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    かけはし2015.年11月30日号

ブラック企業として再登場


寄稿

郵政株式上場を考える(下)

職場における民主主義を

正規・非正規を貫く全国ネットへ


引きも切らぬ労働相談

 一一月五日東京高裁。日本郵便による定年者再雇用を拒否したのは不当であるという判決。当該に対する再雇用拒否がなされたのは二〇一三年三月三一日。改正高年齢者雇用安定法施行日の、前日である。そういうことをする会社なのだ。日本郵便は上告を断念、判決は確定した。当該は原職復帰、「郵政ユニオンがあってよかった」(ユニオンの学習会会場での発言)。
 郵政産業労働者ユニオン(通称郵政ユニオン)が取り組む争議事案は常時二〇を超える。あらゆる争議を扱っている。非正規社員の雇い止めからパワハラ・セクハラ、不当懲戒処分まで。最大の争議は労契法二〇条裁判、非正規社員六五歳雇い止め事案、さいたま新都心局過労自死事案。
 かつて公務員時代には争議はすべて行政訴訟となり、まず勝ち目はなかった。前段の人事院の段階で門前払いというのが常だった。それが民営化以降、争議は民事裁判となった。この国の司法というものはナイーブというか「げんきん」というか、訴訟相手が行政府という重荷をはずされたとたん、少しはまともな判決を下すようになる。勝利的和解まで含めると争議解決率は五割を超えるだろう。しかしというべきか、だからというべきか、次から次へと労働相談が引きも切らない。
 郵政の職場の体質には歴史的な負の蓄積もある。遡れば明治時代の郵便配達夫と呼ばれていた頃の差別的労働環境にまで言及しなければならないが、戦後も行政府のエリート官僚と現場労働者との間の差別構造が基本的な矛盾として維持され続ける。
 一四〇年続く構造的な官僚主義的上意下達体質。民営化以降もそれは変わらない。さらに非正規社員率四割という構成になってからは矛盾が激化してくる。現場では非正規率七〜八割という職場も珍しくはない。そして正社員・非正規社員共に成果主義的ランク付けがなされ、複雑なヒエラルキー構成のその階層間の軋轢はかつてないほどの矛盾として職員を痛め付けている。

東芝問題―西室社長の責任

現日本郵政社長西室泰三。氏は東芝出身だが、その東芝社長だった時代に「独立カンパニー制度」というものを作り、各部門ごとの収益競争を煽るような体制を作ったという。それが今に至る「粉飾決算」の最大の原因になっているといわれている。
東芝ではすでに歴代三代の社長に対する責任追及が行われているが、この三人の人事にも西室氏自身が絡み、現在も東芝に対するキングメーカー的な影響力を未だ保持しているといわれている。本来西室氏こそがいま東芝「粉飾決算」の最大の戦犯であるといわれるゆえんだが、周知のように西室氏は戦後七〇年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の座長を勤め、官邸サイドに取り込まれた人間でもある。追及が西室氏に及ばないのはそのせいではないかともいわれている。
東芝に上意下達的体質を植え付けた、その最大の功労者である西室氏を日本郵政の社長に迎えたのは、皮肉にももっともその体質に合った人事であったといえるだろう。

荒廃する労働現場


郵政事業が民営化されたのは二〇〇七年。この年代を覚えている方がどれくらいいるだろう。忘れ去られた郵政民営化、しかし以降郵政の話題といえば年賀状の自爆営業に非正規社員の賃金・待遇格差に、「お立ち台」(ミスをした職員を衆目の前で吊し上げること)などのパワハラ等、ブラック企業としての体質がマスコミをにぎわすようになる。
最近はマイナンバー書留配達の誤配報道が相次ぐが、これも現場管理者の無責任な官僚主義がそもそもの原因。こうなることは分かっていたのに「マイナンバー配達は営業チャンス」などと個別配達時に年賀を売ってこいなどといっていたのだ。
いざ配達が始まると連日のように現場管理者を伴った支社小官僚が深々と頭を下げる姿が映し出される。一一月一六日現在その誤配件数全国で三五件。しかし、例えば歩留率九九・九九九%としても、あと五一五回は頭を下げ続けなければならないことになる。
株式上場によって再び郵政民営化が人々の記憶を呼び覚まし、一見華やかな報道が続いているが、荒廃する労働現場を反映した常に二〇件を超える労働争議を抱える上場企業など、実は一つもない。これからそれを一八〇万人の株主はどう判断するか。

唯一の道は未だにカジノ資本主義か

 アベノミクスによる株価上昇が、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)資金等、株式市場への公的資金(郵政金融二社を含む)の投入による政治的粉飾株価であることは言をまたない。
黒田日銀総裁による実質的な国債買い取りというおよそ資本主義金融ルールの禁じ手をも使った強引な円安誘導も相まって、日経平均株価は民主党時代の八〇〇〇円台から今や二万円台をうかがおうかという価格に推移している。ただしその株価はその二万円を天井に伸びきったゴムのような様相を呈してきてはいるが。
一〇月二三日付けHuffington Post報道によると、「一五年七〜九月期のGPIF年金運用損失が、約七兆九〇〇〇億円に上っていることが大手証券会社のアナリストの試算でわかった」。であるならば、株式市場に投入された私たちの年金積立金はすでに外資系ファンドによって食い物にされているという構造になっているのではないか。
一一月三日付Diamond Online報道。「ゆうちょ銀行は経営陣が水面下で全特(全国郵便局長会)に接触している」という。「資産運用会社としての新ビジネスモデルへの理解を求めている」(同)と。二〇〇五年、まだ公社時代だがその年に初めて郵便局で五本の投資信託の取り扱いを開始した。現在そのファンドの数は九八本を数える。全国の特定郵便局の窓口でその販売営業を展開したいということらしい。つまりこれから郵便局の渉外社員は山間僻地の高齢者に対しても、定額貯金ではなく投資信託を売って回れということだろう。また新たなノルマに悩まされることになる。
さかのぼること七月二二日にはゆうちょ銀行と三井住友信託銀行、野村ホールディングスによる共同出資による新会社設立が発表された。本格的に富裕層向け資産運用事業に参入するということだ。ゆうちょ銀行はその業態を大きく変えようとしている。
かんぽ生命は未だその資産運用は国際・地方債併せて六六・七%(一一月一三日発表中間決算、ゆうちょ銀行は同四七・八%)だが、今年から外貨建て債券の保有比率を拡大し、外国証券は前年度一兆九八一四億円(二・三%)から三兆五九六一億円(四・二%)とほぼ倍増させている。さらに前年度ゼロ実績の金融派生商品、つまりデリバティブ商品に対する投資も新たに二億七五〇〇万円計上。
金融二社はこれからカジノ市場での生き残りをかける。山間僻地の高齢者をも巻き込んで。

郵政事業を市民・社会の手に


日本郵便の生き残り戦略は、インターネット通販の物流市場と不動産事業。豪トール社という国際物流会社を六二〇〇億余という巨費を投じて買収したが、これはその「のれん代」として当面年間二五〇億円もの支出がかさみ利益が出るかどうか分からない。未だ金融二社からの一兆円近い委託手数料が最大の収益源であることは変わらない。
一一月四日に放出された株式は日本郵政、金融二社とも今のところ総株式数の一一%。すでにその株主数一八〇万人とはいえ、これで止めておけばまだ可能性はある。
国営に戻す必要はない。正直もう行政訴訟の時代には戻って欲しくない。その上で、金融二社のカジノ市場からの撤退と新たな「財政投融資」制度の復活を提案したい。かつてその資産運用は大蔵省に全額委託されていたが、その運用主体に新たな公的第三者機関を起ち上げ、その投資先を腐朽する一方の社会的インフラや災害復興費用等に充てるようにする。
日本郵便が投じた国内外の物流市場への巨額の投資もいずれ負債となって事業を圧迫するだろう。世界資本主義市場自体が縮小に向かっているのだ。再度金融二社との一体経営を取り戻し、本来の業務である郵便事業に専念するべきである。
実現は難しい。正直、制度の設計変更など、結局は官僚主義による恣意的判断によって水泡に帰してしまう。この夏、政権与党によって憲法まで踏みにじられ沖縄では法治主義までもが空洞化した。憲法も法もアテにならない。行政的制度設計変更だけではなにも変わらない。結局問われているのは民主主義ということになる。民主主義のための永続的な闘争以外、何かを変えることはできない。
郵政事業においてその闘いの主体は何か。現在郵政グループはその傘下に三〇を超える子会社を抱える。すべて株式会社だ。さらに豪トール社は五〇カ国に一二〇〇の拠点を持ち四万人(正社員)を雇用する。トール社の労働組合は豪州で頻繁にストライキを打つ、いわばまっとうな組合。当然一つの労働組合などでこれらを統括することはできない。広範なネットワーク型陣形の構築が問われている。それぞれの部門のいくつもの独立した運動主体をネットワーク型に繋げていくこと。それらの運動を一望できるポータルサイトの構築に挑戦すること。
郵政グループにおける民主主義のための永続的な闘いとは正規・非正規を貫くこれら現場に働く者の闘いをネットワーク的に繋げていくと共に、その闘いを市民社会に問い還元していく闘いになるだろう。それがまさに市民社会に根ざした事業体であろうとする限り。      (おわり)
(丸池忠怒)

投書

「ベルファスト71」を観て

SM

 「ベルファスト71」(ヤン・ドマンジュ監督作品/二〇一四年/イギリス映画)を観た。
 シネ女氏は、述べる。「映画は、北アイルランド問題を扱ったもの。英軍に入った若者ゲイリーは、そのベルファストに送られる。一九七一年、そこでは半世紀に及ぶプロテスタント系住民とカトリック系住民との衝突が激しさを増し、街はかつてないほど緊張していた。兵士らの当初の任務は、現地の治安に当たる警察(RUC)を助け、IRA(アイルランド共和軍)の家を捜索することだった。英軍部隊が現場に到着すると、警察の暴力的な武器捜索に怒った住民たちは暴徒化し、混乱の中で兵のライフル銃が奪われた。銃を取り戻そうとゲイリーと同僚が追いかけていくと同僚は狙撃され即死。部隊は撤収してしまい、一人残された主人公は敵地のなか闇夜をさまようことになる」(『反天皇制運動カーニバル』三一号、七ページ)。
 この映画は、イギリス軍の治安出動を描いている。北アイルランド紛争の実態を描いている。だが、成立した戦争法によって自衛隊の海外派兵の本格化が進めばどういうことになるか、殺し殺される関係とはどういうものか、を考えるヒントにもなる。この映画を観て、私はそんなことを考えた。シネ女氏は、述べる。「手に汗握るスリラー。自衛隊員必見の映画ですよ」(『反天皇制運動カーニバル』三一号、七ページ)。
(二〇一五年一一月七日)



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