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    かけはし2015.年10月26日号

反新自由主義闘争の分断許すな


ギリシャ

反メモランダ抵抗に性差別的猛攻

シリザの屈伏は議会議長見殺しにまで貫徹


ソニア・ミトラリア

http://internationalviewpoint.org/spip.php?article4224

 現代の深い危機がフェミニズム運動に突き付けている課題を論じたギリシャフェミニストの論考を以下に紹介する。チプラス政権のトロイカに対する屈服の中で起きている、ギリシャでの性差別女性攻撃の質を異にする高まりを取り上げ、新しいフェミニズム運動の必要性を強調している。(「かけはし」編集部)
 ギリシャが通過中の激発的危機の中でわれわれは、女性に敵対する極度に暴力的な性差別主義キャンペーンが解き放たれているのを今見ている。それ以上のこととしてこれは今、公衆の全面的な注視の中にある主要な政治の光景として起きている最中だ。われわれは、この度し難い暴力的な性差別主義、伝染性という次元を帯びつつあるそれは、現在の債務危機以前にあった、もっと平和な直近の過去に見られた普通の日常的性差別主義とはかなりの程度異なっている、と確信している。

闘う女性狙った
戦略的排除攻撃


前ギリシャ議会議長、ゾエ・コンスタントポウロウは、この真に暴力的なキャンペーンの象徴的人物であると同時に主要な犠牲者だ。このキャンペーンの勢い、野卑さ、また暴力性は、彼女が「ギリシャの公的債務に関する真実委員会」を創立して以来、またギリシャの債権者団の意志に対するチプラス政権の降伏に対する非妥協的な反対の表看板と彼女がなって以来、大きく度を上げることとなった。
より詳細に見る時われわれは、この七ヵ月毎日、主流的メディアが議長が行ったあらゆる言明を我を忘れたたわごととして表現している、ということを見て取ることができる。「昨日」紙の「ゾエ、精神錯乱」のような一面見出しはしばしば、大低俗紙の一面見出しでは、「ゾエの男は彼女を黙らせることができないのか?」の類のものでとって代わられた。九月二〇日の総選挙キャンペーンが最高潮になると共に、主なTVチャンネルはその中心的ニュース番組の中に、「彼らが言っていること」なる毎日の特別コラムを持ち込むにいたったが、それは、ゾエに関しソーシャルメディアが今語っていることを示すものなのだ。それはからかいに満ち、時に卑猥で、不公正に修整された写真や出所不明の不快な挿絵で描かれている。
もっと悪いことがある。国会議員でさえ尻込みすることなく議長を「性的欲求不満のオランウータン」と呼び、外航商船船長である彼女の夫に「すぐ上陸し彼女を静めろ」と訴えている。議長は、彼女の夫に「彼女を黙らせろ」と求めたある新聞の一面見出しを、議場で胸に焼き付けた。
われわれは、ギリシャ議会議長が被ったこうした言葉の、そして性差別主義の諸攻撃について、さらに長い目録を続けることもできるだろう。ゾエ・コンスタントポウロウの例は重要だ。それは、彼女たちの諸権利や抑圧された者たちの諸権利を主張し続けている反乱する女性たちに敵対する、様々な力ある者たち(政治的な、機構による、メディアの、マフィアの……)による、暴力的で性差別的な攻撃を象徴するものであるからだ。
ゾエは、ギリシャを荒廃させてきたメモランダに反対する重要な一人物となるまでに駆け上がったその時から、誹謗を受け、けなされ、侮辱され、中傷され……、つまり、トロイカの楽隊車に乗った者たちによって悪魔のように描かれた。彼女に対する数々の攻撃はそれほどにしつこく、組織され、調整され、体系的であり、公的舞台から彼女を政治的に排除することを狙った実体的な戦争戦略、とそれらを受け取らざるを得ないほどのものなのだ。

これは現代の
魔女狩りだ!


間違いだと思われることは、この「極度の性差別的な現象」を男性優位主義あるいは行き当たりばったりの個人的行為、あるいは時代錯誤的な心性に帰すことだ。こうした間違いの例としては、「コンスタントポウロウに敵対する性差別主義攻撃は時代錯誤的決まり文句」と標題をつけられた声明に見られる、(旧)シリザフェミニズム政治部門による主張を挙げることができる。しかしこれは、現代の魔女狩りなのだ!
資本主義の夜明けの時期に発展した魔女狩りには、現在の暴力的な性差別現象と共通するものがあるのだろうか? それは容易に現代的魔女狩りに変じ得るのだろうか? 魔女狩りは一六世紀の変わり目を中心に欧州で現れた。それは、資本主義が最初の出現を印した時期だった。この現象は、諸々の危機の時期における、そしてそれはその中で女性が反乱と抵抗の前線部分を引き受けている現在の債務危機に似ている危機なのだが、女性に対する魔女としての体系的で極悪非道の表現を特徴とした。
今日われわれは当時におけると同じく、生産と再生産の諸関係が女性を不利にする形で再編中である時期に暮らしている。政治的な諸権力と地位と可視性を確保している者たちは、この現象をまったく認めていない。
魔女狩りの時代女性たちは、ギルド、教育、共有地から締め出されていた。彼女たちは孤立させられ、家庭と寝室に閉じ込められていた。今日彼女たちは、公的視界から追い出され、新自由主義的緊縮政策の圧力下で福祉国家が放棄した任務の無料奉仕へと押しつけられている。国家がつくり出した巨額の節約分は国家債務返済に充てられている。
「女性の場は彼女の家庭」といったよく知られた女性への決まり文句が魔女狩りの時代に現れたのは偶然ではない。自分が考えていることを公然と発言することに怖れをもたなかった女性、自分に自信をもっていた女性は、批判を受け、トラブルを起こし公衆の平穏を乱すやっかいな攻撃的女性と言われた。女性が公事に首を突っ込むことは、火あぶりによる処罰に値する犯罪だった。
これはわれわれの現在の緊縮諸政策と権威主義を思い起こさせる、読者はかなりこう考えるかもしれないが、それは適切だと思われる。人道的かつ社会的惨害に彩られた今日のギリシャでは、迫害者と彼らの非人間的諸政策の防衛に急行する者たちすべて(メディア、諸政党、エリートたち、腐敗政治屋、権力の神秘化された閉鎖的サークル、雇用主団体、さらにマフィアまで)は、緊縮諸政策と債務システムに対決して諸闘争を導いている女性たちの、移民、難民、環境、現在適用されている暴力的な諸政策の数多い犠牲者を守っている女性たちの、そうした行為を打ち砕くために、以前は決してなかったほどに、これ以上ないほどのまったくひどい性差別的なカードを限界まで切っている。
これは、制定中のマフィア法、ボスの法、ぽん引きと性奴隷制と性的人身売買の法、に向かう標準的行為だ。怖れは道具であり、暴力と虐待は、売春システムの最大限の利益という供物台の生け贄にされている彼女たちのからだに対する無条件の支配を獲得しようとする、女性たちの熱意、魂、尊厳、自負心を一掃するための手段だ。

新しいフェミニ
ズム運動今こそ


どうしても言わざるを得ないことだが、性差別主義的攻撃の犠牲となる全女性を守るためにつくり出された、チプラス政府ジェンダー平等のための官房のような機関が見せた姿勢には、批判を加える以外ない。この機関は、ギリシャ議会議長がさらされてきた性差別的私刑には、まったく動かずにとどまったのだ。この否定的な印象は、この犠牲者が、首相とかの官房の長官が共にメンバーであるシリザ党の一指導者である、露出度の高い公的人物であることをよく考えた場合、さらに悪いものになる。
そして、ギリシャ議会議長への性差別的攻撃には見たように沈黙を守っている同じ官房長が、ギリシャへの独裁を強要しているトロイカの現首席代表である、ルーマニア人のデリア・ヴェルクレスクに対する性差別攻撃を行った一日刊紙を糾弾する行動には急行したということを記憶にとどめれば、先の沈黙は驚くべきものであり、啓発的だ。
われわれはこの問題について、われわれが生きている新自由主義時代を象徴するものであるがゆえに、詳しく述べてきた。われわれの考えでは、一つのジェンダーとしてわれわれの諸権利を有効に守るためには、新しい急進的なフェミニズム運動が作られなければならない。それは、この二一世紀はじめの社会的諸現実に対決して、債務システムとあらゆる種類の家父長主義的原理主義に対決して女性が闘わなければならない、そうした困難な諸闘争から生じるだろう。
今こそ新しいフェミニズム運動を生み出す時だ。それは、ジェンダー的帰属性にまつわる政治的側面に対処するだけにとどまり、女性が被っているありふれた粗末な扱いと階級闘争、さらに同じく不平等と差別の他の形態、これらの間の結びつきを知ることを拒否する、そうした現在のフェミニズムの傾向を捨てる運動だ。
ギリシャで現在はびこっている性差別主義は、諸闘争を分断するための、また抵抗のあらゆる形態を一掃するための恐ろしい武器だ。これは、女性の闘争だけではなく、ギリシャの国境をはるかに超えるわれわれすべてを巻き込むべき闘争でもある。

▼筆者は、ギリシャのフェミニスト活動家であり、CADTM(第三世界債務帳消し委員会)ギリシャのメンバーでもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年九月号)

ギリシャ

9月20日総選挙について

闘争統一通じ力関係変更へ

OKDE―スパルタコス

http://internationalviewpoint.org/spip.php?article4249

何ひとつとして
終ってはいない

 一月の選挙結果が議会と「左翼の政府」を通じたメモランダと緊縮の廃止に対する労働者階級の希望を表したとすれば、九月二〇日の選挙におけるおおよそ同じ結果には、全面的に違った意味がある。つまりそれは、ここまでの労働者階級の運動の諸限界を描き出している。シリザが第三次メモランダムを導入してから僅かの週しか経っていない中での、シリザの勝利とほんの少しの弱体化は、労働者の大きな部分が当面、「他に代わるものはまったくない」を受け入れている、ということを示している。同時に、シリザの変質は、その左翼、そして諸労組内部にシリザが持っていたかつての補足部分(いつもそれほど大きくはなかった)をまったく少ない犠牲で取り除いたことと平行して、膿をもつようなものになろうとしている。
労働者地区は再度シリザに大挙して投票した。彼らをそうさせたものは、シリザが指摘したようなちっぽけな約束や愚かな言い訳ではなく、同じように、右翼やPASOK、また全体としての旧メモランダム諸政権に対する労働者の憎悪でもなかった。この全面的に正当化できる憎悪は、そうであっても、この結果を積極性があるように見せるほど十分なものではない。左翼と右翼の得票率の形式的な対比は左翼支持を示すものだが、しかしこれは、今政権にいる左翼が民族主義右翼の独立ギリシャ人と協力して、国内外の資本の利益にかなった改革並びに緊縮の計画を実施するために権限を得ているという事実を前にすれば、ほとんど重要性をもたない。
この選挙結果を前にして、悲嘆に暮れたり悲観したりすること、またでっち上げの楽観にひたることにも何の意味もない。革命的左翼にとっての問題は、泣いたり笑ったりするためではなく、現在の任務をきちんと定めるために新たな諸々の条件を考えることだ。情勢の不安定性はこれからも続くだろう、そして何もまだ終わってはいないのだ。

街頭でナチスを
取り除く闘いを


大きな棄権率は、ある特定された「政治的メッセージ」というよりも、方向感覚の喪失と失望をより多く表している。とはいえ同時にそれは、不可避的な悪としてのメモランダム受け入れは一定程度まで、因習的権威受け入れであることを示している。選挙結果が示す期待の低下は、意識的立場としての棄権が問題を脱政治化するとしても、必ずしも悪い兆候ではない。
得票率における「黄金の夜明け(GD)」の上昇(極右のLAOSが選挙から消えていたにもかかわらず、得票で増大はなかった)は、ナチスが当たり前のように居座るようになった、ということを示している。間違いないこととして、GDは選挙前のキャンペーンでは二、三の例を除いて公開の登場を行わず、ナチスが通常は利用しようとする難民へのレイシズム的憎悪扇動は限定され、地方レベルにとどまったにすぎなかった。
しかしながら、GDがある種安定した聴衆を抱え、チャンスを待っていることもまた、本当のことだ。四年にわたるまさに重要な反ファシズム運動の経験の後では、GDの得票率は懸念すべきことと言うだけでは、何も言わないことに等しい。われわれは街頭に戻り、ナチスをきっぱりと除かなければならない。

シリザから社会
潮流を取り戻せ


この選挙から出てきている基本的な問題は、何年も厳しい闘いを行い、諸政権とその政治的な徒党の打倒を達成した社会潮流全体がチプラス指導部の下に避難するにいたった、ということだ。この指導部は、社会のこの部分をより受動的かつ保守的にしている。シリザの裏切りは自動的にそうした受動性の破壊に導くだろうとの仮説は、素朴であることが証明された。指導部は、その基礎の意識に強力な影響力を及ぼすのだ。
シリザ外部の左翼は、その不十分さといくつかの過ちのゆえに、こうしたシリザの支配に対し部分的な責任を負っている。しかし最大の責任は、上述の社会潮流すべてがチプラスに差し出されたのは彼らの助けに基づくものである以上、シリザ内部の反対派、並びにシリザを批判的にまた戦術的に支持した潮流すべてにある。
アンタルシアは、絶対数で強化された選挙の配列内の数少ない勢力の一つだった。その得票率は、階級闘争における存在感よりも実質的に低く出ているとはいえ、つつましいものであり、危機の時代における必要性よりも低い。選挙前のキャンペーンとEEK(労働者革命党)との連合は肯定的に評価されなければならない。いくつかの対立があるとはいえ、それははっきりと、この一月のキャンペーンよりもより明確な反資本主義的な路線への動きとなった。
民衆連合(PU)には合流しないというアンタルシアの選択は正しく、幾分はPUのキャンペーンで証明された。この種の選挙協力や綱領的協力に向けたすでに時代遅れになっている議論に戻ることには、アンタルシアの保守的な調停に向けた圧力を除けば、今日提案すべきものは何もない。
逆に、新しい諸方策に反対する確かな政治的諸目標に関する、闘争に参加している戦闘的勢力すべての間の委員会や共同機関と一体となった、その前衛としてのまた議会の外にその重心を置く反資本主義左翼を伴った、そうした運動の幅広い統一行動は、諸勢力の社会的関係と政治的関係を変えることのできるものだ。今回の選挙が与えた現在のイメージがあるとしても、この関係は急速に変化し得る。システムの不安定さに対する客観的な根拠がいくつもあるからだ。われわれは、諸々の危機から生まれた社会的潮流をチプラスに代表させてはならない。われわれは、新民主主義とPASOKを戻らせてはならず、GDにさらに利益を与えてはならない。現実の反乱の時が来ている(「反乱」を実際にギリシャ語で翻訳する場合、われわれの政治戦線の名称と同じ響きをもつ言葉、「アンタルシア」に当たる:英訳者注)。

▼OKDE―スパルタコスは第四インターナショナルギリシャ支部。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年一〇月号)

 



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