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    かけはし2015.年10月26日号

歴史教科書は記憶闘争ではない


世界史に類例のない知的テロに反対する


国定化は多様性も歴史学会も否定

 「国家が乗り出して教育を一括統制するのは、人びとを全く同じ1つの枠に合わせて育てぬこうとする方便にすぎない。国家が教育を通じて効果的かつうまい具合に人々をその枠の中に突っ込めば突っ込むほど国家の最高権力者たちの喜びは大きくなる。その結果、権力が人々の精神を掌握し、ごく自然な帰結として身体まで支配することになる」。
 英国の近代思想家ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』において、国家が権力を通じて人々の考えを特定方向に誘導したり強制してはならない、と強調した。ミルは、国家が市民たち自らが意見や立場を整理することができるように制度を通して補助すべきであって、直接に内容を統制したり干渉してはならない、と警告した。1859年のことだった。

権力者の喜びの増大と横暴


警告は無視された。ドイツのナチ政権は1933年初めに権力を握るやいなや、早くも5月には「国民教育」のための指針書を学校現場に通達した。何よりもまず歴史と生物課目がナチの切っ先にあがった。ヒトラーと彼の部下たちは統合的な国家のアイデンティティと民族のアイデンティティを強化し、人種主義を煽るためにドイツ人の生物学的優越性を歴史教育の核心とみなせとの指示を下した。
歴史教育のための政権の指針や教案などが随時、学校現場に伝達された。彼らはアーリア人種の優秀性を印象づけ刻み込むためにドイツ人の英雄たちを神話化した。抑圧的支配は正当化され、戦争と破局のための精神的準備が整えられた。
19世紀中盤の英国の自由主義思想家の警告と20世紀前半のドイツ・ファシストたちの実践を、21世紀の韓国で再び取りあげなければならないということは悲しいことであり、しんどいことでもある。政府と与党が推進している歴史教科書の国定化については、既に批判の声が高い。甚だしくは一部の保守右派のメディアなども反対の声をぶつぶつと言っている。はたして国家の最高権力者が、その「喜び」をあきらめるのだろうか。
最後の期待まで裏切って政府が結局は国定化の歴史教科書を導入するとしたら、その後はどうなるだろうか。おそらく次の段階は、国定の歴史教科書を誠実に教えない学校や教師たちに対する監視と処罰ということになるだろう。実際に1930年代のナチスたちも教科の指針と補助資料を通じて歴史教育を締めつけつつ歴史意識を「統合」したけれども、単一の国定教科書を全国的に導入することはできなかった。
1939年からドイツ全域では前述した指針に基づいた歴史教科書が発刊された。それでもそれは各地域や地方の固有の歴史を反映したさまざまな版本の教科書だった。だがナチは既にその前後に、体制に同調しない教師たちやユダヤ人教師たちを学校から追い出す作業を体系的に進めた。「統合」を指向しつつ単一の官制的歴史像を強制する論理は、教科書導入にとどまるだけではないだろう。全国の大多数の歴史学の教授たちや教師たちが歴史教科書の国定化に反対しているが、国定化が導入されれば権力の切っ先はどこに向かうのだろうか。
もちろん権力者たちが国定教科書を導入する「喜び」をあきらめるからと言って、状況が終了するわけでもない。現実の不満を隠し、未来の展望を阻もうとする者たちは、過去の美化と支配の伝統の正当化をあきらめるわけがない。国定教科書の導入を率いている諸勢力は韓国の歴史学と歴史教育が「左派たち」に掌握されてしまったがゆえに「多様性が侵害された」と主張する。西洋史学者出身のイ・イノKBS理事長のような人々は、現在の歴史学会の中心世代全体を「従北左派」だとの烙印づけを事としている。
だが歴史学会の現況を知っている人ならば、その中にさまざまな観点や方法論および叙述上の争点が存在していることを否定できない。「民衆」と「民族」に対する認識の観点も相当に違い、論争は何度も続けられた。社会史と日常史と口述史などが歴史学の主要な研究の観点であり、叙述傾向に移ってからもいささかが経過した。分断や戦争、南北韓社会に対する歴史の認識においても新しい見方や問題提起が明らかに際立っている。世代が異なり時代が変わっているので研究は深く、地平は広がった。
たとえて言うならば、学術雑誌『歴史批評』は2012年冬「100号特集」で、さまざまな分野の歴史学者14人に、7項目の質問からなる「歴史を問う」を投げかけ答えさせた。その回答を見ると、批判的歴史学者たち内部の観点や立場がいかに多様であるかが分かる。事情はこうであるのに、ニューライト知識人たちのように、韓国の歴史学会がまるごと単一の研究集団として結束しているかのように言うのはマタドア(常套的切り札の一種)にすぎない。そのうえ自由主義社会で歴史学会全体を「左派」だと烙印づけて否定するのは、世界史に類例のない知的テロだ。
結局、歴史教科書をめぐる数年間の葛藤は進歩と保守の学問的対決でもなく、またよく言われる「記憶の闘争」でもない。それは歴史学者たちの集団的学問の成果に対して一部の極右(保守)知識人らが権力を先頭に押し立てて展開している政治的リンチと言うに近い。重ねて言えば、それは民主主義的多元主義と認識の地平の拡大、または異質な観点と方法論の多様性が生んだ研究の諸成果が正常に結合し、公正に競争する過程ではない。
ニューライト知識人らは学問共同体において慎重に討論し、批判的に検討する認識の手続きを飛び越えて、直ちに権力を活用しつつ集団的決起にしがみつく。これに照応して支配権力は少数の極右的保守の学者たちを押し立てて、支配の正当化のための談論やナレーションを流布している。

極右知識人たちの政治的リンチ


結局、国定化の推進へと連なったこの数年の教科書論争は、進歩と保守の間の学問的競合や解釈上の競争対決というよりは、少数の退行的知識人らが権力を押し立てて学問共同体や教育現場に加えている一種の恐怖政治だ。歴史教科書の国定化は単純に歴史認識の多様性に対する抑圧のレベルを超えて、歴史学会の研究成果に対する全面否定であり、甚だしくは歴史学会の存在を否定する行為に近い。
記憶はそれ自体として歴史ではない。記憶は歴史の研究に寄与し刺激を与えるけれども、それだけでは直ちに共同体の歴史意識となることはできない。一部の老練世代は自分たちの特別な生涯史的出世の経験やイデオロギー化した政治経験をストレートに後の世代の集団的アイデンティティとみなそうとする。歴史教科書の固定化は老練世代の中で最も退行的な集団が自分たちの主観的記憶を若い学生、生徒、児童たちに「正統な歴史」として強制的に注入する精神的暴力へと帰結するだろう。
わが社会の老練世代のうちの一部が自分たちを「建国世代」と規定しつつ、国家に対する肯定的歴史の記憶にしがみつくのを理解できないわけはない。1945年以降、ファシズムと植民化から脱け出した大部分の国々において、初期の世代は「廃墟の中から国家を作り、国家の発展に寄与した」記憶から脱け出すのは簡単ではない。その人々は自分たちの生涯史についての記憶を「国家の成功」や「民族の光輝」と一致させたい欲望を持ちやすい。
だがそのような記憶や欲望は学問的分析や疎通の対象であって、次の世代に強制し注入する根拠とはなりえない。しかも少数の支配エリートたちが学問共同体を否定し、権力を動員して自分たちの主観的記憶や解釈を共同体全体の歴史意識やアイデンティティへと貫徹するのは、全体主義ででもなければ想像することはできない。
また、わが社会にはそのような肯定的記憶を持ちがたい人が少なくない。それは必ずしも韓国現代史に対して否定的記憶を持たなければならないという言葉へと連なるものではない。一にも二にも、歴史は記憶によって縮小されはしない。
歴史教科書は肯定的であれ否定的であれ、特定の記憶にのみ捕らわれる理由はない。むしろ歴史教育においては多様で異質的な記憶の脈絡と根源をさらけ出し、それを理解するように教えることが重要だ。歴史や歴史教科書は基本的に社会の構成員たちに自らの人生が置かれている状況を追い求め理解するように手助けすることだ。歴史の脈絡と自分の人生が置かれた連関関係を理解することによって、社会の構成員たちは初めて現在を明らかにし、未来を追求できるからだ。
そうであるにもかかわらず教科書の国定化推進の諸勢力が提示している「正しい歴史観」は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のビッグブラザー国家オセアニアが掲げた「戦争は平和、自由は束縛、無知は力」というスローガンを想起させる。奇怪な概念と用語によって現実と歴史をねじ曲げてしまったからだ。
支配権力と国定化推進勢力が大韓民国の「真理省」に掲げようとしている歴史上のスローガンは、「植民は近代、分断は建国、独裁は富国」だ。彼らは帝国主義の抑圧と暴力、単一国家建設の失敗による民族分断、そして民主主義の圧殺と不平等を「近代―建国―富国」という国家発展の叙事によって覆ってしまった。それによって支配的歴史に対する肯定的幻想を流布する。

一人よがりの「正しい歴史観」

 それは政治共同体に対する市民たちの素朴な結束と連帯意識を悪用して国家主義の神話に引き上げる巨大叙事だ。また叙事の論談を貫徹するために、彼らは「国家の成功と栄光を否認するつもりか」として共同体全体を脅迫する。韓国現代史のさまざまな事件や過程に対する彼らの偽善と弁明、虚勢と詭弁を除いたとしても、「成功の神話」は既に歴史ではない。「遼東之豕」(一人よがり)でないならば、大韓民国の一定の領域で歴史的に凄惨な事柄があったということを否定する理由はない。けれども破局や悲劇によって綴られた歴史と現実を見ても「成功」だと自慢しつつ旗を振り続けるのは軽薄であり欺まんだ。
歴史は成功と失敗とに、ぴったり分けることはできない。多層的であり複雑であるからだ。また、しばしば混在状況に置かれているからだ。高麗や朝鮮朝は「成功した歴史」なのか、それともただ「失敗した歴史」なのか。日本現代史は成功なのだろうか。ポーランド現代史は失敗なのか。現代史の発展は流動的で開かれている。単一の基準によって裁断することはできない。現代史の流れは絶えず変わり、再解釈されるに際し成功だの失敗だのという二分法的判断がつけ入る暇はない。
また「成功の神話」や英雄的叙事にとらわれなくとも一定の領域の歴史的に凄惨な事柄を充分に探ってみることはできる。もちろん凄惨な事柄を認めながらも、それの複雑な絡まり、つまり凄惨な事柄のパラドックスや不連続、転換や絡み合いを見ることが重要だ。
国家権力が支配を正当化するために政治的暴力や不正義の歴史を縮小したり隠ぺいするのは珍しいことではなかった。歴史学や歴史教育の長きにわたる悪用は20世紀のファシズムと社会主義および開発独裁の国々において赤裸々な姿をさらけ出した。そうであるがゆえに、既に1970年代から国際歴史学会や歴史教育会は、いかなる形式や過程であれ国家権力が特定の歴史像を強制し共同体の犠牲や破壊を周辺化したり否認する傾向に批判的だった。
要するに、国際歴史学会は歴史教育の目標が、より肯定的な歴史像に基づいたアイデンティティの創出ではなく、否定的遺産についてより注目しなければならないことを強調した。政治的抑圧や社会的排除によって味わった破壊や犠牲が、歴史書において最も重要に扱われなければならない領域だとみなされた。
国家や支配エリートによる暴力や屈折の実像をあらわにすることができなければ、歴史は単に神話へと転落し、記憶は再びイデオロギーによって染めあげられる。そうであるがゆえに歴史教育は開放的で多元主義的な価値の高揚と共に、批判的で省察的な思惟と判断能力の涵養を見過ごすわけにはいない。この際、それは「体制の否定」だの「自虐史観」だの「後の世代を敗北者にする」だのと言う奇怪な憶説とは何の関係もない。1個人が自らの人生について省察し整理することによって、よりよい生き方の方向を求めていくと同様に、1つの共同体は悲劇的過去についての省察を通じて、よりよい現在と新たな未来を求めて行くことができる。

政治家の「善意」に任せるな


歴史教育問題が単純に「権力者たちの悪意」のせいで発生するのではない。歴史教育は「歴史文化」(Historical Culture)や「公衆の歴史」(Public History)の一部として、専門的歴史研究の成果を政治と文化の領域において活用する実践の一部だ。集団的歴史意識と歴史文化の形成については、もっと多くの論議が必要だ。「歴史政策」をアマチュアリズムに陥った「政治家たちの善意」に任せてはならないからだ。歴史に対する政治の横暴は、「裏口」からでもいくらでも入ってくるというものだ。また、よい意図から作られはしたものの、ムチャクチャな歴史の展示や見かけ倒しの記念物を広めた。
ところで歴史文化や歴史政策についての論議は、ともかくも歴史教科書の国定化の推進を阻んだ後にこそ可能になるだろう。歴史文化や公衆の歴史などの概念や理論をめぐる討論が全く進展できないのは、もう1つの悲劇だ。数年にわたるこの教科書論争が足をひっぱっているからだ。当分の間、我々は古い「歴史戦線」の塹壕で、降り注ぐ篠突く雨をとめどなく迎えることになるだろう。状況は重い。(「ハンギョレ21」第1079号、15年9年21日付、イ・ドンギの現代史スチール・カット/江陵原州大・史学科教授)

【訂正】本紙前号(10月19日付)6面気候変動論文の上から3段目左から10行目の「アグロ燃料」を「アグリ燃料」に、同じく6面上から4段目左から3〜4行目の「利益を挙げる」を「利益を上げる」に訂正します。


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