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    かけはし2015.年12月21日号

住宅支援・賠償打ち切りを撤回せよ


12.5原発事故被害者の救済を求める全国運動・東京集会

今こそ避難の権利・健康に生きる権利を


分断・疲弊を
克服するため
 一二月五日午後一時半から、「原発事故被害者の救済を求める全国運動」が主催して「避難の権利と健康に生きる権利!」住宅支援と賠償打ち切りを撤回させよう! 2015原発事故被害者の切り捨てを許さない!東京集会が開催された。会場の田町交通ビル六階ホールには一六〇人が集まった。
 集会に先だって、Our Planet TVが制作した「[福島のいま]力強く生きたい――自主避難から1年」が上映された。
 本集会では、主催者を代表して原発事故被害者の救済を求める全国運動共同代表の佐藤和良さんがあいさつ。佐藤さんは、原発事故と被害の現実に対する認識が薄れていく風化現象が進行している、との危機感を率直に語り、「多くの人びとが声を出しづらいという状況が深まり、被災者である県民が分断され、疲弊している現実」を訴えた。そして二〇二〇年東京オリンピックに向けて被害者の切り捨てがさらに進行し、住宅支援・医療支援、賠償支払いが打ち切られる状況に対して、今こそ被災当事者と支援の人びとがつながっていくことの重要性を強調した。
 佐藤さんは、こうした中で、二一団体、二万五〇〇〇人が参加する「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」の結成の意義について、広島・長崎の被団協が長期にわたる被爆者の運動の軸となって援護法の実現をかちとったことに習いながら、福島原発事故被害者の補償・支援を長期的展望をもって勝ち取っていく役割りを担おうと訴えた。佐藤さんは、二〇一二年に成立した「子ども・被災者支援法」が今や被害者切り捨ての道具になろうとしている過ちを繰り返してはならない、と強調した。

矛盾を隠す
目論見に抗し
当事者団体から、「ひだんれん」の村田弘さんと「避難の権利を求める全国避難者の会」の長谷川克己さんがあいさつ。村田さんは、今年五月に結成された「ひだんれん」が先月の総会で、計画的な被害者の切り捨てに対して@事故責任追及A被害の賠償B健康保障、を軸に運動を広げ、来年三月に総会を開催する、と報告した。長谷川さんは、すべてを「復興」という課題にすりかえる動きと対決し、被害当事者による運動を進めていくことが大事だと強調。補償要求とともに「すべての原発廃止」を明確に掲げよう、と述べた。そして移住と雇用、住宅、健康・医療、避難者の実態把握、全国的つながりを求めて、この間、避難者のスカイプ会議を午後八時から日付が変わる時刻まで続けている、と報告した。
連帯のあいさつを鎌田慧さん(さようなら原発1000万署名市民の会世話人)と宇都宮健児さん(反貧困ネットワーク代表世話人)が行った。
鎌田さんは、この間の運動の中で被害者・避難者とどうつながっていくかという点での弱さがあったことを反省したい、と述べ、避難者を「元の地域に戻す」ことは同時に「矛盾を見えなくさせる」ことだと批判した。さらに福島の子どもの甲状腺ガンの確定数が一一五人に達したことを取り上げて「決してガンだけの問題ではない。いろんな症状を抱えた子どもたちに向き合い、どう生きていくのかという課題が問われる」と語った。
宇都宮健児さんは、同じ会場で一〇月に開催された「反貧困集会」(本紙一一月一六日号掲載)について紹介し、義捐金を受け取ったことが「収入」として扱われ、生活保護支給から差し引かれる例などを紹介した。宇都宮さんは次のように訴えた。
「日本の貧困は過去最悪のレベルに達している。しかし安倍政権は社会保障支出を過去最大の規模で削減するとともに、軍事費は連続的に引き上げ、法人税は大幅に引き下げる、という大企業のための露骨な政策を進めている。復興特別法人税も一年前倒しで打ち切りだ。貧困とは金銭的問題だけではなく関係性の喪失ということだ。被害者・避難者が全国的につながっていくことは、関係性の回復という点でも大きな意味がある」。

被害者・避難者
と向き合うこと
特別講演は、大城聡弁護士(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク SAFLAN)の「『原発事故避難白書』から見える避難者の現在」。
大城さんは、被害の全貌を明らかにすることの重要性を改めて強調し「被害実態が分からなければ適切な補償・救済・支援はできない。原発事故被害を隠し、被害を小さくすることは許されない」と述べ、被害者の人数を国が把握していない無責任さを批判した。
大城さんはさらに原発事故の被害は現在進行形であるにもかかわらず、国は被害を直視することなく支援を打ち切ろうとしている、と批判。「避難指示解除と損害賠償打ち切り」、自主避難者への住宅支援打ち切りなどの政策が、経済面・精神面でどれだけ被害者・避難者の生活に打撃となり、貧困の強制になるのかについて批判した。そして「原発事故子ども・被災者支援法」の理念として「被ばくを避ける権利の実現」があることにあらためて注意を呼び起こした。
当事者報告は、再度発言に立った長谷川克己さん(郡山から静岡県富士宮市に自主避難)が「住宅支援打ち切りと賠償打ち切りで押し寄せる避難者の不安」について報告。続いて小澤洋一さん(南相馬・避難勧奨地域の会)が「賠償打ち切り/帰還政策/1mSv」と題して報告した。小澤さんは「年間20ミリシーベルト以下での健康被害は考えにくい」として「特定避難勧奨地点」を解除しようという政府の施策を厳しく批判した。
次に全国運動事務局でFoE Japanの満田夏花さんが「今こそ医療補償と避難の権利と帰還強制の撤回を」と題し、福島の子どもたちの甲状腺ガンの「悪性または疑い」が一五二人に達している深刻極まる状況を報告。
最後に同事務局でパルシステム連合会の瀬戸大作さんが行動提起。「人権、差別問題、貧困格差問題、平和や脱原発、環境、協同組合など様々な社会運動のネットワークとつながりあい、原発事故被害者の救済を実現する運動を広めていきましょう」「避難の権利と健康に生きる権利を実現し、住宅支援と賠償打ち切りを撤回させましょう」などの呼びかけを全体で確認した。       (K)

12.7

南京大虐殺生存者が語る

「最後の証言集会」への思い

平和のために、学びと連帯


 【愛知】一二月七日、名古屋市のイーブルなごや(女性会館)で、南京大虐殺名古屋証言集会が、〈ノーモア南京〉名古屋の会、旧日本軍による性的被害女性を支える会、日中友好協会愛知県連合会、河村市長「南京虐殺否定」発言を撤回させる会の四団体共催で行われ、一一〇人が参加して会場は最後尾まで満席となった。この証言集会は一九九七年の一二月以来、毎年中国から南京大虐殺から逃れて生き延びた人を招へいし、行われてきたが多くの生存者が高齢になり、続けることは困難になったため、この集会で「最後の証言集会」として行われた。

被害者総数が
議論される理由
定刻の午後六時半になると司会者のあいさつで集会が始まり、最初に南京大虐殺の犠牲者に対する一分間の黙とうが行われた。主催者あいさつで平山良平さんから一〇月一〇日に南京大虐殺の資料一一点がユネスコの世界記憶遺産として登録されたことが報告された。
また、右派勢力による犠牲者の数を少なくして主張することについて「南京大虐殺の犠牲者総数はサンフランシスコ講和条約一一条によって確定しており、日本はこれを調印することによって東京裁判と南京軍事法廷の判決を受託することになったのです。南京軍事法廷の判決文では『犠牲者総数三〇万人以上』と書かれています。これらに対し、犠牲者の数を四万人程度だと主張する人々がいるが、関連調査や現地資料などを調べた結果としなかった結果のどちらが信用できるのか、ということです」と厳しく批判した。

戦争で奪われ
た家族と人生
続いて、生存者である陳徳寿(チェン・ドーショウ)さんの証言が始まった。「私は一九三七年一二月の南京大虐殺当時、数え年で六歳でした。父は服の仕立て屋で母は身重だった。一二月二三日、日本軍が入城し、街に放火した。消火に行った父は以後、帰ってこなかった。午前八時〜九時に日本兵が家に入ってきて食べ物で接待しようとしたら娘を要求された。祖父が対応したが叔母を連れて行こうとした。叔母は逃げたが日本兵は叔母と周りの人を刺して帰っていった。
この数日後母が出産し妹が生まれた。ベッドの上は産褥で汚れていたが日本兵は毎日その様子を確認するために我が家を訪れた。しばらくすると、危険だったので母は子どもを預けるために外に出たが街には多くの死体があった。父は日本兵につかまり殺されたのだと近所の人に教えられた。その後九歳のとき、疫病がはやり、妹と祖母が死に、弟は孤児院に入れられ、もう一人の妹は養女として預けられた。大人になってから二人を探したが二人とも病死していた。一九四五年(日本敗戦)、一四歳のとき継父が日本兵に刺された時の傷が悪化して死亡し生活に困窮した祖母は私を養児院に入れた。
その後、私は一八歳で母の家に戻り、工場で働いた。今は娘と娘の夫と子ども、孫など八人で暮らしていて、家族みんな仕事や年金など生活の支えがあって幸せに暮らせている。これはやはり戦争がなく環境が良いからだ。今の平和な時代こそ過去を忘れないでください。私は長崎に行って日本人民もまた戦火で苦しんだことを初めて知った。平和があるから皆が幸せになる、戦争は要らない」。

今もつづく中
国蔑視と無知
講演に続いて集会に参加した愛知県立大学の日本人学生と中国人留学生が意見や感想を述べた。日本人学生は「ニュースやメディアなどで、無知なのに中国人に対して悪いイメージを持っていた。領土問題もあったから勝手に怖いと思っていた。情報を正しく知っていくのが大切だと思う」と述べた。中国人留学生は「一般人が関係ないのではなく歴史を正しく知る事が大事。日本に中国人蔑視は今もある。日中友好の方向に持っていきたい。偏見はなくなってほしい」と述べた。また歴史学者から南京大虐殺の被害者数に関する政治的な攻防戦の説明があった。
その後、会場の意見では多様な立場から平和への思いや、個人の記憶などが語られ、挙手は時間内に絶えることはなかった。二度と戦争を繰り返さない決意もたびたび語られ、今後いっそうの学びや連帯を広げようという声で閉会した。
(越中)


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