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    かけはし2016.年2月29日号

新しいもうひとつの空間が必要


フランス

党と大衆運動をどう考えるかA

オリビエ・ブザンスノーへのインタビュー

社会的爆発は想像を超えた形に


――フランスにおける緊縮政策に反対する広範な運動の可能性を考える時、現在の大きな問題の一つは、労働組合が弱く、方向性を失くしており、新自由主義に対する持続的な抵抗を起こすことができないことです。大きなナショナルセンターの中ではCFDTだけが一貫した政策を持っているように見えます。CFDTの場合には主に自由化の条件をめぐって経営団体や政府と交渉するという政策です。
 この文脈の中で、私は(一五年)四月九日にCFDTの戦略に反対するいくつかの労働組合によって組織されたデモが非常に印象的でした。その中心はフランス最大のナショナルセンターで、伝統的に共産党や左翼と連携していました。四〇万人の組合員がパリを行進し、CGTの組合員が目立っていました。しかし、それは政府に対して全く影響を及ぼさなかったようです。これは何かもっと大きな力学のようなものを反映しているのでしょうか? それは人々の怒りの集団的表現、たとえばストライキと、左翼が新自由主義の波を止めることができないことの間の大きなギャップのようなものを示しているのでしょうか?

 私の考えでは、フランスで現在欠けているのは、形態(ストライキ、デモ、占拠等)の問題を超えて、社会的問題が政治の前面に浮上するということです。フランスでは時にはデモがあり、大衆動員があり、時には勝利することさえあります。しかし、それらはあまりにも演出されていて、あまりにも古典的です。けなすつもりではありませんが、このゲームはあまりにも多くのことがあらかじめ決まっていて、ローカルな運動や個別分野における闘争はもちろん非常に現実的ですが、全体化できず、統一できません。
このような状況の中で、組合が全国的なデモや一日ゼネストを呼びかけるだけでは不十分です。そのように単に闘争の形態を変えるだけでは私たちが直面している攻撃の深刻さに対する効果的な反撃とはなりません。問題はフランス・ブルジョアジーとの力関係をはるかに超えています。なぜなら、ギリシャにおける何日にもわたるゼネストの成功でさえ政府を打倒し、緊縮政策の撤回を強制するには十分でなかったからです(ポルトガルでは九月にそれが実現しましたが)。
必要なものは、社会的対立をこのような狭い水路を超えて押し上げるような社会的爆発です。現在のヨーロッパで、そのような社会的爆発の不在は顕著です。しかしそれはいつかは、何らかの形で表れるでしょう。それは大衆運動がそのように運命づけられているからではなく、そのような運動に油を注ぐために必要なすべての要素がすでに存在しているからです。私たちの仕事は、こうした条件の中で起こる爆発に備え、将来の対決に間に合っていることです。
その意味で私たちは一つの問題に直面しています。現在、私たちが行っているあらゆることの中で、私たちは以前よりも伝統的、反復的になっています。私たちは時代遅れで、効果のない戦略に、これまで以上に固くしがみついています。それは私たちを、これからやってくる闘争に向けてより無防備にしています。それにもかかわらず、労働者が抑圧されればされるほど、弾圧されればされるほど、すべてのことが平穏に見えれば見えるほど、ついには発生する爆発は一層大きなものになるでしょうし、実際に爆発が発生する時、一層多くのものが、あらゆる方向にあふれ出すでしょう。
実際、この爆発は私たちが想像したこともない形態を取る可能性があります。一〇月にはエールフランスの労働者が数千人の人員削減に抗議して同社の中央労働評議会に侵入したというニュースが世界を駆け巡りました。その日以降、二人の人事担当役員がシャツを破られた姿で社屋から逃げ出す映像が人々の印象に残り、状況が依然として非常に不安定であることを想起させました。

社会的動員の条件はすでにある

――あなたは政治活動家であると同時に、職場つまり郵便局の活動家です。あなたから見て、郵便労働者の運動において、たとえば二〇一〇年の運動の敗北の後、戦闘性が後退していますか?

 いいえ。郵便局では多くの大衆動員があり、多くのローカルなストライキさえあります。小さな行動から大規模な行動まで、さまざまなストライキがあります。その基礎には職場における強力な団結があります――全国的な運動にはなっていませんが。しかし、私にとっては、郵便局におけるこのような闘いの重要性はそれが労働者自身の隊列を超えて、より広範な大衆のさまざまな層を引き付ける社会運動になっていく可能性があるという点にあります。
私は、私たちがフランスで試しているあらゆる手段の中で、一つの課題は経験についての学習を発展させることだと思います。スペインでやっているように、平和のためのデモ、環境問題でのデモ、教育や医療の分野での大きな運動、つまり非常に強力な分野ごとの運動や住宅問題をめぐる運動などについてです。
フランスでは、たとえばエールフランスでの闘争は広範な社会的・政治的関心から隔絶されているわけではありません。注目すべきことに、一九八八年と一九九三年にもそこでの闘争は広範な大衆運動の予兆でした。支配階級もそのことを覚えています。だから彼らは中央労働評議会に侵入した労働者に怯え、弾圧したのです。特に、労働者のリーダーが自分たちの傘下の労働者によって正体を暴露されるということは政治的に耐えがたいことです。
医療の分野でもそのようなことが起きる可能性は排除できません。今、パリの病院で何が起こっているかを考えるとなおさらです。実際、多くの分野で労働者と一般大衆と結集する社会的な動員の条件はすでに存在しています。
エコロジーの問題でも大規模な動員が起こっています。たとえば、(一五年)一二月のパリでの気候変動問題のサミットに関連で組織されている運動の影響を予想することができます。しかし、現在の時点で、ラディカル性と統一性、そして新しい要素と古い要素を結合する能力の点で、最も進んだ闘争は大規模開発プロジェクトによって点火された闘争です。ノートルダムの空港建設に抵抗する運動、シヴァンスでのダム建設反対の運動(この中でデモに参加していた活動家のレミ・フレスが警察官によって殺されました)、あるいはピカルディにハイテクの大規模な酪農場を建設するという計画に対して農民団体が始めた運動があります。
今ではフランスで政治的な集まりに行くと、誰もがそれらの闘争について話しています。私は最近グルノーブルに行きました。そこでは市中心部に新しい公園を建設するという計画に反対する運動が起こっており、私たちはそこで左翼リバタリアン(自由主義)の活動家たちと知り合いました。その結果、この人たちは初めてラディカルな組織の政治集会に参加し、運動の展望について私たちと議論しました。
これを見ると、この世代が政治的にどれほど多様であるかを感じることができるでしょう。あらゆることと、その正反対のことが少しずつ混ざっている世代です。同時に、それは若い活動家たちが、ひとたび闘いが爆発した時には、大きなテーマ、大きな闘争、新しい形態の動員を受け入れる用意があることを示しています。いずれにしても、私たちは多くの打撃を受けてきたので……。

政治的限定性を超える大構想を

――同時に、左翼が一七年の大統領選挙で何をするのかということがすでにホットな論争になっています。この問題はこれまでの大きな問題でしたし、今度もそうなるでしょう。前回の左翼戦線の大統領候補のジャン・リュック・メランションが再び立候補するのは確かでしょう。私は統一の呼びかけが広範に行われるかどうかがわかりません。特に極右の脅威が増大している中でです。

 それは次の選挙――(一六年)一二月の地方選挙でも、一七年の大統領選挙でも問題となるでしょう。しかし、問題は状況が誰にとっても閉塞的であるということです。たとえば、ある人はポデモスがフランスのラディカル左翼に及ぼす効果を想像していたかも知れないし、地方選挙にもそのような期待があるかも知れません。多くの理由から、それはどこへもたどり着きませんでした。
逆に左翼戦線の候補者リストを見ると、統一候補を発表するときいつも、第一回投票では政権党(つまり、社会党)と対立する形で示されます。しかし、その後には政権党と協力することになり、結局は地方選挙では社会党と共同の候補リストで闘うことになります。私たちにとってはそこが本当に問われる問題です。左翼が社会党へのアプローチの方法について慎重であろうと努力していると仮定してもです。
私たちの事情について言えば、NPAは草の根の戦闘性を基盤として活動しており、私たちの集会に参加する人は少し増えていますが、独自で候補者リストを用意する資金がありません。
同志たちの一部は、他の左翼から孤立した方がよいと考えているのではないかと思えます。彼ら・彼女らはこれまでの統一のための努力の失敗の繰り返しに少し飽き飽きしています。それが非常に時間とエネルギーを要する努力だからです。一方、LO(労働者の力)(『ジャコバン』誌による注記。相対的に大きく、よく組織された正統派トロツキスト・グループで、他の左翼からは厳格なセクト主義、教条主義という評価を受けている)は統一について語ろうともしません。
社会運動について言えば、まだそれを代表して新しいタイプの政治闘争を開始する用意があるアクターが存在しません。潜在的には存在するかもしれません。それが姿を現し、大きなインパクトを与えるようになるには最初の小さな何かがあれば十分でしょう。重要な社会運動から一〇人ほどの人がいて、最前列から飛び出して、「みんな聞いてくれ。くだらないおしゃべりはやめるんだ」と言えば、私たちは現在の袋小路から抜け出せるかもしれません。しかし、今そのようなものがどこにも存在しないのです。
あらゆる可能性から考えるとメランションはまた立候補するでしょう。共産党との協力の有無に関わりなくです。なぜなら、彼は「フランスとの約束がある」と信じているからです。しかし、選挙を利用しようとするなら、それをもっと大きな構想の中に位置づけなければなりません。自分たちの存在を示すためにのみ選挙に参加するようになると、どのような構想を持っているかに関わりなく、ただ政治的危機に油を注ぐだけになるでしょう。私たちはそのような立場に立ちません。それは私たちの現在の基本的なアプローチに反することになるでしょう。
選挙の問題はフランスでは常にある問題であり、私たちを窒息させています。それは単に、選挙前の数カ月間、あるいはまるまる一年間にわたって、政治的生活を完全に占領してしまうという問題ではありません。フランスの政治的状況は、この選挙至上主義によって、考えられるあらゆる方法で圧迫されています。世論調査が活用される方法を含めてです。
だから人間解放のための構想という観点から考えるなら、問題は、そのような政治的限定性のようなものを抜け出して、新しい、もうひとつの空間、もうひとつの時間、もうひとつの暦をつくるためにどうすればよいのかということです。それは必ずしも選挙をボイコットすることを意味しません。しかし、他の勢力と共同して、そのような選挙の圧力から自由な、そして別の空間でブルジョアジーの政党を攻撃できるような大きな運動を作ることができるならば、もっと大きな構想の中で選挙に参加することについて考えることができます。
二〇一七年については、これまでとは違った、サパティスタの「別のキャンペーン」のようなキャンペーンを展開する必要があるでしょう。大統領制廃止のためのキャンペーンです。なぜならフランスには第五共和政があります。選挙の問題そのものが、フランスの政治制度における共和国大統領の中心性によって窒息させられています。
(つづく)

コラム

日本橋運河のしゅんせつ

 普段、東京にはたくさんの運河があり、水の街であることに気づかない。運河の上には首都高速が縦横に張り巡らされ、物流の大動脈になっている。そんな構造も運河を見えにくくしている。
 日本橋の運河でしゅんせつ作業が行われていた。タイヤをたくさんつけた大きな運搬用台船、一〇〇mくらい離れた所に、もう一つの大きな機械を乗せた台船。パワーシャベルが象さんの鼻のようになっていて、そこから汚泥を吸い込む。台船と台船の間を一〇mくらいの鉄管をゴムでつなぎ合わせたものを数本連ねて、運搬用台船に泥を落としていく。鉄管の下には浮きがつけてあり、自由に動くようになっている。泥を吸い込むとくねくねと曲がりながら、どくどくと泥を運ぶ。台船は自力で動くためのエンジンもスクリューもつけていない。数隻のタグボートで押して器用に台船を動かしていく。別の日には台船の乗せたパワーシャベルで泥をすくい、別の台船に入れていた。
 一日の作業が終わると鉄管をはずし、台船も安定した所に移動させる。寒い運河での作業だ。数人の男たちが慣れた手つきで手際よく作業をしていく。落ちることはないだろうかと心配心が沸いてしまいながら眺めた。
 雨が降ると運河は茶色に濁り、水かさは増し、かなりのスピードで流れていく。当然、荒川などの泥が運河に溜まり、それでしゅんせつが必要なのだろうと思っていた。インターネットで東京都港湾局を調べた。すると私の考えとは違う大都市ならではの理由が分かった。
 「東京の下水道の普及に伴い港湾部の水質が良化しつつありますが、運河部は水の交換が悪いこともあり汚泥の堆積が止まっていないというのが現状です。この汚泥は、時として悪臭の発生原因となったり、ガスの発生原因となったりするとともに景観の悪化の原因ともなるため、特に都市化の進んだ運河域など環境対策の要請が強まっています」。
 そこで、都は一九八六年まで汚泥しゅんせつを行ったが、下水道普及が十分でないことなどから汚泥の再堆積があり、汚泥対策を行っている、ということだ。そして、「汚泥対策の方法は、しゅんせつ工法の他に汚泥の表面を厚さ三〇p程度の砂で覆う覆砂という工法も有効であり、水生生物の棲息にも効果がある」とし、適切な工法を選択していくという。
 首都高を地下化し、水辺の再生をする計画もあるらしい。運河近辺のビルの高さ制限を緩和し、高層化する代わりに地下化の費用を負担させるという。また、江東区の小名木川など運河で護岸工事によって、遊歩道をつくり、水に親しみやすい工事も進められている。春には東京の運河めぐり探険クルーズが再開する。水との共生を如何に図るかが問われているのだろう。       (滝)


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