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    かけはし2016.年1月1日号

辺野古の反基地闘争は日米政府との全面対決局面に突入


2015年沖縄辺野古の闘い・結果と展望

最後に勝利するのはわれわれだ

沖縄 N・J

 二〇一四年、辺野古新基地建設問題を前面に掲げた沖縄の闘いは名護市長選、同市議選、沖縄県知事選、そして衆議院の四選挙区でいずれも新基地建設反対派が全面勝利した。そして二〇一五年の闘いは、海上で、キャンプ・シュワブゲート前での実力攻防を含めてさらに拡大し、今や沖縄の「自己決定権」を掲げた日米両政府との全面対決に入った。沖縄の仲間の呼びかけに応え、現地にかけつけよう。

はじめに

 この一年、辺野古新基地をめぐる情勢は目まぐるしく展開されてきた(別表参照)。沖縄と日米両政府との闘いは、二〇一四年一二月一〇日の翁長知事の就任からさまざまな形での攻防の一年を経て、いよいよ全面対決の局面に突入した。もはや妥協の余地はない。勝つか負けるか、勝利か死か、ギリギリのところでの闘いが今後展開されていくことになる。そして最後に勝利するのはわれわれだ。
 この一年をふり返りながら、二〇一五年沖縄辺野古の闘いの結果と展望を考えてみたい。

1 翁長知事の埋め立て承認取消し以降の攻防の展開

 第三者検証委員会の報告は、「前知事の埋め立て承認には法的な瑕疵が認められる」として、具体的に、@「埋め立ての必要性」の要件を満たしていると判断できない、A「国土利用上適切かつ合理的」といえない、B環境保全措置が十分に講じられていると認められない、C「生物多様性おきなわ戦略」など法律にもとづく計画に違反の可能性、を指摘した。
翁長知事はこの報告にもとづいて、九月一四日、埋め立て承認取り消しの方針を表明し、一〇月一三日、取り消した。そのことによって、辺野古新基地反対の闘いは、沖縄県の行政権限を実際に行使した闘いに決定的に踏み出した。県の行政権限は、「国と地方は対等」とされる現在にあって、国家権力に対抗する地方自治体の権力にほかならず、その行使は大きな力と波及力を有する。
翁長知事による埋め立て承認取消し直後の一〇月一六〜一八日に行なわれた緊急世論調査(沖縄タイムスと琉球放送)によると、「取り消し支持」が七九・三%、「支持しない」が一六・一%、「どちらでもない」が四・五%であった。県民の圧倒的多数は、日本政府に堂々と抵抗し辺野古NO!の行政権限を行使する翁長知事を固く支持している。
それに対して日本政府は、沖縄を無理やりねじ伏せ、基地建設を強行するための対抗策を矢継ぎ早に打ち出してきた。
第一に、埋め立て承認取り消しに対し、沖縄防衛局は即座に国土交通相に取り消し無効の審査請求と取り消しの効力を止める執行停止を申し立てた。一〇月二七日、国交相は執行停止を決定した。同じ政府を構成する組織同士が申立て、決定する手法は「プレーヤーとジャッジが同一」「同じ穴のムジナ」と言われるように、茶番劇にほかならない。しかし残念なことに、誰が見てもおかしいことがまかり通るのが今の日本の政治なのである。
さらに一一月一七日、国交相が福岡高裁那覇支部に、埋め立て承認取り消しの取り消しを求め、承認の状態に戻す目的で代執行訴訟を提訴した。このような代執行が認められるならば、国の政策と異なる地方の自治は存立できない。知事が中央政府の任命制であった、天皇制下の大日本帝国となんら変わるところがなくなる。
第二に、沖縄防衛局は一一月一二日、六月三〇日以来四カ月以上中断されていたボーリング調査を再開した。ボーリング調査全二四地点のうち残りの深場五地点が対象だという。辺野古の海に再び大型スパット台船が姿を現した。不法であろうと何であろうと既成事実を積み重ね、反対の声を押しつぶそうという目論見だ。
第三に、県警では手に負えなくなり始めた辺野古現地の警備に、日本政府は、日本本土から警視庁機動隊を投入した。一一月四日朝、練馬、品川、足立、多摩などのナンバーをつけた装甲車両に乗った警視庁機動隊員一〇〇人余がはじめてキャンプ・シュワブゲート前に配備され、座り込みの強制排除を行なった。彼らは、大浦湾のカヌチャリゾートに宿泊し、キャンプ・シュワブに「出勤」する。県警に比べても屈強な彼らは、沖縄の歴史や基地問題の背景を知らない分、暴力的で情容赦のないプロ集団だ。
警視庁機動隊の導入は、一八七九年天皇制明治政府が軍隊四〇〇人、警官隊一六〇人を引き連れて琉球併合を強行したいわゆる「琉球処分」を県民に想起させる。
第四に、国家権力の常套手段は暴力とともに金だ。どんな方法をもってしても沖縄県、名護市を懐柔することができなかった日本政府は、辺野古周辺の久辺三区(辺野古、久志、豊原)に対し直接金をばらまくという懐柔策として、区を管轄する名護市を通さないで直接区に投入する「再編関連特別支援補助金」なる制度を新たに策定した。金額は一区当たり上限一三〇〇万円、補助率一〇〇%、年内にも支出されるという。
大浦湾周辺には合わせて一三区あるが、区といっても東京都内の二三区のような行政区ではなく、町内会のようなものである。そのうち人口が集中している久辺三区にのみ金をばらまき、基地容認に傾けようとするものだ。この補助金投入は、基地に反対する名護市の自治体としての力を弱め、「地元三区を基地容認に傾ける」ためのあからさまな買収と分断の政策である。まさに米軍政下の「弁務官資金」と変わるところがない。
こうして、一〇月一三日の翁長知事の埋め立て承認取り消しを契機に沖縄と日米両政府との対立は一挙に全面対決へと発展した。承認取り消しは全面対決の起点であり、里程標となった。
ゲート前の闘いは日に日に激しさを増している。警視庁機動隊の動員以降、以前にもまして暴力的な強制排除でけが人が続出。機動隊は、座り込みを無理やりひきはがそうと、手首や手の指をねじり、胸や喉を押さえつけ、わき腹をこぶしで押さえつける。そのため、アバラ骨を折ったり、圧迫され失神して救急車で運ばれたり、顔面を切り出血する事態が増えている。力の弱い女性たちも力ずくで倒されて、人権を無視した暴力的な排除が行なわれている。
と同時に、拘束・逮捕が日常化してきた。一二月五日にはゲート前で、市民ひとりと共に、県統一連の瀬長和男事務局長と沖縄平和運動センターの山城博治議長がそれぞれ、公務執行妨害と刑事特別法違反容疑で逮捕された。二人は警官に暴力をふるったわけでもないし、意図的に基地内に侵入したわけでもない。警察はささいな形式的なことでの拘束・逮捕を行ない、ゲート前行動に圧力をかけている。
「基地の県内移設に反対する県民会議」は毎週水曜日の議員行動日にあわせて、早朝の最大結集を呼びかけてきた。一一月一一日の五〇〇人に続き、ゲート前座り込み五〇〇日の一八日には一二〇〇人が結集、その後も一一月二五日七〇〇人、一二月二日五〇〇人、九日四〇〇人が集まり、ゲート前を占拠した。通常ゲートは朝七時に開き、その日予定されている工事関係車両が基地内に入る。警察機動隊を上回る人々が結集しゲート前で座り込めば、警察も手出しできず、工事車両や作業員も基地内に進入できず、その日の工事は出来なくなる。毎週水曜日のゲート封鎖を今後週二回、週三回へと拡大して行くことが課題となっている。
早朝行動の舞台となるのは、資材搬入用ゲート、いわゆる旧ゲートである。朝六時からの座り込みに間に合うバスはない。沖縄各地から、遠いところは朝四時頃から起き出し、車を相乗りして続々辺野古現地へ集まってくる。
早朝行動に参加する人々は年配の男女が多い。退職した教員をはじめ元労組員、各市町村議会の議員、本土復帰闘争を担った人々、米軍政の時代を生きてきた人々、CTS闘争に参加した人々、各地域の反基地闘争を担っていた人々、そして各地の島ぐるみ会議の人々。また、沖縄戦を体験した人たちも多い。
沖縄戦と米軍政支配を知る彼らは共通の危機感がある。運用年数四〇年、耐用年数二〇〇年、しかも国有地となる辺野古新基地が造られてしまえば、沖縄は本当に永久に軍事基地の島から抜け出すことができなくなってしまう。子や孫には基地のない平和な島、美しい自然を残したい。そのためにはこの身を投げ捨てても新しい基地は絶対に造らせない! そのような強い願いが込められている。
他方、海上は抗議船団とカヌー隊が毎日出ている。防衛局の工事を監視するとともに、三重四重にはりめぐらされたフロートをいっせいに乗り越え、ボーリング調査の台船へと向かい工事の中止を訴える。陸と同様海上でも、海上保安官の暴力は激しさを増している。カヌーを転覆させ、意図的にカヌー・メンバーの頭を何度も海の中に沈めたり、抗議船のカギを無理やり奪うため船長の手や指をねじ上げ負傷させたり、船底に押し倒し胸を強く圧迫して意識不明に陥れたり、海保のボートで抗議船に急スピードのままぶつかり船体を損傷させたりと、海の安全を守る本来の海上保安庁とはまったく逆の、危険きわまりない警備を続けている。海上の闘いは命がけで、海保の暴力にひるまず続けられている。

2 辺野古新基地反対の闘いの一年をふり返る

 辺野古新基地反対の闘いの相手は、沖縄に比してはるかに強大な権力を有する日米両政府である。かれらは暴力装置も、金力も、メディアを掌握する力も持っている。辺野古新基地反対の闘いはこのような困難の中で「勝つ方法は決して諦めないこと」を合言葉に、ねばり強く長期にわたって闘いぬかれてきた。そして、二〇一四年一二月の「辺野古基地反対」の県政の誕生を機に、行政と大衆運動が手を携えて共に闘う有利な足場を獲得した。
翁長知事が誕生してからの数カ月、安倍政権は翁長知事を完全に無視し「冷遇」し続けた。沖縄県側から何度も面談を要請されながら閣僚の誰ひとり会おうとさえしなかった。彼らは当時それが「沖縄を支配する最善の方法」だと思った。しかし、三月下旬の県による「ボーリング工事停止命令」は、沖縄県の行政権限の発動として否が応でも辺野古の政治問題としての浮上とメディアの報道をもたらすものとなった。日本政府は沖縄を無視し続けるわけにいかなくなった。
そこで政府は「話し合い」のポーズを取りながら翁長知事との対話に踏み込んだ。しかしはじめから彼らには沖縄側に譲歩するつもりはさらさらなかった。「沖縄への配慮」や「振興策」の強調などによって、翁長知事を懐柔し、世論を目くらましすることができるのではないかと考えた。しかし、翁長知事の姿勢は変わらなかった。第三者検証委員会の報告が出れば埋め立て承認取り消しを行なうことが予想された。そこで彼らは「一カ月の休戦と集中協議」という方法を持ちだし、その間に翁長知事を「軟化」させようとした。
つまり安倍政権は中央政府の地方支配のさまざまな手段、これまでどこでも成功を収めてきたはずの手段を総動員してみたものの、翁長知事の沖縄県には通用しなかった。辺野古NO!の知事の固い意志を覆すことはできなかった。
日本政府の政治家や官僚は、歴史に深く根ざした沖縄県民の反戦・反基地感情や、子や孫に美しいふるさとを残したいという人間としての尊厳の価値観が、辺野古NO!の頑強な運動の底にあることを理解できない。それゆえ彼らは沖縄を見くびってきた。そして予想外の大きく激しい抵抗にぶつかって方向転換し、現在、暴力、金、法律など国家権力が持てるすべてを動員し、力ずくで沖縄を屈服させようと襲いかかってきている。しかし政府が優勢なのではない。情勢の主導権を握っているのはわれわれで、彼らではない。
二〇一四年七月から始まったボーリング調査は、当初三カ月で終わる予定だったが、一年半過ぎた今も完了していない。二〇〇四年に比べて最初から調査地点が少なすぎたし、調査がきちんと行なわれたかも疑問だ。この間工事は遅延する一方で、陸と海の警備費用だけがうなぎのぼりに増えていった。埋め立て承認取り消しに対する政府の抗弁理由のひとつが、今止めればすでに支出した数百億円の費用が無駄になるというのだから、お笑い種である。
ボーリング調査が終わったからといってすんなり工事が進むわけではない。通常の手続きによれば、ボーリング調査が全部終わってから、本体工事の設計と協議に入るのだが、防衛局はボーリング調査が終わらないうちから「本体工事着手届出書」を県に提出し、あたかも工事が順調に進んでいるかのように装った。防衛局が進めている「本体工事」とは作業ヤードの設置など、本体工事の準備作業であり、また、県との協議を一切しないまま勝手に仮設道路の建設工事などを進めている。
名護市は、現在キャンプ・シュワブ内埋め立て予定地の遺跡調査に入っている。文化財保護法によると、調査が終わるまで工事はできない。また、県の行政権限は埋め立て承認の取り消しだけではない。岩礁破砕許可の取り消しや更新の不許可、工事用仮設道路や美謝川切り替えなど設計変更の認可、それに埋め立て承認の撤回もできる。何より、陸と海での不屈の現地闘争が存在する。県と名護市そして現地闘争がある限り決して基地はできない。
昨年七月、工事車両を止めようと、ゲート前の闘いが平和運動センターの山城さんをリーダーに始まった時、運動の規模は小さく、テント小屋もなかった。この一年で、ゲート前の運動は大きく発展した。今、ゲート前の二四時間監視のテント村を拠点とした闘いには日本本土からの参加者もふくめ、常に百人前後から数百人の人々が結集する。
この間の闘いの中で、すべての市町村に島ぐるみ会議が組織され、各地域から辺野古へと結集する動きが作られてきた。辺野古バスは那覇市から毎日運行、名護市、うるま市、宜野湾市、沖縄市、読谷村ほか各市町村からは週一回ないし数回現地に結集している。情勢の緊迫の中で、朝六時に間に合うようにバスを運行する地域もある。大型バスを動員できない地域は、マイクロバスや乗用車の乗り合いなどの方法で、ゲート前へと集まる。平和市民連絡会も毎朝乗用車を那覇から辺野古、高江へ運行している。
朝六時からの資材搬入阻止の座り込み、その後の第一ゲート前でのデモンストレーションを終えて、九時半ないし一〇時からのテント前での情報提供と交流の集会は、昼休みを挟んで午後四時まで、各地から参加した人々のあいさつや歌が続く。年齢層は実にさまざまである。大学生、高校生はもちろん、鳩山元首相、大江健三郎、佐藤優、加藤登紀子などなど著名人士も多い。時には幼稚園生まで可愛い姿で歌を披露してくれる。韓国はじめ外国のゲストたち、特に最近ではグリーン・ピース「虹の戦士号」やVFP(ヴェテランズ・フォア・ピース)が共に座り込み闘う。テント前は沖縄だけでなく全国、全世界から参加する平和キャンプのようだ。
海外メディアの取材も多い。台湾、マレーシア、バングラデシュ、アルジャジーラ、英タイムズおよびBBC、チェコテレビ、仏独共同テレビ「アルテ」、VOA、仏日刊紙「ロピニオン」その他、いまや辺野古は世界的に注目され発信されるホットな現場になっている。
翁長知事の樹子(みきこ)夫人も一一月七日に現場を訪れ、翁長知事との当選時の約束を紹介。「何がなんでも辺野古には基地は造らせない。万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している」と述べた。そして同時に、「まだまだ万策は尽きていない。世界の人も支援してくれている。これからも諦めずに、心を一つに頑張ろう」と訴えた。
また、アメリカを始め海外への訴えに大きな力を注いだ一年だった。五月二七日〜六月五日の翁長知事の訪米にあわせた第一次訪米団、九月二一日のジュネーブの国連人権理事会での翁長知事のスピーチ、一一月一五日〜二二日の第二次訪米団と精力的に取り組まれた。
アメリカ人はたいていの場合、辺野古の基地問題について知らないし知らされていない。また関心も薄い。アメリカ政府の立場は、日本政府の立場をただくりかえして「辺野古は日本の国内問題」「日米同盟は不変」と述べるのみである。この状態に風穴を開けて沖縄の現状を広くアピールすると共に、アメリカこそが当事者であり、沖縄の自己決定権を踏みにじり自然を破壊する犯罪に加担しているということを、政府、議会、市民、労組など多様なレベルで訴えていった。
第一に、日本政府から独立して直接、沖縄の声を、沖縄県知事の肉声で伝えたということに意味がある。この訴え自身が自己決定権の一つの行使だといえる。国連人権理事会での知事の演説とシンポジウムでの講演では、辺野古で県民の人権と自己決定権が踏みにじられている現実を強くアピールし、各国の政府機関やメディアへ伝えられたし、国民の人権と民主主義を守る点で日本政府の面目が失われたことだろう。
第二に、一連の海外行動を通して具体的に連帯・支援の動きが始まったことである。
米カリフォルニア州のバークレー市議会は九月一五日夜の本会議で、「名護市辺野古への新基地建設に反対し県民と連帯する決議案」を全会一致で可決した。そして訪米団がバークレー市で開いた市民対話集会では、女性反戦団体コード・ピンクの代表が「当事者意識のない米国市民が多いが、支援の輪を広げていく」と述べた。
約六六万人の会員を擁するアジア太平洋系アメリカ人労働組合(APALA)は、「辺野古、高江における新基地建設と米軍基地の拡張に反対して闘う沖縄の人々に連帯する」と決議した。組合員一二五〇万人の米労働総同盟・産別会議(AFL・CIO)も沖縄の闘いに協力を表明した。
アメリカでも変動が起きている。傍観者を装いたいアメリカ政府にとっても足元に火がつき始めた。

3 今後の闘いの展望について


辺野古の闘いは日米両政府との全面対決に突入した。自己決定権の実現。これはもはや言葉の上や立場の問題にとどまらない。実際に自己決定権を行使して民意を実行する段階に入った。これまでの沖縄闘争が足を踏み入れたことのない領域、「県」という衣装を着けながら日本政府と対等の「自治」の実質を勝ち取る闘い。今後の闘いはさまざまなニュアンスと傾向を内部にもちながら、全体として沖縄自治政府を樹立する闘いとして発展するだろう。
代執行裁判の行方はもちろん予断を許さない。安倍は裁判で負けることを恐れている。そのため、福岡高裁那覇支部の裁判官を急きょ入れ替え、代執行訴訟に備えた。第一回口頭弁論では、結集した人々の熱気に応えて、翁長知事は沖縄県民の心からの思いを法廷で述べた。全国のマスコミもたくさん駆けつけ取材した。裁判が全国的に大きく報道され、法廷という公の場で政府の不法性、不当性が明らかにされ、県民の主張への共感が広がることに寄与するだろう。
沖縄県教育庁は、キャンプ・シュワブ沿岸部で発見されていた土器や石器計一七点を文化財保護法にもとづき文化財に認定した。名護市は一帯を遺跡として申請することを検討している。キャンプ・シュワブ一帯には沖縄の貝塚時代からいくつかの年代に重なる複合的な遺跡が合わせて七カ所ある。辺野古の海と大浦湾は古代から人々の生活の跡がしるされた遺跡のホットスポットだ。加えて大浦湾一帯には沖縄戦の際の住民の収容所があり、飢餓やマラリアで亡くなった人々の遺骨が米軍基地の中に今も残されている。埋め立て工事の強行によって文化財や遺骨がバラバラになり、再びコンクリートの中に埋もれてしまわないためにも、埋め立て工事の中止、基地建設の白紙撤回が必要だ。
沖縄県と名護市そして現地闘争が団結してオール沖縄で闘いぬく限り、辺野古新基地建設の先行きは見えない。結局、安倍は辺野古を放棄する以外なくなる。
辺野古へ行こう! ゲート前に座り込もう! カヌーに乗り海上で声をあげよう! 

東アジアの平
和・人権・環境
辺野古現地に身を置いて今後の情勢の展望を考えるとき、沖縄と日本の新しい未来、アジアの未来を切り開く可能性が感じられるはずである。アメリカのアジア支配に終止符をうち、平和の海を築こうとする国際的な取り組みも始まっている。
軍事化の道を一直線に進む安倍政権に対して、辺野古基地に反対する沖縄と日本全国の闘い、安保法制、武器輸出、秘密保護法、盗聴法、教育の国家統制、原発、TPP、非正規、低賃金、増税などすべての諸課題、地域の諸課題を一点、安倍打倒!に集中しともに闘う共同戦線を築き上げなければならない。
東アジアの現在の情勢は、米軍の絶対的アジア支配力のゆらぎのなかで、各国の国家権力の強権化・反動化の進行と特徴づけられよう。日本、朝鮮の南北、中国、みな国内で人権と民主主義が抑圧されている。戦争の脅威におびやかされ、国家支配の下にひざまずくことを強いられている。米軍を元凶とする軍事主義の拡張の中で、自然が破壊され、環境汚染が進行している。
平和・人権・環境という共通の旗の下に、国境を越えてともに各国の国家権力に対抗する国際連帯が今こそ求められている。
(二〇一五年一二月一四日)

辺野古をめぐる2015年の動き

1.15 沖縄防衛局、知事選以来中断していたボーリング調査を再開。
2.7  仲井真前知事の埋め立て承認を検証する第三者委員会が発足(委員長は大城浩
弁護士)。
2.22 キャンプ・シュワーブの憲兵隊警備員、山城博治平和運動センター議長を基地内
に引きずり込み「刑特法違反」で逮捕。
3.23 翁長知事が防衛局に、サンゴ破壊の調査のため「海底面の現状を変更する行為す
べて」の停止指示。
3.24 防衛局、農相に「不服審査請求」と「執行停止」の申し立て。「同じ穴のムジナ」。
3.30 農相、翁長知事のボーリング調査停止指示の執行停止を決定。
4.2 辺野古海のテント村、座り込み4000日目。「勝つ方法はあきらめないこと」。
4月 辺野古基金、発足へ。共同代表には、地元経済界の人士とともに、宮崎駿監督、
佐藤優元外交官、石川文洋カメラマンなど。
4.5  翁長・菅会談。「沖縄が自ら基地を提供したことはない。銃剣とブルドーザーで
基地に変わった」。
4.7 沖縄タイムス県民世論調査。翁長知事支持83.0%、辺野古基地反対76.1%。
4.17 翁長・安倍会談。「土地を奪っておきながら、世界一危険だから沖縄が負担しろ、
嫌なら代替案を出せと言われる。こんな理不尽なことはない」。
4.28 海上抗議闘争で、抗議船に海保が乗り移り、転覆。
4月 沖縄県、ワシントン事務所を開設。平安山英雄所長。
5.9 翁長・中谷会談。「このまま日本政府が地元の理解を得ることなしに辺野古の基地
建設が途中で頓挫することが起きれば、すべて政府の責任」。
5.17 セルラー球場の県民大会。公式35,000人、実質5万人。「ウチナーンチュ、ウシ
ェーテーナイビランドー(ウチナンチューを見くびってはいけませんよ)」(翁長
知事)に地鳴りのような歓声とスタンディング・オベーション。
5.20 翁長知事、外国特派員協会および日本記者クラブで会見。「沖縄は自治権獲得闘
争を経て今日がある。沖縄の人はへこたれない」。
5.27〜6.5 翁長知事を中心に30人の訪米団。糸数慶子参議院議員、稲嶺進名護市長、
平良朝敬かりゆしグループ・オーナーなど。「民意は普天間閉鎖、辺野古阻止」。
6月初旬 読売新聞世論調査。辺野古移設―評価39%、評価せず45%。
6.23 翁長知事、「慰霊の日」平和宣言で「辺野古反対」訴え。列席の安倍首相に「帰
れ」「何しに来たんだ」「式典に参加する資格はないぞ」などと会場から野次。
7.16 第三者検証委員会、報告書提出。「前知事の埋め立て承認に瑕疵あり」。
8.10〜9.9 一ヶ月間の工事中止と集中協議。「安倍が支持率低下で沖縄の基地問題を中
断」(ロイター通信)。
9.21 国連人権理事会で、翁長知事が演説。「沖縄の人々の自己決定権がないがしろに
されている辺野古の状況を世界中から関心を持って見て下さい」。
10月 4月から悪性リンパ腫の治療を受けていた山城議長が現場復帰。
10.13 翁長知事、埋め立て承認を取り消し。
10.14 沖縄防衛局、国交相に、取り消し無効の審査請求と執行停止の申し立て。
10.16〜18 沖縄タイムスと琉球放送の県民世論調査。取り消し支持79.3%。
10.27 国交相、承認取り消しの効力を止める執行停止を決定。
10.28 防衛局、「工事着手届出書」を県に提出。
11.2 国交相の執行停止を不服として、沖縄県が国地方係争処理委員会に審査請求。
11.4 警視庁機動隊が辺野古警備に投入される。カヌチャ・リゾートに宿泊。
11.15〜11.22 第2次訪米団。「米国こそ当事者」。団長=呉屋守将金秀グループ会長。
11.15 APALA(アジア太平洋系アメリカ人労働組合)、「辺野古反対、沖縄支援」決議。
11.17 国交相、沖縄県を被告として、承認取り消しを撤回させる代執行裁判を提訴。
11.18 ゲート前座り込み500日目の早朝行動に1200人、一日中工事車両の侵入阻止。
12.2 代執行裁判第1回口頭弁論。事前集会に2000人。翁長知事「日本には本当に地
方自治や民主主義があるのか、沖縄にのみ負担を強いる日米安保は正常といえる
のか、国民の皆さますべてに問いかけたい」。
12.5 ゲート前で、統一連の瀬長事務局長と平和運動センターの山城議長が逮捕。
12.9 辺野古基金は振込件数76,647件、金額は5億円を突破。
12.10 翁長知事就任1年。「これ以上できないというくらい精いっぱいやった」。全国
から県庁に激励3万通。
12.14 オール沖縄会議、結成大会。「沖縄の未来は沖縄が切り拓く」。共同代表に稲嶺
進名護市長、呉屋守将金秀グループ会長、高里鈴代島ぐるみ会議共同代表の3人。

 


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