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    かけはし2015.年10月26日号

司法制度が奥西さんを殺した


名張毒ぶどう酒事件・元死刑囚無念の死去

無謬神話にしがみつく最高裁

「再審」拒否を認めぬシステムへ!

 

 名張毒ぶどう酒事件で、第九次再審請求を行っていた奥西勝さん(死刑囚)が一〇月四日、八王子医療刑務所で亡くなった。享年八九歳。三五歳で逮捕され、死刑確定後四三年を獄中で暮らさざるを得ず、それも死刑囚として刑の執行におびえながらであった。えん罪を晴らすことができず、無念な最後であった。再審請求は妹の岡美代子さんが引き継ぐことになった。名張毒ぶどう酒事件は終わっていない。改めて裁判所、検察の許さざるべき体質が明らかとなった。えん罪を生みださないあり方、再審制度が問われている。

無罪から死刑
再審開始と棄却
一九六一年、三重県名張市葛尾(くずお)地区の懇親会でぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡、一二人が中毒症状を起こした。「名張毒ぶどう酒事件」だ。男たちは日本酒を飲んでいて、事件にあわなかった。奥西さんはいったん犯行を自白するが、起訴直前に「警察に自白を強要された」と主張し、その後一貫して犯人でないことを訴えた。一審名古屋地裁は無罪判決。高裁は逆転死刑判決、一九七二年、最高裁も死刑判決を維持し確定した。奥西さんの孤独な再審の闘いが始まった。最初は一人で再審請求したが、その後国民救援会などの支援、日弁連も支援を行っていた。
二〇〇五年四月、第七次再審請求に対して、名古屋高裁は「再審を開始する。請求人に対して死刑の執行を停止する」決定を出した。しかし、検察の異議で、同年一二月、名古屋高裁の別の部で、再審決定が棄却された。二〇一〇年、弁護団の特別抗告を受け、最高裁は毒物を詳しく検証するよう、名古屋高裁に審理を差し戻した。しかし、二〇一二年、名古屋高裁は再審開始の取り消しを決定した。弁護団は最高裁に特別抗告し、最高裁で争われたが請求は棄却され、現在第九次再審の最中であった。

犯行を裏づけ
る証拠は不在
名張毒ぶどう酒事件は、犯行を裏付ける物的証拠が少ない。そうした中で、奥西さんを犯人と結びつけたのは、ぶどう酒の王冠、農薬、ぶどう酒到着時間などだ。ぶどう酒の王冠を歯で噛んで開けたという自白があるが、実は王冠に残る歯型が奥西さんのものでないことが第五次再審請求で明らかになった。また、第七次再審請求では、王冠の足の部分に、奇妙につぶれて曲がった個所があった。弁護団は町工場に依頼し、一八〇〇個を復元し、奥西さんが自白した方法で開けたが、犯行現場に残されたようなつぶれかたをするものは一個も出なかった。
奥西さんが持っていたニッカリンTという農薬を混入させたとされた。ぶどう酒を飲んだ人たちは、白ぶどう酒だったと証言している。第五次再審請求で、弁護団はいまは作られていないこのニッカリンTを探し出した。ニッカリンTは赤い色をしていた。つまり、白ぶどう酒ではなかったのだ。さらに、第七次再審請求では、ニッカリンTを使うと混合物が残ることを明らかにした。飲み残したぶどう酒には不純物は出てこなかった。

虚偽「自白」を
なくすために
事件直後の取り調べに対して、村人たちは「酒屋から会長宅にぶどう酒などが届けられたのは午後二時一五分。それを奥西さんが公民館に運んだのは午後五時二〇分頃だった。この間、複数の村人は会長宅を訪れていた」と証言した。しかし、奥西さんが自白した後は「ぶどう酒が会長宅に届けられたのは午後五時頃」とし、「奥西さんだけが『毒』を入れることが出来た」と村人たちは証言をひるがえした。
一九六一年名張毒ぶどう酒事件、一九六三年狭山事件、一九六六年袴田事件。六〇年代に起きた重大事件で、再審請求・冤罪をはらす運動がずっと続けられてきた。名張事件は一審無罪で、高裁は逆転死刑判決という戦後初めての例だ。奥西勝さんと袴田巌さんは死刑囚として、いつ死刑が執行されるかという恐怖の中で長年闘い続けた。袴田さんは二〇一四年再審が認められた。石川一雄さんは一審死刑、そして無期懲役が確定し、現在仮釈放の身だ。
共通しているのは自白偏重の取り調べ、証拠のねつ造などだ。こうしたウソの自白の強要をなくすためには、代用監獄の廃止、取り調べの全面可視化、全証拠の開示が必要だ。
奥西さんと面会するなど長年、名張事件に関わってきた江川紹子さん(ジャーナリスト)は次のように裁判所のあり方を批判している(「YAHOO!ニュース」10月6日)。
「私は、第五次再審請求から本件をフォローしているが、裁判所は確定判決に問題はないかという視点から証拠を見ようとせず、再審を開かずに済む理由を懸命に探すのが、基本的な姿勢なのだと知った。再審を開かせないためには、すでに残骸のようになった証拠にしがみつくだけでなく、検察側も言っていないような化学反応を、裁判官の頭の中で作り上げさえする。特に、ひとたび再審開始決定が出た後の、門野決定や下山決定、さらにはそれを追認した最高裁(桜井龍子裁判長)の決定からは、何が何でもこの事件での再審を開かせまい、という強烈な意思すら感じた」。
「結局、司法にとっては、囚われた人の人権や人生よりも、『裁判所は間違わない』といった無謬神話の方が大事なのだろう。『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の原則が再審請求審にも適用されるとした最高裁『白鳥決定』は、ごく一部の稀有な裁判官にしか通じなくなっていると、言わざるをえない」。

検察と裁判所の
相互依存許すな
江川さんは再審請求に対して、次のように提案している。
「これでは、過去の裁判の誤りを正し、無辜を救済する機能を、裁判所に期待することはできない。再審制度を根本から変えていかなくては、冤罪に巻き込まれた者は救われない、と思う。たとえば、再審開始を決める再審請求審は、今のように裁判官が密室の審理で決めるのではなく、裁判所とは何のしがらみもない市民が関わるようにすべきだ。市民によって判断をする検察審査会方式か、市民と裁判官が協力して判断する裁判員裁判方式がよいのかはともかく、市民が参加して、もっと常識的な目で事件を見直せばよい。さらに、鑑定人などの証人尋問は公開で行うべきだろう」。
「また、現在の刑事裁判であれば、開示されるはずの捜査側の証拠は、再審請求の場合にも、検察は開示すべきだ。名張毒ぶどう酒事件は、今なら裁判員裁判の対象になり、公判前に広範な証拠開示が行われる」。
警察・検察の人権感覚なしの取り調べ・起訴のひどさはいうまでもないが、名張毒ぶどう酒事件の裁判のように、再審決定がされてもなお、それを取り消すことができるような制度の不備を変えなければならない。検察と裁判所のもたれあいを根本から変える司法制度の抜本改正。無罪判決が出たら、検察が控訴できない制度、再審決定への異議を認めない制度の確立。死刑制度の廃止を。 (滝)

10.15

国会前で抗議のアピール

川内原発2号機再稼働にNO!

さようなら原発1000万人アクション

 一〇月一五日、九州電力は八月一一日の川内原発1号機再稼働に続き、2号機の再稼働も強行した。川内原発ゲート前では久見崎海岸に作られた脱原発川内テントの仲間を中心に一〇月一一日から、抗議のハンストが行われており、ハンストに決起した人びとや支援の仲間からは抗議の声がわきあがった。また一〇月一二日には鹿児島中央駅前で一八〇〇人が参加して、川内原発2号機再稼働阻止の集会・デモが行われた。
 一〇月一五日の2号機再稼働当日、さようなら原発一〇〇〇万人アクションが呼びかけ、衆院第一議員会館前で八〇人が参加して再稼働に抗議する集会が行われた。川内原発1、2号機再稼働につづいて、四国電力伊方原発や関西電力高浜原発4号機の再稼働も日程に上っている。一〇〇〇万人アクションの仲間は、福島第一原発事故から四年半を過ぎて未だに事故原因も不明で、汚染水が垂れ流され、多くの被災者が帰還の見込みも立たないままに補償が打ち切られようとしている現状に怒りの声を上げた。さらに九電が住民に誠意ある説明を行っていないことも厳しく批判した。
 同時に、この川内原発1、2号機再稼働の強行は戦争法案「成立」を強行した安倍政権の国家戦略として打ち出されていることも明らかだ。それは「世界で最も厳しい安全基準」というウソで飾りたてられた原発依存・原発輸出のエネルギー戦略に裏打ちされている。
 集会では、キリスト者平和ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会、パルシステム、労学舎、福島原発事故緊急会議、経産省前脱原発テント村などから原発再稼働反対、福島原発事故被災者・避難者への支援打ち切りとは対照的な、戦争国家・原発大国という「棄民政策」に反対する怒りの訴えが次々に行われた。
 さようなら原発一〇〇〇万人アクションの仲間からは、来年三月二六日に代々木公園で「原発再稼働阻止・福島を忘れない さようなら原発一〇万人集会」を行う企画が紹介された。福島原発事故から五年の二〇一六年は、チェルノブイリ事故の三〇年にあたる。来年を脱原発実現にとって決定的なステップとなる年に!     (K)

コラム

「ツタヤ図書館」の舞台裏

 仕事柄、図書館をよく利用する。特に郷土資料や行政文書を探すには、地域図書館は頼もしい存在だ。また、図書館同士を結ぶネットワークも格段と進化し、遠方からでも取り寄せがきく。開架されていない蔵書でも、そのありかが分かって便利この上ない。開館時間も以前より延長され、仕事以外でも気軽に立ち寄れるようになった。
 そんな中、いまも昔も変わらぬが、よく版元と図書館の利害関係が業界内で取りざたされる。それは出版を飯の種にする版元からすれば、有価物の本を、無料で貸し出す図書館は「商売の敵」ということだ。つまり図書館のように無料で本を貸し出すところがなければ、読者は読みたい本があれば必ず書店で購入してくれるという論理である。
 確かにいま話題の芥川賞受賞作小説「火花」(又吉直樹)の貸し出し予約が殺到したため「所蔵する四一冊のうち二冊を閲覧用とし、一人あたり三時間に限って館内で読める」(朝日新聞)というサービスを始めた図書館があるというから笑ってしまう。コメディアン又吉のブラックユーモアと言えば笑えるが、版元としては、買い手を逃がしているのも事実。腹立たしいのは納得できる(文藝春秋社様は、決してそんな心が小さなことは言っておりませぬ。あくまで例えのひとつでごわす〈笑〉)。
 しかし、図書館としてみれば利用者の要望を可能な限り応えるのが役目。まあ、喧嘩両成敗というのがボクの見解だ。読書人口が増えることはいいこと。また、回し読み、読み捨てされない本を作るのが版元の矜持である。
 さてここからが本題。それは、いま巷を賑わす「ツタヤ図書館」のことである。佐賀県武雄市で二○一三年に開館したこの図書館、スターバックスコーヒーを併設し、朝九時から夜九時まで三六五日開館、オシャレな館内では、雑誌や単行本の販売、DVDレンタルコーナーもありブックカフェの趣だという。こうした取り組み(?)が功を奏してか、年間二五万人だった利用者は、その四倍の一〇〇万人近くまで増加した。
 「来館者が増えるなら、それでよし」という御仁も多いだろうが、華やかな館内を演出するために失った物も少なくない。蘭学資料を常設展示していた蘭学館や、読み聞かせスペースは閉鎖され、郷土資料に代わって登場したのは、遠く離れた埼玉県のラーメン本や賞味期限が切れた実用書だというから嘆かわしい。聞くところによれば、これらの選書を行政は、武雄市図書館を運営する指定管理者「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」(以下CCC)に丸投げし、新古本を扱うCCC傘下のネットオフから購入したというから在庫処分も甚だしい。民間活力の導入と言えば聞こえはいいが、所詮金儲けの新自由主義。それがツタヤ図書館誕生の所以であろう。
 先日、愛知県小牧市では、ツタヤ図書館の賛否を問う住民投票が行われ、反対派が上回った。その理由の一つが、「図書館の質を落とす」というものである。市民が望むものは、オシャレな雰囲気ではなく、地域と共に歩む文化拠点なのだ。ベストセラーも結構だが、硬派な専門書、郷土資料が並ぶ図書館こそ、図書館らしい。       (雨)



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