年東アジアフォーラム

「過去」を学び「未来」を照らす

あらためて植民地支配の責任を問う

 八月一四日、東京・神田一橋の日本教育会館で、「戦後七〇年東アジアフォーラム――過去・現在・未来」が開催された。この日は、日本軍「軍隊慰安婦」とされた金学順(キム・ハクスン)さんが、一九九一年に初めて自ら名乗り出た日だ。この日を「慰安婦」国連メモリアルデーにしようという呼びかけが二〇一二年一二月に台北で開かれた「慰安婦」問題アジア連帯会議で行われた。さらに同日は、安倍首相の「戦後七〇年談話」が閣議決定される日でもある。
 そこで東アジアの民衆の側から「過去」の総括と「現在」の評価、そして「未来」への展望を探っていくという課題の共有のために、この日のフォーラムが準備された。呼びかけは、李泳采(イ・ヨンチェ:恵泉女学園大教員)、俵義文(子どもと教科書ネット21)、野平晋作(ピースボート)、藤本泰成(フォーラム平和・人権・環境)、矢野秀樹(強制連行・企業責任追及裁判全国ネット)、渡辺美奈(アクティブ・ミュージアム・女たちの戦争と平和資料館〈wam〉)の各氏。

戦後処理の二重
構造とは何か
開会集会で基調報告を行った内海愛子さん(恵泉女学園大名誉教授)は、「連合軍捕虜には賠償金を払っているのに、なぜアジアの被害者に対しては謝罪も補償もしないのか」と問題提起した。内海さんは、一九五一年のサンフランシスコ講和条約は、中国も韓国も参加できない連合国との間の条約であること、サンフランシシコ講和体制は東アジアを排除したものであり、日米安保は「戦後米国が締結した国際条約の中で最も不平等なものである」というガバン・マコーマックとジョン・ダワーの説を内海さんは紹介した。
日米安保とセットの講和条約は、そうした不平等な国際関係の上に成り立っているのであり、その上で、一九五一年の一〇月二〇日から日韓国交条約のための予備交渉が始まったことを内海さんは説き起こし、日韓交渉での日本側の態度は「日本の朝鮮半島支配は栄光の支配だった」というスタンスに貫かれていた、と批判した。一九一〇年の「日韓併合」については「不法・無効」という韓国側の主張に対して日本側は「有効」とする立場を固持し、結局「もはや無効」というかたちであいまいに処理することになった。日本が韓国に支払った「有償・無償五億ドル」のカネも「賠償なのかそれとも独立祝い金か」という争点をあいまいにさせたものだった。
内海さんは、「サンフランシシコ条約の枠組みの中で締結された日韓条約で未清算だった植民地責任が問い直されている。残された個人請求権、それをふまえてどのような対応が可能なのか。韓国では政府も市民も解決の道を模索している」と説明した。そして西側諸国との「和解」と東アジア諸国との植民地支配未清算という「戦後処理の二重構造」を克服し、「歴史修正主義に逃げ込むのではなく、過去に立ち向かった文字通りの『深い反省』をアジアの被害者に語り、謝罪し、補償する」ことを訴えた。

東北アジアの
平和への視座
記念講演は、徐載晶(ソ・ジュシュン)さん(国際基督教大学)とウタ・ゲルラントさん(ドイツ「記憶・責任・未来」財団理事会アドバイザー)。
徐戴晶さんは、再び「新冷戦の時代」を迎えているのは植民地支配の問題が清算されていないためであり、危機の発現を抑え、平和を導くのは市民運動の力だと強調した。そして戦後七〇年を巡って「危機を作り出そうとする勢力と平和を作ろうとする勢力が闘っており、問題はどういう未来を選択することなのか、と強調した。そして「朝鮮半島における韓国の安保と『北』の安保がコインの両面であるように、日本の安保と中国の安保もコインの両面である。東北アジアの平和は、共同安保を要求している。東アジアの百年危機を終えて、非常に遅くはあるが二一世紀の新たな秩序を開く『地殻変動』を」と訴えた。
ウタ・ゲルラントさんは、一九六〇年代以前はナチスの犯罪の自覚化は進まず一九五六年に「連邦補償法」が制定されたものの多くの犠牲者が除外されていた、と言う。「ドイツ人が犯した犯罪の犠牲者に対して注意を払うこともなく、同情することもなく、むしろ自己防衛に走っていた」のだという。
転機は一九六三年から六五年にかけてフランクフルト・アム・マインで開催されたアウシュビッツ裁判だった。一九八〇年代には犯罪が起きた現場で、その犯罪への問いかけを行う「歴史工房」運動が起こった。これに対して東ドイツでは、もっぱら共産党の反ナチ抵抗運動に焦点が当てられていた。ベルリンの壁の崩壊とドイツの統一後、ドイツでは新たな「心の開放」が起こり、ナチズムの犠牲者のための追悼、記念の運動が広がっていく。
ナチスによる強制労働への補償が決まったのは二〇〇〇年になってからだ。それは、一九九八年の社民党・緑の党の連立政権の誕生によるところが大きい。一方、ドイツ国防軍や強制収用所内の「慰安所」で性奴隷化された女性に注目されるようになったのは最近のことだという。「占領軍の慰安施設で働かされた女性への注目度は、アジアに比べてヨーロッパでははるかに低い」とゲルラントさんは語った。

加害者が「和解」
を語れるのか?
開会集会に続いて四つの課題別シンポが行われた。@加害者が「和解」を語れるのか――被害者が望む解決をめざして、A記憶の継承と教科書、B「積極的平和主義」で失うもの、Cオキナワ――そもそもの歴史から――。
筆者が参加したのは、「加害者が『和解』を語れるのか?」。ここでは梁澄子さん(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)が「朴裕河『帝国の慰安婦』批判」について語り、鵜飼哲さん(一橋大教員)が「ヨーロッパにおける和解」、ウタ・ゲルラントさんが「ドイツ国防軍の『売春宿』――女性についてはほとんど誰も問わなかった――」と題して語った。非常に刺激的で充実した報告・討論だったがここでは時間と紙面の関係で、後の機会に触れることにしたい。
分科会終了後、全体会議で四つの分科会討論の報告を行って、フォーラムを終えたが、その後、突然の強い雨の中で、会場前から「戦時性暴力問題連絡協議会」が主催して「日本軍『慰安婦』メモリアルデーキャンドルデモ」が行われた。まさに安倍首相による「戦後七〇年談話」の記者会見が行われる、その時間帯のデモとなった。    (K)

雑感

15年安保闘争、8月30日

T・Tが見たり聞いたり
感じたことども


 八月三〇日の戦争法案反対行動には、一二万人もの人びとが国会包囲に立ち上がった。ここに掲載するのは「全共闘世代」に属する本紙の読者の八・三〇行動に参加しての感想。筆者の了解を得て、本紙に掲載します。(編集部)

 四十数年来の同志・友人のRと、桜田門駅へ。トイレは女性側だけでなく男性側も大行列。あきらめる。しかしその後、行動の熱気のせいか、一八時まで大丈夫だった。
 国会正門にむけては人の波。国会前交差点で直進できず、警官の指示で左折し行列に並ぶ。ほとんど進まない。一段高い植え込みの中を強引に正門目指す人、多数。後ろに小学生(女子)とお母さん。「えらいね」と声をかけた。向かい側の歩道も人いっぱい。車道に出てくる人、多数。そのうち前方にひらけたので前進、ラップ調コールが響く中、正門前までの車道は開放されていた。
 おしあいへしあいで、一応目途としていた正門左手をめざすも、もはや車道側もいっぱい。頭に浮かんだのは「おまつりみたいに にぎやかね……」(島倉千代子・東京だよ おっかさん)。そんな中でも人々は叫ぶ。「ファシスト・安倍……」なる言も聞こえて、ちょっと、にやり。
 ようやく正門前近くにきて、装甲車数台が並べられているのが見える。一九六〇年四月二六日、全学連委員長・唐牛健太郎(ら)は装甲車を乗りこえて国会に向かい、逮捕された。その幻影が見えた。
 滞留する人々のなかを、なおも前進しようとする人々。三〇歳前後と思しき人の声。「どうしてミドルは前へ前へといきたがるんだろうねえ……」。おもわず笑ってしまった。アフターで、「自分らと同じような(年齢・風貌の)人がいっぱいいたなあー」の発言。一同、納得。
 確認できたのぼり旗。「オール早稲田」(ラグビーかい!)、「新劇人〜」(「安保打破」なんて書いてあったから〈旧左翼系〉かな)、労組系では「岩手」もあった。「東大全共闘」を見て、やっぱり……。
 本集会の発言はほとんど聞き取れず、最後の方の大阪の(たぶん若い)女性のものは、よく聞き取れた。そんななかでも人々は叫ぶ、叫ぶ。押し合いへし合いしながら……。帰る方向へ向かう人も叫ぶ、叫ぶ。
 一五時三〇分に切り上げて駅方向へ。給水用車のそばで、若い女性が紙コップをいくつかお盆に並べて、水分を取ることを勧めていた。この日の小雨は「アカシアの雨?」。六〇年六月一八日、徹夜で座り込んでいた人々は未明にむなしく解散していったのだという。「あれはベンチの片隅で、冷たくなった私の抜け殻……」と西田佐知子が「アカシアの雨がやむとき」をうたったのはそれから数カ月後。ちなみに「デモはデモでもあの娘(こ)のデモは、いつもはがゆいじれったい、早く一緒になろうと言えば、デモでもでもというばかり……」と守屋浩が「ありがたや節」をはやらせたのも、このころ。
 スピーカーをつけた車の横でコールの音頭を取っていたのは小学生男子、そばのお姉さん? お母さん? らしき人も一緒に音頭をとっている。かっこいいぞ! 車道の真ん中でラップ調コールパフォーマンスをしているのは、赤オレンジヘアー(かつら?)の若者。少し離れて隊列を組んでいるのは学生らしき一団。「ネオファシズム〜〜」などと書いているのでたぶんK派(初期はY派といわれていたなあ)。あれで全部なら、たいして多くない。というので、いち早く、駅に着いたのだった。

〈アフターで〉
一六時半池袋に集結したのは、東京教育大東洋史出身の男子六人。Rは学芸大・都立大出身。前橋からバスで来たKKは予想より多い参加者で、赤字がでなくて良かった、とのこと。一人の案内で、サンシャイン通り入口のそば屋でうちあげ。一人を除いて六〇代後半。若者論=ひややかにみることはまったくない……、というのが中心。ただ「あのラップ調コールは、なんか違和というか……」「ようするについていけないんだよな……」「よく聞き取れなかったりもするし……」クシュン……。
「一二万人」。警察発表三万人。政治判断した警察はミスったなあ。正門前からの車道は天安門広場のよう。装甲車の上に乗って、演説できる日がくるかしらん……。ふと、胸をよぎったのは「平成デモクラシー」。「立憲主義を守れ」運動、というのもまあ、あたってるしなあ……。九月、強行採決か! 辺野古もあるぞ……。
〈八月三一日〉。三〇年来の遊び友達(最近はごぶさた)=M本E子と自宅近くで出会った(年に二〜三回は会う)。国会へ向かう途中、靴がこわれて行けなくなったという。ああ、人はさまざま……。 




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