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    かけはし2015.年12月14日号

進歩派勢力の運動の統一に希望


トルコ

民族主義と好戦主義が勝利

ベルティル・ヴィデト

http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article4277


 連立政府に向けた交渉の行き詰まりを理由に一一月一日強行されたトルコの総選挙は、事前の世論調査を覆す、これまでの政権党、AKPの圧勝で終わった。明らかにエルドアン大統領が仕掛けた内戦的雰囲気、という異常な情勢の中での選挙だった。不正行為も数々伝えられている。以下では、欧州から選挙監視のために現地に赴いた同志が、そこで見聞きした選挙の現実、残された課題などを印している。トルコの今後は、シリア、中東の混迷の展開をも大きく左右する可能性が高い。貴重な情報として紹介する。(「かけはし」編集部)

再びAKP単独
政権による支配

 連立政府に向けた交渉の行き詰まりを理由に一一月一日強行されたトルコの総選挙は、事前の世論調査を覆す、これまでの政権党、AKPの圧勝で終わった。明らかにエルドアン大統領が仕掛けた内戦的雰囲気、という異常な情勢の中での選挙だった。不正行為も数々伝えられている。以下では、欧州から選挙監視のために現地に赴いた同志が、そこで見聞きした選挙の現実、残された課題などを印している。トルコの今後は、シリア、中東の混迷の展開をも大きく左右する可能性が高い。貴重な情報として紹介する。(「かけはし」編集部)
 トルコ東部のエルズルムの町にある進歩派、人民民主党(HDP)地域事務所に選挙結果が届くにつれ、ムードは緊張に包まれた。ここは、民族主義的なトルコ人のアナトリアとクルド地域の間にある見えない境界上の非常に保守的な地域だ。このHDP事務所は、暴力や報復という怖れがあるため党の活動家たちが無理に配布することをやめたリーフレットや横断幕で一杯になっていた。党はこの地域にただ一人いた議員を失い、全国規模でも少しだけ票を減らした。しかし神経をすり減らした票集計の夜の後には、この党がトルコ議会に参入するために求められる一〇%の敷居を僅かに超えた、ということが明確になった。
 公正発展党(AKP)が四九%の票と議会での絶対多数を得、それが単一の多数派政府を運営する力をこの党に与えることを見た以上、左翼活動家の気分が上向くことはなかった。これはまさに、どこにでも現れる大統領のレセプ・タイップ・エルドアンがこの速攻的選挙でほしがった権限付与だった。それは基本的に六月のそれを確定しなかった選挙のやり直しだ。エルドアンのAKPは、大統領制導入の道を完全に始めるために必要な多数派を得た。そしてその制度は、大統領の職務を適法な形ではるかに強力なものにすることになるのだが、それ自身は、エルドアンが事実上すでに完成していた何ものかだ。しかし一方AKPは、国民投票を自党だけで呼びかけるには(そのためには三三〇議席が必要になるだろう)、また大統領制導入に向けた憲法改正を自党だけで直接議会を通すためには(そのためには、議会定数五五〇議席の三分の二、三六七を必要とするだろう)、十分な議席を確保していない。その中では、多数の確保が彼らにはより近道となっている。実際、選挙結果に対するエルドアンの反応で最初のものの一つは、憲法見直しの道の上で、AKPへの合流を他の政党に呼びかけることだった。

前回選挙後の
急速な内戦回帰


いくつかの要素が、世論調査に反する印象的なAKPの勝利を説明できる。ちなみに世論調査はすべて、六月の結果に極めて似たものを予測していた。私は投票日を、エルズルム周辺をめぐり投票所のいくつかに訪れて過ごしたがその中で、この選挙が公正な選挙ではなかった、あるいは公正な運動ではなかった、ということははっきりとした。
前回選挙後僅かの月数で、トルコ情勢は多くの形で劇的に悪化を遂げた。トルコ国家とPKK(クルディスタン労働者党)との間の和平交渉は崩壊し、クルド人が優勢な国の南東部は、一九九〇年代を通じてこの地域中で猛威をふるった、内戦というあまりに馴染みの光景の回帰を見ることになった。クルド人の町に強制された終日の外出禁止令と南東部における「反テロ」空爆を通じて、多数の市民が殺害された。

無秩序な時代の
絶対不敗のカケ

 左翼勢力とクルド勢力、特にHDPは、この国全体で暴力的な攻撃にさらされてきた。クルド人や左翼の人びとに帰属する事業とHDPの事務所に対する数多くの攻撃に共通する特徴は、当局が暴徒を止めるための介入をほとんど行わなかった、ということだ。HDPのエルズルム事務所には選挙資材がつまっていたが、それは党が、その配布は危険すぎると決定したからだった。暴力のこの波は、一〇月一〇日にHDPと労組活動家たちがアンカラで呼びかけた平和集会の中で一〇〇人以上の参加者を殺害した、二連続自爆攻撃で頂点に達した。犯人は一人も捕まらず、クルド人と左翼活動家のほとんどの人びとは、この殺人行為には国家が関与していると確信している。
AKPはこの雰囲気を、民族主義感情を扇動し、HDPを悪魔のように描くために利用した。エルドアンは、戦争と不確実性の時代において、強力な男として登場するという彼の賭け、絶対に負けない賭けに勝ったように見える。AKPの強硬化された民族主義的言説は、極右の民族主義行動党(MHP)から多くの票を引きつけた。そしてこの党は、その得票比率が一六%から一二%まで下降したのを見た。評論家たちとトルコ人反政府派の人物たちは、強力な指導者――エルドアン自身――のための十分な根拠を明確な形でつくり出すことができるように、対立と不安定という情勢を意図的に生み出したとして、彼を非難している。

逮捕と脅迫含み
HDP攻撃連続


HDPに対する攻撃と彼らの支持者に対してかけられた圧力はどぎついものとなった。党の指導的メンバーと活動家の多くは、選挙が迫るにつれ逮捕された。エルズルムでは、党の候補者六人のうち一人が、テロリスト組織を支持したとの嫌疑で投獄されている。二二人のHDP市長はその職務を解かれ、別の二〇人は今年逮捕された。
エルズルムのHDP事務所は、投票日早朝多忙を極めた。党の選挙公職担当者の多くは取り消しの電話を入れ、党役員は、彼らが割り当てられた投票所でこれまで目立ってはいなかった党員たちを呼び出した。明らかになったことだが、人びとはHDPを代表する選挙公職担当者として目立つ勇気が単になかったのだ。多くは暴力で脅迫されていた。そして他は、公務部門での職を失うことを恐れた、と報告された。

選挙不正の報告
も具体的な形で


諸々の問題と不正行為の報告は、投票日を通じて入ってきた。この日クルド人が優勢な地域には警察と軍が大量に姿を見せていた。デンマークの政治家であり選挙監視人のセルダル・ベンリは、選挙展開の監視を即刻やめなければ逮捕されることになる、と警察から告げられた。私自身は票集計から排除された。しかしそれは遠隔地のクルド人村落では、公式に公衆に公開されているのだ。投票所の議長が語ったことは、軍警察がそこにずっといた、そして彼女に外部のものを中に入れるなと告げた、そして彼女は単に従わない勇気がなかった、ということだった。
不可解なことだが、この村は六月の完全なHDPから今回の完全なAKPへと変わった。この地のHDP候補者であるザヒル・ウズンは、集計を見つめていたが、不審に思いながら票のすべてが実際にAKPに行っていたことを確認した。彼は、それは票の買い取りという問題か、村々が脅迫を受けてきたか、そのどちらかと推測している。もう一つの近くの村にいる匿名のままでいたいとした選挙公職担当者もまた、HDPからAKPへの票の大量移行にびっくり仰天させられた。何らかの確かな証拠をもっているわけではないとしても、AKPが票を買い取ったのだ、と彼らは確信していた。
もう一つのHDP拠点であるバトマン州のベシリ地区での公式結果発表は、AKPが五九%の票を受け取ったと告げた。しかしこの地区での票集計結果のツイッターに投稿された写真は、HDPのはっきりした勝利を示していた。
投票日を起点に多くの不正行為が報告されていた。しかしここまでのところ、大規模な投票不正の報告は限られている。これは、有名なAKP告発者であるフアト・アヴニからの一定数のツイートによって確証された諸々の怖れにもかかわらず現実のことだ。ちなみに彼は、選挙を不正操作するAKPの詳細な計画を暴露した。

深く分極化した
国の実態が表に


公正さの問題における最大の問題は、投票それ自身というよりもおそらく運動に関係している。「この運動は不公正であり、暴力と恐怖が多すぎることによって特徴づけられる」、「EU安全保障並びに共同作戦のための組織」〔OSCE〕の選挙監視派遣団代表であるアンドレアス・グロスはこう語った。この選挙から引き出したその予備的所見の中でOSCEは、暴力、逮捕、さらにメディアの自由に関係する一定数の問題を記録している。HDP共同代表は、同時進行する暴力が原因で運動を導くことができなかったとして、この選挙運動は公正ではなかった、と語ってきた。
大きな問題は、トルコ政治で次は何か、ということだ。この選挙は、トルコの民主主義に対して、失速させられた和平プロセスに対して、またこの国のさまざまなマイノリティに対して、どのような作用を及ぼすだろうか?
あるBBCの評論家は、AKPは彼らのゆとりをもてる多数派を使って、この国をもっと安定した道に向け、クルドとの和平プロセスを回復させようとするかもしれない、と示唆している。しかしこれは、この党がそのポピュリスト的言説を断つことを求めると思われる。その言説は、トルコ人住民の幅広い部分の中に民族主義の感情を焚きつけてきたのだ。そしてエルドアンから出てきた直後の合図は、ほとんど融和的なものではなかった。親政府派の日刊サバー紙は、この選挙はPKKに「暴力、脅迫、流血の惨事は民主主義と法の支配とは共存できない」とのメッセージを送ったと語っているとして、エルドアンを引き合いに出した。エルドアンはこの短い言明をもって、PKKはこの選挙に参加していた、そして彼らはこのところ起きた流血の惨事に責任を負っていると、この双方を何とかほのめかそうと努めた。
この選挙は、その頂点に物議を醸す大統領をいただくトルコは今なお、等しく大きな二つの陣営に分断された、深く分極化した国のままである、というもう一つの確証だ。
HDPは、一九八二年の軍事クーデターからの遺産である一〇%という高いハードルを越えることに連続して成功したことをもって、トルコ政治における一つの安定した勢力として自らを確立できるかもしれない。以前の親クルド諸政党との違いは、HDPが左翼の進歩的諸勢力、フェミニスト、LGBT活動家、さらに左翼に位置する他の人々を何とか統一することができている、ということだ。HDPがトルコのさまざまな民衆を統一する一つの運動を建設し続け、これを議会政治に首尾良く移し替え続けることができるならば、その時には、より良いトルコに向けた希望が生まれているかもしれない。

▼筆者はジャーナリズムとグローバル・ジャスティス運動における活動家としての二〇年の経歴を背景にもつ国際政治学者。彼は、IIRE(教育と調査国際研究所)の歴史である「われわれの生きている国際主義」の編者かつ共著者であり、二〇〇七年一月には同研究所の責任者に指名された。第四インターナショナルオランダ支部である社会主義オルタナティブ政治のメンバーであると共に、その機関誌への寄稿者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年一一月号) 


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