もどる

    かけはし2015.年10月12日号

官僚資本主義との闘いはこれから


9.19

香港「雨傘運動」は何を提起したか(下) 

政治路線をめぐる論議の開始

區龍宇さんの出版記念講演から


極右ナショナリストの主張

 最後の主演俳優は、香港のナショナリスト極右です。この新しい勢力も雨傘運動に参加していました。彼らは中国人のことを「なんでも貪欲に貪り食うイナゴ」というヘイトスピーチを展開していました。また運動内の社会運動団体に対しても、侮蔑の意味をこめて「サヨク」とレッテルを貼って対立しました。雨傘運動をけん引した学聯に対しても「サヨク」と激しく罵りました。またオキュパイ地区にあるメインステージを撤去しろという要求もしていました。学聯などがそのステージで発言することに反発した主張です。また各運動団体が掲げる旗を降ろせという主張もしていました。そしてオキュパイ地区のあちこちに「サヨクにご注意!」というポスターをはったのです。つまり雨傘運動を「サヨク」から防衛せよ、というわけです。かれらは街頭での議論に対しても妨害をしてきました。
非常に残念なことは、学聯を含む雨傘運動に参加した各団体は、このような極右のやり方にして、なんら効果的で実効性のある対応をとることができなかったということです。私たちは、運動内部の民主的討論の声を潰すことはできないという主張を掲げて対抗しました。しかし、あまりに力が弱すぎました。この雨傘運動のなかでいちばん大きな成果をかちとったのはこの極右勢力だったと言えます。もちろんそれは極右勢力が雨傘運動の主導権を握ったということではありません。雨傘運動のなかにあった反中国的雰囲気を利用して、ヘイトスピーチ・排外主義的主張を社会的に拡大させることに成功したということです。
雨傘運動は、非暴力不服従の偉大な運動でした。それは自発的、自然発生的な運動でした。つまり、事前の様々な思想的準備も乏しいまま人々が立ち上がったのです。それは中国共産党という巨大な壁に突き当たり、方向性を見いだせないまま敗北の道を進むことになりました。しかし雨傘運動の過程で、香港の在り方や、今後の中国を巡る政治路線に関する議論が始まったことは重要なことです。

新しい民主化運動と主体

 次に、香港と中国の関係についてです。中国共産党にとって台湾、香港、マカオを将来的にどのように中国と一体化させるのかということが重要な目標になっています。
現在は統一とは程遠い状態です。「一つの中国」ではなく、中国、台湾、香港、マカオがそれぞれの社会を構成しています。台湾は基本的に中国共産党の政治的統制の影響下にはありません。香港やマカオは中国に返還されましたが、まだ直接的に管理コントロールするということにはなっていません。
中国政府にとって台湾、香港、マカオは、それぞれの地域のそれぞれの経済的役割を担うと考えられています。台湾は製造業やハイテク技術を中国に提供する基地として捉えています。香港は金融センターとしての役割を担い、マカオは官僚の蓄財をマネーロンダリングする場所として。台湾、香港、マカオは、中国共産党にとっては政治的空間ではなく、経済的空間だということです。つまり中国官僚資本主義のためにそれぞれの役割を果たせ、ということが政策の基本にあります。
それらの地域には主権や民主主義、あるいは自決権という政治的権利は必要ないと考えているのです。台湾、香港、マカオの人々からすれば、中国共産党がこれらの地域の民衆の政治的権利を全く尊重しようとしていないと映ります。だから中国との距離感が開いていくのです。そしてこれらの地域では、中国大陸からやってくる人々を排除しようとする差別的な感情が蔓延しています。香港では中国人のことをイナゴ、台湾では中国人のことを豚と叫ぶヘイトスピーチが広がっています。
しかし私たちは、こういう感情を抱く香港や台湾の人たちに対して、中国には二つの民族があることを訴えていく必要があります。ひとつの民族は、特権や大資産を持っている中国人です。そしてもう一つの民族は、そのようなものを持たない中国人です。そしてこの何の特権も持たない中国人が、特権を持ち民衆の上に君臨する中国人の横暴に対して立ち上がっているのです。われわれ香港や台湾で民主主義を求める人々は、中国人を排除し対立するのではなく、中国国内で立ち上がっている人々と共に手をつなぐことが非常に重要です。
香港では中国の民主化に対して悲観的な見方が広まっています。しかし私は悲観的な見方とは全く逆の展望を持っています。いままさに中国における新しい民主化運動が始まりつつあるからです。それは昨年出版した『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』の中で詳しく展開しています。
中国共産党の支配は盤石なように見えます。しかし現在の経済危機でも明らかなように、早晩大きな経済危機を迎えるでしょう。今般の危機については中国政府による強力な経済的介入によって一時的に鎮静化するかもしれませんが、危機は繰り返し、そして規模を拡大して発生するでしょう。まだまだ厳しい状況にあることは確かですが、だからといって展望がないと考えるのではなく、新しく始まりつつある民主化運動、そしてその主体である新しい労働者階級の動きに注目したいと思います。

質疑応答から


いまだ未分化
な政治的方向
―― 雨傘運動に参加した青年や学生たちはいまどうしているのか。またナショナリスト極右と共産党はつながっているのか?

 雨傘運動に多数の青年労働者が参加しました。香港のナショナルセンターのひとつ、香港職工会連盟(HKCTU)も運動に積極的に参加しました。ところが青年労働者にとっては、組織された労働組合は、あまり魅力があるものとして映っていませんでした。
香港では毎年六月四日に天安門事件追悼集会を行っています。今年の集会では、学聯は香港基本法が書かれた小冊子を燃やすパフォーマンスをしました。こんな基本法は燃やしてしまい、新しく作り替えなければならない、というアピールです。もちろん、これに対して中国共産党のスポークスパーソンは怒りをあらわにしました。
これまで主流の民主派は、基本法そのものの問題点を回避してきました。基本法のルールに従って民主化を進めようという立場でした。しかし、学生たちはこの民主派の枠組みを乗り越えつつあります。運動圏では香港の自決権をめぐる論議も盛んに行われています。私たちは三〇年前から自決権についてさんざん主張してきましたが、当時は私たちの主張に耳を傾ける人はほとんどいませんでした。
しかし雨傘運動を経ることで、自決権や自主独立の意識は高まりを見せています。最近では市民憲章を作ろうという運動もはじまっています。中国共産党が上から押し付ける基本法ではなく、民主化を体現する市民憲章を自分たちで作ろうという動きもあります。雨傘運動のなかで提起された市民的権利の訴えを広げていくということです。
これらの動きはまだまだ始まったばかりで、明確な政治的方向性を持っているわけではありません。雨傘運動は従来の民主化運動の枠組みを埋葬することには成功しましたが、新しい民主化運動を作り上げたかというと、まだそこまでは達していません。今後どのような方向に向かうのかも不明確な所があります。中国共産党に妥協的になったり、ナショナリスト極右排外主義と親和的な方向に進めば運動の展望はないでしょう。中国共産党が雨傘運動を破壊するために、裏社会を動員したことははっきりしていますが、ナショナリスト極右とのはっきりとした関係は不明です。

中国をどう
見るべきか
―― 毛沢東時代はどういう体制だったと考えればいいのか。

資本主義体制に反対する体制だったと考えるのが一番わかりやすいでしょう。毛沢東の時代は資本蓄積は許されていない、いわば行き過ぎた反資本主義でした。例えば、農家が鶏を三羽飼っている。三羽目までは社会主義的、革命的だが、四羽目からは資本主義的だと批判されるという、滑稽な社会でした。
では資本主義ではないとすれば、なんなのか。社会主義だったのでしょうか。そうではありません。官僚と人民の収入の格差は見かけは大きくありませんでした。しかし官僚は特権を持っていました。特権は貨幣価値だけではなく、使用価値として表現されました。当時「特別供給」という言葉がありました。官僚層のために提供されるものです。そのような官僚の物質的特権が中国社会にはびこっていました。このような経済的不平等だけでなく、政治的にはもっと格差がありました。官僚という支配的階層、人民という被支配階層に明確に分けられた社会であり、それは社会主義とは言えません。

―― 中国の官僚資本主義はいつ発生したのか。

 簡単に言えば一九八九年だと言えます。中国の資本主義の復活は、八〇年代から始まり、八〇年代末には資本主義が復活していたことは間違いないでしょう。各部門の官僚が自分たちの管理する資源を使って蓄財することが社会的に蔓延していました。
そのような不正に対して一九八九年に学生が立ち上がる民主化運動が起こりました。労働者も学生の動きを支持し、運動に参加しました。労働者の要求は「官僚ブローカーを打倒せよ」というものでした。例えば、鉄鋼を管理する官僚は、鉄鋼を横流しして蓄財していました。このような官僚ブローカーを打倒せよという民衆の声に対して、中国共産党は弾圧で応えたのです。
八九年民主化運動の評価は、リベラル派の説明を乗り越える必要があります。八九年の天安門事件は、民主派弾圧という政治的な理由だけではなく、階級的なスタンスからも考察すべきです。労働者の要求は官僚ブローカーの打倒、つまり国有資産は全民衆の生活と福祉のために使えということです。これは非常に素朴な社会主義的要求ですが、中国共産党はそれすらも容認することができずに弾圧に乗り出したのです。弾圧ののち、以前にもまして資本主義にまい進することになりました。
官僚主義がもたらす災厄の典型的なケースが、先日の天津港での大爆発事故でした。危険物や薬品の倉庫が港にあるわけですが、倉庫会社は官僚資本が経営者でした。社長は地元の警察のトップの息子でした。ですから違法状態でもおかまいなしにカネ儲けのために危険なものを規制以上に保管していました。危険物取扱の倉庫の場合、第三者機関の安全評価が必要ですが、安全評価を行う会社も地元の消防部門が作った会社でした。もうけのためには危険や違法状態もお構いなく官僚資本同士の結託がこの事故をもたらしたのです。

帝国主義諸国
と中国の関係
―― 官僚資本主義はアメリカや日本の帝国主義とどう違うのか。

 中国の官僚資本主義も他の帝国主義諸国と同じように世界のグローバル市場を席巻したいとおもっています。たとえば中国遠洋運輸という物流企業は、民営化されたギリシャの港湾を買収した。ギリシャの港湾労働者の賃金は引き下げられました。
中国資本も対外進出を止めることはできません。このような動きのなかで、中国はすでに帝国主義になっていると言う人もいます。しかしそれは飛躍しすぎだと思う。帝国主義に至るまでに、国内外で克服すべき障害がまだまだあるからです。
いまだ拡大すべき空間としての台湾、香港、マカオがあり、とりわけ台湾は米国の影響力が強いなかで、それを飛び越えて外にむかって帝国主義に向かうことにはならないでしょう。
そうは言っても南シナ海での争いは、一つのメルクマールではないかという意見もあります。ですがここでの中国の領有権は脆弱な理論で主張しているにすぎません。中国共産党の領有権主張の根拠は、国民党時代の主張をそのまま繰り返しているからです。これはあまり説得力のある主張とは言えません。
もちろん私たちはそのような主張に反対しています。だからといって中国がすでに帝国主義になってしまったと規定するのは早すぎます。南シナ海を巡る領有権主張の背景には、九九年ユーゴの中国大使館に対する米軍機の空爆、二〇〇一年には中国近海で偵察飛行をしていた米偵察機が中国人民解放軍の戦闘機と衝突する事件など、アメリカとの対立があります。中国の現在の反発は、アメリカの包囲に対する反発だと考えるべきです。つまり自衛措置です。だからといって擁護するという意味ではありません。自衛にもやり方があるからです。とまれ南シナ海での覇権を巡る問題にはこういう背景があることを踏まえるべきです。
中国が帝国主義に向かう過程には、様々な地域的な衝突が起こるでしょう。様々な外国との衝突の中で私たちは、中国の労働者に向かって何を訴えていくのかが問われます。つまりわれわれの最大の敵は国外にではなく国内にいる!と訴えるべきなのです。一日も早く官僚資本主義社会を終わらせることこそ、中国が平和的に発展する道なのです。
一般的に資本主義は弾力性があります。しかし官僚資本主義はそのような弾力性を容認することができません。それは経済だけでなく、政治的権利も含めて、民衆に譲歩することを一切拒否するものです。改良する余地はなく、危機をさらに深めていくことしかできません。これが官僚資本主義の特徴といえます。
一般的に中国共産党に対する批判は、独裁という批判にとどまっています。それは事実です。ですが中国共産党の支配によって中国は貧しい農業大国から、現在の台頭する中国へと到達したのもまた事実です。
資本主義化ということに注目すれば、ロシアと比較しても全く違うといえます。ソ連の崩壊によってロシアは資本主義へと雪崩打つわけですが、成長する資本主義化に成功したとは言えません。それに比べて中国では、もちろん環境汚染など深刻な問題はありますが、工業化や資本主義化に失敗したという人はいないでしょう。
かつては零細、小規模農家が人口の多数を占める小農社会でした。それが現在では、毛沢東時代の一億人の労働者階級が四億人に成長しています。『共産党宣言』では、ブルジョアジーの最大の功績は自らの墓堀人を作りだしたことだと述べられていますが、まさに現在の中国官僚資本主義のことでしょう。
いま官僚資本主義は進歩ではなく、大きな壁に直面しています。この官僚資本主義が今後も引き続き生きながらえると、エコロジーの危機が解決できないレベルに達するでしょう。また経済や社会の崩壊にむけて進むことにもなるでしょう。その結果、中国の官僚資本主義はさらに野蛮になっていくでしょう。中国の資本主義復活の進歩的な側面はまったくなくなっています。

労働運動の
役割と現状
―― 中国の民主化運動との関連で、労働運動がどのような役割を持っているのか。ナショナルセンターの総工会は、どういう役割を持っているのか。

 中国の労働者や庶民は社会主義や共産主義などという崇高な目標を掲げているわけではありません。彼ら、彼女らは、労働法を守ってほしいと訴えているだけです。このような素朴な要求に対して、政府は弾圧で応えるだけです。例えば、ユニクロの争議では、ストライキをした労働者に対して警察が介入し、無理矢理ストライキを解除させて仕事に復帰させたのです。総工会は党に代わって、労働者に対して直接干渉して管理するのが主な役割と言えます。
庶民の要求も極めて素朴です。近くに原発を作らないでほしい、化学薬品工場を作らないでほしいなどです。政府はそういう人々の要望を裏切る政策を続けています。
このように厳しい状況ですが、展望や希望はどこにあるのでしょうか。これまで中国は二〇〇〇年ものあいだ農民革命を繰り返してきました。農民の中に革命をする力があったわけですが、新しいシステムを作り出すまでの力はありませんでした。しかし、現代社会に登場し始めた社会的多数派である労働者階級は、きっと新しい社会を作り出す力を持っていると思うのです。これが私の展望です。


もどる

Back