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    かけはし2015.年11月2日号

年間で最も嫌いな日 秋夕


パク・レグンの終わらない手紙

いない人の不在を確認する祝日


 人権活動家パク・レグンは「4・16国民連帯」常任運営委員として真相究明を要求したという理由で、セウォル号1周年に「忘れまい」と4回にわたり追慕集会を主導した疑い(集会および示威に関する法律違反、特殊公務執行妨害など)で、今年7月16日に拘束された。鍾路警察署からソウル拘置所に移送された彼に「ハンギョレ21」が、獄中からの手紙を送ってくれと要請し、第1075号(8月10日付)から掲載されている。以下に紹介するのは、その「終わりのない手紙」の第3信です。(「かけはし」編集部)
 時間は恐ろしいほどに早く流れていきます。いつの間にか9月も中旬、あと10日もすれば秋夕(チュソク、陰暦8月15日=今年は9月27日。日本のお盆のような祝日)。監房の中にまで一杯に響きわたっていたこおろぎの声は、もう聞こえませんね。夜明けに起きると寒気すら感じられるこの頃です。未明の4〜5時に起きるが、どこか遠くからニワトリの羽ばたきが聞こえます。その音を合図に鳥たちがさえずり始め、ただ暗かった四方が次第次第に明るくなり始めます。そうして朝の日射しが入ってくるまでの、その時間が私は好きです。
 まだ人々はそれぞれの悩みごとや心配ごとをかき抱いて寝床で寝返りを打っているその時間であり、夜間勤務者も足音を殺して巡回している時です。まだ日射しも見えないうちに人々は1人、2人と目を覚まします。寝床を整頓しながら、夢も一緒に重ねてたたみます。1日の日課が始まるのですね。独房にいるだけの私の「息子」も静けさの中でも、ざわざわと起き出します。近頃は温度差が厳しいです。明け方頃は長袖を着なければならない状況ですね。季節の変わり目なのでカゼをひかないように気をつけています。

眠っていた無罪推定の原則

 ここでうまく暮らそうとするのなら絶対に避けなければならないことがあります。病むことと感傷に陥ること。監獄暮らしをしていて体が痛くなれば、わけもなく悲しくなり、気持ちまでが弱くなります。体の病気が心の病にまでつながります。ここに来た後は毎日、汗をたっぷり流しながら運動している理由です。出所以降のことよりも、ここで健康を維持するためにです。感傷にひたることも避けなければなりません。心が病めば、それに伴って体も病みます。意欲も消え、出て行くこともできない外の世界ばかりを考えるようになります。そのようなことを未然に防ぐために、できる限りスケジュールをいっぱい作ります。毎日毎日やらなければならないことを作るのです。何か集中してやらなければならないこと、ここにもいろいろなことがあります。
今までは、よく耐えてきていました。実際、初めて来た時は今よりもはるかに頻繁に運動もし、スケジュールもいっぱい作って消化しました。そうしなければ無我夢中で時間を過ごすことも、ぐっすり寝ることもできなかったからです。今は心身ともに安定し平常心を維持して、一段と余裕を持つようになりました。だからここで暮らしている私を心配なさらなくともいいです。すまないとお考えにならなくともいいです。久しぶりに私は再充電の時間を持っているのですから。
裁判がとても遅れています。公判準備期日で本裁判の日程を決めたので、10月14日にも初公判となります。裁判所の日程がたてこんでいると言っているが、裁判所は裁判をやりたくないのではないのかと疑っています。秋夕の前には裁判が始まるものと考えて準備していたから、気持ちに一段と余裕ができました。秋夕が過ぎないことには裁判が始まらないのですから。裁判の時に着ていく私服も、秋夕が過ぎてから改めて準備しよう、と面会に来た妻と話しました。話が出たついでに、服にまつわる話を少ししましょうか。
1990年代の初めまで、監獄内では既決囚と未決囚の服装は区分がありませんでした。いずれも青の囚衣でした。ただし未決囚は自分のカネで改良韓服を求めて着る場合があったんです。そしたら人権運動家たちや「民主社会のための弁護士の会」(民弁)の弁護士たちが憲法訴願(違憲訴訟)を出すことになります。未決囚は憲法が保障している「無罪推定の原則」が適用されて、服装は既決囚とは別のものでなければならないというものでした。それと共に、法廷で着る服装も対等でなければならないと主張しました。それが受け入れられて、その後は未決囚は現在のように黄土色の服に変わり、法廷で裁判を受けに行く時は外から差し入れされた私服を着て出ていくことができるようになったのです。
その時からもう20年ほどになったのです。憲法の一条項として眠っていた「無罪推定の原則」を現実に生かした画期的な転換点となったのです。それで良心囚たちは、あえて官が支給する黄土色の未決囚の服装を好みました。「われらは無罪だ」だとアピールしていることでもあります。
ところが今回、入ってみると未決囚たちは官服を着ておらず、既決囚たちの青い服装と同じ青色の、自費で購入した服をほとんどが着ていたんですね。私のように未決囚の官服を着ていた人は少数だったんです。わざわざ服装を変えたことがさして意味がなく、色あせてしまった感じです。法廷に出る時も私服を着て出て行くケースは極めてまれです。私服を差し入れられて着て出て行くのがわずらわしいという面がありはするけれども、私服を着ると生意気に見えてより重い刑を受けかねないと考えているからです。裁判所が本当にそう考えるのであれば実に問題だろうけれども、こういった考えは根拠のないものです。憲法の中で眠っていた無罪推定の原則をよみがえらせたのに、今はこのようにどうでもいいことのようになってしまいました。そんなことを考えると癪にさわります。

私有化された権力の終章

 腹にすえかねることは、いっぱいあります。精一杯、闘って確保した権利を守ろうともしないこのような事例もあるけれども、新聞で読むシャバのニュースも良いことはほとんどないですね。南北が8・25合意をしているのを見て、一方ではよくやったと思いながらも心配になっていたのです。1972年のように、南北関係の改善を国内政治に悪用しかねないとの考えからでした。1972年に7・4共同声明を発表した後、パク・チョンヒは終身大統領になることが可能な維新憲法を作り出しました。北韓(北朝鮮)ではキム・イルソン唯一思想体制を確立する憲法改正を行いました。南と北が独裁体制を強化するのに分断体制を活用したのです。今回の南北合意も、南と北にそのように利用されかねないと思われたのです。
案の定、パク・クネ政府は支持率が上がるやいなや、いわゆる「労働改革」と「歴史教科書の国定化」を押しつけています。口先だけが労働改革なのであって、はなから労働者が被っているわずかな権利さえも奪い、たやすい解雇や非正規職の拡大を可能にするというものじゃないですか。そこに韓国労総がちょうちん持ちとして立っており、民主労総はもう最初から存在感がありませんね。期限まで念を押して押しつけているが、まるで少数の労働貴族たちのせいで青年の雇用がダメであるかのようにフレームを組み立てて押し付けているんですね。これをどうやって阻止するんですか。正規職・非正規職の差別を解消し、派遣労働の要件を強化しなければならないし、労働時間を短縮しなければならないし、最低賃金を引き上げなければならないのに、完全に逆に進みながら、労働者たちはぐうの音も言えない奴隷に仕立てるつもりなのです。
昨年のセウォル号惨事以降、安全についての責任をとらなければならない船員たちでさえもがすべて非正規職だったことを知り、実に驚きました。生命や安全さえもが経済の論理に委ねられた状況を変えなければならないと言っていたけれども、あの時の切迫していた問題意識は痕跡もなく消えたのですか。今日の労働問題は労働者だけの問題ではないのに、このままでは今回の国会で政府の意志のままに労働法の改悪が山のようになされはしないだろうかと心配です。
歴史教科書の国有化は保守・進歩を問わず反対しているのに押しつけていますね。結局、パク・チョンヒを美化していくということです。親日派(ここでは売国奴、の意)の国であるとこを明らかにしていく、パク・チョンヒの名誉回復をしていくという欲望が、このような話にもならない状況を生んでいるのです。教学社版教科書ではできないので、国定教科書へと方向を旋回し、2017年からは単一の国定教科書で授業をしていくというのだからムカムカします。パク・クネ大統領の任期最後の年である2017年はパク・チョンヒ生誕100年の年だと言いますね。大統領の最後の目標地点がそこであることだけは確実だと思われます。私有化された権力の終章を飾るものです。

295人、そして11人?

 腹の立つことは1つ2つではないのでいちいちあげつらうこともできません。楸子島近くでの釣り船沈没事故もそうです。学習効果があったので大統領は直ちに反応を示しはしたものの、こんなことをしっかりやれとして作ったという国民安全処は、まるで見えません。海洋水産部から国民安全処に移された海警は相変わらずです。事態の把握もできず、とんでもない所を捜索しています。セウォル号の惨事以降、何が変わったのでしょう。相も変わらずセウォル号以前のように、いつ死ぬかも分からない不安の上で暮らさなければならないのですか。
そのようなことどもを考えると憂鬱になります。どこから変えるべきかを考えると絶望的です。覚醒し行動に乗り出す速度よりも、それなりにまだ存在していた最後の「支え」を破壊する奴らの速度は何倍も速いのですから。あまりにも速く、この社会を徹底してうち壊すようで絶望的です。セウォル号の惨事を通じて目のあたりにした数々の積弊が清算されるどころか一層強化され、貧しい人々の命綱を押さえつけているこの状況を、どうすべきなのですか。我々が作っていくべき民主共和国は、あまりにも遼遠なのですか。こういう時、パク・ミンギュが言っています。「これは最後の機会だ。いかに大変で苦痛に満ちても我々は目を開けなければならない。目を開けなければ、最後まで目を閉じることのできない子どもらがいるからだ」。
子どもらが、監獄にいる私に「がんばれ」と応援の手紙やはがきを送ってきました。仁川の「鉄路のそばの小さな学校」の子どもたちがそうであり、忠北清州の小学生たちがそうです。「アジョッシ(おじさん)には罪がありません。ぼくらが応援するからね」。仁川の小学生たちは絵はがきも書いてくれました。この子らの未来のためにも、我々は無視することのできないことのようです。
今年の秋夕をどう過ごされますか。私は1年のうちで1番嫌いな日が、この秋夕・名節です。家族や親戚たちに会うのが嫌だから、ではありません。いない人の不在を確認する時間だからです。ほかの人々はみんなやって来るのに、来ることのできない1人がいるのです。弟が逝った後、毎年の秋夕のたびにオモニの涙を確認しました。今はそのオモニの涙も乾いてしまったのでしょうか。今年の秋夕、そのオモニを悲しませなければならなくて心が痛みます。夫を監獄において田舎に向かう妻、父親なしに秋夕を過ごす2人の娘も目に焼きつきます。
今年の秋夕、ちょっと寂しいでしょうか。私も、ここで秋夕をどう過ごすか思案中です。
祭祀のお膳を準備しなければならないが、ここでそれを用意するのは簡単なことではありませんね。果物と言えば、りんごやモモを売っているが、モモは祭祀のお膳にあげてはいけないものだし、肉は包装された鶏肉であり、豚肉はあるが魚は全くありません。秋夕の直前に薬果を売ることはありますね。ともあれ、あれこれ購入して、お膳を整えてみようと思います。ご飯や汁を別に作ることはできないので朝に配食されるもので間に合わせます。
私の机の前に、まだ戻ってこれない9人の名前を書いておきました。その横に「そして295人」と「そしてまた11人?」と、「忘れないために」と書きおきました。「11人?」は捜索作業中に亡くなられたりした方々だが、この方々の名前も分からず数字も正確ではないのです。それでも一緒に記憶しておかなければ、と考えてのことです。余りにもこぢんまりとした祭祀の膳だけれども、それを整えてその前で祭文も唱えようと思います。

9人の名前を呼んでください


あの日の朝、戻ってこれなかった人々、その子どもたちを思いながら涙を流し胸をかきむしる人々のことを考えます。やりきれない思いで死んだ人々の冥福を祈ります。祭文も心を込めて作ります。そして、あのような家族たちと一緒に秋夕を過ごすことのできない多くの人々のことを考えます。特に高空籠城中の労働者たち、その日も籠城の場を守っている人々のことを考えます。
秋夕の日、おそらく京畿道安山やソウル光化門で合同茶礼(祭祀)があるでしょう。可能な方々は、その合同茶礼にもご参加下さることを望みます。遺家族の傍らに立って下さい、未収拾者9人の名前も呼んで下さい。我々は忘れておらず、最後の最後まで待っているであろうと想いを伝えて下さい。その日、私もここで心の中でしっかりと手を握ります。我々が互いに慰めとなり勇気になればと思います。秋夕を、思いを込めて過ごし、手紙をまた差し上げます。アンニョン!
2015年9月15日朝、ソウル拘置所で、パク・レグン拝。(「ハンギョレ21」第1080号、パク・レグン/4・16連帯常任運営委員)

 


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