もどる

    かけはし2016.年3月14日号

新しい政治表現モデルの創出を


フランス

党と大衆運動をどう考えるかC

オリビエ・ブザンスノーへのインタビュー

スカーフ論争の教訓とは何か

――左翼におけるイスラム嫌悪とレイシズムの問題について話してください。世界の多くの人々はこれらの問題に関するフランス左翼の歴史を見ていて、ここに重要な欠落点があると結論付けています。たとえば、二〇〇四年の公立学校でのスカーフ禁止をめぐってラディカル左翼が絶望的なほど分裂していました。それは私たちにとって非常にショックでした。あなたはどういう展望を持っていますか? どこに問題があると思いますか?

 これらの論争は常にフランスの状況およびラディカル左翼の状況を特徴づけてきましたが、重要なのは行き詰っている問題を解決することです。古い議論、概念、思考だけを基礎としてそれを解決しようとしたり、それはフランスの植民地主義の残滓の結果だということで満足し、放置するなら、過去からの論争の繰り返しから抜け出すことができないでしょう。
その危険は両方の方向に走っています。スカーフを着用していた少女の例を考えてみましょう。彼女が頭に着けているものが単に世俗主義への攻撃である、あるいは単にイスラム嫌悪に対する闘いのシンボルであると考えるのは、問題を理解しているとは思えません。それは今日の労働者階級の地域における生活の社会的現実を無視しています。そのような地域に出かけていけば、あらゆる種類の人がいます。スカーフを着用した女性も着用しない女性もいます。スカーフ禁止に賛成する人も反対する人もいます。あらゆる政治的信条の人がいます。
しかし、同時に、そのような違いの克服を助けるような関わり方もあります。一連の共通の具体的な日常的経験に根差した関係づくりです。歴史の共有ということではありません。ここで、今起こっていることを話しているだけです。
私たちはそのような方法で人々と関わることができていません。必要な「ソフトウェア」がないからです。NPAだけではありません。もっと広く、左翼全体がそうです。それは私たちが直面している状況の顕著な特徴です。そしてそれは解決できなければ長期的に失敗をもたらしつづけるでしょう。
イスラム嫌悪との闘いに最も敏感な左翼の間でも、移住してきた人たち(またはその子孫)に対して温情主義的な関係を再生産する無意識の傾向が見られることがあります。私には、このプロレタリアートの周辺部にいる人たちと親しくなるためには宗教を知る必要があるという考え方が適切な戦略とは思えません。それはそれらの人々の生活の現実に対応していません。それら人々が信者である場合でもです。私は貧困地区で生活しているすべての人たちに直接に政治の議論を投げかけることができると思います。
また、ムスリム社会の一部には、イルハムの問題で私たちに憤慨している人たちもいることを知っておく必要があります。私たちは、そのような社会でさえ、論争を利用していると疑われました。これは明らかに事実ではありません。私たちの候補者リストには何十人もの候補者がいましたが、スカーフを着用していたのは一人だけでした。
しかし、メディアはこの話を取り上げ、大騒ぎしました。新聞記事、記者会見、そしてすぐにアルジャジーラがイルハムの家の玄関まで押しかけました。全く常軌を逸した騒ぎでした。私たちが労働者階級の地区に遊説に出かけた時、人々は私たちに、イルハムの立候補をめぐる論争を支持拡大のために利用しないよう求めました。彼ら・彼女らが私たちに尋ねたのは、いっしょにやれる具体的な行動がないかということでした。彼ら・彼女らは私たちに、その前に何かの宗教的なテストに合格することを求めはしませんでした。

分断に対抗する効果的戦略必要

 この騒ぎの間、メディアでは誰も私たちを、少なくとも直接には擁護しませんでした。政治、文化、学術、市民団体の世界の中で一人の有名人も私たちが行ったことを公然とは支持しませんでした。逆にそれらの人々の多くは私たちを攻撃しました。なぜなら、もちろん問題がフランス社会全体にとっての検査用マーカー、つまりアラブ人嫌悪とフランスの過去の植民地支配の両方についての態度を試すものであり、支配階級が現在持っている最高のアリバイだからです。
それは現在の社会におけるすべての緊急の問題に対する防火壁として機能しています。そしてこの防火壁は非常にうまく機能しています。それが恐怖を基盤としている限りにおいてです。ここにブルジョワジーは、プロレタリアートを、言葉の最も広義の意味において分断状態に固定しておくための効果的な方法を見出しています。
今日、私たちにとっての挑戦課題は、そのような分断に対抗する効果的な戦略を見つけることです。たしかに私たちは具体的なキャンペーンを行わなければなりません。しかしそれだけでは問題は解決しません。この問題を扱う一つの方法は、新しいタイプの連合の形成にあるかもしれません。それはあらかじめ態度が決まっている文化的・宗教的なコミュニティーの代表とみなされる人たちとの連合ではなく、当事者自身との連合です。彼ら・彼女らは多くの場合、貧困地区に集中しています。私たちは地域の草の根の活動家の運動との集合点を広げ、対等の立場で前進しなければなりません。政治にとっても、課題は地域の中にあります。それらのコミュニティーに活動家がいないということは決してありません。たとえばそこでは移民の問題について話をすることができます。私はパリの北の端にある第一八区に住んでいます。ここは労働者階級の地区で、伝統的に移住者の生活の中心地として知られている地区です。ここで私たちは選挙の登録締切日を使って新しいキャンペーンを始めました。「声なき者の候補者リスト」というキャンペーンです。
私たちは選挙権や被選挙権を持たない多くの外国出身者を含む候補者のリストを提出しました。これは社会党政権が地方選挙において、在住外国人に選挙権を認めるという選挙公約をふたたび破った時でした。これは地域レベルで組織された萌芽的な運動でした。私たちの討論は、共同の運動に参加するよう駆り立てられている人々が感じていた緊急性を反映していました。この候補リストは県の選管によって却下されましたが、私たちは街頭にブースを設置して、象徴的な投票を実施しました。地域の多くの住民が私たちの投票所にやってきました。本物の投票所に行った有権者は少数でした。それは労働者階級のもっとも不可視とされている部分との共同のキャンペーンでした。

画期的な出来事の欠落が問題


――労働運動についてはどうでしょうか? あなたは労働運動が長期的衰退の流れを反転でき、緊縮政策に挑戦する現実的な戦略を見つけることができると考えますか? 特に最近におけるCGTの書記長の腐敗のスキャンダルという脈絡の中で、現在この戦線で何か希望がありますか?

 フランスでは労働組合の側にも多くの可能性があります。特に、階級闘争派の組合活動家の多くのチームが存在し、彼ら彼女らが私たちが考えているよりももっと広範な活動家の層に支持されています。そのようなチームに参加している活動家の数は、おそらく数万人に及ぶでしょう。
根本的な問題は、フランスでは長期にわたって一連の出来事が続き、それがあまりにも長期にわたっていて、その間のそれぞれの社会的闘争のエピソードの中で労働運動のより戦闘的な極、つまりCGT、教員連盟(FSU)、独立的・戦闘的なSUDから成る極を中心とする労働運動の再生という希望が復活してきたことです。この一連の出来事は終わったと思われます。私たちは現在、労働運動の中で、また、実際にはすべての政治領域の中で、右に向かっての漸進的なラディカル化の進展を前にしています。問題は依然として、政治的領域と労働組合運動の両方における新しい一連の出来事の引き金となる可能性がある画期的な出来事が欠落していることです。
私たちは一九九五年一二月のアラン・ジュペ政権に対する運動の後、労働組合の長期にわたる再生の可能性を見ました。ジュペは年金のカットや社会保障制度の改革をもたらすはずだった法案に自分の名前を付けました。運動は最終的に彼にその法案を断念させ、労働運動の活動家にとっては一つのモデル、一つの先行例を代表するものとなり、経営者にとっては警告となりました。この大衆運動は勝利したゼネストへと至り、この例は基本的にはその後の政府にとっての最大の脅威となりました。
その経験が何らかの形で再生されるべきであるとすれば、今日の労働組合運動の中にはその中から何か新しいものが登場する可能性がある多くのチームが存在します。そのような再生の源泉となるものは、今はまだ見つけるのが難しいけれどもです。

――そのほかの闘争あるいは運動、たとえばエコロジーやレイシズム、ヨーロッパ等の問題をめぐる運動はどうですか? あなたはそれらの運動が力関係を変えるのに役立つ重要な役割を果たすことができると考えますか。

 現在、フランス社会には無言の圧力がかかっていますが、尖鋭な対立にはなっていません。なぜなら、すべてのことが維持され、鍵をかけられ、閉じ込められているからです。基本的には、反レイシズム、住宅問題、労働組合運動などの領域で多くの活動がありますし、多くの興味深い発展がありますが、現在の力関係を覆すような大きなことは何もありません。これらの分野でさえ、社会が正しい方向に向かっているという信念が組み込まれています。だから、前線に立っているどのセクターも「この動きを止めよう」とは言わないようです。

仮定すべての再考から創造へ

――それはこのインタビューのまとめとしては少し意気消沈させる旋律ですね。

 そうではありません。なぜなら、現在の状況が長期にわたって受け入れられることはないからです。ここで話したすべてのことは、まだ固定化されていない社会について述べています。フランスおよびヨーロッパの状況は固定化されていません。現在の力関係は永久的に今のまま凍結されるのではありません。それどころか、ものごとは変化します。
現在の最も決定的な挑戦課題は、活動家たちが、常にあらゆる変化と接していようとする衝動を、心の底から感じているようにすることです。その点で、現在の状況の中に私が興味深いと感じる、あるいは興奮を覚えさえするいくつかの側面があります。今日、私たちは、暗い地平線の上にかすかに光っている点のように見えるあらゆるものに注目し、追跡しています。
このような状況の中での政治的知恵は、あらゆる仮定を再考すること、あらかじめ解決策があると主張しないこと、そして何か新しいものを少しずつ発明していくという挑戦を引き受けることを求めていると思います。私たちは突然変化するかも知れない状況に適応する新しい綱領的、組織的な対応を考え出すという課題を引き受けるべきであり、私たちが適切な連合の形成を望んでいるとしてもそのことは変わりません。
政治的表現の問題について言えば、私はそれを考える時は党の形式についての戦略的な議論が必要だと考えます。それは議論を回避しようとする試みやポストモダン派のデマゴギーを排して、オープンに、かつ真剣に行われるべきです。
今日、私たちは政治組織の問題へのアプローチの方法を変える必要があります。それは党という形式から綱領や戦略の問題における一貫性を借用し、一方で代行主義や現実の社会的闘争からの孤立という落とし穴―多くの組織に蔓延してきた問題です――を避けるような新しい政治表現のモデルを創出するためです。具体的にどのようにするのかはあまりはっきりしていません。おそらく、解答を見つけるためには、あるいはそのプロジェクトについて明確に考えるためだけにでも、私たちは新しい要素、そして私たち自身の政治的伝統の外から出現する新しいアプローチにこれまで以上に注意を払うことが求められるでしょう。(了)
(「インターナショナル・ビューポイント」2015年12月号)


もどる

Back