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    かけはし2016.年3月21日号

女性の自立的運動が決定的役割果たす


ケルンの性差別暴力と反移民扇動への反撃

女性の権利と移民の権利の間に
女性たちの決起が橋を架けた!

アンゲラ・クライン

 本紙で既報したドイツのケルンで発生した女性に対する性差別暴力の速報に続いて、さらに深めた詳報が「インターナショナルビューポイント」に掲載された。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)


ケルン市での新年前夜祭では、女性への大規模な攻撃が現れた。これらの攻撃は、質的に新しい側面を示した。つまり、主には移民からなる攻撃者と盗みを伴う大規模な襲撃、当局の曖昧な姿勢、そしてメルケル首相の自由主義的な移民政策の頓挫を可能にすることをしきりに待ち望むある種の張りつめた社会的空気、こうしたものの組み合わせだ。

警察の報告が明らかにしたもの


午後八時三〇分から翌朝の午前六時三〇分にかけて、一〇〇〇人にのぼる男たちがケルン中央駅前広場で女性たちを襲撃していた。女性たちは男のグループから取り囲まれ、侮辱を受け、性的な嫌がらせを受け、盗みを働かれた。一件のレイプが起きたことすら報告されている。駅前の空気はとげとげしいものだった。これは部分的に、人々が夜が更けるとともに、いくつかの例では他の人々に危害を加える目的をもって、面白半分に辺りに花火を放り投げていた、という事実を原因としていたという可能性もある。市警察は一四三人の警官を出し、連邦警察は駅内に七〇人の警官を配置していた。どちらのグループも先の情勢に対処できなかった。
これはここだけのできごとではなかった。連邦警察庁(ブンデスクリナラムト――BKA)の報告によれば、ケルンに類似した新年前夜祭での性的攻撃と金品の強奪は、一二の州(レンダー)から報告された。この例外は、メクレンブルク・フォアポンメルン、ザクセン・アンハルト、シュレスウィヒ・ホルシュタイン、チューリンゲンだけだった。いくつかの他の欧州諸国でもそうしたできごとが報告されていると考えられるが、信頼できる情報はまったくない。
ここまでのところでは、ほとんどの攻撃件数は、ノルトライン・ウェストファーレン(一〇七六件)とハンブルク(一九五件)から報告された。BKAはノルトライン・ウェストファーレンに対して、傷害と窃盗の六九二件に加え、性的攻撃の三八四件を伝え、後者の一一六件は「金品への攻撃と組になっていた」と報告した(一月二三日付の新報告による)。
警察は一月二三日までに、全国規模で七二人の容疑者を尋問し、その内訳は一二人がドイツ人、六〇人が他の国籍だった。それ以上に関しBKAの報告はむしろ曖昧だった。たとえばハンブルクは「地中海的風貌をもつ男性」の小グループについて語り、ヘッセンは「北アフリカ/アラビア/南東欧州/東欧的風貌の」男たちを伝えた。ノルトライン・ウェストファーレンは、「明白な移民的背景」と「外国人的風貌」について語っていたが、それが意味し得るものへの説明はなかった。
ケルン事件との関係では、一六歳から三二歳の容疑者三〇人が、ノルトライン・ウェストファーレン内務省によって特定された。それらには、一三人のモロッコ人と一二人のアルジェリア人が含まれていた。一週間前ケルン市警察は、「一〇人のアルジェリア人、一〇人のモロッコ人、四人のシリア人、五人のイラン人、一人のイラク人、一人のセルビア人、二人のドイツ市民、一人の米国市民」という話をしていた。容疑者の半数は難民申請者、二人は居住許可をもち、二人は同伴者のいない未成年者、そして一一人は不法にドイツにいると想定された。何人かのアルジェリア人を含む七人が拘留中だ(一月二一日現在)。

性差別とレイシズムの結びつき


メディアはすぐさま、「北アフリカ出身の攻撃者」に標的を絞る試みに出た。事実警察は何年も(現在の移住の波が始まる前からも)、ドイツ諸都市内の北アフリカ人青年ギャングたちを厳しくピッタリ追ってきていた。中でも警察はベルリンで何年も、トルコ人やアラブ人のコミュニティ出身の一〇〇〇人内外の男性襲撃者に対処していた。これらの人びとは、移民第三世代からなる若者たちのマイノリティだ。彼らは早くから学校での最初の学年の中で暴力的なふるまいという経験を積んでいた。
しかしわれわれは、二〇一五年にドイツにやってきた、また今も来つつある大変な数の難民が、単身の若者たち、あるいは家族生活を欠いた若者たちであることを直視しなければならない。そこにあるものは、アラブ諸国出身の若者に特有の問題ではなく、諸環境に原因をもつ特有の問題だ。つまり彼らにはやるべきことが何もなく、あきれるような諸条件の中で生き続けているのだ。
彼らが極度に暴力的になるのも理解でき(許されるべきではないとしても)(注)、それは、その背景に対して責任がある者たち、つまり政治や行政の指導部を、並びに統合に代えて禁圧に訴える彼らの政策を指し示している。居住と生活の諸環境は非常に重要であり、それらは、連邦政府がこうした人びとを本当に統合する意図をまったくもっていない、ということを証明している。移民に関する仕事に責任を負っている人びとは次のように語っている。つまり、十分なプライバシーを確保できている者は一ヵ所でたった五〇人、などなどと。
特に重要なことは、家族が再度一緒になれることであり、連邦政府がそれをまだ全面的には認知されていない難民申請者にまさに禁じていることは、極度に冷笑的なことだ。こうした若者たちの攻撃は、性差別的暴力とレイシズムの暴力が互いに結びついていることを示している。

軽犯罪の若者ならず者集団


BKAとノルトライン・ウェストファーレン州内務省は、襲撃者たちが互いに手はずを整えていたという証拠はまったくないと一致して言明し、また同様に、組織犯罪との結びつきも完全に否認した。これらの機関は今回の事件を、「極めて近いものとして、集団心理的はずみが新年前夜祭の個人的襲撃に影響を与えた」と見ている。
三年間ケルンでスリ稼業を積んできた一人のモロッコ人はこうして、この事件を次のように示した。「われわれはおよそ七〇人だったがカルク(ケルン郊外)で会った。その後中央駅に向かい、アラビア語で大声で話していた。このためにアラビア語で話す人たちが次々とわれわれに合流した。多くが盗みを働くチャンスを得、ある者たちは少女につかみかかり、すべてのものごとは完全に成り行きとして進んだ」と。北アフリカ人の状況に関する警察の膨大なデータベースの中で記録に残されている容疑者はたった一人だ。
これらすべてが指し示すことは、ことによるとISが関与している政治的背景をもつ、一見したところ「調整された手順」といったさまざまに表現された憶測というよりも、軽犯罪の若者ならず者集団という絵柄だ。
ノルトライン・ウェストファーレン州内務省は、襲撃はさまざまな者たちやその諸グループによって犯された、という「はっきりした証拠」をもっていると主張している。その者たちはさまざまな街に住み、また様々な国の出身だった。これまでに特定された襲撃者三〇人のうちでは、ケルンの住民は一人もいなかった。その約半数は、ノルトライン・ウェストファーレンの他の諸都市に住む者たちであり、他の半数は完全に住所不定だった。報告によれば、この襲撃はむしろ自然発生的だった。「こうした襲撃が全国的広がりで――同様に他の欧州諸国でも――行われたということは、この襲撃には事前の計画がなかった、という結論をむしろ示唆している」と。しかし、ならず者の若者と推定される者たちの広範な出現に対する説明はまったくない。

事件利用し「移民歓迎」つぶし


当初警察は、この大規模な襲撃を深刻には受け取らず、それに蓋をしようと試みた。「シュピーゲル」誌や「フォーカス」誌のような保守メディアが女性に対するこの襲撃を、「北アフリカ人難民申請者」に反対する民衆的感情を煽るために利用するまで、この襲撃が人びとの注意を引くことはなかった。しかしその後ケルンの警察本部長は辞任せざるを得なかった。
反難民感情を煽った人びとの中には、右翼の警官「労組」、DPGの代表であるライネル・ヴェントがいた。彼は、政治家たちが難民からなる犯罪的襲撃者を公表しないように警察に命じた、と主張した。同時にマスメディアが、難民が行った犯罪的襲撃について、またドイツ人市民が行ったものはほとんどなかったということについて、軽々しくいくつもの記事を出した。
ヴェントの申し立てとメディアの取り上げは、指導的政治家たちがドイツ人よりも難民を守ろうと躍起になっている、また警察はもはや市民を保護できない、あるいはそうする意志がない、ということを暗示するものだ。批判的なTV雑誌「パノラマ」はヴェントと他の警官に問いただしたが、前者は、彼の申し立てを支持するどのような証拠も提供できなかった。さまざまな警察署も一致して、難民犯罪が二〇一五年に増加したということはない、それは犯罪総数の一部を構成するにすぎない(たとえばカールスルーエでは、総数五万件中の約五〇件)、と言明した。
極右ペギーダ運動のノルトライン・ウェストファーレン組織とさまざまなファシスト組織は、ケルンのデモに一月九日五〇〇人しか動員できなかった(三〇〇〇人の対抗デモに対して)。一月六日には、数百人の女性たちが大聖堂正面で、性差別とレイシズムに反対する示威行動を行った。そして彼女たちはその後、難民法の厳格化を求めてこのできごとを道具として利用することに反対する左翼のデモに合流した。
この事件は、連邦政府内とCDU/CSU内の強硬派に新しい勢いを与え、そして彼らは、世論がまさに誇りを感じた最初の「歓迎文化」を押しつぶした。三月一三日のラインラント・ファルツとザクセン・アンハルトの連邦州議会選挙はおそらく両州で、右翼のAfD(ドイツのための選択肢)を議会に送り込むだろう。
二〇一五年には難民キャンプに対する攻撃が二二〇件以上あった。つまり、そうした事件はほとんど毎日起きていた。犯人はほとんど逮捕されなかった。判決が下されたのは四件にすぎない。褐色の肌をもつ外国人に対するポグロムもどきの襲撃も何件か起きた。戦闘的な右翼グループが、犬を引き連れて夜間に巡回する武装自警団をつくり出した。理由は、警察にはもはや「市民を保護する」能力がないと思われる、というものだ。この自警団を大目に見る市長が何人か、またそれを単に「監視する」警察署がいくつかある。
連邦政府は難民法の厳格化を準備中だ。こうして、モロッコ、アルジェリア、チュニジアのような国は「安全な出身国」と分類されると思われる。これらの国出身の難民申請者には、難民と認定されるチャンスがまったくなくなるだろう。SPD(社会民主党)指導者のシグマル・ガブリエルは、これらの国がドイツの当局が送り返した難民申請者を受け入れる準備をしないのであれば対外援助を停止するとして、今諸国を脅迫している。単に「大目に見られている」難民申請者は、家族の呼び寄せを認められない。これは特に冷笑的であり、新年前夜祭におけるケルンでのように、情勢を刺激している。
難民申請者に反対する扇動の主な目的は、より多くの難民がこの国に入ることを妨げることだ。連邦政府は、ドイツで難民申請者として認められる目的をもって人びとがやってくることが許される地域を、徐々に制限するために、「安全な出身国」というラベルを使いつつある。移民たちはメディアによって、レイシストとの責めに対抗する目的の下、「良い」難民と「悪い」難民に分けられている。

女性の敏速な対応と左翼の遅れ

 左翼は全体として――警察と同じように――新年前夜祭におけるこの事件を深刻には受け取らなかった。左翼は、メディアが反「北アフリカ人」扇動を始める中で、この攻撃のレイシストによる道具化に異議を唱えた。彼らは部分的に、それはレイシズムへの引力となるように見えるとして、北アフリカ人コミュニティの事件関与に対する考慮を拒否することにまで進んだ。
ただ女性のデモ、および性差別暴力に対する女性のより良好な保護を求めた数知れない女性グループの対応だけが、左翼の部分的な再考に導いた。左翼が言葉に出さない怖れは、女性の諸要求が――ドイツ人襲撃者と非ドイツ人襲撃者をまったく区別しないことによって――意図しないままレイシストのコーラスに加わることだ。
それでも女性たちは、その危険に気付いていた。そしてまさにその始めから、問題は外国人による暴力ではなく男による暴力である、とはっきりさせた。しかしながら事実として残っていることは、性犯罪関連刑法の重罰化という彼女たちの主要な要求に対するより幅広い聴衆は、難民申請者反対扇動の高まりによってはじめて得ることができた、ということだ――むしろ不愉快な経験として――。
しかし彼女たちがそれをやりきったということ、そして「主敵は反難民扇動」というような一つのワナにはまらなかったこと、これは立派なことだ。こうして、女性の権利と移民の権利の間に彼女たちが橋を架けることができた、ということが結局わかった。
一月中旬、シリア人難民たちはこの問題を引き受け、一つのデモを行い、その中で彼らは女性たちにバラを手渡し、襲撃に謝罪した。ここに見た環境の下では、それは重要かつすばらしいふるまいだが、同じく良くも悪くもとれるふるまいだ。彼らは彼らが行わなかった何かに対して謝罪したのであり、それゆえそれは、「良い」難民と「悪い」難民という主流的なプロパガンダに意図しないまま力を与えるかもしれない。何人かのシリア人デモ参加者は、ドイツの公的姿勢と同じほど断固として、襲撃者に対する「厳格な処罰」と「追放」を求めた。ドイツ社会によって等しい者として受け入れられようとする彼らの願いが、彼らの過剰適応(それはこれまでにない現象ではない)に導きつつある。それ以上に、ドイツに定着している移民たちは、このような事件が彼ら自身の地位に異議を突き付けるかもしれない、ということを恐れている。彼らはそうした地位に困難を経て到達したのだ。
最後にわれわれは次のことも認めなければならない。つまりそれは、新年前夜祭での事件は女性たちによるある種の政治的対応を求めていたということに、また女性はこうしたことを普通のこととする態度をとることはできないということに、女性でさえ徐々に明確な理解に達したにすぎない、ということだ。移民女性の組織であるアジスラの指導者、ベーシド・ナジャフィは「SOZ社会主義新聞」のインタビューに答えて、こうした襲撃に女性さえもが十分深刻には受け取らず、あまりにもがまんする心づもりになっている、と不満を漏らした。

家父長制に抗う運動の重要性

 この闘争の中で女性の自律的運動は、国籍の違いによりもむしろジェンダーおよびドイツの家父長的社会が抱える諸々の不足に対し、容赦なく言及する価値ある同盟者だ。
家父長的条件は階級支配の出現に関係する社会現象であり、あらゆる大一神教は家父長的であるとはいえ、特定の「民族」や「宗教」がもつ固有の特徴ではない、ということが思い起こされるべきだ。女性は家父長的社会においてのみ、第二級の人間として扱われる可能性を前にする。家父長的諸条件の克服は、女性の要求、つまり「女性のノーだけで十分でなければならない!」、の背後にある問題の心臓部としてある。性差別暴力は、肉体的攻撃の中に存在しているだけではなく、女性が彼女たちの意志に反する何ものかにしたがわせられる状況に追い込まれる場合にも存在している。一人の女性の地位引き下げは肉体的暴力への一歩なのだ。それゆえに女性の諸組織は一致して、イスタンブール協定(二〇一一年のイスタンブール欧州サミットで署名された「女性への暴力と家庭内暴力に関する地域協定」、欧州四二ヶ国が加盟、二〇一四年発効:訳者)を批准すべきだということ、またそれに合わせてドイツの法を変えるべきことを要求している。しかし、その要求に対しては男のロビーによる強力な反対がある。
家父長的諸条件は、さまざまな社会でさまざまなやり方で自らを誇示している。そして一つのまた同じ社会にあってすら女性の地位は、女性運動の強さに応じて、また日々の生活における宗教の影響力に応じて違っている。これは、欧州に関しても、イスラム社会に関しても真実だ。欧州諸国でもそれほど遠くはない過去、女性は普通よりも肌を露出した場合、嘲笑の的と見なされた。
これらの諸条件を思い出させ、女性の権利の普遍的妥当性を強調し、暴力に反対して闘っている、そのような女性運動は、特にレイシズムと性差別が同じ型に基礎を置いている以上、反レイシズムの闘いにおける価値ある勢力だ。

国家を民衆はどう使うべきか


性犯罪に関して法の強化を求める女性の要求は、国家機構の再武装に反対している左翼の人びとにとっては一つの問題になる。それでもわれわれは、国家の抑圧的機能と保護的機能に区別をつけなければならない。
新自由主義の国家は後者を大規模に解体し、前者を強化した。ドイツでは、自助、暴力阻止、また警察の保護をめざす女性の諸機関を支えるスタッフや費用のための手段に不足はない――国家財政には一八〇〇万ユーロの黒字がある――。しかし政治的意志が欠けているのだ。これは、諸々の学校の放棄や公共サービスの解体の中に、そして中でも難民がこの国で便宜を与えられるそのやり方の中に、もっとあからさまにと言えるほど見ることができる。つまり、プライベート空間をまったく与えず、十分な食糧供給あるいは衛生基準を欠いた集団宿舎の中にだ。また難民たちは、難民申請者と認められるまでにしばしば何ヵ月も待っている。言語教育や訓練課程に関しては言うまでもない。こうして、若者たちが拘禁症に陥ったり、犯罪グループを作ったりすることも、驚くことではない。
左翼は自分自身の組織で国家の失策を相殺することなどできない。それゆえに女性たちには、警察に行動を強制する、法の強化を求める以外に選択の余地はないのだ。(二〇一六年一月三〇日)

注)第二次世界大戦終戦後の難民キャンプでは、まさに同じ理由から、女性/子どもたちと男は分けられた、とわれわれの母親たちはわれわれに語った。同じ手法が今日、そうした問題を数々伝えてきたドイツのいくつかの難民キャンプで採用されている。もちろんすべてのキャンプでそうした事件が起きているわけではない。しかし人はまた、キャンプでの諸条件はまったく異なり、彼らがより多くの社会的接触と社会的統制を認められればそれだけ、そうした事件の報告も少なくなる可能性がある、と言わなければならない。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年二月号)

 


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