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    かけはし2016.年1月25日号

新たな左翼への挑戦に明確な民衆的反響


ポーランド

ラゼム党活動家へのインタビュー

新自由主義による思想改造工作
の時代に求められる左翼めざす

 スペインのポデモス、ギリシャのシリザに続いて、ポーランドのパルティア・ラゼムあるいはラゼム党が、欧州の選挙政治に対する左翼からのもっとも新しい新規参入者だ。二〇一五年一〇月二五日のポーランド総選挙のやっと五ヵ月前に形成されたこの党は、草の根のさまざまな決起および単一の政治的傘の下への社会活動家たちの結集を頂点的に表現している。金銭的支援者も、それが何であれ制度的な支えもまったくない、さらにメディアの取り上げもほとんどないそうしたラゼムは、今後四年間に向け三〇〇万ユーロの国家資金供与に資格を与えることになった三・六五%の票をつかみ取ったことで、主流の政治専門家たちに驚きを与えた。三七歳になるエワ・アリクジャ・メジェウスカは、ラゼムの一候補者として今回の議会選に挑んだフェミニストの哲学者だ。ベルリンを拠点とするこの学者―政治家は、「ヒンドゥー」紙(インド)のEメールインタビューで、ラゼムにおけるここまでの彼女の足取り、ラゼムとシリザ間の類似性、そして「新自由主義による思想改造工作」の時代に左翼が直面する試練について率直に語っている。(ヒンドゥー紙)

新党はどのように生まれたのか


――ラゼムはどのように実現したのか?

 それは、少なくとも一〇年は遡る長い歩みだった。ラゼムメンバーになると思われる者の多くは数年間、議会外左翼、社会諸組織、あるいは左翼諸政党の青年部分に関わっていた。二〇一五年はじめに、こうした独立的組織体のいくつかからの、左翼統一に向けた呼びかけがあった。一つの公開状が回され、人びとを新しい実質のある一つの左翼組織体に合流するよう促した。何百人もの人びとがそれに署名した。それらの人が今ラゼムの中核を構成している。五月には、ワルシャワでのラゼム党第一回大会にも約三〇〇人が加わった。党は二〇一五年七月に正式に登録された。

――学究生活から政治へ飛び込ませたものとはどのようなことだったのか?

 私は学究生活よりも政治にはるかに長く――事実上子どもの時から――関わってきた。私は、政治的に極めて活動的だった家族の中で育った。私の父はグダニスクで一九八〇年代の「連帯」の運動に参加していた。私は父親に抱かれて、三歳の時に私の最初のデモに出かけた。一四歳の時には、新自由主義政策に反対するもっとも初期の抗議活動に参加した。実のところあなたは、私は政治から学究生活に飛び込んだ、と言うこともできるだろう。

――キャンペーンの経験であなたは、あなたへの投票を人びとにどう頼んだのか?

 少しばかり遠慮がちでつつましいこともあり、私はだれに対しても私への投票を頼むことが全然できなかった。私はほとんどを精力的なソーシャルメディアでの人物紹介の維持に費やし、二〇〇〇年代はじめの私の出版物、政治活動、テレビやラジオへの登場から私を思い出すかもしれないという事実を頼りにした。私の活動家としての背景が、ラゼムは一つの政党としてであっても典型的に排除されている人びと――クイアー、トランス、ゲイ、レズビアン、アーチスト、また文化的な生産者、同じく貧しい人びと――を代表できる可能性がある、ということを一定の人々が理解することを助けた。

――ラゼム加入前のあなたの政治とはどのようなものだったのか?

 私は、そこでは国家の権力が資本の権力と同じだけ批判されている急進的な左翼の一部分出身だ。私が考えるところでは、それが権威主義的な傾向に屈服しないつもりであるのならば、この急進的で反権威主義的なクイアー・フェミニストの立場が、今日のあらゆる左翼党に必要とされている。これは同時に、人権の路線とはっきりしたフェミニストの見方を課題として設定する。私は、オルタグローバリゼーション運動、また草の根のクイアーとフェミニストのネットワークで活動してきた。

制度化された人権無視への挑戦

――あなたは、今回の議会選におけるあなたの党の実績をどう評価しているか?

 私が考えるに、五月に生まれ、七月に登録された党にとって、一〇月に三%という標識(およそ五五万票)を超え、三〇〇万ユーロの国家助成の資格を得たということは、並外れた成果だ。私は、政党政治に関し疑念をおぼえた際にはどのような場合であれ常に、われわれにはこのカネが必要だ、と自身に繰り返している。あらゆる種類の右翼政党がこれらの資金を彼らの保守的な政治を強化するために利用してきた中では、進歩的な政治にもまたこの支えがほしかった。

――あなたは、ポーランドにおける左翼政党の敗北の理由は何だと考えているか?

 私は、ポーランド社会党の崩壊以後、そしてそれは一九四八年に強制的に解散させられたのだが、ポーランドでわれわれが左翼政党をもったことはなかった、と考えている。われわれは、反共産党反対派(これがどれほど逆説的に響くかを私はわかっている)、自由主義の社会民主党、そして中でも社会運動、労働組合、また学問の世界の中に、多数の社会主義者たちを抱えていた。今これらの人びとすべてはラゼムの内部に結集した。そしてうまくいけばわれわれは、新自由主義的な思想改造工作と制度化された人権無視という過去二五年を克服するだろう。

――あなたはラゼムの将来の役割をどう見ているか? ギリシャでシリザがやったように、それが一つの政権を形成する現実的チャンスはあるのだろうか?

 今回の選挙で勝利を収めた法と正義党は、キャンペーン期間中そのもっとも穏健な指導者たちを陳列した。しかしこの党は勝利後、首相と他の重要なポストに強硬派を指名した。これはその支持者を遠ざけ、政府を不安定化しかねない対立に油を注ぐ可能性がある。幾分不作法となるかもしれないが、私の同胞とこの国と私自身のためには、私は、このシナリオが現実となることを心から期待している。われわれが人気の点で現在の成長を何とか継続できるならば、われわれは最終的に多数の民衆をわれわれの背後に集めることができるだろう。

――私の理解では、ラゼムは通例のような一人の指導者をもっていない。では党の構造はどのようなものか? メディアは、すべての党を一人の個人と一体視する必要を感じている。この要求をあなたはどう扱うか?

 ラゼム党の「運営」システムは三〇人――一〇人の執行役員会と二〇人の評議会――から構成されている。これは、これまでポーランドが見てきたどの党に対しても最大規模の指導部であり、同時にもっとも平等主義的だ。党の代表や党首はまったくいない。選挙運動期間中、まさに多くの異なった「指導者たち」を公衆にさらすために、多くの都市で実際上、毎日記者会見があった。そのうえ党内には、議会選で候補者とはならなかった多くのすばらしい人々がいる。

――ラゼムの候補者選抜政策もまた、多くの注目を引きつけた。

 確かに。われわれの意識的な平等主義的なやり方とは別に、もう一つ私が誇りに思っていることは、われわれの候補者リストには男性と同じ数の女性がいたこと、そして彼女たちはあらゆる社会層から来ていた、という事実だ。そこには、小企業を経営するシングルマザー、教員、コンピュータープログラマー、労働者、学者、現場の活動家がいた。われわれのところには「専門政治家」――その唯一の専門領域が制度政治である人びと――は一人もいなかったが、それはわれわれが、この種の専門化は政治生活の質に破壊的影響を及ぼす、と信じているからだ。

選択肢は人為的分断貫く組織化

――インドでは有効性を証明できない左翼の下で、全国レベルでの新自由主義政治に対する実体ある議会のオルタナティブがまったくない。ポーランドでのシナリオはどういうものか?

 率直に言って、現代のインドについての私の知識は限られている。それゆえ私が提供できるすべては、ある種の歴史的な展望だ。ポーランドとインドに共通するものはほとんどないとはいえ、イマニュエル・ウォーラーステインが「欧州的普遍主義」と適切に名付けたもののさまざまなシステムが両国に当てはまっている。両国によって取り入れられた西側のイデオロギーの数多い側面が、この「普遍性」の諸形態として識別されるし、そしてそれが構造的に西側の経済的かつ政治的なヘゲモニーを維持している。
ポーランドとインドからの諸資源と労働力の西側による利用は実際に似かよっている。しかし重要な違いがある。すなわちポーランドは型どおりの植民地であったことは一度もなく、植民地的な侵害が、インドあるいは西側から植民地にされた他の諸国におけると同じほどの残酷な尺度で、この地で解き放たれたこともなかった。両国が準周辺と見なされ得ると思われる限りでも、両者は、規模、社会的分断、また政治的排除の諸形態で違ってもいる。

――それで、売りに出されている唯一の選挙上のオルタナティブが新自由主義政治のさまざまな色合いをもつごく僅かな相違である場合、労働者階級とマイノリティにとっての選択肢はどうなるのか?

 世界のどこであれ労働者階級と排除された者たちにとっての選択肢は、つねにただ一つ存在してきた。それは組織すること、人為的に構築された民族性、宗教的またジェンダー的違いを横断して活動すること、彼らの諸権利のために闘うこと、そして生産と再配分の新しい諸形態を築き上げ、そのことで反社会的作用の点で資本を飼い慣らすことだ。

シリザが示した可能性こそ重要


――多くの期待を高めた欧州の近年の左翼政治組織はシリザだが、ただその支持者を失望させるだけになった。ラゼムは同じ落とし穴の回避をどのようにして確実にできるか?

 言わなければならないことだが私は、左翼の何人かがグレグジット(ユーロ離脱を指す:訳者)に向けた政治的責任を受け止めることとしてシリザの失敗を理解することだけに、残念なほど安易に満足していることを本当に懸念している。私が考えるにこの満足は、ある左翼的欲求不満の悪質な症状だ。そこでは、最大の喜びが常に敗北の時点にある。
シリザは、もう一つの選挙が可能であること、もう一つの政治が可能であること、ギリシャで腐敗のない政府があり得ることを示したのだ。ギリシャは実際、欧州の基準から見てある種のカースト社会なのだ。
私は、EU内の交渉におけるヤニス・ヴァロウファキス(当時のギリシャ財務相であり、交渉のギリシャ側責任者、チプラスが最終的に屈服を決めた時解任された:訳者)の最初の諸言明を考えた時、シリザがギリシャ議会に最初に入ったとき、そして私がそこで陰の教育相で偉大な学者かつ建築家であるテアノ・フォチョウにインタビューしていたときを思い出す場合、ほほえまずにはいられない。私は、私自身と似かよった社会的・政治的背景出身の誰かがもう一つの欧州の国民の中で国家の政治を実際にやることができたということを見て、それほどに誇り高かった。私は、シリザの政治的存在がもつこうした諸側面を、他の者の失敗を見ることに含まれる安易な楽しみで自分の欲求不満を埋め合わせようとするよりも、むしろ大事にしたいと思う。
ラゼムに戻れば、われわれは現在、この国の財政赤字に悩む必要のない良好な立場にいる。われわれが抱えているのは別の問題だ。つまり、ギリシャやポーランドにおけるよりもはるかに悪い、そして実際上は一九八九年以来続く緊縮の中の民衆生活だ。ポーランドはギリシャが抱えるような国家債務危機を抱えていないとはいえ、その返済の対価は、南―西欧州がここまで経験したことがないような厳しい種類の新自由主義諸政策を採用することだった。これを背景に、東欧における貧困、不安定性、不安定就労は過去四〇年で西欧で知られているもののどれをもしのいでいる、ということを強調する必要がある。
そのことは何度も何度も言われなければならない。われわれは、勝ち残るための政治の中にはいない。勝ち残ることを欲するだけの人は、何らかのスポーツを始めたり、軍に入ったり、美人コンテストに参加すべきだ。われわれにとって政治は、対立し合う価値システムおよび多様な伝統が高度に調停された世界において、平等が賭けられている一つの領域なのだ。このような諸条件の中で政治は、一つの人気競争としてではなく、一つの活動の場、展望が常に複数あるそれとして受け止められなければならない。
国家運営の中央集権化された形態すべてを歴史のくずかごに送り込んだ新自由主義的思想改造工作の四〇年を経て、われわれはあらためて、平等な諸権利とすべての者にとっての参加する権利をもたらす目的の下に、違いを調停する一つの方法として、国家の構想を取り入れる。これは、それ自身として一つの革命的変革だが、特にポーランドにおいては、そうした諸理念を軸とした民衆的諸決起を見えるものとすることも、また一つの革命的画期となる。この国では、国家共産主義が全体主義として拒絶され、メディア、大学、さらに教会が社会主義の面影を残すものすべてを切り刻んだのだ。

穏健でも課題の達成に力尽くす


――グローバルな資本によって国民主権が一層切り下げられている――WTOのような国際貿易の諸協定や諸機関を通して――世界の中で、ラゼムのような一政党が違いを作り上げる見込みは多くあるのだろうか?

 われわれの党は、国際政策の詳細をまだ仕上げていない。しかしながらわれわれは、こうしたいわゆる「国際的貿易諸協定」に反対している。それらは事実上、企業権力の覇権の公式的受容となるのであり、民主的抵抗、また法的、政治的、環境的立脚点からの厳しい批判で迎え撃たれなければならない。われわれは特にポーランドにおいて「大資本」への課税を支持する。ここでは、いくつもの多国籍企業がわれわれの国における当然の諸税を払うことなく活動しているのだ。われわれは、責任を果たせる平等主義的な賃金システム、労働者の諸権利の保護を支持する。これらは実際上も、WTOが選択してきたすべてのものと対立している。

――いくつかの批判は、ケインズ主義的改良主義の時代は終わり、欧州にとってそこへの回帰はまったくない、と論じてきた。しかしラゼムの政治的綱領は広い意味で社会民主主義的だ。それは機能するのだろうか?

 われわれの穏健と思われている設定課題は、これまで実現を見た――私はここで、西側が労働者の諸権利を保護し、合理的な支払い、また社会保険と健康保険を提供できた、三〇年、おそらくは五〇年という短期間を考えている――ものの中ではもっとも急進的で平等主義的選択肢だ。この党に加入するという私の選択は、もっとはるかに急進的で平等主義的な政治綱領に対する私の確固とした信念を排除するものではない。しかしながら私は、左翼の私の数多い同僚とは異なって、長続きする活力を信じてはいない。私には、諸理念によってだけではなく現実の政治的諸実践によっても世界を変えるために、高々二、三〇年しかない。そしてこの穏健な設定課題が達成され得るのであれば、またいくつかのものごとが変革可能であるとラゼムによって私が信じるとすれば、私はそこに参加し、そこに私の活動のいくつかを投じたい。

国際主義は単純な問題ではない


――あなたは、民族主義的枠組み内部で左翼は一つの政治運動として自身を維持できると考えているか、あるいはそれは国際的であることを必要としているか?

 私は、これは左翼に関して語る極めて人為的なやり方だ、と考える。そしてわれわれは、分析のためのもっと複雑なツールを見つけ出さなければならない。どのような左翼も、たとえそれが世界でもっとも国際的であろうとしているとしても、当該地域の諸関係内に埋め込まれた参加者を抱えている。民族主義の枠組みは左翼の枠組みではない。それはファシストのものであり、その考えは左翼の政策から永久に取り除かれなければならない、と私は考える。
しかしながらわれわれは諸々の国民国家の中で暮らしている。われわれはさまざまな言語を話す。われわれの諸国家は、経済的地位、権力の利用可能性、安定性、人権を支持する制度的な諸ツールの点で異なっている。われわれは、われわれがどこを出身地としているかを忘れることなく、その中で一つの国際的な処理方策を目標としなければならないのだ。
われわれはわれわれの特権を捨てなければならない。その中で、遠く離れたどこか別のある政府に対してだけではなく、同時にわれわれの現地の政府に対しても圧力を行使できなければならない。われわれは、以下のような虐待が起きたことのある他の諸国家の市民に対して、われわれ自身の国家諸機関によってなされたその虐待に対し、極めて強い責任感覚を忘れないでおく必要がある。もちろんわれわれは、われわれを攻撃し搾取するあらゆる権力を説明責任を果たせる状態にしておかなければならない。しかしそのどれであっても、民族主義的枠組みの下で行われてはならない。
これは、ウクライナにおいてはゲイの権利を支持することが十分でないために特に重要だ。つまり人は同時に、何世紀にもわたるウクライナの民衆と資源のポーランドによる酷使に取り組まなければならないのだ。われわれは、民族主義を掘り崩そうとし、それでも抑圧された民族的諸グループという状態から人びとが自律性を享受できるようにしようとしながら、地域的であると同時に国際的である必要がある。これらはすべてともに、単純な問題ではない。

――あなたは、もっと多くの作家や芸術家や学者が政治に関与すべきと勧めるつもりか?

 私は、シングルマザーやまた失業者や退職者がもっと関与するようになることを望んでいる。さらに作家もまた、そしてもっと平等主義の世界に向けて力を貸したいと思っている人のすべても。私は、特定の専門家やグループとの人為的な連帯を押し進めることに利点はまったくないと理解している。

――インドの読者に向けて、最後に何か言葉があるか?

 ポーランドのようなインドから遠い一国の少数派左翼の政治への関心にお礼を言いたい。私は、われわれの経験のいくつかを分かち合う可能性、そしてうまくいけば未来のあなた方の国の左翼と似た接触を作ろうと試みる可能性に刺激を受けている。これは連帯を実践する多くの方法の一つであり、この機会を本当にありがたく思っている。(二〇一五年一一月二五日)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一月号) 
トロイカとはIMF、EU、ECBのこと。(編集部)


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