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    かけはし2016.年3月21日号

米韓合同軍事演習中止を


3・1朝鮮独立運動97周年集会

今こそ朝鮮半島の平和を

戦争法廃止へ全力あげよう


 


制裁強化は平和
につながらない
二月二七日、上野区民館で「三・一朝鮮独立運動九七周年/戦争法の廃止と朝鮮半島の平和を求める二・二七日韓連帯集会」が、同実行委員会の主催で開催された。
集会は主催者を代表して、日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表の渡辺健樹さんのあいさつから始まった。渡辺さんは、昨年秋の戦争法の強行成立・米韓合同軍事演習の実施・北朝鮮に対する米日韓などによる制裁強化を厳しく批判した。そして「朝鮮戦争が六三年間も休戦状態にあることこそ、朝鮮半島軍事緊張の根源である。日本では戦争法に反対する大きなうねりを作ってきた。それをさらに前進させることと一体的に、朝鮮半島の平和のための運動を進めていこう」と訴えた。
続いて、高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局次長)の講演「二〇一六年・安倍政権の動向-戦争法・憲法改悪などの動きとどう闘うか」に入った。

本格的な改憲
攻撃はね返せ
高田さんはまず、戦争法可決によって現在どのような状況下にあるのか明らかにした。「違憲の立法はたとえ可決されても違憲である。しかし、この矛盾は早晩衝突する。すなわち戦争法に合わせて憲法を変えるのか、それとも戦争法を廃止して憲法を順守させるのか。このどちらかに転がるしかない」。
「戦争法は三月二九日から施行される。それは集団的自衛権の一部を行使することができる時代になるということだ。南スーダンには三五〇人の自衛隊PKO部隊がいる。しかし、五月からの発動は延期になった。新聞紙上では一一月かと論評されている。賛成派までも実施することをためらっている。それは七月に参院選があるからだ。安倍は世論が怖い。南スーダンで少年兵らと戦闘になって、自衛隊が『殺す、殺される』という状態が出現すれば選挙にならなくなる」。
「しかし、戦争をやるのは確実だ。南スーダンに限らず、中東のIS、朝鮮半島の有事などがある。そこではイラク戦争時のような後方支援、戦闘地域外でということはできなくなる。三月二九日以降、この国は世界中のどこでも戦争ができることになったということだ」。
「いまやるべきことは、戦争することを阻止することだ。後から『ごめんなさい』ではすまされない」。
続いて高田さんは、緊急事態条項をめぐる論点について整理した。
「戦争法にはまだまだ制限・縛りがある。それで憲法を変えると言い始めた。それは緊急事態条項を入れるという手法だ。東京新聞はこうしたやりかたを『ナチスの手法だ』と指摘している」。
「自民党の改憲草案『Q&A』では、第九九条(緊急事態の宣言)三項で、これまでは『国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかった』が、『法律を定めた場合は、国民に対して指示できること……国民の遵守義務を定めたもの』だい言っている」。
「しかし、憲法第一八条は『何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない』と明記している。これは徴兵制を拒否する権利を保障しているということでもある。自民党の石破はこれに対して『国を守ることが苦役だとはけしからん』と言っている」。
「改憲論者は『衆院選挙と緊急事態が重なった場合、特例として会期の延長を認めるべきだ』と主張している。しかし、憲法第五四条二・三項では臨時的措置として『内閣は、国に緊急の必要があるときは参議院の緊急集会を求めることができる』とある。衆参同時選挙でも参議院の半分は残っている」。
「改憲論者は『大震災やテロのような事態に、うまく対応できない』と主張している。しかし、日本には『災害対策基本法』があり、首相は閣議で決めて、緊急措置をとることができるとされている」。
「改憲論者は『日本に対する侵害が起きたとき、これに対応するために必要だ』と主張している。私は外部からの侵略に対して、武力で防衛するという議論には賛成できないが、歴代政府が策定してきた専守防衛を旨とした自衛隊法で対応できるという反論が成り立つだろう」。
「現行憲法が五四条のような規定を除いて非常事態条項を持っていないのは、旧帝国憲法下での侵略戦争を行ったことへの反省によるものであり、欠陥などではない」。
「七月の参院選が終わったら、こうしたことを論拠にして攻撃してくるのは間違いない。これに対してきっちりと論陣を張り、反撃していく必要がある」。

さらに大きな
運動を作ろう
高田さんは講演の最後に、闘いの到達点と課題について明らかにした。
「運動の最大の成果は、『総がかり行動』が成立したことだ。そして様々な団体、個人でも誰でも結集できる構造ができた。また非暴力の抵抗闘争だったことも、これまでの反戦・平和運動とは異なっていた。これを貫けたからこそ、組織されてこなかった人々も直接参加することができたし、その後の運動の継続も可能となった。こうした成果を生かせば、運動はまだまだ大きく前進させることは可能だ」。
「しかし、運動だけでは勝てない。国会でも勝たなければならない。五党共闘が成立した。なぜ成立したのか。それは昨年九月の大衆行動の圧力があるからだ」。
「ようやくここまで来た。憲法の運動は一国的運動になりがちだが、戦争・平和の問題は東アジアの人々との共通の課題だ」と、講演を結んだ。
高田さんの講演は、本気で安倍を追い詰めて退陣させるのだという熱気に満ちたものとなった。

今こそ平和協定
を締結させよう
この日の集会には韓国から四人のゲストが参加した。代表してイ・チャンボクさん(六・一五南北共同宣言実践南側本部常任代表議長・元国会議員)が「韓日民衆の連帯強化で東アジアの平和を実現しよう」と題して、報告を行った。
報告のなかでイさんは「東アジア問題解決のキーポイントは朝鮮半島の平和と安定」だとして、「南北、米朝の衝突を阻止し、様々な問題解決のためには、南北当局間の対話を続けていかなければならない」。
「北朝鮮の核実験と長距離ロケットの発射実験で、南側ではサードミサイル配備やケソン工団の閉鎖措置で出口の見えない対決となっている。このような南北間の鋭い対決は早く緩和されなければならない」。
「朝鮮半島の平和と安定には、根本的な対策を提示しなければならない。それは一九五三年七月から、朝鮮戦争を一時中断させている停戦協定を破棄し、新たに平和協定を締結することだ。私たちはこのたびの総会で、平和協定締結のための活動を今年の活動計画の最重要課題として決定した。この活動を日本の平和のための市民社会運動団体と共同で進めることを提案したい」と報告した。
その上で、具体的な行動として、三、四月の韓米日軍事演習反対運動の取り組み、停戦協定が結ばれた七月二七日から解放記念日の八月一五日までの平和と統一のための様々な大衆運動が進められていることを報告し、国際平和大行進や、国際平和集会に日本からも参加するよう要請した。

朝鮮学校に高校
無償化の適用を
続く特別報告は「沖縄・辺野古新基地建設反対」で、青木初子さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が、「日本軍『慰安婦』問題の真の解決を」で、中原道子さん(VAWW RAC共同代表)が、アピールは「朝鮮学校に『高校無償化』の適用を」で森本孝子さん(「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会)がそれぞれ報告とアピールを行った。
集会は最後に「集会アピール」を読み上げて、この日参加した一三〇人の拍手で確認した。そして韓統連のソン・セイルさんが閉会のあいさつを行い集会を締めくくった。
戦争法の廃止と沖縄・辺野古新基地建設阻止の闘いをさらに推し進めていこう。        (R)

解題

3・1朝鮮独立運動とは

現在にも引き継がれる
民族解放・独立運動の魂

 一九一九年三月一日、民族資本家と中小地主などを基盤とする無抵抗主義の「愛国啓蒙運動」勢力の三三人は、高宗の国葬日を期して「独立宣言書」を発表した。しかし彼らはソウルのパゴダ公園に集まった大衆を指導することなく、自ら警察に連絡し逮捕されてしまった。
 しかし、日帝の憲兵警察制度を通した強圧的な「武断統治」に苦しめられてきた朝鮮民衆の反日感情に火がつき、闘いは朝鮮独立-民族解放運動として都市から農村へと全国に広がっていった。
 三月から五月にかけて、全国二三〇の府と郡で一四九一件のデモが起こり、二〇〇万人以上がこの運動に参加した。さらに労働者はストで、農民は日本人への穀物供給拒否で、学生は同盟休校で、商工人は閉店で抵抗した。
 特に、日帝の土地調査事業で没落し、生活苦にあえいでいた一般農民(当時人口の八五%以上が農民であった)の闘いは激烈なものとなった。いくつかの地域では農民が日本人官吏を追い出して、一時期ではあったが自治行政を掌握した。
 日帝はこれに対して、日本本土からも軍警を動員して鎮圧と虐殺にのりだした。その結果、七五〇〇人が殺害され、一万六〇〇〇人が負傷し、四万六〇〇〇人が検挙された。
 3・1民族解放運動は日帝の弾圧によって鎮圧されたものの、民族解放運動史不動の革命的伝統となったのである。そして朝鮮の独立と民族の解放は、虐げられた民衆の力によってのみ達成することができるということを確証させた。こうして3・1運動の精神は後の民族解放、南北統一と韓国における反独裁・民主化闘争へと引き継がれていくことになった。   (竜)

コラム

Kさん追悼

 行きつけというほどではないが、たまに暖簾をくぐる小料理屋がある。開店してかれこれ半世紀は優に超える老舗だ。特になんの飾り気もなく、昔ながらの佇まい。広さはカウンターと奥に座敷がひとつあるだけ。お客もほぼ常連だ。
 店の主人は今年九三歳。新潟生まれの女将さんから「大将」と呼ばれている。大将曰く、この街で自分がいちばん年長の料理人。息子さんと板場に立ち今でも包丁を握り、客の相手をする。まさに現役。小うるさい蘊蓄がやたらないのも居心地がいい。
 Kさんとお別れをした数日後のことだった。いつものようにカウンターでひとり、ぬる燗をちびりちびりやっていると、二人連れの男がやってきて、ボクの隣りに陣取った。どうやら常連らしい。年格好は七〇過ぎ。ひとりは「先生」と呼ばれている。見たところ公務員あがりというところか。どこかで一杯やってきたらしく、機嫌は上々だ。
 こちらはひとりなので、テレビを眺めながら聞くとなしに、「先生」らの会話が自然と耳に入ってくる。その内容が傑作。そして陳腐。非科学的な歴史観が満載なので笑いを押しこらえながら、つい聞き惚れてしまった。特攻隊の美談に始まり、米軍がいかにそれを恐れていたか。終戦後、勇猛果敢な日本人を骨抜きにするためにGHQは日本国憲法をつくった。今の奥さんが憲法記念日の五月三日生まれと初めから知っていたら結婚などしなかった等々。
 そして最後にあたりかまわず軍歌放歌。「先生」と媚びを売る男の生まれ年は昭和二二年と言っていたから、まさしく団塊の世代である。先生はその数歳上らしかった。この御仁たち、どんな戦後教育を受けてきたかはわからないが、社会科学の「し」の字も学んでこなかったのかと腹立たしさと情けなさに、酒が不味くなった。
 これらの放言を板場の大将も笑いながら聞いていたが、内心侮蔑していたのに違いない。以前、ひょんなことから戦争の話になった際、大将が自らの軍隊体験を交えながら「戦争はもうこりごり」「これからの日本はどうなるのだろうね」と話していたからだ。この大将の至極まっとうな考えを知ったら先生方は、何と答えたのだろうか。
 つい先日、急逝したKさんも陳腐な先生方とほぼ同じ年齢である。しかし、その歩みはあまりにも隔絶している。ボクは活動家というより編集者としてのKさんしかよく知らないが、その能力は卓越していた。編集能力もさることながら、何よりも事務能力に優れ、温厚ながら理詰めで物事を考える人だった。
初めてKさんと出会ったのは今から二〇数年前。ボクが事務所を興してすぐ、彼が地区専従から移行し、出版社T書房のひと隅に机を構えてからのことだ。そして砂防関係の仕事を頂いたのが付き合いの始まりである。その後も何やかんやで交流は続き、何冊かの本を手伝わせて頂いた。そして、この年末年始の正月旅行で「やもめ同志」とともに三日間、酒食を共にさせてもらったのが最後になってしまった。
 同じ齢を重ねたとしても、科学的に歴史を検証できない人たちが日本にはあまりにも多すぎることを改めて思い知らされた出来事だった。合掌。 (雨)
 

 

 


2.28

安倍関連法の廃止を!

ふくしま県市民連合発足

野党共闘で自民党候補を落とせ

 【福島】二月二八日、安保関連法の廃止を求めるふくしま県市民連合が発足した。二本松市の県男女共生センターで開かれた「野党三党に問う共闘の決意」と題してのキックオフイベントには、民主党県連の亀岡義尚幹事長、共産党久保田仁委員長、社民党県連小川右善代表が出席した。
 第一部の「ふくしま県市民連合」結成式では「安保関連法廃止」「集団的自衛権閣議決定撤回(立憲主義回復)」「個人の尊厳を擁護する政治の実現(福島では全原発廃炉)」の三点を基本方針とすること、この方針での野党三党に合意と統一候補擁立、協議の開始を求めていくことを確認した。
 第二部の「野党三党に問う共闘の決意」では、三党からの発言、各地域でのとりくみ紹介、フロアからの質疑が行われた。「市民連合提案に全面賛成、中央での五野党合意を福島で実現しよう」(共産)、「市民の期待に応える」(社民)、との二党の積極的姿勢に対し、民主党は「維新との合流話のさ中で先行き不透明、市民連合のうねりで党を動かしてほしい」というものであった。会場からは「ぐずぐずしていては選挙に負けてしまう」と野党共闘の早期実現を望む声が相次いだ。
 本集会には二五二人が参加、一四万円余りのカンパが寄せられた、市民連合では、三月二一日に「県民公開討論会―市民の声をどう実現するのか」を、民主党の増子輝彦参院議員、共産党の熊谷智参院予定候補、社民党小川右善県連代表などの出席のもと五〇〇人規模で開く方針だ。(世)

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