もどる

    かけはし2016.年2月22日号

残業代ゼロ 絶対に葬る


2.10 雇用共同アクション国会前行動スタート

政府は労働規制強化に舵を切れ



反転攻勢を
強めよう!
 二月一〇日、雇用共同アクションが、安倍政権が狙う労働の規制解体に対する総反攻に向け、衆院第二議員会館前で二〇一六年の国会前行動をスタートさせ、全労連の野村幸裕副議長、全労協の中岡基明事務局長を皮切りに、結集したさまざまな労働団体が、労働の規制強化を求める攻勢的な運動を強めようと訴えた。
 「安倍政権の雇用破壊に反対する共同アクション(雇用共同アクション)」は、安倍第二次政権がその発足以来全体重をかけて進めようとしている労働の規制解体策動に労働運動の幅広い共同の力で立ちふさがり押し返すべく、二〇一三年一〇月に結成された。全労連、全労協、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)、全国港湾、純中立労組懇など、多様な労働団体が結集、以来、労政審への抗議要請行動、派遣法改悪阻止をめざす国会前行動などを精力的に繰り広げ、日本労働弁護団などが呼びかけたより幅広い社会的共同へも積極的に参加しそれを支える役割を果たす中で、政権の攻撃を相当程度遅らせることに貢献してきた。
 昨年九月、派遣法改悪案は残念ながら自公と一部野党により採択を強行されてしまったが、雇用共同アクションもその重要な一部をになった労働者の抵抗は、派遣労働者当事者の決起をも登場させつつ、派遣法改悪のあくどさを社会に広く明らかにし、その改悪を政権が思い描いたとおりにはさせなかったことをも含め、今後の闘いに一つの足掛かりを残した。

派遣労働の
抜本規制へ
この闘いを引き継ぎ、派遣労働抜本規制をあらためてめざすことを含め、安倍政権の労働規制解体策動を無に帰させる闘いを力強く展開することが求められている。現実に対決は具体的に迫っている。
第一は、今通常国会にすでに提案されている労働基準法改悪案、いわゆる残業代ゼロ法案を絶対につぶす闘いだ。この改悪は、単に残業代をゼロにするというものではなく、残業という概念そのものを消すもの、高度プロフェッショナル制度といううたい文句を通して、一部労働者の労働時間規制除外を狙うものであり、そこでは労働者のいのちも生活時間もかえりみられない。このようなことは一部の労働者だから許されるという性質のものではまったくなく、労働者の尊厳に真っ向から敵対するこのような改悪はまさに絶対に許すわけにはいかない。
そしてその後には解雇自由化策動が控えている。雇用主の勝手な都合による不当解雇であっても、一定のカネさえ払えば職場から労働者を追い出すことを可能にしようという策動であり、何と労働者のためになどと理屈づけられているが、これが労働者の権利の全面的な破壊につながることはあまりに明らかだ。この悪辣なもくろみの導入に向けて厚労省ではすでに研究会が進んでいる。

安倍政権打倒
の一翼担って
二月一〇日の行動は、これらと敢然と対決し、それを押しつぶす闘いをさらに強力に展開する出発点として設定された。この闘いが、総がかりで推進されている安倍打倒闘争に力を添えるものであることも明らかだ。
マスメディアでは、参院選を前にした今国会では労働基準法改悪案審議は先送りされる、との観測が流されている。今回の行動ではこのことを念頭に、しかし政権がその実現に執着していることは明確であり、そうであるからこそ、過労死の蔓延や残業代不払いを含めためちゃめちゃな長時間労働の現実に対置して、八時間労働制の遵守やインターバル規制など、厳格な時間規制を労働者の側から今こそ攻勢的に争点化し、「人らしく暮らせる社会への転換」を社会的な声にするために労働者の行動を見える形で突き出そう、その中で労働基準法改悪を不可能にさせる運動を作り上げよう、と次々に訴えられた。 雇用共同アクションはこの全体的な確認の下で、月一回の国会前行動を計画、次回は三月二三日午後一二時一五分開始と呼びかけられた。
労働者の尊厳が著しく破壊されている現実に対して、社会的な反攻が切実に必要とされている。その反攻に向けいくつかの労働組合が呼びかけて最賃引き上げキャンペーンも準備されている。雇用共同アクションの諸行動をそれらと連携する先の社会的反攻へと発展させるために、ともに力を尽くそう。(神谷) 

1.31

いわき放射能市民測定室(たらちね)

今中哲二さん講演会開催

初期被曝評価をめぐって

 【いわき】一月三一日、今中哲二講演会が九八人が参加し、いわき市平のティーワンビルで行われた。講演会はいわき放射能市民測定室(たらちね)が今中さんに依頼した、いわき市民の初期被曝量の評価事業に関する事前講習として、当初「たらちね」の理事を対象に企画されたが、知人友人の反響が大きく対象を拡大して開催された。
 講演のテーマは五年前に起きたこと、飯舘村での初期被曝評価プロジェクト(今中さんもメンバーの一員として参加)の結果と宿題、いわき市での初期被曝評価について、の三点をテーマとして行われた。

5年前に何が
起きたのか?
五年前に起きたこと(福島原発事故)について、外部電源が失われることはよくあることだ、非常用発電機をタービン建屋下に置いたため取返しのつかないことになった。原発が危険なもの、という認識が普段からあればこんなことはしない。福島原発事故は人災だ、と東電の原発への認識の誤りを鋭く批判した。
飯舘村初期被曝調査プロジェクトについては、最初に、調査に携わる過程について話し、その時の心境について、「三月一五日に行われた菅首相と枝野官房長官の記者会見を聴き福島原発事故がついにチェルノブイリになってしまったと確信した」とした。そして飯舘村で高線量が続いた原因を、三月一五日の夜に放射能の雲(放射性プルーム)と雨、雪が重なったこととしまた、日本の放射能汚染状況について東京都から岩手県まで本州のかなりの部分で無視できないレベルのセシウム一三七の汚染が生じた。日本も放射能汚染と向き合う時代になったと評価し、放射能との向き合い方については余計な被曝をしないことに越したことはない。
いわき、福島、東京でも暮らすことで生じる被曝は避けられないのが現実。責任は東京電力、政府にある、嫌だという権利はあるがその中で生活しなければならないのが現実。専門家の役割は被曝、のリスクについて出来るだけ正確な情報を出すこと。最終的な判断はそれぞれが出すこと、それが私(今中)のスタンスとした。

飯舘村調査事
業について
次に飯舘村調査事業を始める時の状況について。
情報を待っていたが出てこなかった。原子力災害措置法はJCO事故を教訓としできたが当時の役人の発言から(これからはオフサイトセンターを作って情報を管理する)原子力災害の情報管理はJSO事故が契機となったことを示唆した。
そして最初に飯舘村に入った時の状況について最初に測った時30μ(マイクロ)でここは特殊と思ったが何処も同じだった。通常は20μを超えることは放射線管理区域作業者以外の立ち入りが禁止される区域。三月二九日長泥のサンプリングから三月一五日の夜を推定すると150μになり114号の赤宇木(あこうぎ)も測定したが三倍あった。村の住人によると、事故直後「白装束の人が来たが数字は教えなかった」。オフサイトセンターの職員も避難指示を知らなかったようだ。
日本の放射線防護マニュアルは良くできているが、どうやら、福島の原子炉と期を同じくして日本の原子力防災システムもメルトダウンしていたようだ、と日本の放射線防護の状態を鋭く指弾。日本の放射線防護システムが機能していたら飯館村の被曝は避けられた、と指摘した。
帰還の強制が進む中でどう判断するかについては飯館村の線量の低減予測を示しながら、帰還の判断は五〇年から一〇〇年先の状態を見込みながら、とした。続いて土の中のストロンチウムを測ることについて土の中のストロンチウムを測るのはかなりのスキルが必要。「たらちね」の天野さんが測ったストロンチウムについては誰も文句を言えない。「たらちね」の技術スタッフ天野さんの技術の確かさを紹介した後、テーマをチェルノブイリとの比較に移し、福島とチェルノブイリは事故の起き方が違う。チェルノブイリは核分裂のコントロールを失敗し核燃料そのものが吹っ飛んだ。キエフはストロンチウム、プルトニウムも注意必要、飯舘は大気中を飛んだストロンチウム、プルトニウムはチェルノブイリに比べて圧倒的に少ない。福島は問題なのは海、それは全く別の問題。原子炉に溜まった濃い汚染水がそのまま出た。その後漏れた汚染水にはストロンチウムの方がセシウムよりも多い、海は注意しなければならない。事故のプロセスの違い」が汚染に現れている。として福島の海の汚染に対して注意を呼びかけた。

初期被曝評価
プロジェクト
続いて被曝調査ができた事情について、プロジェクトは環境省からの委託研究として実施され、当時は民主党政権だったからできたとした。
次に話は調査がどう行われたかに移り、積算線量率を算出する過程を、最初に一日屋外にいた場合の積算線量率を、アメリカのNSAが公表していた生のサーベイデータ(今中さんの報告によるとNSAのサーベイは事故直後本土から横須賀に飛び立った約三〇人の専用スタッフにより三月一六日からヘリで行われた)と共に人口六〇〇〇人、一七〇〇〜一八〇〇の全戸を巡回調査し全戸の汚染マップを制作、そして得られた結果について六月三〇日一二時―一〇七日後、に避難したとして積算線量率32・6mSvとした(一日中屋外にいた場合)。
初期被曝を事故が起きてから避難するまでの被曝量と説明し、実際の被曝量を推定するために、生活時間の推定(屋内と屋外の生活割合)を目的に行動パターンの聞き取り調査(福島駅前に事務所を開設)を実施し、得られた結果から一八一二人の被曝量を平均七ミリ、県民健康調量の約二倍(県民健康調査3・6プロジェクト7・0)とした。
そして飯館村の人たちはいったん避難したがまた戻った。その原因について避難生活の疲れと山下講演(そろそろ企業が操業を再開するから戻った方が良い)等を挙げた。
また集団被ばく線量を計算し(42・7mSv将来二〜一七人がガンで死亡することが予測される)として研究結果を発表しようとしたが、官僚がリスクコミュニケーションの障害になると妨害し(一〇〇ミリ以下では影響は観察されないこととなっていると主張、学者名は教えなかった)不当にも論文は今中の個人的意見として扱われた事を報告した。
飯舘村でもし今還ったとしても年間5mSv未満(帰還困難区域は戻らないだろうから)、もしリスクがないのが本当なら何故飯館で除染するのか? と除染と一〇〇ミリ以下安全説の不整合を喝破した。最後に今後の課題として内部被曝を挙げた。そして内部被曝調査の困難性の要因を「原子力防災システムがメルトダウンしてしまっている」として、「原子力事故が発生し放射能が出た場合子供の甲状腺被曝が問題になることは常識だが、計測されていない。原子力委員会が発したヨウ素被曝に対する警告に慌てて計測したが一〇〇〇人で打ち切り、弘前大学の教員による計測を、住民の不安を煽るとの理由で止めさせた、とデータがない事態が生れたと鋭く批判した。そして今後のいわき市民の初期被曝線量評価の進め方として、既存のデータ(事故直後モニタリング結果、甲状腺スクーリング結果、大気拡散シミレーション結果)の精査等を挙げ、結果を、ヨウ素の被曝線量を下限値と上限を提示することを発表した。
最後に高浜原発の再稼働に触れながら、子どもの頃貧乏だったがそんなに悪い時代ではなかった。一九七〇年代で居・職・住・は足りる状態になった。原子力を止めるのに今が良い時期、と原発活用政策からの脱却を提言した。(浜中)


もどる

Back