もどる

    かけはし2016.年3月21日号

パク大統領の南北問題に関する考え


北韓崩壊、古い冗談

金日成主席死亡時からさまよう幽霊

  今になって振り返ってみると意味深長な言葉だった。パク・クネ大統領が1月1日に国立顕忠院で参拝し芳名録に残した言葉がある。「韓(朝鮮)半島の平和統一を実現し世界平和に寄与する2016年となることを祈願します」。
 パク大統領は2015年1月1日、顕忠院の芳名録には「韓半島に平和と繁栄が宿ることを祈願します」と書いた。けれども今年の芳名録には平和統一を実現する年を『2016年』だと具体的に記録した。
 平和統一は、わが憲法が目指している目標だ。だが昨年だけをとってみても、北韓(北朝鮮)の素行だと国防部(省)が発表した非武装地帯での地雷爆発をめぐって南北間の緊張感が高まったことを思い浮かべれば、2016年に統一を達成するほどに速度を出すことができるかは疑問だ。統一の相手は、わが政府が「挑発、欺まん、脅し」を事としていると主張してきた北韓だ。
 対北専門家らは2016年1月1日の芳名録の背景には「北韓の崩壊を前提とした統一」を念頭においたパク大統領の認識があると解釈する。北韓が最近、第4次核実験と長距離ロケットの発射を強行して以降にパク大統領が決定した諸措置は、そのような認識から展開されたものだろうとの話だ。パク大統領はサード(THAAD、高高度ミサイル防御体制)の韓半島配置の協議や開城工団の全面閉鎖によって北韓に超強硬対応を宣言した。2月6日の国会演説では、北韓が変わらなければ「体制崩壊を促進するだけ」ということにも言及した。3月7日から4月末まで続けられる韓米連合訓練に米軍は歴代最大規模の戦力を参加させる。
 パク大統領は本当に北韓の崩壊を考慮した統一を描いているのだろうか。北韓崩壊は可能なのだろうか。そのような統一は南北韓に肯定的なものだろうか。南北関係はわが国の経済にも直接的な影響を与えるだけに重大な問題だ。「ハンギョレ21」はパク大統領がいかなる考えを持っているのかについての南北専門家たちの診断と南北問題に関するパク大統領の諸発言を深層分析した記事を特集で掲載する。(ハンギョレ21編集部、取材ソン・ホジン、ファン・イェラン記者、編集チョン・ウンジュ記者、デザイン、チャン・グワンソク)
 以下の記事は前記特集のうちの1つでイ・ジェフン「ハンギョレ」統一外交チーム長によるものである。(「かけはし」編集部)

映画「慶州」の
一場面の暗示
2014年6月、韓国で封切られたチャン・リュル監督の映画「慶州」に次のような対話の場面が出てくる。
「キム・ジョンウンの北韓はどのぐらい続くのでしょうか?」「…」。
地方大の教授であるパク某(この映画の共同音楽監督であり、歌手オオブ・プロジェクトのペク・ヒョンジンが演技)は酒の席で相席になった男が東北アジア問題に詳しい有名な国際政治学者である中国北京大学のチェ・ヒョン教授(パク・ヘイル)だということを知って、「キム・ジョンウンの北韓」について執拗にたずねる。聞いているのか聞いていないのか、にっこり笑ってばかりいたチェ教授が一言、ボソリ。「百年」。

金正恩の北韓、「百年」続く?


気分よく酔っていた状態だったパク教授は俄然いきり立つ。「地方大の教授だから私をからかっているのですか。人が真面目に聞いたら真面目に答えなくっちゃ。冗談で受け流すだなんて…」。チェ教授は笑みの表情を消して再び語る。「真面目に話しているのです、百年」。
映画「慶州」を扱った評論はあまたあるけれども、この短い対話を解釈した文章にはまだお目にかかったことがない。映画芸術の側面において、この対話がいかなる評価を受けるのかは分からないけれども、監督がこの対話の場面を何の意味もなしに挿入したとは考えない。チャン・リュルとは何者なのか。豆満江をはさんで長い歳月、互いに助け葛藤してきた在中同胞(朝鮮族)と北韓人民の辛酸な生き方を淡々と描いた映画「豆満江」の監督だ。
チェ教授の「百年」が在中同胞3世であり、小説家兼教授だったチャン・リュル監督の「判断」であるならば、パク教授の「キム・ジョンウンの北韓は、どのぐらい続くのでしょうか」という問いかけは、韓国社会にはびこっている「北韓崩壊論」の暗い影だと言うことができよう。だからチェ教授とパク教授の対話を、韓国社会を覆った北韓崩壊論に対するチャン・リュル式の風刺だと読み取っても差し支えないはず。
北韓崩壊論は極めて古い冗談だ。歴史が長い。最初のジョークは極めて深刻だった。1994年7月8日、朝鮮民主主義人民共和国(北韓)の「永遠の首領」キム・イルソン(金日成)主席が心臓マヒで息を引き取った直後だ。キム・ヨンサム(金泳三)大統領(当時)は公然と北韓を「故障した飛行機」に比喩しつつ、「北韓は崩壊に直面している」と豪語した。「早ければ3日、長くとも3年」以内に北韓は崩壊するだろうという「予言」がキム・ヨンサム政府の高位官僚らの口からいつも飛び出してきた。けれども我々すべてが知っているように、北韓は崩壊しなかった。ただ、キム・ヨンサム政府の時期は南北関係において「空白の5年」として記録された。
これに先立ち1980年代末から1990年代初めまで、実存社会主義圏諸国家の相次ぐ体制転換のせいで北韓崩壊論が韓国社会の一角で提起されたが、広く拡がりはしなかった。当時のノ・テウ政府は北韓との長い交渉の末に南北基本合意書を採択し、「相互の体制認定・尊重(1条)、内政不干渉(2条)、誹謗・中傷の禁止(3条)、破壊・転覆活動の禁止(4条)などを約束したおかげだ。「崩壊」ではなく「共存」の道だ。ノ・テウ政府の5年間、南北当局の会談は164回に及んだが、これは歴代政府の中で・ノ・ムヒョン政府の時の169回を除けば最も多い。保守政府と言えども、すべてが北韓崩壊論に執着してはいなかったという歴史的事例だ。
2回目のジョークが出現するのには、いささか時間がかかった。キム・デジュン、ノ・ムヒョン政府が和解協力と共存を図ったおかげだ。2度の首脳会談が開かれ(2000年6月、2007年10月)、東部では金剛山観光、西部では開城工団が「平和の回廊」を作った。

22年間、幽霊のように徘徊

 2度目のジョークも最初のジョークの時のように「死」と共にランプのフタを開き出てきた幽霊のように世の中を徘徊した。2010年12月17日、キム・ジョンイル国防委員長が息を引き取った直後だ。さまざまなシナリオが乱舞した。当時のイ・ミョンバク政府はキム・ジョンイル委員長の死以前から北韓崩壊論を煽った。
イ・ミョンバク大統領は2010年12月、マレーシアの同胞懇談会で「統一が近くに迫っている」と宣言した。2010年11月30日、ウィキリークスが暴露した米国務省の外交電文を見ると、その年の2月にチョン・ヨンウ外交部(省)第2次官はキャスリン・スティブンス駐韓米国大使との朝食会の場で、「北韓は既に経済的に崩壊しており、キム(ジョンイル)委員長が死亡すれば2〜3年以内に政治的に崩壊するだろう」と豪語した。
だが今回も崩壊はなかった。代わりに、南北関係が直撃弾を受けた。天安艦が沈没し、南北の海軍が互いに銃と大砲を撃ち合い、北韓が延坪島に砲撃して韓国人4人の命が失われた。イ・ミョンバク政府の5・24対北制裁措置によって開城工団を除くすべての南北交渉が断たれた。けれども2011年以降、北韓経済は1度もマイナス成長を記録していない(韓国銀行)。5・24措置翌年の2011年、北中貿易は前年比で162%に急増した(中国海関)。「風船効果」だ。
パク・クネ大統領の任期1年目の2013年冬、3度目のジョークが韓国社会を強打した。その年の12月12日、キム・ジョンイル委員長の妹むこであり、キム・ジョンウン労働党第1書記のおじさんである「bQ」チャン・ソンテクの処刑・死が焚きつけとして使われた。ナム・ジェジュン国家情報院長(当時)は同年12月21日に国情院長公館で行われた送年会で「2015年には自由大韓民国の体制で祖国が統一されているだろう」と豪語した。そしてパク大統領は2014年、「統一テバク(大利得)論」を持ち出した。
今は2016年、統一どころか南北関係の最後の安全盤である開城工団が閉鎖された。南北の軍通信や板門店連絡官の窓口も閉ざされた。今、南北の間には糸の切れっぱしひとつさえつながっていない。

北韓は早晩、崩壊するのか

 パク大統領は2月16日、国会演説で「核開発は体制崩壊を促進するだけ」であり、核を放棄しなければ「北韓政権を必ず変化させる」と語った。「北韓が崩壊するだろう」という予言ではなく「北韓を崩壊させる」という誓いだった。
パク大統領が2015年7月10日に青瓦台で行った統一準備委員会議で「統一は来年にもすることができる」と語り、今年1月1日には国立顕忠院の芳名録に「韓半島の平和統一を実現し、世界平和に寄与する2016年になることを祈願します」と書いた理由を今こそ分かる。パク大統領は「北韓崩壊」をいつから夢見たのだろうか。
先立つ3回のジョークは北韓の崩壊を目撃できず、ジョークがまず崩壊した。その間に変わったものがあるとすれば、ジョークの周期が速くなり、内容が刺激的に変わっているという点ぐらいだ。パク大統領の性急このうえない宣言は「4度目のジョーク」の運命を避けることができるのだろうか。
歴史のレビュー(評論)に時間を割きすぎた。今や2つの質問を投げかけよう。第1に、北韓は早晩、崩壊するのか。第2に、崩壊すれば韓国主導で統一が実現されるのか。
最初の質問の答えを求めようとすれば「中国」を避けることはできない。中国は北韓の対外貿易の90%余りを占めており、北韓が消費している原油の大部分を供給している。このような中国が米国のように経済的に封鎖すれば北韓体制が長く持ちこたえるのは難しい。
だが中国は第4次核実験以降も「韓半島非核化の実現、情勢の安定と平和の守護、対話を通じた問題の解決」(3原則)を強調しつつ、「この中の1つでも欠けてはダメだ。このような方針は喜怒哀楽によって変わることはないだろう」(1月27日、ワン・イー中国外交部長)と語っている。北韓の「台無し行為」によってどんなに怒ることがあっても、この3原則は変えることはできない、という意味だ。
複雑に考える必要はない。駐韓米軍が1500qに達する鴨緑江・豆満江の接境地域に駐屯したら中国は喜ぶだろうか。「駐韓米軍と国境を接するだなんて。頭痛の種でも北韓のほうがまだマシだ」、これが中国が北韓を捨てられない理由だ。
歴史的に中国は韓半島を海洋勢力の侵犯を阻む緩衝地帯と考えてきた。1592年の豊臣秀吉による朝鮮侵略に明が大軍を派兵し、1894〜95年に滅びゆく朝鮮で日本と戦争(清日戦争)を経験し、1950年の韓国(朝鮮)戦争の際、北韓が鴨緑江まで押されると毛沢東が大軍を派兵した理由だ。清が清日戦争で大敗すると、日本は1931年に満州事変をひき起こして中国大陸を蹂りんした。「緩衝地帯が消えれば大陸が危険に陥る」、これが中国が歴史から学んだ教訓だ。
現在、中国が考えている緩衝地帯は北韓だ。専門家たちは米国・日本も北韓の崩壊を望んでいないと指摘する。分断と南北の軍事的葛藤は米国の軍産複合体の久しい「カネのなる木」であり、「アジア再バランス」政策を明確にしたバラク・オバマ米行政府にとって「ならず者国家・北韓」の存在は中国をけん制する韓米日3角安保協力を強化する名分となる。
しかも米国・日本としては「統一韓半島」が中国を敵国として想定して韓米同盟を持続するとの保障もない。今日よりもさらに大きく強力になる以外にはない「統一韓半島」の出現は、日本にとって願わしくない状況の変化だ。北韓が東欧のかつての社会主義諸国とは違って今に至るまで崩壊せず踏んばっているのには、特有の統治体制や「耐久力」というよりはこのような東北アジアの複雑な力学の構図のせいであることが大きな要因だというのが専門家らの大方の診断だ。東北アジアの冷戦構造が解消されない理由でもある。

韓国が統一を主導するのか

 第2の質問は、国際法と現実の側面とに分けて考えてみる必要がある。国際法的判断は既に出ている。そうなる可能性はないけれども、北韓がすっかりなくなって無主公山(所有者がいない状態)になったとしよう。自動的に韓国の所有するところとなるのだろうか。そうではない。国際法は国連の統治権だけを認めている。
国連は韓国(朝鮮)戦争の期間に国連軍が38度線以北に進撃(1950年10月1日、従って10月1日が「国軍の日」となった)するや、その年の10月7日の総会で「決議376(V)号」を採択し、38度線以北の地域を国連軍司令部が接収し、国連韓国統一復興委員会(UNCURK)が「韓半島の救護と再建」の責任を執るように決定した。これは韓国の主権が国連の監視下で総選挙を行った地域(38度線以南)に限定されるという国連の「決議195(V)号」(1948年12月12日)に伴ったものだ。
国際法はそうだとして、現実はどうだろうか。北韓内部の急変の事態によってキム・ジョンウン政権が崩壊すれば、北韓の権力層と人民たちは南韓に「吸収合併」されることを望むだろうか。
「北韓が崩壊する可能性はほとんどないけれども、仮にもキム・ジョンウン政権が内部の権力争いの渦中で崩壊すれば、中国政府の認定をまず受ける勢力が新たな政権を構成することになるだろう。キム・ジョンウン政権が崩壊すれば北韓の地域が韓国の所有になるだろうという展望を持つ人は考えもしないが、取らぬタヌキの空しい計算というものだ」。北中関係や南北関係に詳しいチョン・セヒョン韓半島平和フォーラム常任代表(元・統一部長官)の指摘だ。
ドイツの統一は東独の崩壊によってなされたものではない。東独人民たちが総選挙で西独との統一を核心的政策として掲げた政党を多数党として選んだ後、東西ドイツ政府の交渉を経て実現された。ビリー・ブラント以降、西独政府の一貫した東方政策が東独人民の呼応を得たせいだ。
韓半島だと言っても、違わない。パク・クネ政府のように南北関係を極限の葛藤・衝突・相互不信のぬかるみに追い込めば、「統一韓半島」の夢は蜃気楼(しんきろう)にすぎなくなる。「統一韓半島」の夢を実現へと変えようとするならば、休むことのない和解協力と共生の努力によって北側の人民の呼応を得て「事実上の統一」状態を実現し、「非核・平和の韓半島」を確約し、国際社会の政治的認定を受ける道があるだけだ。それ以外の道はない。(「ハンギョレ21」第1100号、2月29日付)
※「統一は過程だ」(韓半島平和フォーラム著、ソヘ文集・刊、2015)に掲載した筆者の文章から一部引用した。


もどる

Back