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    かけはし2016.年2月8日号

「女性の権利」語る反移民ノー


ドイツ

ケルンでの女性襲撃と女性運動

差別された者たちの連帯
で右翼の事件利用に対抗

アンゲラ・クライン


 昨年夏以来欧州に押し寄せる中東からの難民を一手に引き受けてきた観のあるドイツでは、歓迎と排斥の動きがぶつかり合い、メルケル政権の難民政策にも次第に抑制の色彩が濃くなろうとしている。この中で大晦日から新年にかけケルンで、大勢の女性たちが多数の男たちから集団で襲撃されるという事件が起こった。襲った者たちの多くが外国人だったと報じられ、この事件を好機とするかのように、ドイツでは難民排斥を扇動する右翼の動きがさらに高まっている。衝撃的事件だが、この事件はどういうものだったか、その後の経過、特に女性たちの動きについて、速報を以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

配備された警官
の前で事件発生


一二月三一日から一月一日にかけて、ケルンの街には女性に対する大襲撃という光景が出現した。これらの攻撃は新たな質を示している。似たようなしかしそれよりも規模の小さな襲撃が、ハンブルクやシュツットガルトでも起きた。
警察によれば、午後一〇時から翌日の午前五時の間に、ケルン駅前広場で、一〇〇〇人にものぼる男たちが女性たちを襲っていた。女性たちは男のグループに取り囲まれ、侮辱を受け、性的なハラスメントを受け、盗みを働かれた。襲われた一人の女性は、「体の穴すべてに伸びた指」について語った。もう一人の女性のストッキングとスリップは引き裂かれた。また一人の女性は、約三〇人の男たちが彼女を取り囲み、彼女を「売春婦」と呼び、胸と尻と股間を触った、と語った。パニックと金切り声――そして一件のレイプ――の報告があった。
駅前の雰囲気は攻撃的なものとなっていた、と報告されている。これは部分的に、夜が更けるにつれ人々が、一部は他の人々に危害を加えることも狙って、面白半分で辺り中に花火を投げつけていた、という事実を理由としていたという可能性も考えられる。
当地の警察は一四三人の警官を配置、連邦警察は駅内部に七〇人を配置していた。しかし彼らはその状況に対処できなかった。警察の内部報告によれば、そしてそれはメディアの利益として作用することをいつの間にか許していたのだが、警察は七一人の男について個人データを入手し、一一人の男を拘留、三二人の個人を告発した。その報告によれば、これら個人の圧倒的部分は、移民難民連邦事務所の登録カードを示すだけで彼らのアイデンティティを証明することができた。
起訴された三二人の男の中には――同報告によれば――、アルジェリア人一〇人、モロッコ人一〇人、シリア人四人、イラン人五人、イラク人一人、セルビア人一人、米国市民一人がいた。そして二二人は難民申請者だ。その間に六〇〇人以上の人々が、その四〇から五〇%はセクシャルハラスメントで、残りは主に盗みで起訴された。その両者の犯罪は多くの場合同時に行われた。
警察は、午後一一時三五分に群集を広場から追い払った。しかし彼らは状況を統制してはおらず、何百人という男たちが女性たちを追い回すことを阻止できなかった。したがって警察の指揮は大々的に攻撃され、ケルン警察本部長は辞任せざるを得なかった。

明確にすべき
警察の問題点


特に、三点が提起されなければならない。
1)広場に若い男の暴徒たちがいることを、警察はすでに午後九時三〇分には知っていたのではないのか? 警戒態勢はまったく取られなかった。ケルン警察本部とノルトライン・ウェストファーレン連邦州内務相は、この失態に対して互いに避難し合っている。
2)このできごとの後警察は、新年前夜祭で本当に起きたことを隠そうと試みた。
3)警察の対応は、それがたとえあったとしても、何よりもまず窃盗行為に対するものだった。女性たちは、セクシャルハラスメント事件では警察は単に「監視」するだけだった、と報告した。群集の中でセクシャルハラスメントを受けた婦人警官でさえ、彼女たちの仲間の警官から助けを得ることはまったくなかったのだ。これは、セクシャルハラスメントに対する警察と司法の一般的姿勢と合致している。セクシャルハラスメントはドイツにおいて今なお、刑法による処罰に当たらない「微罪」と見られているのだ。この問題は、女性グループによる批判の中心にある。

女性たちの反撃
は難民排斥へも

 政治的左翼はまず第一番に、難民政策のさらなる改悪に向けたこのできごとの道具化に抗議することで応じた。実際その改悪は、右翼のAfD(ドイツのための選択肢、二〇一三年創立、EU議会といくつかの州議会に議員を確保している右翼ポピュリズム政党、二〇一五年七月に分裂後、極右化傾向を強めている:訳者)とペギーダ(西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人)の目標となっている。この対抗はもちろん正しいが、しかし左翼が分かったこととして、ここ何年も(すでに移民の実際の波が起きる以前から!)ドイツのいくつかの都市では北アフリカのならず者たちが活動している、ということを分からせることは難しい。
この問題は警察の内部報告(カサブランカレポート)で示唆されてきた。そしてそれは徐々に公衆にも知られることになった。われわれはまだ、それに関しどう考えるべきかを固めていない。しかしながら、この問題でドイツが一つの例外としてとどまり得る、と考えるとすればそれは非現実的となるだろう。北アフリカ諸社会の希望のなさがドイツの都市の街頭に影響を及ぼすことはあり得ない、などということがなぜあろうか?
われわれは、これらの行為に対する非難を、それらを文化的なアイデンティティと結び付けることなく行うことを学ばなければならないだろう。ある人びとはその結びつけをやっているが、その主な目的こそ排除なのだ。
われわれはこれらの人びとに反対して、「女性に対する文明化されたふるまい」という飾りの上塗りなど極めつけの薄さだ、とはっきり言わなければならない。女性たちが無制限のセクシャルハラスメントの犠牲者であった時代は、はるか昔に遡るわけではないのだ。家父長的なふるまいを後景に押しやったのは、新しい女性たちの運動だった。しかし極右的反動の高まりとともに、それは再び広がることも可能なのだ。
それゆえに勇気を与えることだが、多くの女性たちはこの新年前夜祭の後、告発に向け準備を整えた。そして多くの女性グループと団体は、刑法の下でのそれらの処罰を求めて、セクシャルハラスメントを小さなことのように見せることを批判し、また何よりも彼女たちは――ほとんど満場一致的に――、女性の権利という名目で外国人嫌悪を扇動し、難民法を改悪しようとのたくらみを、すべて強く批判している。
このできごとの一週間後、女性の一つの示威行動がケルンで反ペギーダ抗議行動に合流した。シリアの移民たちは翌週末(一月一六日)に向けて、襲撃を受けた女性たちに連帯する示威行動を呼びかけている。これらは、住民の中でのもっとも差別された者たちの間での連帯に対する励ましとなる事例だ。

▼筆者は、第四インターナショナルドイツ支部内公式二分派中の一つであるISL(国際主義社会主義左翼)メンバー(もう一つの分派は革命的社会主義者同盟、RSB)であるとともに、月刊紙「ソツィアリスティッシェ・ツァイトゥング」編集者。またドイツにおける欧州マーチネットワークでも活動している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一月号)  

中 東

ISとは
支配システムの危機の象徴
既成体制との連携は袋小路

ジュリアン・サリンゲ


 ダーイシュ? その名前はここ何ヵ月間か、特にパリでの攻撃以来、だれもの口にのぼってきた……。
 そのイスラム国は、八〇〇万人から一〇〇〇万人の人口をもつ英国よりも大きな地域を支配している。そしてここ何カ月か、ベイルートからチュニジアやトルコを挟んでシャルム・エルシェイク(シナイ半島にあるエジプトの観光地)まで、その境界の外に攻撃を引き上げてきた。それは、「専門家」による議論や諸論評の、しかしまた噂やファンタジーにとっても、尽きることのない水源となった。「絶対的なバーバリズム」の混じりけのない具現化、米国の「創造物」、アラブ諸社会の「愚鈍な」特性の一表現……、しかしそれは正確にはどういうものなのか?

破壊されたイラ
クをゆりかごに
ダーイシュの発展は、イスラムに関する特別に反動的な解釈やイスラムへの専念をイデオロギー的に唱導することの、単なる拡張と理解されてはならない。イスラム原理主義は、そのもっとも暴力的で逆行的な諸変形を含めて、ここ二、三年で生まれたわけではない。それを理解する上では、アラビア半島をじっと見つめるだけで十分だ。そこではサウジアラビアと湾岸の諸首長国が何十年間も、イスラム原理主義をその対内対外政策の道具としてきた。
ダーイシュの発展を理解することは、この地域に作用している諸々の変化を観察し、ダーイシュの発展を可能とした物質的諸条件を考慮に入れる、ということを意味する。
そして考えるべき最初のものごとの一つは、もちろん、軍事的遠征であろうが地域の権威主義的体制に西側諸国が与えた絶え間ない支援であろうがどちらであれ、アラブ諸国への外国からの介入がもたらした衝撃力だ。ちなみに地域の権威主義的な諸体制は、あらゆる進歩的な反対派を体系的に除去し、直接にであれ間接的にであれ、原理主義者の挑戦に力を貸してきた。
このような構図においてはイラクの破壊が、ダーイシュの誕生がシリアやサウジアラビアでではなく、軍事的介入によって荒廃の極みに置かれた一国の破滅の上に起きたものとして、ダーイシュの発展を説明する核心的要素の一つだ。その後ダーイシュになることになるものの最初の細胞が二〇〇〇年代半ばに形成されたのは、事実として、米国が管理する牢獄の内部であり、また外国軍あるいは彼らのイラク人シーア派補助部隊に攻撃されたスンニの町や村々においてだ。
こうしてわれわれは、イスラム国がいくつかのイラクの州をすばやく支配下に収めた二〇一四年夏、ダーイシュの政治・軍事機構内部にサダム・フセインの元将校たちが重みをもって存在していることを「発見」した。そこには、軍事作戦指導部内のアブ・アブドゥ・ラーマン・アルビダウィから、アンバール州「知事」に指名されたアブ・アーメド・アルアルワニ、シリアのデイル・エルゾル州「知事」に指名されたサダム・アルジャマルまでがいる。

地域支配の破綻
に斬新性を誇示
この相当に重みのある存在感が指し示すものは、ダーイシュの背後にある推進力が宗教的急進化だけではなく、西側とその地域内連携者が強要する諸政策に反対しようとの熱望であることだ。スンニ(サダム・フセイン下では有力だった)の周辺化という政策、あらゆる紛争に対する流血をものともしない弾圧、さらにイランとの連携を通して二〇〇四年に打ち立てられた親西側政権は、ダーイシュの言説と諸行為を正統なものとする上で道具として機能した。こうして、いくつかのスンニ地域は、イスラム国を解放者として歓迎すらした。
それゆえ、ダーイシュの主張と構想の心臓部にあるものは宗教的イデオロギーだとはいえ、それは実際には事実として他の社会的、政治的、経済的な諸要素と重なり合っている。イスラム国の発展は、二〇一〇年から二〇一一年に広がった諸々の蜂起を証拠とするように、この地域における支配の危機の表現であり、静穏と安定を回復する点における現存体制およびそれらの帝国主義的後援者の無能力を表現するものなのだ。こうしてダーイシュは二重的破綻を嵩上げすることになった。ちなみに二重的破綻とは、反革命とぶつかったアラブの諸蜂起の破綻、しかし同時に諸体制と政治的イスラム両者の、制度的反革命諸勢力の破綻だ。
こうした理由からわれわれが見落としてはならないことは、イスラム国がその吸引力の一部を、植民地ぶんどり合いを起源とした諸々の境界と政治行政中心地の拒絶、および地域における帝国主義的覇権に異議を突き付けない「独立」の拒絶の中に見出している、ということだ。こうして二〇一〇年から二〇一一年の諸蜂起の敗北によって挫折感を抱いた何万人という若者たちにとってイスラム国は、またイスラム国が支配における最悪の現場形態(反動的イデオロギーと権威主義的諸実践)を導入したとしても、何十年間も凍り付いた地域システムにおける「新生事物」として表れている。

流れに抗して
泳ぐとしても
ダーイシュは今、実質のあるまた相当な戦利品を誇っている。その年間財政は、二五億ドルから三〇億ドルと見積もられている。徴税、貿易業者からの巻き上げ、人質確保、人身売買……、これらすべてがイスラム国にとっての資金源であり、またイスラム国には、最小のコストで保障された利権料を提供する石油資源がある。それでも、いくつかのファンタジーとは逆に、その石油は基本的にイスラム国が支配する領域内部で販売されている。すなわち、日々の必要(ガソリン、煮炊き用燃料、その他)のためにダーイシュの密輸業者や彼らの仲介者と取引することを迫られた人びとに対する、ある種の牢獄内市場がある。
イスラム国はその上に、サウジアラビアや諸首長国の名士たちや非公式グループからの多かれ少なかれ目立たない支援から、利益を引き出し続けてもいる。この支援者たちは、イスラム国の拡張をライバルであるイラン人(シーア)に対抗する一つの方法と見ているのだ。これは、この地域の民衆が直面するもう一つの悲劇だ。つまり、帝国主義諸国がダーイシュを終わりにしたいと主張しようとも、彼らの地域同盟者たちは、それを打ち破るべき敵と考えることからは遠く離れているのだ。
イスラム国から攻撃されたクルド諸勢力を見て大喜びしたエルドアンのトルコから、そのイデオロギーがダーイシュのそれに近い湾岸諸国、そして敵対的なスンニ地域を再攻略することにほとんど利点を見ていないシーア派が支配するイラクまで、この地域の諸権力は事実上、イスラム国の利益になるようなことをし続けている。
それゆえわれわれは、あらゆる図式的な見方を拒否しなければならない。つまり、この地域の民衆に対する一つの敵であるダーイシュは、西側諸国とそれらの地域的同盟者に奉仕している支配システムが破綻していることの表現、ということだ。ダーイシュに対する確固とした反対においては、その発展に果たした社会的・歴史的諸条件を無視してはならない。この地域の権威主義的体制と連携し、軍事的混沌を永続させることは、イスラム国にサービスすることに等しい。そうであれば、それが流れに抗して泳ぐことを意味するとしても、ダーイシュおよび権威主義諸体制に対決して闘っているグループと民衆を支援する政策のみが、間違いなく暗い地域の空の中に、かすかな明かりを見えるものにできるのだ。

▼筆者は反資本主義新党(フランスNPA)、並びに第四インターナショナルのメンバー。政治学研究者であり、パレスチナに関するいくつかの著作がある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一月号) 


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