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    かけはし2015.年11月30日号

検定歴史教科書撲滅めざす政権


本を殺す、再び乱暴で退行的歳月

ナチ・ドイツ、パク・チョンヒ政権の類似性

  ドイツ・ベルリン、フムボルト大学のベーベル広場は国立オペラ劇場と旧王室図書館に取り囲まれている。平凡に見えるこの広場が特別な理由は広場のガラスの床、その下の地下空間のせいだ。タテ・ヨコ1mほどのガラスの床の中をのぞいてみると、地下の闇にとりまかれている白い本棚が見える。しかし、数千冊の本が収蔵できる本棚には、たった1冊の本も見えない。この空っぽの「図書館」には詩人ハインリッヒ・ハイネ(1789〜1856)の文言が刻まれている。「本を焼くことは、単なる始まりにすぎない。結局は人間を燃やすことになる」。

拡大された人間改造運動


1933年5月10日夜、ナチ党を支持する極右派大学生たちが松明と薪の山を持ってベーベル広場に集まってきた。「非ドイツ的思想」を盛り込んだ本を図書館から引っぱり出し焼くためだった。エミール・ゾラ、フランツ・カフカ、カール・マルクス、ジグムント・フロイト、トーマス・マンなど数えきることのできないほどに多くの作家たちの本2万冊が火炎の中で燃え上がった。学生らがナチのスローガンや煽動歌を歌いながら歓呼した。ナチ党の宣伝責任者であるヨゼフ・ゲッペルスは宣言した。「ドイツの未来世代に必要なのは本ではなく人格だ。きょうここで過去の悪霊を焼き払っている若者たちは、その強靭な人格の象徴だ。かつての知性は灰の山となって消え去り、その残りかすの中から新たな人格が芽吹くであろう」。
1932年7月の総選挙でナチ党は第1党を占め、アドルフ・ヒトラーは翌年1933年1月に総理に就任した。ヒトラーの最優先課題は「ドイツ国民の啓蒙」だった。「祖国ドイツの民族的再建について国民を啓蒙し宣伝する」帝国宣伝部を設立し、その長官としてゲッペルスを任命した。ゲッペルスは純粋なドイツ精神と人格を培う名目で、ユダヤ人、外国人、共産主義者、自由主義者などの作品を燃やすことの先頭に立った。焚書はベルリンのベーベル広場ばかりではなく、ドイツのさまざまな都市で行われた。残酷なナチ・ドイツの歴史の序幕だった。「結局、人間を焼くことになる」というハイネの予言はアウシュビッツにおいて現実となった。当時ヨーロッパに暮らしていた約1100万人のユダヤ人たちのうちの半分以上にあたる600万人が虐殺された。
ハイネの予言は韓国の歴史にもそっくり適用される。1961年5・16クーデター以降、パク・チョンヒは平素の持論である「人間改造運動」、より具体的には「韓国人改造運動」を繰り広げた。この運動は正規の教育にまで拡大された。学生たちは「人間改造」されるために、まず「(5・16)革命公約」をくどくどと暗唱した。「革命の公約を実現しよう」という歌を声の限りに歌った。
その決定版は、個人に対する「国家の絶対優位を主張するファシズムの属性」を盛り込んだ国民教育憲章だった。1968年12月5日、「大統領パク・チョンヒ」の名によって宣布された憲章は、学校の教科時間に含まれ、絵本・映画・レコードなどに制作・配布された。すべての学生は393字の憲章を初めから終わりまでずるずると暗唱しなければならなかった。
ホン・ユンギ東国大教授(哲学)は2001年「歴史批評」に載せた論文「パク・ジョンホンの哲学研究:哲学と権力の退行的結合」で、国民教育憲章を次のように評価した。「憲章の宣布資料としてパク・チョンヒは、この上なく政治や経済において成功した権力者ではなく、国民教育の指導者として精神的に内面化したイメージを要求することができるようになった。このような点などを背景として見る時、歴史的に憲章の制定と実現は明確に維新クーデター(10月維新)の精神的前奏曲だった」。

敗北主義史観教育と診断?


1972年10月17日、大統領終身制を保障するための、いわゆる「10月維新」が宣言された。パク・チョンヒ大統領は、10月維新に反対する者どもは共産党と何ら違わないと公言した。手段や方法を選ばない拷問によって「パルケンイ(アカ)」だという「自白」を引き出した。国家保安上の「利敵表現物所持罪」は、おきまりのメニューだった。そのようにして「パルゲイン」と烙印をつけて殺したり、長期間にわたって投獄した。
歴史学者チェ・サンチョンは日帝強占期(日帝植民地時期)とパク・チョンヒ政権を比較した。「日帝はあくどいこともたくさんやったが、それでも守るものは守った。独立運動家たちも、ほぼ正式の裁判を受け、長くて2〜3年程度の監獄暮らしをした。(だがパク・チョンヒ政権は)人革党の近くに行ったことさえない人々を捕らえて責めたて、8人死刑、8人に無期懲役、6人に懲役20年を宣告し、その翌日に稲妻のごとく処刑してしまった。国民の代表である国会議員でさえ無差別に拷問する国、『私の死を空しくしてくれるな』と絶叫して焼身自殺することなしには何事も訴えることのできない国、維新反対のビラを撒いた罪で懲役5年を言い渡される国、『五賊』の詩一編によって突然パルゲンイになってしまう国…。日帝時代にもこのような野蛮はなかった」(「はだかのパク・チョンヒ」、2001年)。
19世紀のハイネは焚書とそれ以降に「人間が焼かれる」野蛮の歴史を予言した。彼が語ってから百余年が過ぎ、ドイツで、そして韓国でもそれは適中した。ぎょっとすることだ。1995年、彫刻家ミハ・ウルマンは2万冊の本を燃やしたベルリンのベーベル広場に、焚書の記念物「図書館」を建てた。消えてなくなった本を記憶しつつ、過去の過ちを反すうするものだ。暗い歴史をあらわにし、骨身にしみる教訓を得ることができなければ、その歴史は繰り返されるからだ。
けれども韓国では再び本をなきものにする政策が登場した。「歴史教科書の国定化」論争だ。パク・クネ大統領は10月22日、「現在の教科書は、わが国の現代史を生まれてはならない政府、醜い政府として子どもらに教えているが、このように敗北主義を教えてよいのだろうか」とし「(国定化は)これを正そうとする純粋な思い」だと語った。セヌリ党キム・ムソン代表、ウォン・ユチョル院内代表、新政治民主連合ムン・ジェイン代表、イ・ジョンゴル院内代表と青瓦台の接見室で1時間48分の対語を交わしている席でのことだった。パク大統領は「育ちゆく世代に、わが国に対する自負心と正統性を植えつけてやってこそ、統一の時代に備えた未来の世代を正しく育むことができる」と強調した。キム・ムソン・セヌリ党代表も「自虐の歴史観、否定の歴史観は、この国から必ずや消え去らなければなりません」と語った。(9月2日、国会・交渉団体代表演説)
「敗北主義」「自虐の歴史観」が韓国の歴史教科書に盛り込まれた理由は「特定の理念を持っている人々」が近代史、現代史分野の執筆陣で構成されているからだ、とパク大統領は診断した。「検定歴史教科書の執筆陣の80%が偏向した歴史観を持った特定の人脈へと結びつき、7種の教科書を順繰りに書いている。結局、1つの左偏向教科書だと考えるほかはない。国定教科書は不可避だ」。

本が消え去り、死の行列が


パク・クネ政府が「左偏向教科書」を撲滅しようとする理由は、1933年にドイツ・ナチ党が「非ドイツ的思想」を盛り込んだ作品を焼き払いつつ掲げていた「純粋性」とつながっているようだ。不幸なことに我々は本が消え去り、そしてそれ以降に繰り広げられる「死の行列」を経験した。二度と繰り返すことのできない暗鬱な歴史だった。「絶対に引き下がることのできない、必ずや勝利しなければならない歴史戦争が始まった」(キム・ムソン代表、10月17日、セヌリ党中央委員会山岳会発隊式で)。(「ハンギョレ21」第1084号、15年11月2日付、チョン・ウンジュ記者)

コラム

自転車盗難てんまつ記

 二カ月程前、近くの商店街で月二回開かれる日曜朝市に出かけるためにアパートの自転車置き場に。愛用の自転車が見当たらない。「酔払ってどこかに置いてきたのかも」と必死になって思い出そうとするが記憶がない。やむなく朝市は諦め近くのコンビニへ。
 戻って来ると今度はアパートの若い住人が「僕の自転車がなくなっているんですよ。昨日の夕方には確かにありました」と訴える。私はこの時初めて自分の自転車も「置き忘れ」ではなく、盗難にあったことを理解した。私の自転車は中古で購入したママチャリ、盗難にあうとは考えもしなかったが、「無断借用」ならあり得る。他方、若い住人のものは二五〇ccのバイクに替え、健康のためにと四月に買った一五段変速のスポーツタイプ。ショックの大きさが伝わってくる。
 すっかり自転車騒動を忘れかけていた二週後、郵便受けに一枚のハガキ。「〇〇駅前の自転車置き場にあなたの自転車が放置されていました。至急連絡ください」と書かれている。〇〇駅は私の住んでいる所からJRで二つ目、自転車で三〇分程の距離。早速、「明日の夕方うかがいます」と電話連絡。
 実はハガキを見た時、八年前の悪夢がよみがえった。暑い夏の夕方、自転車で銭湯に出かけた。風呂から上がり帰ろうとすると自転車がないことに気づく。必死になって捜すが見つからない。自転車は買ったばかりの三段変速付きの新車。口惜しかったが数日後やむなく中古を新たに購入した。
 しかし一カ月後、今回と同じように一枚のハガキ。うれしさのあまり後先を考えず、次の日曜日取りに行きますと返事をした。冷静になってハガキを見ると場所は京急蒲田の隣駅。東京の蒲田から横浜まで自転車をこいで帰ることになってしまった。まるで「真夏のツールド・フランス」。汗だくというより下着まで汗でびっしょり。帰り着くまで二時間半もかかった。「乗り捨てするなら近くにしてくれ!」とか、「こんな遠くまで来るなら若くて体力のある奴だろう」とか、怒りを駆り立てながら、暑さと苦しいのを忘れるために必死に自転車をこぎ続けた。
 後日知ったのだが手続きによっては廃棄したり、所定の場所に届けてくれる制度もあるという。この時以来、私は自転車を買う時は中古で変速機のついていないものと決めている。
 そして銭湯に行った時は、自転車を必ず盗難にあった場所に止める。意地だ。残念なことに若い住人のスポーツタイプは今も見つかっていない。(武)



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