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    かけはし2015.年10月12日号

新「三本の矢」のまやかし


安倍政権の次のステージ

戦争法と格差・貧困は表裏一体


防衛装備庁発足
と戦争法成立


 戦争法案を強行成立させた安倍首相は、南スーダンPKOに派兵されている自衛隊が来年五月に部隊が交代するのに伴い、さっそく武器使用基準を緩和し、任務に「駆けつけ警護」を加える方針を固めた。南スーダンは現在内戦下にあり、派兵された自衛隊が「殺し、殺される」関係に入っていく可能性は高まった。
 安倍首相は九月二八日、PKO強化策のための国連ハイレベル会合で、「PKO貢献」を拡大するとアピールした。しかし、安倍首相はその後の記者会見で、日本での「『難民』受け入れ増大」について聞かれたが、「人口問題で申し上げれば、『移民』を受け入れるより前にやるべきこととして女性、高齢者の活躍がある」と意図的に質問をはぐらかした。彼はこうして戦争法案を飾った「積極的平和主義」の看板を、自ら降してしまったのである。
 一方、一〇月一日には「防衛装備庁」が発足した。防衛装備庁は装備品の開発から取得、維持まで一元的に管理するほか、武器輸出や国際的な共同開発を推進。戦闘機や護衛艦などの大型プロジェクトは専任チームを設けて試作から量産、整備まで管理するとされている(日本経済新聞二〇一五年六月一〇日)。軍需産業と緊密な関係を維持しながら、武器輸出の拡大に拍車をかける防衛装備庁の発足は、戦争法案が大資本の戦略・意図と密接な関係にあることを改めて明らかにするものだった。

アベノミクスの
第2ステージ


戦争法成立にともなうこうした動きとともに、安倍政権は国内政策の分野では、再び「経済成長」にシフトした方針を打ちだしている。九月二四日の自民党両院議員総会で安倍総裁の「無投票再選」を決めた後、記者会見を行った安倍は、「アベノミクスは第二ステージに移行する。『一億総活躍社会』をめざす」と訴え、第二次安倍内閣発足時の旧「三本の矢」(@大胆な金融政策、A機動的な財政政策、B民間投資を喚起する成長戦略――これは野党時代の自民党が批判してきたバラマキそのものであり、インフレ・円安で日本経済を復活させるというしろもの)にかわる新しい「三本の矢」を提唱した。
「第二ステージ」での新「三本の矢」とは何か。@「希望を生み出す強い経済」――GDP六〇〇兆円の達成、A「夢をつむぐ子育て支援」――「希望出生率1・8」で五〇年後も人口一億人、B「安心につながる社会保障」――「介護離職ゼロ」「生涯現役社会」である。
しかし、この新「三本の矢」が全く幻想に満ちたものでしかないことは、すでにほとんどの経済学者・エコノミストたちが指摘していることだ。
まずGDP六〇〇兆円に関しては、内閣府の試算では政権が掲げる「名目三%、実質二%以上の高成長」を続ければ五年後の二〇二〇年(東京五輪の年)には名目GDPが五九四兆円に達するのだという。しかしこの二〇年間で名目成長率が三%を超えた年は一年もなく、日本の潜在成長率は一%未満だと言われる(「朝日」二五日)。そして、実質賃金指数のマイナス状況がここ二年間続いており、「雇用の伸び」と言われるものの実態は、二〇一二年以後の三年間で、正社員は五六万人減り、非正規社員は一七八万人増えたという事実に示されている。雇用の非正規化は通常国会で成立した派遣労働法改悪によって、いっそう拍車がかかるだろう。

資本との対決
に向けた準備


「問題は『デフレから脱却しさえすればすべてがうまくいく』という当初のもくろみどおりに事態が進んでいないことだ。消費や輸出、企業の設備投資は勢いを欠き、今年4〜6月期の実質GDP成長率は年率マイナス1・2%に沈んだ。いったん上向いた実質賃金上昇率は、物価上昇が響き,2013年半ば以降、マイナス領域で推移している」(『週刊東洋経済』10月10日号、「『新・三本の矢が示す安倍政権の軌道修正』)。
このデマゴギーに満ちた「アベノミクス第二ステージ」は、第一ステージのリアルな現実に目をそむけ、その破綻を隠蔽するために打ち上げられたものに過ぎない。現に安倍の記者会見が行われた翌日の九月二五日、内閣府の発表した九月月例経済報告では、景気判断を一一カ月ぶりに引き下げ、八月の報告で「改善テンポにばらつきも見られる」とした部分を「一部に鈍い動きも見られる」と「実質的下げ」の表現に変えざるを得なかった。 
戦争法案への批判を、「アベノミクス第二ステージ」の打ち出しでかわそうとするこうした動き、そして「女性・高齢者の活躍」という看板で「移民、難民」に扉を閉ざそうとする安倍政権のねらいを明らかにしていくことが必要である。戦争に反対することは、資本に対決し差別のない平等な社会を共に実現していくことでもある。     (K)



9.13

とめよう!戦争への道

アジアの平和をめざして

2015年関西のつどい

 【大阪】大阪平和人権センターと「戦争あかん!基地いらん!関西のつどい」実行委員会の共催による集会が九月一三日、大阪市中之島中央公会堂大ホールで開かれ、一三〇〇人の労働者・市民が参加した。
 田渕直さん(大阪平和人権センター理事長)が開会のあいさつ。「安保法制法案の反対運動で、学生・若者が闘ってくれているのは心強い。衆議院裁決後政府は、ていねいに説明すれば賛成が増えると言っていたが、状況は全く逆だ。それは、憲法違反の法案だからだ。来年の参議院選では自公に投票してはいけない。また、今年の一一月末には大阪ダブル選があるが、安倍政権と気脈の通じた大阪維新の候補にも当選させてはいけない」、と述べた。
続いて、山口二郎さん(法政大学法学部教授)の「再び戦争をさせないために〜戦争法案との闘いの意義」と題した講演、屋良朝博さん(元沖縄タイムス論説委員)の「つくりだされる沖縄との温度差」と題した講演があった(別掲)
 講演の後、池島芙紀子さん(ストップ・ザ・もんじゅ)が連帯のアピール、そして石子雅章さん(戦争させない一〇〇〇人委員会・大阪)と陣内恒治さん(Stop!辺野古基地建設!大阪アクション)が決意表明を行った。
 中北龍太郎さん(「戦争あかん!基地いらん!関西のつどい」実行委員会代表)が、集会のまとめをし、「集団的自衛権とは、攻撃していない国を攻撃すること。米国は先制攻撃をかかげて、二〇カ国と戦争している。辺野古基地は集団的自衛権の拠点だが、沖縄にはいらない。今や、直接民主主義の闘いが必要だ。六〇年安保のように闘い、九条を血肉化する闘いをやろう」と述べた。
集会のあと、参加者は西梅田公園までデモ行進を行った。    (T・T)

山口二郎さんの講演から

極右政権に対決する
新しい運動の息吹き

自民党の変質
と安倍首相
今年は戦後七〇年。戦後民主主義とは何か。それは、日本国憲法第一章が天皇、第二章が戦争の放棄となっていることがそれを語っている。第二章は、日本が軍国主義から決別し国際社会に復帰するための約束だった。天皇は、今年の年頭感想で原爆や空襲被害にふれ、満州事変に始まる戦争の歴史を学ぶことの大切さに言及した。また、戦没者追悼式で、平和を切望する国民の意識に支えられ日本は平和と繁栄を築いてきたと述べた。
安倍首相と比べるとその姿勢が際立つ。日本の転換点となった六〇年安保闘争。新条約の成立は許してしまったが、岸の九条改憲は挫折した。このことが、その後平和国家としての日本の歩みを決めた。この六〇年安保闘争がなければ、日本は暗い国になっていただろう。それは、ベトナム戦争への対応をめぐる日本と韓国の違いを見ればわかる。憲法9条の枠内における自衛力、専守防衛という理念。それにより集団的自衛権反対の多数派が形成された。海外での武力行使はしない、攻撃的能力は持たないという理念。六〇年安保で、自民党はあらゆる階層の利害を代表しようとする包括政党に変わった。自民党流の「社会民主主義」と言ってもいい。
村山政権を支えた自民党、歴史認識での広範な合意形成、天皇訪中、慰安婦問題での河野談話。戦後五〇年は戦後の一つの到達点だった。それからわずか二〇年で、かくも変わるのか。この到達点のころ、安倍晋三という政治家が登場。日本会議が結成され、自民党との結びつきが深まり、歴史教科書をめぐる草の根運動が起こり、女性の権利への抑圧、元「慰安婦」への攻撃が始まった。

思考停止へと
導く言語操作
政権交代により自民党は右傾化した。金と力を失った自民党が再発見したアイデンティティは、ナショナリズムだった。自民党は包括政党から選挙に勝てば何をやってもいい政党に変わった。 
民主主義は多数決と同じではない。しかし現状は、決める人を決めるところで終わる民主主義で、戦争をもたらした無責任の体系が復活。それは、原発事故や新国立競技場問題にはっきり現れている。知的論議をサボっている。選挙で勝った者の主張は国民の欲しているものという自己正当化。このような政治主導と反知性主義は政権中枢から下の芸術文化懇話会まで広がっている。
安倍政権は「野蛮」だ。ブレーンの一人北岡伸一は「憲法は最高法規ではなく、その上に道徳律や自然法がある。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法だ」という。
机上の空論で○○事態が乱立し、自ら危機を招く集団的自衛権。安全保障法制は、自衛隊の活動を一気に拡大し、集団的自衛権を具体化し、国会事前承認は何の歯止めにもならない。政府と現場の裁量任せの武力行使だ。
日本の戦後は何だったのか。第一次大戦後のドイツに近いのではないか。政治権力による言葉の支配を見ると、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』がぴったりだ。矛盾したことを繰り返しすり込まれると、国民はそれに従うようになる。例えば、戦争は平和、自由は隷属、無知は力など。矛盾に目をつぶり言葉の意味を詮索しなくなり思考停止、これこそ支配にとっての格好の土壌だ。
オーウェルは、言葉の意味を失わせることが全体主義の要諦であると見抜いていた。平和安全法制という名の戦争立法。「事態」の乱立と政府の自由裁量。でも、学生たちの新しい運動が出現、老壮青の結合がつくられつつある。これには安倍政権は内心とても驚いているだろう。
国会では、さまざまな戦術が駆使されるだろう。六〇日ルールは認められない。憲法五九条は、法律案は「特別に定めのある場合を除いては、両院で可決したとき法律となる」と規定し、九八条では、「憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律は……効力を有しない」とある。市民運動の見えない力を必要に応じて政党と連携しつつ、あきらめずに発揮していこう。今や決戦の時だ。(発言要旨、文責編集部)

屋良朝博さんの講演から

現実とかけ離れた
安全保障論の錯誤

日本と米国―
差別の同質性
沖縄戦の最中、大田実海軍中将が自決前に本国に電報を打った(沖縄県民よく戦えり…)この時、日本では大相撲をやっていた。一九四四年に米軍が作成した沖縄占領のための「民事ハンドブック」では、日本人が琉球を人種的に同等と見なしていなかったことを沖縄支配の参考にしている。つまり、沖縄に対して何をしようが日本人は重要視しないだろうという考えが米軍にはあった。根深い沖縄差別だ。
それを前置きにして、海兵隊の抑止力の説明をする。防衛白書では、中国艦船が太平洋に出るところに琉球列島がある。沖縄は地理的優位な位置にある。沖縄海兵隊は沖縄米軍基地の七割、兵力で六割を占める。沖縄海兵隊は定数一万八千人、米軍再編で九千人になる予定。この海兵隊が、抑止力になっているという。本当にそうか。

米海兵隊は日本
を守る部隊か?
この海兵隊の主力海兵遠征隊は、一年の内八〜九カ月は沖縄にはいない。どこにいるのか? 海兵隊の31MEU(海兵遠征隊)は、フィリピン、タイ、オーストラリア、マレーシア、韓国などをぐるぐる回っている。何をしているのか? 人道支援プロジェクト・災害救援活動をやっている。この活動によって、米軍が現地で受け入れやすくなる土壌をつくっている。この活動には、日本の他、韓国、タイ、オーストラリア、ベトナム、ニュージーランド、マレーシア、インドネシアが参加しているが、なんと中国軍も参加している。安倍の靖国参拝は、このような関係を壊しかねないから、米国は失望したということになるのだ。
米軍が日本を守る…この考えは不自然だ。もし、日本の政権と米軍の考えが違ってきたら、この軍隊はどこに向かうのか。日本の政治家は、沖縄は安全保障のことは考えていない、とよく言う。仮想敵国の中国が攻めてくることを考えているのだろうが、海兵隊には中国海軍と闘う力はない。海兵隊は陸上兵力であり、しかもたかだか二〇〇〇人ほどの兵力では何もできない。安倍政権の安全保障のイメージとはかけ離れた現実がある。米国のものの見方を望遠鏡的とすれば、日本は顕微鏡的で、きわめて内向きだ。

人々の闘いに
依拠してこそ
森本元防衛大臣は、在沖米軍の地上戦闘部隊・航空部隊・後方支援部隊が機能するなら、海兵隊は沖縄にいる必要はないと言った。沖縄にいるのは、沖縄が政治的に許容できるところだからだとも。日中間の尖閣列島領土問題を米国は冷めた目で見ている(中国と日本で岩をめぐり武力衝突が起きるなんてばかげた、滑稽な考えだ」)。米軍は、日中の争いに巻き込まれることを懸念している。
集団的自衛権についての安倍首相のイメージは現実離れしている。米艦船が日本の子どもや母親を乗せて日本に帰るなど、あり得ない。時間がないので、最後に辺野古のことを一点だけ。 菅官房長官に近い人から聞いたことだが、政権は沖縄が埋め立ての件で訴訟を起こしてくれたらありがたいと言っていた。裁判中にも工事はどんどん進んでいく。三階建ての建物のようなコンクリートの塊が海を埋めていく。これを止める行政の力はない。止められるのは人々の闘いだけだ。力を貸してほしい。(発言要旨、文責編集部)


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