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    かけはし2015.年11月9日号

実話を題材にして核心にせまる


映画紹介

戦後70年 ナチに関するドイツ映画

戦後処理が大きく違うドイツと日本

  この秋、ドイツのナチに関係する映画が上映されている。 戦後七〇年を意識してつくられたと思われる。いずれもドイツ映画で、しかも実話に基づく映画だ。『ヒトラー暗殺、一三分の誤算』では、クリスティアン・フリーデルが暗殺者エルザー役で迫真の演技を披露している。監督はオリヴァー・ヒルシュビーゲル、「ヒトラー最後の一二日間」の監督である。『顔のないヒトラーたち』は、ジュリオ・リッチャレッリ監督作品。

監督:オリバー・ヒルシュビーゲル/ドイツ映画/2015年制作

『ヒトラー暗殺、一三分の誤算』


 一九三九年一一月八日、毎年恒例のミュンヘン一揆記念講演が行われたミュンヘンのビアホールを爆破したゲオルク・エルザーという三六歳の男の生き方を描いた映画だ。講演当日は運悪く悪天候になり、ヒトラーは、一三分早く演説を切り上げたため、難を逃れた。家具職人のこの男は、スイスの国境侵犯の疑いで逮捕された。爆弾は設定した時刻に爆発し、関係のない八人の市民が巻き添えになった。
警察当局は当然、背後に組織が存在するものと思ったが、時限爆弾の設計図を正確に再現してみせるエルザーを見て、最初の判断が揺らいでいく。それでも、時限爆弾に必要な資材を集め、爆弾の設計と製造をし、爆破実験をし、演説会場にセットをするまでの全てを独力で行ったということは信じがたいことだった。直に尋問・拷問を行ったのはネーベ(刑事警察局長)とミューラー(秘密警察ゲシュタポ局長)で、エルザーに対するこの二人の態度の微妙な違いがリアルに描かれていて、映画に迫真性を与えている。拷問それ自身は残酷きわまりないことに違いはないが、二人の違いは、映画の最後の方で鮮明になる。ネーベは、ヒトラーの戦争を止めるためのベック前陸軍参謀総長はじめ陸軍上層部の大規模なクーデター計画に連座していた。ヒトラーはネーベの処刑の方法(ピアノ線での絞首刑)まで指示していたという。
エルザーの周りには、反ナチの赤色戦線に参加している友人もたくさんいたが、彼自身は一定の距離を置き、できる範囲で支援するという関係を保っていた。エルザーにヒトラーの暗殺を決意させたのは、ドイツがポーランドに侵攻することがほぼ確定的になったという政治情勢である。当時のドイツの世情やエルザーが育った家庭の事情、エルザーたち若者の日常などが、尋問の場面と入れ替わりに映し出されていく。
 このあたりの映画の進行は非常に巧妙で、第二次大戦に突入する直前の一九三〇年代(おそらく後半)のドイツの一面が描かれていて、映画に深みを与えている。バーで赤色戦線の労働者とナチに心酔する男たちが繰り広げる乱闘。ユダヤ人が受けるひどい仕打ち。ユダヤ人と結婚した女性に向かって石を投げる子どもたち。夜明け前に、赤色戦線の青年たちに暴力をふるう突撃隊員風の青年の一団。村の民家の入り口ごとにはためくカギ十字の旗。エルザーが好意を寄せていた女性の夫はDVの加害者で、ナチ党員だった。エルザというこの女性は本人確認のためエルザーの尋問室に呼び出され、エルザーを見たときに、本当にあなたがやったのか? と驚きの表情を見せた。
 労働者がたった一人で大それた企てができるはずがないと、当時のドイツの新聞には、英国諜報部が黒幕であるという記事の掲載が命じられたという。決行日までエルザーが歩んできた人生を詳しく調べ、誰かをかばってはいないか、黒幕は? スパイの可能性は?所属組織は? さまざまな拷問をエルザーに試みたが、自分ひとりがやったこと、ヒトラーを暗殺するためにやったという自白しか警察は引き出せなかった。尋問の結末が分かるのに、一九三九年一一月八日からそんなに長い時間はかからなかったはずだが、エルザーが処刑されたのは一九四五年四月九日だった。それまでは、ダッハウの強制収容所に収監されていた。

冷戦終焉後に復
権された主人公
ナチはどうしてすぐ処刑しなかったのか。ヒトラーは、ドイツが勝利したあとの戦後裁判で、英国の非道な企てを暴く証人としてエルザーを活かそうとしたからだったと言われているが、実際はどうだったのか。しかしベルリンが連合国軍に包囲されるに至って、ナチ警察はこっそりエルザーを銃殺した。しかも連合国の爆撃によって死んだことにしたのである。おそらくそれはヒトラーの指示によるものであっただろう。「毎日新聞」(一〇月一四日付け)のコラム水説は、このエルザー事件を「従属を嫌った暗殺者」という見出しでのせている。
この映画がきっかけで知ったのだが、ヒトラー暗殺計画はどれも未遂にはなったものの何と四二件もあったという。驚くべき数字だ。エルザーの計画は、その中でもヒトラーの意図を最も早い時期に見破ったものであった。エルザーのことは、戦後ドイツが東西に分裂したことも関係して、歴史から消された。白バラ通信で知られるショル兄弟たちは戦後しばらくして、独裁に抵抗したドイツの英雄として評価されたが、エルザーは西ドイツでは偏狭な共産主義者として、また東ドイツではドイツを解放したソ連赤軍の陰で無視された。冷戦が終焉しドイツが統一され、エルザー復権署名運動が一九九三年に始まり、九七年には、ミュンヘンにエルザー広場がつくられ、ゲオルク・エルザー賞が設けられた。昨年メルケル首相もエルザーの行動に賛辞を贈っている。

監督:ジュリオ・リッチャレッリ/ドイツ映画/2014年制作

 『顔のないヒトラーたち』

ドイツ社会は犯罪に
ふたをしなかった
顔のないヒトラーたちという言葉は、ナチ時代の一般民衆のことを指していると思っていたが、実は意識において戦前と連続した戦後のドイツ人を意味しているように思われる。   
一九六〇年初め頃までのドイツ社会で、ナチに対する扱いはどのようなものだったのかが描かれている。「あなたはアウシュビッツを知っていますか」と若者に質問すると、驚くべきことに「アウシュビッツってなに? 知らない」という答えが返ってくる。大人の多くは実際はどうだっただろうか? 大量虐殺の事実そのものは当時隠されていたし、アウシュビッツ自体がもともとドイツ国内ではないから、知らない人もかなりいたかもしれない。それでも、戦後アウシュビッツのことは次第にドイツ社会で知られるようになっただろう。
しかし、ドイツ社会はナチのやった犯罪にふたをし、さわらないようにしてきた。現在のドイツと比較するとちょっと想像できないが、戦後すぐ戦争責任と謝罪に取り組んだのではなかったことが分かる。戦後しばらくは、日本と似たような状況だったのかもしれない。しかし、その後のドイツは、少なくとも戦後処理に関しては日本と大きく違ってきた。現在日本の保守層は、戦争犯罪にふれることを自虐史観とよんで攻撃し、民衆がその事実にふれないようにさせている。大きな違いだ。南京大虐殺が世界記憶遺産に登録されたことについて、日本政府は不満たらたらなのだ。

2人の主人公と
アウシュビッツ
主人公の検事ヨハン・ラドマンは、ジャーナリストのグニルカ、強制収容所を生き延びたユダヤ人のシモンとともに、ナチがアウシュビッツでどのような罪を犯したのか、その詳細を生存者の証言や証拠を基に明らかにしていき、そして、一九六三年一二月二〇日、フランクフルトでアウシュビッツ裁判が開かれる。
映画の最初の場面は象徴的だ。小学校の校庭で子どもと教師が遊んでいる。偶然そこを通りかかった画家のシモンの目に教師の顔が映った瞬間、シモンは崩れ落ちてしまう。教師は元ナチ親衛隊員で、アウシュビッツにいた人物だった。ヨハンは教育委員会に行き、元親衛隊員が教師になっているのは許されないと調査を要求するが、ヨハンは軽くあしらわれる。上司は、そんなことしても何の意味もないという。シモンからは白衣の天使と呼ばれていたアウシュビッツの医師メンゲレのことを聞く。シモンの双子の娘がメンゲレに連れて行かれたときは、助かったと一瞬喜んだが、実は娘たちはさまざまな生体実験の試験台にされたうえ、麻酔も打たずに内臓を取り出され、最後は、背中合わせに縫い合わせられたというのだ。シモンは、自分が許せなかった。

民主主義と
事実の重み
メンゲレは、権力に守られ、秘密裏に何度か逃亡先の南米からドイツに帰ってきていた。ヨハンは、メンゲレを訴追しようとする。検察の上司は妨害する。上司は、元親衛隊員の訴追にも反対だった。その理由は、兵士は命令に逆らえなかったからというもだった。それに証拠がないというのだ。
友人のグニルカも、実は招集されてアウシュビッツにいた経験があった。そのとき、逃亡中の銃殺(収容所の少年の帽子を取って放り投げる。その帽子を取りに行こうとする少年を親衛隊員が狙撃する、当時よく行われていた)を見たことがあるから、その言葉を知っているのだと告白するのだった。ヨハンの父は早い時期に戦死した。母がナチ党員の男性と再婚すると聞いて、母を許せなかったが、調べてみると父もナチ党員だったし、恋人の父もそうだった。それでやる気をなくし、一度は検事を辞任する。しかし、事実をもみ消す方が民主主義に反すると、裁判の訴追に向け再び意欲を回復するのであった。
事実の重みというのは、すごい。歴史認識について日本とドイツを比較しながら、また現在の日本の政権の歴史認識を考えながら鑑賞すると、新しい発見があると思う。                      (津山時生)


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