もどる

    かけはし2016.年3月7日号

運動に密着し開かれているとは


フランス

党と大衆運動をどう考えるかB

オリビエ・ブザンスノーへのインタビュー

社会運動にあえて執着する

 ――あなたが今、「資本のコスト」についての本を書いているのはそのため、つまり社会運動とのもっと緊密な連携を確立するためですか?

 個人的には、私は社会運動の中で起こっていることに全面的に焦点を当てる傾向があります。なぜなら、私は今でも社会運動が、これから出現する新しい政治表現のためのもっとも肥沃な領域であると考えているからです。これはおそらく私の欠点です。なぜなら、そのために私は政治的調整が果たす役割を軽視することがあるからです。
そのために私は判断の誤りを犯してきました。たとえば、私は左翼戦線が最初に登場した時、その重要性を評価しませんでした。それはセクト主義からではなく、政治連合が先だという考え方が私の感覚に合わないと考えたからです。
しかし、この欠点は今では私の執着となっています。私は今でも党の活動家であり、それが私の人生であり、私はそれに誇りを持っています。私は社会運動は新しいタイプの政治的表現を育もうとしていると今でも確信しています。私の心配は、私たちが現実の運動の外に行き着こうとしているのではないかということです。私たちにとって最も重要なことは、そこにいることです。党と社会運動の間の上下関係を再生産することなしにです。それは相互補完的なアプローチを試みるという問題です。
スペインから来た同志たちと会うと、それが彼ら・彼女らの執着でもあることが分かります。それは独特の戦闘性の歴史を反映しています。私はギリシャとスペインがグローバル・ジャスティス運動では私たちより先行していたと思います。その経験から多くの国で新しい世代が登場しました。しかしフランスではそうなっていません。
フランスでも反グローバリゼーションの大衆動員はありましたが、私たちは常に同じ問題に直面してきました。私は二〇〇〇年や二〇〇一年にニースやジェノバでサミットに対する行動を準備していた時に、いつも参加者のリストを作成していたことを覚えています。私の記憶では、イタリアから一〇〇〇人、スペインから一五〇〇人、ギリシャから八〇〇人ぐらいだったと思います。フランスはというと四〇人です。フランス以外の国では、特に大学で、社会運動に戦闘的なやり方で結び付き、私たちとは異なる方法、非常に生産的な方法でさまざまな運動に結びつくことに執着する新しい政治的世代が登場しました。
私たちが運動の近くに存在し、開かれていることの必要性、学ぶことの重要性、そして自分自身を何かに代行させる(「私は……の名において……」)ことをしないことの重要性を非常に積極的に認めない限り、私たちは常に「私たちは解決策を知っている」と語る誘惑にかられます。

生身のプロレタリアートが重要


――NPAの結成は新たにラディカル化した世代を組織し、代表するため、また、古い問題や論争の枠組みを作り直すための努力を反映していたと言えませんか?

 その通りです。私たちはそこで努力しました。他のグループとは違って、私たちは実際に自分たちの活動家だけでなく広範な勢力に組織の門戸を開いたと思います。それはわくわくするような活動であり、同時に非常に困難な活動でした。私たちはナーバスになっていました。門戸を開くと、一群の労働組合活動家が自分たちの文化を携えてやってくるし、労働者階級の地域の活動家やその他のさまざまな活動家がそれぞれ自分たちの文化を携えてやってきます。しかもそれは私たちが想像するプロレタリアートや、本に書かれているプロレタリアートではなく、あるがままのプロレタリアート、今日のフランスのプロレタリアートです。分断され、時には爆発する、多様な、しかし共通の搾取と抑圧というシールによって特徴づけられているそれです。
私がここで言おうとしていることは、もちろん議論の分かれるところですが、私は二〇一〇年の地方選挙におけるイルハム・ムサイドの立候補をめぐる問題がその問題を、イスラム嫌悪の問題を超えて、広範な問題と結びつけたと考えています。というのは、現実には女性の権利、世俗主義、そしてイスラム嫌悪に対して必要とされる闘争の間の適切なバランスを見つける必要があるからです。
しかし、それだけではなく、それが象徴しているのは、非常にリアルな問題です。私たちが外の世界に目を向け、集会を開くと、人が集まってきます。そして私たちはたくさん集まれば集まるほどよいと考えます。受付に警備員など配置しませんから、さまざまな人がやってくるし、あるがままの姿でやってきます。白人のプロレタリアートもいれば、アフリカ系、アラブ系もいます、当然スカーフを着けたムスリムの女性もやってきます。
彼ら・彼女らは集会にやってきて、演壇で話されることを聞き――私だけではなく、ほかの人たちも話します――全体的には話された内容に同意し、入党を希望します。それから、またやってきてキャンペーンに参加し、バス停にポスターを貼ったり、チラシを配ります。そのうちに、党を代表して話そうとする時に問題に突き当たります。あなたは党を代表して話すことができず、ほかの人にはそれが許されているということであれば、そこで問題が起こります。
だから、問題の背後には、植民地の問題やイスラム嫌悪との闘いを超えて、現実の労働者階級、あるがままの労働者階級と結びつくという問題があります。もっとはっきりと言えば、門戸を開いて、現実の闘争に参加しようとし、社会的な問題に政治的な表現を与えようとするなら、社会的な問題をそれ自身の用語で、デマゴギーを排除して、取り上げなければなりません。
これは何も主張しないということではありません。私たちがいっしょに前進しようとしている課題、特に私たちすべてが関わっている偏見などの問題に関して、集団的な自己覚醒を作り上げていくためにです。なぜなら私たちは労働者階級に属している個人として、その生活がラディカルな政治活動に先行しており、社会の他の部分から切り離されているわけではないからです。

労働者階級に委ねる勇気今こそ


このすべてが私にとっては重要です。なぜなら、自分自身を未来に置いてみると、NPAの形成の中で何がうまくいかなかったのかについて、検討することがたくさんあるからです。私はすべての問いに答を持っているわけではありません。しかし、私は本質的な問題は次のことだと思います。門戸を開くのなら、そうする勇気を維持しなければならず、だからプロレタリアート自身に、そのあらゆる複合性と多様性の中で、二一世紀に適合する人間解放の主体になろうとするのを委ねることを恐れてはならないということです。
極左派の隊列にいる組合活動家にとっても、それは同じことだと私は思います。相対的にです。労働組合の組織化の困難を組織運営の問題に還元できると考えるのは間違いです。たとえば、聴衆の前で話すことに慣れた人だけではなく、党の全員が話しやすいと感じるようなやり方を保証するために、どういう努力をしているでしょうか? 言い換えれば、社会の中の発言する人としない人の分断をそのまま持ち込まないように、どういう努力をしているでしょうか? たとえば、組合活動家は政治的な論争の中では発言しない傾向があります。彼ら・彼女らを党の大会の中で見かけることは稀です。NPAの夏季学校で見かけることも稀です。彼ら・彼女らが半公開の全国集会で、同志や他の組合活動家との集まりの中で発言しているのは見かけられます。特に、職場での活動についてテーマを絞った会合ではそうです。言わば彼ら・彼女らの活動領域です。しかし彼ら・彼女らが党の政治的キャンペーンで非常に公然とした役割に就いているところはあまり見かけません。
次に、もう一つの問題があります。一部の労働組合活動家の政治表現には、政治的配慮がほとんどないことがあります。それはある種の社会的怒り、指し示すことができる何らかの政治的成果への欲求の表現です。そしてそれは、ともすれば驚かせるような、あるいは場違いなものになることがあります。
たとえば、組合の拠点である北部で、私たちの組合活動家はいつも自分たちを「労働者階級の新しい党」と表現していました。それが彼ら・彼女らのアプローチでした。ほかに一定の活動家を代表する左翼の組織が存在する時には、そのように自分たちを主張することはできません。私たちは唯一の労働者階級の政治的表現であると主張することはできません。それは非常に愚かで、狭小なセクト主義です。
しかし、この組合活動家たちは、その表現を何か違う意味で使っていました。実際、彼ら・彼女らの論理は、新しい党を作るのだという私たちの意図を反映していました。それを適切な方法で表現できなかったとしてもです。

困難克服する道を批判的に討論


――それらの困難性をどのように克服しますか?

 正直に言って、分かりません。

――しかし、これは問題の主要な部分、つまり左翼全体が取り組まなければならない客観的な問題ではありませんか? 一九九五年一二月のジュペ政権に対するストライキから始まる闘争の一つのサイクルがあり、あなたが言ったように、それは二〇一〇年の年金改革をめぐる闘争、あるいは年金改革反対の敗北した闘争によって終わったように見えますが?

 それは間違いありません。私は私たち自身のバランスシートについて話しています。特に、私たちが直面している最も重要な問題についてです。このほかに多くの客観的な要因が私たちに不利に作用しました。そのことを深刻に考えています。私たちは社会的・政治的逆流が始まっていた時に門戸を開きました。一部の人たちは私たちは逆流が始まる前に新党を作るべきだと考えていましたが、その後の敗北について予想するのは簡単ではありませんでした、私は私たちが将来において何を避けるべきかを理解するのを助けるようは批判について話しています。これは非常に複雑です。
(つづく)


もどる

Back