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    かけはし2015.年11月2日号

戦争法廃止・安倍内閣打倒へ(下)


開かれた可能性をつかむために 

次は何か、「焦点」を作る論議・行動を


新しい回路と
国際的同時代性格

 安倍政権が国会に提出した「戦争法案」に対して、五月から九月にかけて国会を焦点に、全国各地で多様かつ広範に、そして集中的に繰り広げられた反対運動のうねりは、六〇年安保闘争、そして六〇年代後半から七〇年にかけて展開されたベトナム反戦・安保・沖縄と大学闘争を結びつけた急進的運動のダイナミズムに次ぐ、数十年ぶりの広がりとエネルギーを持つものだった。
 このエネルギーと運動のダイナミズムが、なにを背景にしたものであるのかを改めて考えてみる必要があるだろう。SEALDsの若者たちをはじめとした戦争法案反対の新しい流れを作り出した人びとは、二〇〇八年のリーマンショックと雇用破壊・「年越し派遣村」、二〇〇九年の民主党への政権交代とその頓挫、二〇一一年の東日本大震災と福島原発事故など、政治・社会的激変、流動化を同時代の共通体験として持っている。
 そしてこの政治・社会的危機の中から登場した第二次安倍政権が、秘密保護法制定、沖縄、辺野古への新基地建設、そして戦争国家法制定から憲法破壊へと突き進んでいくことへの危機感を、まさに「皮膚感覚」として持っている。安倍政権は、いとも簡単に、まさに暴力的に憲法規範を破壊し、クーデター的手法によって「戦後七〇年」を清算しようとしているという感覚は、「よりよい明日」どころか格差・貧困・失業しかもたらさない今日の資本主義社会の絶望的現実への不満・怒りと直結している。
 「民主主義」「立憲主義」を共通項としたかれらの政治表現は、かれらにとって決して表層的なものではない。ある意味で「古くさい、使いふるされた」ようなこれらのスローガンは、今日のグローバルな政治・社会危機の中で、世界中の都市の広場や公園で「オキュパイ運動」を繰り広げた青年・学生たちの叫びと共通している、と考えるべきだろう。
 SEALDsの中心的創設メンバーの奥田愛基さんは、明治学院大学を休学して旅した米国で、このオキュパイ・ウォールストリート(OWS)運動に参加している(SEALDsのコールで使われるTell me what democracy looks like[民主主義って何だ]、This is what democracy looks like[これだ!]という掛け合いは、OWSで使われたものだそうだ)。
 また九月に来日した香港の區龍宇さんが紹介した台湾立法院占拠の「ひまわり運動」や香港の「雨傘運動」を担った学生たちの主張や行動様式や運動感覚は、明らかにSEALDs運動との共通性を持っている。
 われわれは少なくとも、この「民主主義」「立憲主義」というスローガンが、グローバルな新自由主義的資本主義の危機の中で、旧来の階級統合的な統治・支配の様式の根本的な作り替え、すなわち安倍政権を例として挙げれば、憲法破壊の強権的統治方式によって資本の露骨な利害を強制し、戦争国家に踏み出そうとする動きの中で、新しい意味を持ちうることを理解する必要があるだろう。オルタ・グローバリゼーション運動の中で、われわれが提出してきた「グローバルな平和・人権・環境・民主主義」のスローガンと、戦争国家法案反対運動における「民主主義・立憲主義」の意味をつきあわせながら、反資本主義左翼潮流の形成を展望する政治的プロセスを意識的にさぐっていく必要がある。
 そこには相当の距離があることは事実だが、われわれはそのための討論をねばり強く進めていく必要がある。
 SEALDsに対しては、中核派などから機関紙上で、実力闘争に反対する「反動・反革命」など最大級の罵倒が浴びせかけられており、新左翼系活動家の間でも「国民なめるな!」などのコールについての批判が投げかけられている。共産党系がSEALDsに対してほぼ全面的に擁護していること、あるいはかつての大学闘争の際には考えられなかったことだが「安保関連法制に反対する学者の会」と完全にタッグを組んで国会前行動や、シンポジウムを行っていることへの批判もあることは確かである。
 われわれはこうした罵倒に与しない。しかし必要なことはSEALDsを持ちあげることではなく(かれらもそうしたことは望んでいないだろう)、共に闘っていくための討論の回路をどのように作りあげていくかということであることを改めて確認していかなければならない。

「新9条論」と
いう落とし穴


安倍政権は、戦争法案を成立させた後、秋の臨時国会を召集せず、当面する政策の焦点を「新三本の矢」と名づけた「アベノミクス第二ステージ」に移行させ、戦争法への批判をかわそうとしている。
これに対して「総がかり行動実行委員会」は毎月一九日の国会前行動とともに、今年に続き総がかりでの取り組みとなる来年五月三日の憲法集会(有明防災公園)をめどに、戦争法廃止二〇〇〇万人署名を行うことを確認した。そして沖縄・脱原発・人間の安全保障を視野に入れた共同の取り組み、諸団体・市民との連携強化とともに野党との連携強化をも課題として掲げている。
こうして「戦争法案」反対運動で作り出された新しい共同の戦線は、安倍政権打倒を視野に入れた重層的な運動の構築へと発展しようとしている。われわれはその中で、とりわけ戦争法と直結する沖縄・辺野古新基地反対闘争への「総がかり」の支援をさらに強めていく必要がある。また南スーダンPKO部隊への「駆けつけ警護」任務=実戦参加に反対するキャンペーンに力を入れよう。
他方、注意しなければならないことがある。それは今井一氏(ジャーナリスト)や伊勢崎賢治氏(東外大大学院教授)らによって、「解釈改憲の余地を政府に与えない」という理由で「自衛隊」の存在と「個別的自衛権の行使」、さらに「自衛隊」による「国際貢献」を憲法で明記する「平和のための新9条論」なるものが提起されていることである(東京新聞一〇月一四日)。
今井案では「わが国が他国の軍隊や武装集団の武力攻撃の対象とされた場合に限り、個別的自衛権の行使としての国の交戦権を認める。集団的自衛権の行使としての国の交戦権は認めない」「前項の目的を達するために、専守防衛に徹する陸海空の自衛隊を保持する」「自衛隊を用いて、中立的立場から非戦闘地域、周辺地域の人道支援活動という国際貢献をすることができる」となっている。今井案ではその上に「防衛裁判所の設置」も規定し、さらに「他国との軍事同盟の締結・廃棄」を各議院の総議員の三分の二以上の賛成で認め、さらに「他国の軍事施設の受け入れ、設置については、各議院の総議員の三分の二以上の賛成による承認決議の後、設置先の半径一〇キロメートルに位置する地方公共団体の住民投票において、その過半数の同意を得なければ、これを設置することはできない」として「外国軍基地設置」の可能性をも憲法上で認めている。
一方、伊勢崎案は「自衛の権利は、国際連合憲章(五一条)の規定に限定し、個別的自衛権のみを行使し、集団的自衛権は行使しない」というもの。
われわれは「解釈改憲を認めない」という口実で自衛隊を「合憲化」するための提案が、まさに安倍政権の改憲戦略との闘いを撹乱する以外のなにものでもないことを訴えたい。

選挙協力と連合
政権について

 最後に、戦争法廃止・安倍政権打倒を実現していくための選挙方針をどのように考えていくかが決定的に重要な課題とならざるをえない。
日本共産党は、戦争法が国会で「成立」した当日の九月一九日、中央委員会を開催して「戦争法廃止の国民連合政府」を呼びかけることを決定した。同決定は、違憲の戦争法を廃止し、民主主義と立憲主義を取り戻すためには、その課題のみで一致した「国民連合政府」を選挙で樹立することが必要であるという提案である。そして戦争法廃止と集団的自衛権容認の閣議決定の撤回を実現すれば、ただちに解散・総選挙を行い、次の「日本の進路」については国民の審判に委ねる、とされる。
この提案はかつての「民主連合政府」のような体系性を持った政府構想ではなく、文字通り課題限定・期間限定の「暫定政権」である。それは戦争法案反対の野党共闘を「政府レベル」で再現するという性格のものであり、戦争法案反対の多数派世論と運動を「暫定政権」として継承するものとなる。その意味で運動と直結したきわめて柔軟な政府提案だといえるだろう。
共産党の志位委員長は、一〇月一五日に外国特派員協会で行った会見で、「国民連合政府が実現すれば、日米安保条約の枠組みで対応する」と語り、「急迫不正の攻撃がなされた場合には自衛隊で対応する」とした。すなわち「安保廃棄・自衛隊解消」という党の方針については「凍結」するという提案である。おそらく民主党が多数を占める「暫定政権」である以上、それは当然であろう。
この「国民連合政府」構想を実践するためには、二〇一六年参院選の一人区では共産党はほぼすべてにおいて民主党候補を支持するという方針にならざるを得ないだろう。そして参院で与野党逆転を実現し、衆院解散に追い込んだ暁には、同様にほぼすべての小選挙区で民主党候補を支持するということになるのであろう。
この共産党の「国民連合政府」構想についてのわれわれの見解は、追って掲載するつもりだが、安倍政権を打倒し、戦争法廃止をかちとるためには、いずれにせよ選挙での大胆な選択が不可避であろう。
同時にこうした戦争法廃止の野党連合政権実現のためには、七月〜九月の国会行動を引き次ぐ共同行動が必要である。とりわけ沖縄・辺野古新基地建設阻止、原発再稼働反対、さらに労働法制改悪や福祉切り捨てに抗して、労働者市民の生活と権利、いのちを守る闘いが安倍政権を追い詰めていくことが絶対に必要であることを忘れてはならない。
こうした一つ一つの闘いの「総がかり」での取り組み、そしてその連携の強化によってこそ、「課題限定」連合政権構想も現実のものとなる。たとえ「課題限定」の政権構想であったとしても、それを労働者民衆の事業として実現していくためには、あらゆる分野での安倍政権に対する闘いが不可欠なのである。
(平井純一)



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