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    かけはし2015.年10月12日号

ユーロ圏離脱のロードマップが必要


ギリシャ

総選挙に関する最初の考察

パナギオティス・ソティリス


「よりマシな悪」
を選ぶ投票だった

 今回の選挙の夜は良いものではなかった。民衆連合が議会に席を占める上で必要な閾値の三%を超えることができなかった、という事実を言っているのではない。そうではなく言いたいことはむしろ、この選挙結果は、EUに対するシリザの屈服そして新メモランダムへの署名に対する擁護のように見える、ということだ。新たな借り入れ協定は荒廃を呼ぶ切り下げと新自由主義的改革を意味するだろう。そしてわれわれの前には今、そのすべてを見通している親メモランダム諸勢力が支配する議会がある。
 これは七月の国民投票との鋭い対照であり、その国民投票では、トロイカが強要した緊縮とそれに付随してやって来る社会的荒廃を、何百万人もが大挙して拒絶したのだ。
 チプラスの冷笑的な賭は、どの党(そして首相)がシリザと八月一四日の体制派諸党によってすでに承認済のメモランダムを実行することになるのか、に関する討論に選挙を変えることができるだろう、ということだった。彼の戦略はメモランダムを、逃れることのできない避けられない何ものかとして押し出すことだった。彼は、あり得る唯一の選択肢は中道右派の新民主主義(ND)指導者のヴァンゲリス・メイマラキスと彼の間にあると提起しながら、協定に関する言及については多くを回避した。
 結局有権者は、体制派の他の親メモランダム政党よりもシリザに第二のチャンスを与える方を選択した。これは希望をはらんだ投票ではなく、「よりマシな悪」を選ぶ投票だった。
 独立ギリシャ人が何とか議会参入を果たしたという事実は、彼らと共にもう一つの連立政権を形成する機会をチプラスに提供した。

ある種の「反政治」
抵抗票として浮上


他の体制派親メモランダム政党に関する点でNDは、特に二〇一一年以後の親メモランダム緊縮連立政権の一部であったことの責任を今なお負っていることから、シリザに効果的に挑むことができなかった。PASOKは一月の結果を何とか改善できたが、独立ギリシャ人が議会参入を果たしたという事実は、シリザにはもはやPASOKからの支援の必要がなくなった、ということを意味した。あからさまな新自由主義政党(ギリシャの政治では、「過激な中道」の基礎をなす代表)、ポタミはその支持の三分の一を失った。
同時に、一月選挙におけるよりも投票数が七七万三〇〇〇票減少したことによる棄権の劇的増大は、政治的危機、特にギリシャ労働者内部の広範に広がる敗北感の表現だ。
政治的光景にまつわる幻滅感のもう一つの表現は、「中道連合」を支持する三・四%の票だった。この党の指導者、ヴァシリス・レヴェンティスは、一九九〇年代に二流のTVチャンネルで彼の「政治分析」を提供したことでよく知られている。彼の仕事は、コメディーの一形態であり、それ以上のまじめさはまったくない、と見られた。ところが今は、ある種の「反政治」抗議票の主な表現先の一つとして浮上するにいたったのだ。
同時に、その指導者が反ファシズムアーチストのパヴロス・フィサス殺害の政治的責任をシニカルに認めた黄金の夜明けのネオナチは、その得票率を上昇させた――とはいえその理由は投票率減少にあり、党が実際に受け取った票数は、一月よりも僅かに少なかった――。

若者の怒りに訴
えることに失敗


民衆連合はもちろん日曜日にうまくいかなかった。この党は得票率二・八六%にとどまり議会に代表を得ることができなかった。これは、シリザの大規模な分裂としてスタートし、「ノー」票の妥当性を力説した主要な政治勢力の一つであったということを特に考えた場合、ある種明白な政治的失敗だ。同時にアンタルシアは、得票、および〇・八五%に達した得票率の双方で増大を得ることができた。
民衆連合の成績は、どのように説明できるだろうか? この結果に対する討論は始まったばかりである以上、以下のものは二、三の即席的考えだ。
まず大部分の敗北し裏切られた「ノーの民衆」が、抵抗継続を知らせるための投票はせず、「真に変革可能なものは何もない」心性の限界内でチプラスの「第二のチャンス」の求めを受け入れることを選択しつつ、新メモランダムの監督をNDよりもむしろシリザに任せる、という形で動くことを民衆連合は過小評価した。
民衆連合は、党の分裂は同時に、シリザの選挙における支持者の比例的分裂をも意味するだろう、と考えた。しかし現実には、代表を構成する諸関係はもっと複雑である、ということが分かった。シリザからの離脱に関しては時間遅れ、および逆戻りがあったという事実は、そのどちらも、ものごとの助けにはまったくならなかった。
民衆連合はまた、将来がまったくない若者の怒りに対して、また多くの有権者を棄権ないしは「中道連合」のような選択に導いた絶望と失望の言葉にならない感情に対して、有効に訴えることにも失敗した。
われわれは、シリザから受け継いだ諸問題について行動と討論において真剣に取り組むような種類の戦線、そうした必要な新たな戦線に民衆連合を転じることができなかった。われわれは、運動と社会的敵対の力学から有機的に現れ出た新しい戦線というよりも、むしろその諸原則に忠実であったとすればあり得たシリザの一変種のように見えた。シリザ政権への左翼プラットホームメンバーの参加に関する自己批判の欠如もまた、このイメージに力を貸した。
われわれは選挙期間中、おそらくわれわれの最強の強みであったこと、つまりわれわれは債務の無効化とユーロ圏離脱に関して代わりとなるシナリオをもっていた、という事実を強調することに失敗した。人びとは、反緊縮と反メモランダムという言い回しだけではなく、ユーロ圏離脱に対するある種完全な計画とロードマップを聞きたかったのだ。

急進左派は
再挑戦が必要


また民衆連合は、シリザの危機から、さらに運動の諸経験から現れる急進主義のあらゆる形態に対して道を開けることもできなかった。それ以上に、シリザ内外双方の左翼急進主義の諸変種並びに様々な微妙な問題についての交信という現実の問題は、左翼プラットホーム指導部が他の諸傾向に対し本来あるべきであった以上に不信感が大きかったという事実を含めてそのまま残り、民衆連合のあらゆる潜在的な参加者に向けた心を開いたアピールの必要性を具体化することができなかった。その上この構造は、開かれ民主的であり、シリザの病となっていた官僚主義的な論理から解き放たれるだろう、という十分な保証を与えることにも失敗した。
しかしながら選挙は終わった。われわれの前に控えるのは、第三次メモランダムの実行であり、攻撃的な緊縮と新自由主義改革の新たなラウンドだ。われわれは、運動と勝ちを収める運動能力に対する確信の再建からなる挑戦を今前にしている。
同時に民衆連合と急進左翼の全体(そこには、アンタルシア、シリザを去ったが民衆連合の外にとどまっている人びと、共産党の流れから出ている批判的意見をもつ人々、さらに社会運動からの人びとも含まれる)は、必要な(そして必然的に苦痛を含んだ)自己批判の過程、および対抗ヘゲモニー構想として急進左翼を再創出する挑戦の中で錯綜した諸関係をあらためて読み解く過程、これらを通過しなければならない。
これは困難な任務だ。しかしそこに新しいものは何もない。左翼政治はまったくのところ、ほとんどすでに荒波にもまれる海にある中で小舟を造るに近いものなのだ。

▼筆者はアンタルシアのメンバーであったがその後民衆連合のメンバーになった。エーゲ大学で教鞭をとっている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年九月号)

投書

「戦争法を廃止する護憲連立政権、国民連合政府案」に賛成

S・M

 「歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が一九日未明の参院本会議で、自民、公明両党などの賛成により可決、成立した」(二〇一五年九月二〇日『神奈川新聞』一面)。
 だが、希望はまだある。「小林氏は …… 横浜市での講演で、こう呼びかけた。「三大野党(民主党と維新の党と共産党)と生活の党と社民党が選挙区を棲み分ければ、政権交代が可能な状態になる」「野党は比例区の直近の票を前提に、(衆院の)小選挙区や参院の選挙区で取る割合・数をまず決める。それぞれの政党で一番戦いやすい選挙区を取り、責任を持って(候補を)出して、その代わり他党は絶対に邪魔しない。これさえすれば、安倍政権は吹っ飛ばせる」 政権交代で“護憲連立政権”が誕生すれば、安倍法案を廃止する法案の提出・成立により、戦争法案を葬り去ることができるのだ」(『週刊金曜日』二〇一五年八月二八日号、15ページ)。私は、小林節氏(慶應義塾大学名誉教授)の意見に賛成だ。
 日本共産党の志位和夫委員長は、提案する。「私たちは、心から呼びかけます。“戦争法廃止、立憲主義を取り戻す”―― この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を樹立しようではありませんか」。「日本共産党は、「戦争法廃止の国民連合政府」をつくるという“国民的な大義”で一致するすべての野党が、来るべき国政選挙で選挙協力を行うことを心から呼びかけるとともに、その実現のために誠実に力を尽くす決意です」。「すべての政党・団体・個人が、思想・信条の違い、政治的立場の違いを乗り越えて力をあわせ、安倍自公政権を退場させ、立憲主義・民主主義・平和主義を貫く新しい政治をつくろうではありませんか」(二〇一五年九月二〇日『しんぶん赤旗』一面)。私は、志位和夫氏の提案に賛成だ。
 みんなの力で、自公政権を打倒しよう。戦争法を廃止させよう。
(二〇一五年九月二四日)

コラム

なぞ解き・エンブレム

 九月二八日、五輪組織委員会は理事会を開き新たな「エンブレム委員会」を立ち上げた。メンバーにはプロ野球の王貞治らが名を連ねている。七月に「インチキ選考」した委員会のメンバー全員がデザイナーであったことからすれば、「一歩前進」とメディアは結構好意的。今度は「間口を広げ公募する」と発表。
 七月二四日決定された佐野研二郎のデザインは、公表直後から多方面より「パクリ」が指摘された。彼は「私はアートディレクター・デザイナーとして、パクるということをしたことは一切ありません」と強弁するが、「パクリ」は次から次へと出現。極め付けはサントリーのキャンペーン賞品。なんと八作品が盗用の疑い。パクリは群馬県太田市の美術館をはじめ全国の美術館・博物館などのシンボルマーク、ポスターにまで波及。
 だが、こんな佐野研二郎のパクリデザインがなぜ選ばれたのか核心的問題は一向に明らかにされていない。ザハ氏設計の「新国立競技場」の建設費が雪だるま式に増大した背景には、ゼネコンとそれに群がる設計・計算企業が存在。さらに森元首相に体現される財界と政界を結びつける利権屋がいた。エンブレム選考委の背後にもこれと同様の構造が存在する。今日デザイナー、クリエーター、アート・デレクターなどと呼ばれる人たちを動かしているのは、電通・博報堂などの広告・イベント企業。これらの企業の意向を無視して、広告業界で生きていくのは不可能に近いと言われる。一匹狼と呼ばれる輝かしい実績を残し肩書に「スーパー」が付く人たちでさえ、二つの企業との関係には絶えず気を使うらしい。
 選考委の上部団体である五輪組織委には二人の「電通」マンが出向している。一人はマーケティング局長、もう一人がクリエ―ティングデレクター。彼ら二人がデザイナーばかりで構成された先のエンブレム選考委を牛耳り、利権のために佐野パクリデザインを決定した。たしかに博報堂は表面に出ていない。しかし佐野研二郎も佐野オフィスの広報担当である彼の連れ合いも博報堂の出身者であり、選考委員メンバーの中には佐野の博報堂時代の同僚もいる。「パクリ・エンブレム」は電通・博報堂という二大広告会社が仕組んだ猿芝居の結末であり、一言で言えば「官製談合」。
 東京五輪・パラリンピックは「世紀のイベント」であり巨費が動く。広告費は東京都をはじめトヨタなどの大企業も含めると数千億円に達する。電通と博報堂は互いに手を結び利権を強奪しようとしているのであり、所せん佐野は使い捨ての「駒」に過ぎない。さらにその背景にはメガバンクも見え隠れする。
 この原稿を書き上げた翌日の一〇月二日、組織委の二人の「電通」マンが辞任した。「当然」と思う気持ちと犯人捜し間に合わず、残念。 (武)


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