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    かけはし2015.年11月16日号

災難警告に誰も注意しなかった

セウォル号4月16日以前にも沈没の危機が

沈没原因 風にも弱く、バランスもとれない、売却にも反対された



 「ハンギョレ21」はセウォル号の「真実のかけら」を1つずつ結びつけていく作業を6カ月間、進行中だ。立法府、行政府、司法府が作り出した各種のセウォル号記録を集めて分析する作業は至難だ。その分量だけで3テラバイト(TB)に達するからだ。
 けれども今年4月の第1057号から海洋警察首脳部の問題点を4回連続報道することによって、ささやかな変化を導き出した。海警指揮部の隠ぺいやでっちあげ、救助指揮の不在を「ハンギョレ21」が1つ1つ暴き出すことによって、裁判所はセウォル号乗客の救助失敗の共同責任が海警指揮部にあると認定した。
 海警首脳部の責任を問いただした1部に続き、2部ではセウォル号の惨事が、事前に阻むことのできる災難だったことを示す諸記録を集めて報道する。
 2013年2月、清海鎮海運が仁川〜済州路線にセウォル号を投入した後、さまざまな事故が相次いだ。一部はセウォル号の事故と驚くほどに似通っていた。大型事故を予告している「警告音」だったのだが、誰も注意を向けなかった。一部メディアが過去のセウォル号の事故を報道しはしたものの、「ハンギョレ21」は清海鎮海運の内部資料や証言を通じて当時の状況を生々しく再現した。
 清海鎮海運はセウォル号が「大韓民国で最も危険な船」だということを知っていたけれども、カネを前にしてすべてのことに目をつぶった。セウォル号導入の時からそうだった。「増船基準」に合わせるために虚偽の売買契約書を作成して仁川地方海洋港湾庁に提出した。旅客と積載貨物量を増やそうとして増改築工事を無理に強行した。その結果は惨たんたるものだった。旅客定員は100人ほど増えたものの積載貨物量は不透明になった。どん欲さが招いた災禍だった。けれどもセウォル号は積載貨物量を2倍以上、超過するかわりに平衡水(バラスト)を抜き満載吃水線(安全な航海のために水に沈める適正水位を船体表面に表示した線)に合わせるという危険な運航を1年間、持続した。
 どん欲をけん制する国家は存在しなかった。国家は虚偽の売買契約書を承認し、復元性が悪くなったセウォル号の運航を許可した。常習犯過積と、古めかしく単純な不実行為も見ぬけないまま、やりすごした。だが便法としての増船や無理な増改築を可能にしていた公職者たちが相次いで無罪を宣告されたという事実を「ハンギョレ21」が確認した。裁判所は、公職者が業務をおろそかにしていたけれども不法行為を行っていたわけではない、と判断した。304人の命を失ったが一罰百戒はないのだ。今号を皮切りに「慣行という毒」がどのように一層広がっているのかを集中報道する。(「ハンギョレ21」編集部)

事故の兆候は繰り返しあった


「1対29対300」。大型事故が発生する前に数多くの軽微な事故や、それよりもっと多くのミスが現れるというハインリッヒの法則だ。1930年代初め、米国保険会社の管理監督者ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒは5千件の産業災害を分析し、大型事故には必ず先立って兆候が現れるという事実を立証した。その後、ハインリッヒの法則は数多くの大型事故でその存在が再確認された。裏返せば、兆候が現れた時、キチンと対処さえすれば大型事故を予防することができるということだ。
2014年4月16日、304人の生命を奪い去ったセウォル号沈没事故も、そうだった。清海鎮海運が2013年3月に仁川〜済州航路にセウォル号を投入した後、兆候が繰り返し現れた。人命被害はなかったものの、めまいのするような瞬間が何度となく繰り返された。けれども、誰もその「警告音」を聞こうとしなかった。

2014年1月、出航できず


2013年11月28日夕刻6時30分、セウォル号は旅客117人、車両150台、貨物776tを載せて仁川港を出発した。翌朝8時20分頃に済州市楸子島近くの花島付近を過ぎるころ、天気が悪くなり始めた。視程距離は3マイル(4・8q)程度だったが、風速は秒速14〜16m、波高は4〜5mで、どうどうと音を立てた。
その場所で済州島側に右回転していたセウォル号が左舷側に突然15度ほど傾いた。波を受けて、あっという間に起きた事故だった。その時、1階の貨物甲板にロープで縛っておいた貨物が、どどっと崩れた。洋酒やレンガなどがコンテナの下に落ちて壊れた。320万ウォン程度の損失が発生した。もちろん最大積載貨物量(1077t)をはるかに上回る過積だった。検察・警察の合同捜査本部は2014年5月に清海鎮海運の役員らに当時の事故の原因を尋ねた。

 捜査官 貨物の損傷が発生したというが、どんな問題があったのか。
アン・ギヒョン海務チーム理事 貨物が傾いて損傷したということは、キチンと固定をしていなかったという意味だ。固定をキチンとしていたなら、沈没直前までいったとしても貨物は動かない。(2014年5月3日、被疑尋問調書)
捜査官 この日の事故は結局、セウォル号甲板の貨物の固定をキチンとしていなかったということを示しているのではないのか。
キム・ハンシク社長 そうだ。毎日がそうではないけれども、その日はそうだった。(2014年5月10日、被疑者尋問調書)
捜査官 当時、貨物を固定せずにコンテナ上に積んでおいた理由は何なのか。
ナム某物流チーム部長 細いロープで縛っておいたが不充分だった。
捜査官 セウォル号ではなく、オーハマナ号だったとしたら当時、左側に急激に傾いただろうか。
ナム部長 オーハマナ号に比べてセウォル号は揺れが大きいと思った。大きなトラックを載せるとローリング(左右の動き)がひどいという話を聞いた。(2014年5月20日、被疑者尋問調書)

 また別の兆候は2014年1月20日夕刻6時30分頃、済州で現れた。セウォル号は当時、出航しようとして失敗した。タグボートの助力を得たものの、埠頭から30m進んだところでどうにもならなくなった。強風のためだった。最大風速は秒速18〜21mだった。済州海警は、気象がさらに悪くなるとして早く出航せよと督促した。セウォル号は夕刻7時50分頃、2度目の出航を試みた。今度は40m程度進んだものの、再び風に流されて戻ってきた。セウォル号は1時間後、再出航するとしていたものの、海警が危険だとして統制した。旅客106人を降ろし、運賃を払い戻せと指示した。セウォル号は夕刻8時45分頃、済州海上交通管制センター(VTS)に「統制されて出航できない」と通報した。
だが貨物自動車の運転手たちは激しく抗議した。当時、他の各船舶は問題なく出航したからだ。運転手らが損害賠償を要求すると、清海鎮海運は海警と再び協議した。夜10時30分頃、やっと出航許可を得て11時頃、仁川に旅立った。パク某済州地域本部課長は「危険を覚悟の出航」だと語った。

赤字を理由に構造変更されず


イ某済州地域本部長は「セウォル号、1月20日の済州遅延出航経緯書」を作成するとともに「(旅客船の)構造変更によって船舶の重心が移動し、安全事故の危険」があると指摘した。また「船舶が不均衡」で「海水(平衡水)の積載トン数が増加し船舶のスピード(速度)が減少」する、と付け加えた。遅延出航当時セウォル号を運行していたイ・ジュンソク船長も「安全上、船舶の構造改善が至急」だとの意見を提起した。
キム・ヨンブン常務は「セウォル号の増築によって重心が上方に移動して復元性がよくないので、これを解決することが(清海鎮海運の)宿題」だったと打ち明けた。済州遅延出航報告書を受け取った後、週間会議で幹部らが解決策を論議した。結論は簡単だった。「船員らは平衡水をもっと満たし重心を押し下げ、物流チームは貨物を少しだけ積載することにした」。(2014年5月20日、検察被疑者尋問調書)
けれども、これらは実際には実現されないかけ声倒れのものだった。営業赤字を埋めるために、過積運搬はむしろ日常化された。セウォル号は1回運航するたびに燃料が6千万ウォンずつかかった。復元性が悪く、速度も遅くて燃料の消耗がオーハマナ号よりも多かった。復元性の計算書や運航管理規定通りに貨物を積載すれば常に赤字にならざるをえなかった。

 検事 2014年1月20日に発生した事故報告書を被告人が見ながら、いかなる措置をも取らず(4月16日の)事故が起きる時まで過積運航を続けたのか。
キム・ハンシク社長 結果的にはそうなったと思う。
検事 運航による赤字を解決するためには売り上げの大部分を占めている貨物積載を増やす以外に方法がなかったのか。
キム社長 そうだ。
検事 物流チームから週間報告を受けるたびに、貨物の売り上げを伸ばせ、と督励したのか。
キム社長 ただ一生懸命やれ、と言った。

検察が押収捜索した済州地域本部長の手帳を見ると、セウォル号の済州出航が、いつも難しかったことが分かる。2013年12月9日のメモには「セウォル号は、かろうじて出航。風速15m程度。タグボートを使用するも、しんどい」と書かれている。また12月11日付のメモは「強風、秒速12〜15m。セウォル号、1度試みた後、接岸。海警が統制。セウォル号、金曜日に出航と決定」となっている。

平衡水、満タンでの運航なし

 船長や船員らが体感している危険は、もっと深刻だった。オ某操舵手はセウォル号の左右のバランスが取れず、ヒーリング(船の傾き)ポンプを素早く作動させなければならなかった、と陳述した。ヒーリングは、船が左側に倒れる場合、左側の平衡水を右側に移すなど、船のバランスを取る作業だ。天気が悪くて貨物が多い時には20〜30分に1回ずつヒーリングを合わせなければならかった。

 検事 他の船舶もこのように、しょっちゅうヒーリング作業をするのか。
操舵手 他の船舶は運航の途中でそういうことをする必要はない。だがセウォル号では当直者が、その場を明けることさえできないほどに、しょっちゅうヒーリングを行った。
検事 直接、危険な瞬間を経験したことはあるか。
操舵手 3〜4カ月前、2等航海士と一緒に勤務した時だった。右側に操舵をしているのに遠心力のせいで左側に船が傾いた。その時、ヒーリング作業をして右側に水を移動させなければならない。当時、度数を少なく操舵していたにもかかわらず、船体が左側に著しく傾いた。2等航海士が右側にヒーリングして辛うじて船を立て直すことができた。(2014年5月2日、検事被疑者尋問調書)

 シン・ボシク船長は「変針過程でセウォル号が簡単に傾くという感じをしばしば受けていた」と陳述した。セウォル号を日本から引き取ってきた2012年2月には存在しなかった問題だ。増改築の過程で船首右舷のカーランプ(車両入り口)を撤去するとともに、バランスが歪んだ結果だ。
2014年3月10日には、こんなこともあった。済州港に入港して貨物を積み込んでいると船が右舷側に傾き、乗客用階段が歪んだ。フォークリフト車が右側に入り貨物を積み込んで左側に戻ってきたのが禍根のもとだった。

 検事 船内に入っていくフォークリフトが片側で動き回っていたのであって、両側を全部使用すれば船の中からフォークリフトはどうやって出てくるのか。
シンボシク船長 言いたいのは、そこだ。セウォル号の総トン数は6825tなのに貨物を積んだフォークリフトの何台かが動き回ったからといって、一方に傾くか。すべて復元力がよくないので生じたことだ。
検事 平衡水を全部満たしてセウォル号を運航したことはあるのか。
シン船長 (ない。)だから天気がちょっとでも良くなければ、いつも心配が先立った。清海鎮海運の職員たちには何度となく言った。「天気が良くない日に1度、直接乗ってみろ。そして1度、その状態を体験してみろ」。(2014年4月29日、検事陳述調書)

 シン・ボシク船長は2014年3月の船長会議で、「船首に鉄筋のような重量物をトラック何台分も積載すれば操舵する時、船首がうまく回らない。船首に鉄筋は一定量以上は積まず、船の下部に移してくれ」と要請した。物流チームが目障りな反応を示すと直接、事務室を訪れたりもしした。
「貨物をいっぱい積めば重心が下がり船が危険になる」と警告すると、物流チームのナム部長は「貨物をたくさん積めば積むほど船が沈んでいくのだから、より安全なのではないのか」と反問した。シン船長が「船があまり傾けば復旧するのが間に合わない」と反論すると「とにもかくにもたくさん積めばよい」と言い放った。

シン船長「いつかは起きる事故」


かてて加えてキム・ヨンボン常務はシン船長に向って「あちこち出歩かずに船員たちでもしっかり管理していろ」と面責した。売り上げを最も上げている物流チームが会社の「実権派」だったからだ。ナム部長は2014年5月13日の検査調査で「率直に言って貨物をたくさん積まなければカネにならないがゆえに、安全については全く考えてみたことがない。当時、シン・ボシク船長が生水何個、自動車貨物何個という具合に具体的基準を提示していたならば少しは反映することもできただろう」と陳述した。
営業赤字が増えると清海鎮海運の幹部たちはセウォル号の売却を論議した。2013年11月18日に作成した「済州航路の船舶運営構造調整案」を見ると、@オーハマナ号による単独運航Aセウォル号による単独運航Bオーハマナ号と貨客船(旅客と貨物を同時に運送する船)Cセウォル号と貨客船など4つの方案を模索した。大多数の幹部らは@オーハマナ号の単独かBオーハマナ号と貨客船を複船で運航する方案を選択した。セウォル号の単独運航は、ほとんどなかった。45億ウォンの営業損失を被ったとしても、危険なセウォル号は売却することで意見が集約された。
幹部らは辞職願いまでしたためてユ・ビョンウォン会長(注、清海鎮海運のオーナーで4・16沈没の後、警察による全国指名手配中に謎の「自殺」遺体で発見された)を訪れた。キム・ハンシク社長がセウォル号売却の意見を報告するやいなや、ユ会長はこれを一蹴した。「オーハマナ号の方がよりもっと古いのだから、それをまず売却しなくては」。結局、オーハマナ号が先に売りに出された。シン・ボシク船長は検察の調査で「(4月16日の沈没事故は)いつかは起きる事故だった」と語った。(「ハンギョレ21」第1081号、15年10月12日付、取材チョン・ウンジュ記者、編集ク・ドゥルレ記者、デザイン、ソン・ジョンナン)




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