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    かけはし2015.年11月9日号

民主化の新しい担い手の成長を追跡


読書案内

『香港雨傘運動』――プロレタリア民主派の政治論評集

區 龍宇 著/柘植書房新社 刊/3700円+税

香港民主化闘争の正々堂々たる予行演習

  昨年九月末から一二月まで、香港で「真の普通選挙」を求めて街頭を大衆的に占拠する運動が展開された。催涙スプレーや警棒で襲いかかる警官隊に雨傘で立ち向かったことから、この運動は「雨傘運動」と呼ばれるようになった。雨傘は、市民的不服従の象徴となった。
 ところが運動が終息すると、「雨傘運動は敗北した、その責任は運動を指導した学生にある」といったたぐいの論評が、まことしやかに流布されるようになった。
 本当にそうだろうか? そもそもこの運動はなぜ、どのようにして起きたのか? そこで明らかになったのは何だろうか? 雨傘運動は何を獲得したのだろうか? そう考える人たちにぜひ薦めたいのが、この本である。

雨傘運動を立体的に解明


この本は、次の四部で構成されている。
第一部「香港雨傘運動の総括と展望」。ここでは、さまざまな政治勢力の配置とそれらの動きを軸にして、運動全体を概観することができる。
第二部「オキュパイ・セントラル 雨傘の前奏曲」。ここでは、香港社会に地殻変動が進行し、そのなかから新しい民主化運動の担い手が形成されてきた経緯、さらにオキュパイ・セントラルを準備するさまざまに錯綜する動きなどが示される。そのことをつうじて、雨傘運動が起きるべくして起きたとともに、ひとつの大きな跳躍があったことを知ることができる。また、「香港人の民主共同体」の立場からする香港自決権の内実に迫ることができる。
第三部「雨傘運動のなかで」。ここでは、雨傘運動が拡大する姿と質的向上(アップグレード)の必要性が記され、それぞれの局面のなかで何が政治的問題になり、どんな方針が求められていたかをとらえることができる。まさに、雨傘運動の内側からする緊迫のドキュメントである。
第四部「雨傘運動が終わって」。ここでは、雨傘運動という歴史的体験を踏まえた、今後の香港民主化運動の方向性が提示される。
このようにして、この本では、香港の雨傘運動はどのような背景のもとで準備され、実際に数々の矛盾をかかえながらどのように展開され、そのなかから何を獲得したかについて、政治的奥行きと日々刻々と変化した動きを同時に提示している。その意味で、雨傘運動を立体的に解明しているのが、この本だといえよう。

香港基本法との大衆的衝突


著者の區龍宇(アウ・ロンユー)さんの経歴は、本紙九月一四日・二一日付のインタビュー記事で詳しく紹介されている。また、雨傘運動の大まかな経過については、一〇月五日・一二日付のアウさんの来日講演記事が伝えている。
そこで、ここでは、これらとできるだけ重複しないようにしながら、この本の「さわり」の部分を少し紹介しておきたい。
この本には、雨傘運動が起きる一七年前に書かれた次の六項目からなる文書――「基本法を再制定しなければならない幾つかの理由」――が再録されている。@いわゆる「秩序ある漸進で普通選挙に到達する」という嘘、A基本法は植民地時代の香港総督独裁制の完全なコピー、B職能団体選挙の維持は資産家独裁の強化、C低水準の自治しか認めない基本法、D五〇年不変の保証は落とし穴、E二三条は国家による人権侵害の自由を保障する(三二一〜三二八頁)。
雨傘運動は、ここに書かれている課題を、大規模な大衆運動をもって一挙に噴出させた。「真の普通選挙」を是が非でも獲得しようとする運動は、香港の主権がイギリスから中国政府に返還される際に制定された「香港基本法」そのものと衝突せざるをえないからである。そして、まさに「雨傘運動は、戦後はじめて中国共産党の権威と直接的に対峙した、土着の、そして大衆的な民主化運動」(六七頁)となったのである。
なお、現行の非民主的で複雑な選挙制度については、巻末の「訳者解説」で詳しく説明されている。

中国共産党を孤立させる


香港では、毎年、六月四日に天安門虐殺事件を記念する集会がもたれ、七月一日の香港返還記念日にも大規模な集会とデモが行われる。六月四日には「民主的中国の建設を」というスローガンが叫ばれるが、七月一日にはそのような声は薄れていく。香港と中国の民主化がまるで別物のようにされてきたわけである。
そうしたなか、雨傘運動に排外主義極右勢力が登場した。この勢力は、「香港民族」が存在するかのように主張し、すべての中国人への敵意をむきだしにした。同時に、雨傘運動参加者を「サヨク」と非難し、運動を破壊する行為を繰り返した。ところがこの勢力は、中国当局が裏で操る極右と同様、中国共産党が表立ってできないことを実行していただけなのである。
このような状況に対して、アウさんは「香港人の民主共同体」(二四五頁)の立場から次のように主張する。「香港人の自由だけでなく、中国大陸の人民による民主的自決権を求める闘いを支援し、香港と中国の人民がともに専制政府に対峙することで、中国共産党を孤立させることができる」(七四頁)。

民主・民生のための闘い


「香港の民主化運動三〇年来の最大の失策は、運動を普通選挙というシングル・イッシューに切り縮めてきたことにある」(二五一頁)。「オキュパイとは、政治、経済、文化にかかわらず、いっさいの不正義に抵抗することをいう」(一三〇頁)。「生活(民生)が楽になるための民主主義」(二一一頁)……。
このように、民主主義と民生向上を一体のものとしてとらえるアウさんの立場は一貫している。それは、街頭の民主主義と職場・学園の民主主義をともに闘い取るということでもある。
その観点から、「真の普通選挙」要求を一時脇において、香港政府の権限で回答できるはずの民生向上要求(週四〇時間労働、団体交渉権、全民皆老齢年金など)の獲得を迫る運動の強化をつうじて、雨傘運動の裾野を拡げることは戦術的考慮に値する、と述べている(二六一〜二六六頁)。

新たな戦士を鍛えあげる


「重要なのは、連続する小規模戦闘において、無数の新たな民主化運動の戦士を鍛えあげていくこと、これこそが戦略的目標とならねばならない。一進一退の攻防戦における勝利は、その戦略のための戦術目標にすぎない」(一七三頁)。
雨傘運動参加者の大半は、一九八〇年代以降に生まれた青年労働者・学生だった。アウさんは、この新たな民主化運動の担い手を、しっかりとした恒常的活動家(カードル)集団へと鍛え拡大していくことを一貫した戦略目標とした。
そのうえで、次のように述べる。「九月二八日の雨傘運動の発展、一〇月一七日の旺角奪還、そして一一月二五日の事件[旺角オキュパイの強制排除]を経て、雨傘運動はみずからのカードルを鍛えあげた」(二七一頁)。「雨傘運動は、民主化闘争の正々堂々たる予行演習になったにちがいない。これまでとこれからでは、香港の民主化運動は格段に違ったものになるだろう」(二三四頁)。
もちろん香港社会に特有の課題は山ほどあるが、日本でも世界でも「民主主義のための闘い」は、実践的にも理論的にも重要度を増している。この本は、日本の闘いにも多くの示唆を与えてくれるにちがいない。ぜひ一読を。そして、多くの場で真剣な討論を。
(岩田敏行)

雑誌紹介

『リムジンガン』

責任発行人:石丸次郎/アジアプレス・インターナショナル出版部/2500円+税

北朝鮮内部からの通信(2015年4月第7号)

民衆自身が生の現実伝える


社会の扉を開く
道の一歩として
 北朝鮮の民衆の姿や政治・軍事体制がどのようになっているのかを、北朝鮮の人々が自ら取材して発信している雑誌が「リムジンガン」である。北朝鮮を理解する上で極めて重要な情報源である。
 アジアプレスの石丸次郎さんは、「リムジンガン」がどのように作られているか明らかにしている。
 「北朝鮮は世界でもっとも閉鎖的で、確かな情報入手が極めて困難な国のひとつである」。そこで、「北朝鮮に暮らす人々自身が取材に当たることが絶対に不可欠であり」、…「二〇〇二年から民衆のジャーナリズム活動を支え、協働する活動を行ってきた」。…「情報統制に風穴をあけ、自由な言論社会の到来を準備し、抑圧下に暮らす人々に開かれた社会の扉を開くための一歩となると確信している」。…「北朝鮮人自身の手によって民族の長い苦難の時代を記録することを、支援しようとする営みである」。
 どのように取材しているのか。@北朝鮮国内で「リムジンガン」の記者や協力者が直接取材したもの。その多くはビデオ撮影か、録音機によって記録されたもの。携帯電話での取材もある。Aアジアプレスの取材チームが朝中国境に赴いて、北朝鮮から一時的に越境してきた「リムジンガン」記者、協力者たちに会って行うインタビュー。B朝中国境で、北朝鮮から出国して来た人たちや脱北難民への取材。C「リムジンガン」編集部の脱北者のスタッフが、自身の北朝鮮体験を綴ったもの、取材と情報を整理して書いた原稿。
 記者たちの安全問題について。取材やビデオテープやメモリカードを搬出する行為は、北朝鮮政権にとって「反国家犯罪」「スパイ行為」とみられるだろう。何よりも取材者の安全を最優先すること、本人の意志によって行動し、それをサポートすること。…あえて危険の中に飛び込んでいく「リムジンガン」の記者たちの行動力の源となっているのは「世界に知らせたい」「少しでも朝鮮をよくしたい」という意志である。

何を取り上げ
伝えてきたか
「リムジンガン」は二〇〇八年春に創刊された。今日まで七号出されている。バックナンバーの特集1の見出しを紹介する。創刊号「06年ミサイル・核騒動 北の民衆はどう見たのか」、第2号「北朝鮮不動産取引の怪」(2008年)、第3号「金正日『異変発生』後の北朝鮮」(2009年)、第4号「デノミで混乱する北朝鮮」(2010年)、第5号「民衆は『正恩大将』をどう見たか」、第6号「金正日急死と世襲後継民衆はどう見たか」2014年。
最新号の第7号の目次を紹介しよう。
特集 揺れた金正恩の3年 張成沢粛清の理由
?現場録音 人民統制の要「生活総和」とは何か
?農業担当幹部 秘密インタビュー「農民は奪われるために働く」
国営メディアの記者生活 顛末記
映像取材ルポ 麻痺続く国営交通 隆盛の‘民間交通’
貧しいのにスポーツ「強国」の謎に迫る
連載 市場経済「労働市場と自由労働者の出現」/政治検問所の実態/集団職場放棄発生/連続猟奇殺人ほか

張成沢粛清を
めぐる諸情報
「特集 揺れた金正恩の3年 張成沢粛清の理由」の中で、「北の民衆は粛清をどう見たか」では、張成沢の粛清に続き、関係者たちが次々に粛清された様子が報告されている。「金正恩三年への民衆の評価」では、張成沢が処刑後、「政府は治安とあらゆる人民生活は良くなると言ったが、変わることなく、そのまま貧困に喘いでいる」と報告している。
「張成沢粛清の理由を考える」では石丸さんが次のように解説している。
北朝鮮の最大の外貨獲得源は、石炭や鉄鉱石など天然資源の中国への輸出である。それは一一年〜一四年の期間、輸出額のおよそ七割を占めるが、党や軍、警察機関、有力者などが傘下に貿易会社を作って中国企業と取引してきた。その配分は「ワク」と呼ばれ金正日が決めてきた。
この資源輸出利権を巡っては、二〇〇〇年代から、主に軍系の会社と張成沢系の会社が争ってきた。先軍政治下で特権的に振舞ってきた軍系の会社に後塵を拝していたのだが、金正日死亡で「ワク」の配分は一変することになる。この「ワク」の仕切りを金正日が張成沢に託したか、張成沢が力で奪取した可能性だ。
北朝鮮の軍隊は部隊装備の補充・更新や、兵士たちの消耗品を国家からまともに供給されなくなって久しく、九〇年代から「自体解決」(自力解決)を求めてきた。石炭輸出利権は、幹部たちの懐を潤わせるだけではなく、それらの財源にもなっており、軍部の張成沢に対する反発は相当に激しかったはずだ。
「補佐、後見役としていた張成沢は若い金正恩を操ろうと画策したが軍部との抗争に敗れた」との分析だ。

影の執権層主導
による粛清説も
樋上徹夫同志は張成沢粛清について、「一九九〇年代中盤の飢餓的状態の現出によって、国家統制が崩れて、『市場経済』が蔓延し新興層が現れた。それを代表する張成沢系と軍部との対立である」と分析した。以下紹介する。
「粛清に至る深層と真相」 北朝鮮当局は自己の政治指導の安定性や確固さを表現するときの常套句の一つとして「元老政治」という用語を好んできた。影の実力者、影の参謀の存在を暗示する用語だ。中国経済事情に精通した張成沢とその系列下の諸機関や成長してきた北朝鮮の新興層に警戒感を募らせてきた労働党組織指導部と軍の元老層(既得権層)が計画的に張成沢とその副官たちを見せしめ的に粛清したのだろう。大掛かりな演出下での粛清劇はその首謀者たちが北朝鮮当局の統制すら無力化しかねないまでに成長してきた新興層をどれほど恐れているかを明らかにした。
ちなみに北朝鮮の影の執権層が主導したこの粛清劇の渦中にあって、「白頭山の血統」などと煽てられて指導者を演じきるのに余念のない金正恩第一書記はただの傍観者にすぎなかったと推察する。(「張成沢はなぜ粛清されたのか?」〈かけはし〉2014年1月20日付「北朝鮮はどこへ」〈新時代社パンフレット〉所収)

相次ぐ粛清と排
除が告げるもの
二〇一三年一二月、張成沢の粛清後も、五月一三日に韓国の情報機関、国家情報院は玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相がロシア訪問から帰国直後、四月三〇日に反逆罪で粛清されたと国会委員会で報告した。金正恩が権力についてから側近や軍部幹部の七〇人ほどが粛清されたという情報も流れている。
核実験やミサイル発射などで、中国との関係が冷え込む中で、ロシアにシフトしようとしていると推測される状況で起こった今回の粛清劇だ。中国との関係改善に向けたシグナルであったかもしれない。一〇月一〇日の建軍七〇周年軍事パレードには中国の劉雲山(序列ナンバー5の政治局常務委員)が参加し、関係改善をアピールした。
また二〇一二年七月には、金正日総書記時代からの朝鮮人民軍の有力者だった李英鎬軍総参謀長が解任され、その他の軍中枢部も排除された。「二〇一一年一二月二八日、金正日総書記の葬儀が執り行われた。金正恩は霊柩車の右側前面に立ち、その後ろに張成沢が続いた。左側には李英鎬軍総参謀長、金永春人民武力相、金正党総政治局第一副局長、禹東則国家安全保衛部第一副部長の軍有力者四人は、いずれも権力の中枢から姿を消した」(『北朝鮮経済のカラクリ』山口真典、日経プレミアシリーズ)。軍部最上層部のたび重なる解任や粛清は金正日による一元的な軍部の掌握をそのまま引き継ぐことではなく、新たに金正恩系とも言うべき権力構造をつくらざるをえない対立の現れととれる。金一族・特権的軍部独裁体制は安定とはほど遠い姿が浮かび上がってくる。

演出された平壌
風景の裏側には
一〇月一〇日の朝鮮労働党創建七〇周年の軍事パレードが大々的に行われた。その取材が西側メディアにも許された。一〇月一〇日夕方のテレ朝のニュースで取材した記者がピョンヤンの様子を次のように伝えていた。
「タクシーがたくさん走っている。今まで見たことがない渋滞が起きている。地下鉄の駅改札はタッチパネルだ。乗客は携帯電話も使っている。ピョンヤンで二六〇万台の携帯電話が普及している。街中もビルの建設が進んでいる。この間、毎年一%台の経済成長をとげている北朝鮮が実感できた」というものだった。
果たしてそうなのかと疑問に思っていたら、「リムジンガン」は次のように報告している。
国家が責任を持つべき電気、水道、鉄道などの社会インフラの麻痺が広がっている。特に電気は、一四年秋以降、「一秒も来ない日が珍しくない」「国中が停電みたいなものだ」という不満の声が北朝鮮各地の取材協力者たちから届いている。電気の優先供給があるはずの平壌の大同江区域に住む取材協力者は「一三年末までよく来ていた電気も、一四年三月から一日三―四時間程度しか来ない、水道が出るのも一日一回だけ」と電話で伝えて来た。
鉄道は、正常運行なら二日で行ける行程に二週間かかることも珍しくない。
平壌を訪れた外国人記者や観光客の中には、高層ビルや遊園地の絶叫マシーン、タクシーの台数が多いこと、携帯電話を使う人の姿などを目撃して「経済は上向きだ」などと無邪気に評する人が少なくない。それはごく限られた設えられた場所の、それも演出された舞台を見た印象に過ぎない。北朝鮮内部から伝わって来るのは、総じて「正恩時代になって徐々に悪くなった」という評価である。

民衆連帯のた
めに真実知ろう
今回は張成沢粛清という政治的事件を紹介したがそれ以外に北朝鮮の庶民の姿が生生しく描かれている報告が満載である。ぜひ「リムジンガン」を読んでいただきたい。一九九〇年代半ばの飢餓時代には数十万人の脱北者が中国へ押し寄せた。今は、ヤミ経済(市場経済)によって危機は一定乗り切ったが依然として厳しい状況は続いている。北朝鮮の民衆は生きるために極度の抑圧体制であっても、それをすり抜けて様々な方法を編み出したくましく生き抜いている。一割にも満たない金一族・軍部・官僚支配層の超強権的独裁と民衆との対立、矛盾はこの独裁体制がある限り解消しないし、極度に緊張した状況が続くであろう。北朝鮮の真の姿を知り、北朝鮮民衆とどのように連帯していくのか、それが問われている。 (滝)


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