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    かけはし2016.年1月1日号

「第三滑走路」計画を撤回せよ


12.13

三里塚―東峰現地行動

利権団体がキャンペーンを開始


 一二月一三日、三里塚空港に反対する連絡会 は、「成田空港『第三滑走路』計画を撤回せよ! 横堀現闘本部裁判勝利! 年間30万回飛行、飛行制限時間緩和を許さない! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対! TPP反対!」を掲げて「三里塚―東峰現地行動」を行い、三六人が参加した。
 成田国際空港会社は、アジアハブ空港競争に敗北しただけではなく、羽田空港新滑走路供用開始によって国際空港としての地位低下が止まらない状況だ。すでに国交省航空局は、成田空港の役割を「国際線同士の乗り継ぎや格安航空会社(LCC)貨物中心というようになるのではないか」(東京新聞11・16)と位置づけているほどだ。
 空港会社は、劣勢挽回のために必死だ。東京五輪による航空需要拡大をでっち上げながら三〇万回離発着、空港拡張、安全軽視のLCCの誘致、離着陸制限時間の緩和圧力、「第三滑走路建設計画」キャンペーンを強めている。その現れが一一月二七日の「成田空港に関する四者協議会」(国、千葉県、成田市など周辺九市町、成田国際空港会社)だ。
 二〇三〇年までに成田に第3滑走路を作るという国土交通省の計画に続いて、空港会社は@B滑走路を北側に一〇〇〇b延伸して三五〇〇b案AB滑走路南側に第三滑走路三五〇〇b整備案を提示した。メディアに「第二案が有力」とキャンペーンさせながら、早期に実現したい夜間飛行制限時間(現行では午後一一時から午前六時までは飛べない)の緩和を求めるほどだ。
 事前の利権配分の合意ができていなかったため参加者から「(二〇一三年三月に)午後一一時台に新たなダイヤを組まないと約束したばかりで、夜間飛行制限緩和の議論自体おかしい」「午後一〇台以降の増便検討は、騒音下住民を無視していると言わざるをえない」と反発される始末だ。しかも協議会には、森田千葉県知事、夏目誠空港会社社長の欠席で不信を増幅させてしまった。
 このように空港会社は、空港周辺地元による第三滑走路計画要求を担保にして安倍政権に財政出動を迫っていく方針だ。とりわけ成田第三滑走路を目指す有志の会には、石毛博道(元青年行動隊・元反対同盟事務局長)などが事務局となり、周辺商工会が参加し、推進の先兵となっている。しかしこの手法も東京新聞に「成田空港の第三滑走路は、財源確保や事業の枠組みが未定で構想段階」「建設ありきではない姿勢が求められる」と言われるレベルなのだ。国・空港会社・空港推進派による住民追い出し廃村化、農業破壊、騒音の拡大による生活破壊を許さない。第3滑走路建設計画を撤回せよ。

全国の闘う仲間
との連帯を確認
集会が旧東峰出荷場跡で始まった。
山崎宏さん(横堀地区/労闘―労活評現闘)は、「第三滑走路計画を国が出し、空港会社がそのメリットについて報告した。一一月の四者協議会ではB滑走路南側に第三滑走路三五〇〇b案が有力だという。成田第三滑走路を目指す有志の会は、そのお先棒となっている。第三滑走路計画に対して厳しく批判していこう」とアピールした。
石井紀子さん(成田市川上)の発言。
「先ほど皆さんと一緒に東峰共同墓地に行って、大木よねさんのお墓を墓参した。立派な石碑ができてよかった。感無量です。私も東峰の『特別区民』として色々な行事に参加させてもらっている。ここに生きて暮らし、守っていきたい」。
「安保法制反対で国会に行ったが、あんな戦争法を通してしまった政府はなんなんだろう。国民の平和を守るなどと空々しく言えたものだ。腹が立ってしょうがない。国会には小さい子どもを連れたお母さんたちとか、お年寄りのグループとか、高校生、若者たちが一人一人で集まってきて心強かった」。
平野靖識さん(東峰地区/らっきょう工場)の発言。
「昔の仲間たちが第三滑走路計画のお先棒をかついでいる。地域の生き残りのために空港誘致に動いている。非常に残念な事態だ。これは地域力が衰えていることによって起こっている。三里塚物産は、地域の生産物を加工して販売している。ベテランの農業者が他地域の若者も含めて伝えている。地域力を維持しながら、根拠地にして闘っていきたい」。
「一一月のはじめにNGOのスタディーツアーで沖縄の辺野古、高江に行った。現地の仲間たちも含めてかつて三里塚に行ったことを話してくれたり、いろんな出会いがあった。三里塚に参加した人たちが各地で闘っている。空港半分を諦めさせ、仕事をして暮らしているのは根拠地だとも言われた。今、北原派の市東孝雄さんの土地が奪われようとしている。高裁で不当判決が出て、最高裁で争っている。ぜひ関心を持って、支援していただきたい」。
根本博さん(泉州沖に空港を作らせない住民連絡会)は、「関西新空港は、いまだに一兆円を超える赤字を抱えている。空港建設に伴ったエアポートシティやゲートウェイに出資した地元自治体は多額な借金で苦しい状況だ。二〇〇一年から反空港全国連絡会とし全国の仲間と交流し、赤字の福岡空港、関西新空港、静岡空港の問題点を明らかにしてきた。運営権を民間に売って生き延びようとし、そのしわ寄せが空港で働く労働者に強まっていく。空港が右肩上がりで続くというのは嘘だ。成田空港の第三滑走路は必要ない。生活破壊、軍事利用反対などの視点からもチェックし反対していこう」とアピールした。
集会終了後、デモに移り、開拓道路前に到着。B滑走路に向けて「三里塚空港粉砕!第三滑走路計画を撤回しろ!」のシュプレヒコールを行った。デモは、旧東峰共同出荷場跡に戻り、交流会に入り、各地の闘いなどを報告した。   (Y)

?2016年反対同盟旗開きのお知らせ

主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(世話人:柳川秀夫)
日時:2016年1月10日(日)、正午
場所:横堀農業研修センター(0479―78―0100/横堀農業研修センター 千葉県山武郡芝山町香山新田131)
参加費:1000円
連絡先:〒289─1601 千葉県山武郡芝山町香山新田 90─5(案山子亭)/電話&FAX0479─78─8101
■会場への行き方:京成東成田駅地上 11時00分集合 迎えの車待機
09:13発 京成上野特急 →10:21着 成田→10:32発 京成成田 →乗り換え 京成本線(普通)[芝山千代田行き]→10:37着 東成田

12.14

東京高裁、横堀現闘本部撤去第一回口頭弁論

裁判の早期打ち切りを許すな

空港会社はまたもや歴史の偽造を繰り返す

三里塚空港に反対する連絡会

 一二月一四日 東京高裁第一二民事部(杉原則彦裁判長)で成田国際空港会社が三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)に対して横堀現闘本部撤去と土地の明け渡しを求めた訴訟(朽廃建物収去土地明渡請求事件)の第一回口頭弁論が行われた。高裁は、空港会社の横堀現闘本部撤去攻撃を追認し、第一回で結審し、次回の口頭弁論で判決を言い渡すというのだ。
 反対同盟の控訴理由書に対して空港会社は、以下のような答弁書を提出してきた。主な点だけでも、ことごとく歴史の偽造とデッチ上げを繰り返し、より悪質なものとなっている。
 @横堀現地闘争本部撤去も含めた空港機能拡大に対して「過密運行、安全軽視、環境・人権破壊、空港公害の拡大と、時代に逆行する危険に満ちたもの」だという事実を空港会社は、反論根拠を示すこともなく否定した。
 A空港会社はまたしても現闘本部を「(一九九八年)一月に開催された旗開き以降は一切使用していない」と主張してきた。反対同盟は、写真、文書などの証拠を多数提出し、一九九八年一月以降も諸々の行事や会合で使用していたことを証明してきた。
 B空港会社は、横堀十字路から現闘本部に至る通路のバリケード設置しての封鎖を「二〇〇七年三月に封鎖」と主張している。しかし封鎖時期は二〇〇六年七月〜八月が事実だ。
 C空港会社は、成田空港シンポジウム(一九九一年)、円卓会議(一九九三年)において「平行滑走路の整備については、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決する」ことを事実として認める。
 しかし、この歴史的事実と本裁判を切り離して「土地が原告の単独所有に帰したことを前提として、土地の単独所有者とその地上建物の所有者との間の純粋に民事上の紛争について民事訴訟の手続き」だとすり替え、切り縮めて主張しだした。そのうえで一審判決の「そのような手続きが円卓会議において用いられてはならないこととされた強制的手段に当たるとは解し難い」という不当な認定を持ち出してきた。
 すでに反対同盟は、このような暴論に対して@黒野社長の「暫定滑走路に関わる謝罪」(「回答」/二〇〇二・五・九/「東峰区の皆さまへ」)A公団の浅子直樹用地業務推進室長(当時)が北原派反対同盟に属する共有地の共有分割請求訴訟での記者会見(二〇〇二・一二・二四)で「他の共有地については引き続き任意交渉し、訴訟で取得を求めるのは今回が最後である」(毎日新聞/〇二・一二・二五)などの具体的証拠を提出し、反論してきた。
 しかし空港会社は、これらの事実を認めたうえで、関係ないとして切り捨てるだけだ。反対同盟は、このような不当な姿勢に対して「歴史的経緯を捨象した上で、手前勝手に判断し、黒野発言と浅子発言という明白な証拠を、当時の彼等の具体的関係を無視し軽視してしまったのである」と批判した。
 これだけ争点があるにもかかわらず、高裁はまともに審議することもなく、強引な訴訟指揮によって結審してしまった。勝利判決をかちとるために傍聴闘争への参加を訴える。
 ■判決公判―東京高裁/二〇一六年二月三日〈水〉午後一時半/八二四号法廷

コラム

田舎のお寺の出来事

 父の三回忌で田舎に帰り、寺で身内だけの法要を行った。寺は臨済宗で、般若心経など三〇分程のお経をあげてもらった。般若心経は六〇〇巻程のお経だが全部読めないので、そのエキスで短くしたものと漢文を日本語読みしたお経など。般若心経は漢文だがその一部にサンスクリット語(インドガンダーラ地方の言葉)の部分があるということだ。お経をあげる前に、そんな話を聞きながらお経の経本を手渡され、いっしょにお経をよんだ。
 結局何を言っているのか、さっぱり分からなかった。後でお袋がこんな分からないお経で死んだ人が有り難く思うのかね、とふと口ずさんだ。
 三回忌の費用は塔婆代込みで三万円。先祖代々代の位牌に死んだ父の戒名を入れるだけで三万円。そして若いお坊さんが代を継ぐ儀式(晋山式)のために、一年一万円(一〇万円)を貯めている。この儀式に、本山を含めてたくさんのお坊さんが出席するという。この時、寺だけでは泊まりきれないので、宿坊と葬祭所を兼ねた建物(四〇〇〇万円以上)を建てることが提案されている。この費用に一檀家当たり二四万円。
 この寺の葬祭所建設も葬式の一切(飲み食いなど)を寺で仕切り、その費用(数百万円)を寺の懐に入れたいからだ。都会の寺だと、参観料をとったり、地所の一部を駐車場にしたり、保育園を経営したりで、葬式以外にも運営費をねん出している。田舎だとそうはいかない。今では民間葬祭社だけでなくJA農協なども参入している。私の田舎には宗派が違う小さな寺がたくさんあり、檀家数もそう多くはないので寺の運営がたいへんのようだ。
 日本の仏教はインド・中国・朝鮮から入ってきたが、サンスクリット語を漢文に翻訳した経本をそのまま読んでいるので意味が分からない。大きな寺院建築や仏像などの形式によって権威を現し、天皇や貴族たちの宗教であった。それが平安末期になると法然・親鸞らによって、民衆仏教へと変えられた。「南無阿弥陀仏」これを唱えれば誰でも救われるとする教えだ。そして、鎌倉期の日蓮宗・法華経の「南無妙法蓮華経」も同じ。
 しかし、こうした仏教も江戸時代に入ると幕府が寺の檀家制度を通じて、戸籍を管理し行政機関の下請けとされてしまった。明治期になると神仏分離、廃仏毀釈として仏教は弾圧され、衰退を強制された。日本の仏教が生き残っているのは葬式・先祖代々の墓を守る意識があるからだろう。
 こうした意識から「解放」され、散骨を求める人が増えている。四月に亡くなった樋上徹夫さんもそうした一人だ。彼は死んだら徳島小松島の海に散骨して欲しいと希望した。葬儀社に頼み、許可をもらって連れ合い・家族が散骨した。墓など無縁な無神論者としての生涯を貫いた。  (滝)


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