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    かけはし2015.年11月9日号

原発再稼働と結びついた攻撃


経産省前テント裁判・控訴審で不当判決

福島の声を聞け!自由な公共空間を

 一〇月二六日午後三時から、経産省前脱原発テント裁判の控訴審判決公判(民事二四部高野伸裁判長)が行われた。判決は控訴棄却。テントの撤去ならびに「一日当たり二万九一七円を払え」というものだった。経産省前の国有地に脱原発テントを設置してからすでに一五〇〇日を超えている。支払いを命じられる金額は三二〇〇万円を超える計算になる。
 この日、法廷に現れた裁判長は「控訴棄却」と言ったきり姿を消した。被告・傍聴人が抗議し、説明を求めて一〇一号法廷にとどまったが、約一時間後再び現れた裁判長は「退廷」を命じて再び姿を消した。これが権力の意を受けた司法の姿なのだ。被告・弁護団はただちにこの不当判決に対して最高裁への上告と仮執行停止の手続きを取った。

10・29経産省
前で記者会見
一〇月二九日、テント強制撤去の緊張感が高まる中で午後一時から経産省前テントで記者会見が行われた。
最初に弁護団長の大口昭彦さんが、「一審の不当判決をそのまま維持した最低・最悪の判決」だと厳しく批判し、裁判で被告・弁護団が問うた三つの論点を提起した。
第一はテントはいったい誰のものか。被告とされた正清太一、渕上太郎だけのものかという点だ。実際、経産省前テントについてこの二人が被告となる根拠はまったくない。しかし判決は、立証を全く行わないまま「テントは二人のものだ」と詭弁を弄するだけだ。
第二は、一五〇〇日以上に及ぶ脱原発テントの存在が示す憲法上の意義についてである。しかし判決には、この問題を憲法上の権利の観点からとらえる感覚はまったくない。
第三は、かりに被害があったとしてそれをどのように計算するのか、という点である。テントが張られた経産省前の道路に直結した場所は公共のための財産であり、パブリックフォーラムとしての権利性が存在する。それは国民主権が作動する場であり、事業行為が行われる可能性はない。したがってこの裁判は、力のある者が法律的に手練手管を弄んで、人民を黙らせるためのSLAPP訴訟だ。
このように語った大口弁護士は高裁判決が経産省の意向に従属し「常識・見識・勇気のすべてを欠いたくだらない判決だ」と断じた。

基本的人権こそ
すべてに優先
つづいて弁護団副団長の宇都宮健児弁護士が発言。宇都宮さんは、司法本来の役割を放棄した裁判だと批判し、「司法権の役割は基本的人権を守る立場から権力をチェックすることにある。大飯原発の差止め判決は人格権を強調しながら、人びとの生存に根ざす人格権と経済的利害を同等に置くことは許されない、と述べた。そして原発被害者への救済が置き去りにされたままでいるとき、その権利を回復するのは民主主義社会においては当然だ」、と強調した。
渕上、正清の両被告は、「不当判決に対する経産省前テントひろばの声明(別掲)を読み上げた上で、まず何よりも原発を止めなければならないことを強調した。
憲法学者の内藤光博さん(専修大教授)は、今回の裁判に意見書を提出し、集会の自由の一形態としての「宿営型の表現活動」を主張した。内藤さんは「今回の判決は公共性よりも行政の利益を優先させるものであり、表現の自由への認識が間違っている。憲法ではよほどのことがない限り表現の自由を規制できない。原発事故は人間の生存基盤を奪うものである。今回の判決は、訴訟を手段として言論を抑制させるSLAPP訴訟そのものだと批判した。
テントひろば応援団の一人でもある鎌田慧さんは「時の権力に迎合した不当判決」と批判した。「原発いらない福島の女たち」の黒田節子さんは、二〇一一年一〇月の三日間の座り込みがテントとの最初の縁と語り「ここがあったおかげで、いろんな人と出会い、学ぶことができた。この場を使って福島のことを訴えるのがなぜ悪いのか、納得できない。しかしこの判決でくじけてはならない」と語った。
被告・弁護団は最高裁に上告したが、テント撤去などの仮執行停止の申し立ては却下された。緊張の度合いが高まっている。テントを守り、再稼働を阻止しよう。        (K)

資料

不当判決に対する経産省前テント広場の声明


「テント裁判」において東京高裁(民事24部 高野伸裁判長)は、2015年10月26日、判決を下した。大方の予想通りの判決で、基本的には原告(国側)の主張を全面的に認め、「テントを畳んで経産省の管理地から退居せよ」「一日あたり2万1917円の金員を払え」「これには仮執行の条件を付す」というものである。
不当判決である。私たちは直ちに最高裁への上告と仮執行停止の申立の手続きをとった。
私たちは、2011年の9月11日以来、今日までこの公共的空き地にテントをたてて、脱原発を訴えてきた。この裁判も2013年5月より2年半になろうとしている。
そして残念ながら、判決の当日、愛媛県の中村時弘知事が伊方原発3号機再稼働の同意を表明した。
私たちの意志は明快である。原発の再稼働はならぬ、ということである。わが経産省前テントひろばは、2011年東電福島第1原発事故について、その責任を誰も取らず、大事故の原因究明もままならないままでの原発の再稼働・推進の方向が民主党政権のもとで露骨な姿を示すようになったちょうどその頃に、国民の脱原発の意志の自由な表現としてつくられたものである。今日でもそうだが、国民の大多数が原発に反対している。
原発の否定は今や広く国民の意志である。しかし決して一枚岩ではなく、この国民の意志は幅広く様々な特徴を持ち、矛盾を含むものである。当然のことである。
しかし今日の安倍自公政権は、この様々な傾向を持つ民意を巧みに分断し、あるいは取るに足らないものとして再稼働に突き進んでいる。つい最近の川内原発の再稼働は、鹿児島県知事と議会、薩摩川内市長と市議会の同意だけで良しとして、地元住民の不同意の意志を無視したまま再稼働を強行、九州電力自身は不同意住民の説明会開催要求を拒否したままである。
しかも原発の安全性及び避難の問題等の最終責任については、電力事業者、原子力規制委員会、政府、原発立地行政等々がそれぞれ勝手な言い分で責任逃れを言い、極めて分かり難くしている。規制委員会は「適合性審査は安全性を担保するものではない」と言い、政府は「規制委員会によって安全性が確認された原発の再稼働を進めていく」と言い、原発立地の知事・市長は「国民の生活レベルを守り、わが国の産業活動を維持する上で再稼働はやむを得ない。政府の再稼働方針を理解する(鹿児島県伊藤知事)」といった調子である。最近の林幹生経産大臣は「原子力規制委員会が世界最高水準の規制を進めているわけですから、それをクリアできる十分なものが得られれば進められるのかと思っております」などと言っている。
結局のところ、我が国の政治は、一部電力事業者とこれに群がる原子力村の経済的利益を優先させ、原発問題を「電力の安定供給がなければ経済的発展が成り立たない」という、あたかも全国民経済の趨勢を左右するかのような論議にすり替えて、ついには一電力事業者にすぎない九電と一体となって川内原発1・2号機の再稼働を強行してしまった。次の原発再稼働は四国電力伊方原発3号機、関西電力高浜3・4号機などとされている。
民意を無視した一部原発の再稼働が行われてしまった今日、脱原発運動がどうするのか。これでお終いというわけではあるまい。闘いは決して負けてはいない。脱原発の運動は決して短期的な展望のもとで闘われ始めたのではないし、1つの原発の廃炉に30年〜50年という時間と莫大な費用が掛かるであろうことは、もとより明らかであった。脱原発の運動は、曲折を経ながらも、粘り強く闘いを継続していかねばならない。
経産省前テントひろばの闘いも同様である。例え、高裁判決により、国がテントを撤去したとしても、闘いの主導権を確保しつつ、脱原発のためのテントひろばは継続されるであろう。脱原発の国民的意志の表明は、原発がある限り止むことはない。
2015年10月29日 東京高裁判決にあたって

10.24

反原子力の日・東京行動

ヒバクの強要を許さない

「許容範囲」などない

 一〇月二四日、「反原子力の日・東京行動」と銘うって「ヒバクの強要を許さない!東京集会――福島での避難指定解除と被曝労働」が東京の渋谷勤労福祉会館で行われた。主催は原発止めよう!東京ネットワーク。参加者は約一〇〇人だった。
 一九五六年一〇月二六日、日本はIAEA(国際原子力機関)に加盟した。一九六三年一〇月二六日、茨城県東海村にある日本原子力研究所(原研)の動力試験炉が初めて原子力発電に成功した。そこで一〇月二六日を「原子力の日」とすることが一九六四年七月三一日に閣議決定された。他方、首都圏の反原発の市民運動に取り組んでいた市民たちは、一〇月二六日を「反原子力の日」として、毎年一〇月末に集会とデモを行うようになった。
 日本消費者連盟の富山洋子さんの司会で進められた集会では、最初に主催者を代表して伴英幸さん(原子力資料情報室)が「原子力発電を巡る現状」について問題提起。
 伴さんはその中で、福島原発事故については大雨に弱い汚染水対策があらためて明らかになったこと、「避難解除」にあたって年間二〇msv以下では影響なしというエセ学者の言説が大手をふってまかりとおり、事故が大きければ大きいほど「許容範囲」とされる被ばく線量が緩和され、汚染廃棄物の処理・処分のメドが全く立っていない現実について提起した。
 さらにエネルギー基本計画について「原発依存度」を二〇〜二二%としていることは、ほぼすべての原発の運転再開と運転期間延長を意味する、と批判した。

避難指定解除
という無責任
「避難指定解除と避難者の現実」については飯舘村損害救済申立団代表で「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」共同代表の長谷川健一さんが報告した。長谷川さんは、事故による被ばくのSPEEDI情報が県からも隠され「希望者は避難」にとどめられたことで、住民の五%しか避難しなかったこと、さらに「安全論」を吹き込む学者によって当初は自主避難した人も戻ってくることになり、その後の「全村避難」で振り回され、人生をめちゃめちゃにされたこと、などを怒りをこめて告発した。
長谷川さんは、一〇月二七日に「ひだんれん」の集会・県庁申し入れを行い、来年三月二日には日比谷野外音楽堂で全国集会を開催する、と呼びかけた。

労働者と住民の
権利のために
つづいて「被曝労働の現場から」と題して、この間、除染作業、福島第一原発での収束作業に従事してきた池田実さんが報告した。池田さんは元郵便労働者で、退職後、なにか自分でも福島の被災者の役に立つことはできないか、という思いから除染労働、収束労働に一年二カ月にわたって取り組んできた。
最初は浪江町での除染作業。「除染をすれば一時的に放射線量が低くなるのは事実だが、また元に戻ってしまう」という。これでは「除染ではなく除草」というのが池田さんの感想だ。その後、イチエフでの収束作業に入った。東電の一〇〇%子会社であるTPT(東京パワーテクノロジー)の三次下請けの企業に雇われた。日給は一万四〇〇〇円だが、一律ではなく個人個人によって違っている。宿舎は六畳に二人が寝泊まりするアパートで、福利・厚生の面では除染よりも悪条件だった。
今年一月一九日と二〇日には第一原発と第二原発で続けて死亡事故が発生した。第一原発では雨水をためるタンクの上からの落下、第二原発では点検用の器具に頭をはさまれての事故死だった。第二原発での死者は二〇年前から原発で働いてきたベテランで、福島原発震災の被災者でもあったという。
池田さんは、多重下請け構造の下での被ばくと事故死の問題点を明らかにし、真の「復興」のために、そして被ばく労働の問題点を明らかにし、住民と労働者の権利のために力を尽くす必要を訴えた。また「廃炉」実現のための特別の行政機関をつくるべき、と語った。
集会後、参加者たちは渋谷の街をデモし、再稼働反対・福島支援を訴えた。(K)



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