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    かけはし2016.年4月4日号

現状を知るフィールドワーク


3.13

福島原発事故―避難地域のいま

都路街道を経て、中通りから浜通りへ

阿武隈の原
風景にふれて


  三月一三日、前日に開催された「原発のない福島を! 県民大集会」に参加した仲間たちとフィールドワークを行った。三回目となる今回は、郡山駅前を出発し、三春町、田村市を経由し、大熊町、富岡町、双葉町、浪江町の避難地域をまわり、いわき市で解散するルート。前半は「都路(みやこじ)街道」(国道二八八号)を進む。
船引市街を過ぎ、都路地区に近づくにつれ、大きな屋根の農家が増える。屋根の上に小さな「屋根」があり、養蚕用の通風のためだと同乗者の説明を聞き、これまでの「囲炉裏の排気用」という認識をあらためた。
田村市は二〇〇五年に都路村や船引町など五町村が合併してできた。大熊町と接する都路地区の東部(一一二世帯三三九人)は一四年四月に避難指示解除準備区域の解除により全市が解除となった。解除後一年以内の帰還者には一人九〇万円が「早期帰還賠償」されたが、昨年三月末で終了。実際に帰還した住民は、昨年八月末で一九八人と発表されている。住民の帰還を促すために誘致された街道沿いのコンビニは閑散とし、その先の旧都路村市街地にも賑わいは感じられなかった。

「原発さまの町」
の復興優先


都路街道を大熊町の帰還困難区域を通り抜け、浜通りに出られるようになったのは一年前だ。昨年三月の常磐自動車道全線開通にあわせ、富岡ICへのアクセス路として四輪車のみが通行できるようになった。ただし、駐車や降車することは禁じられている。枯草におおわれた家屋や牛舎の間を進んだ集落の共同墓地では、許可を得て墓参にきた住民の姿があった。
富岡ICに近い南西部の大川原地区が居住制限区域となっている。町は大川原地区を「復興拠点」のひとつとして第二次復興計画で位置づけている。計画の概要には、「町土復興」として次のように記されている。
――企業・研究機関などの誘致を進め、新しい町民の皆さまの定着を通じて、スーパーなどの生活・社会インフラを充実させ、安心して居住できる環境づくりを進めていきます。このことを通じて、最終的に町民の皆さまに対し、「帰町を選択できる環境」の提供を実現していきます――
すでに第一原発の作業員向けの「福島復興給食センター」が稼働している。居住制限区域にもかかわらず、東京電力が発注した独身寮≠フ建設が進んでいる。

住民を無視した帰還方針


富岡町の居住制限区域では建物の解体が進んでいた。夜の森の桜並木のバリケード角の住宅が解体されていた。津波の直撃を受けた富岡駅周辺の解体ペースは速い。方向感覚を失うほど開け、目印がなく、線路フェンス脇にあった慰霊碑≠燗P去されていた。国土交通省は、小高―原ノ町間を今春に、浪江―小高間は遅くとも一七年、竜田―富岡間は一八年とする運転再開目標を掲げていた。安倍晋三は三月一〇日、「東京五輪・パラリンピックまでの常磐線の全線開通を目指す」と表明した。竜田―富岡間は一七年末までの開通へ前倒しされ、富岡―浪江間は二〇年三月が新たな目標とされた。
私たちは国道六号線を北上し、浪江町の市街地に向かった。居住制限区域への住民の立ち寄りの便宜を図るため、バリケードを撤去する準備をはじめると報じられていたからである。しかし、昨年と同じ場所にバリケードは立っていた。常磐線を超える国道一一四号の跨線橋の手前でUターンした。跨線橋の脇に、ピースサイクルで宿泊させてもらった浪江教会の十字架がみえた。

ロボット研究
開発の拠点?


楢葉町に建設された日本原子力開発機構のモックアップ試験施設を見学した。「イノベーション・コースト構想」でうたわれる「ロボット開発・実証拠点」の一つだ。廃炉作業を想定したロボットの実規模の試験や作業研修が行われる。「国際廃炉研究開発拠点(放射性物質分析・研究施設)」の大熊町大川原地区への建設、常磐線や常磐自動車道の全面開通も同構想に含まれる。『地方創生の正体』(ちくま新書)では同構想を批判して、次のような対談が掲載されている。
――あの日避難を強いられた人々の大半にとっては関係ありませんよね。たとえばラーメン屋がロボットを作るんでしょうか。被災者の復興には直接関係ない――
楢葉町は昨年九月、全域避難した七町村のなかではじめて避難指示を解除した。しかし「町に戻ったのは四二一人(一月四日現在)。町民約七四〇〇人の五・七%にとどまる。その七割は六〇歳以上で、二〇歳未満は五人しかいない」(「朝日」二月一日)。
国道六号線にもどり、解散地のいわき市に向かった。途中の広野町では、宿泊施設の建設ラッシュだ。三・一一前から見慣れた「食堂兼民宿」や「焼肉屋兼ビジネスホテル」は駐車場を狭め、宿泊施設が増築されていた。国道沿いの街並みも、新築のカラフルなアパートが目についた。広野町はこれらの建築規制をはじめるとも報じられている。
今年のフィールドワークは十分な準備ができなかった。「県民大集会」にあわせたフィールドワークはもちろん、他の現地行動などにあわせたフィールドワークも検討したい。  (浩)

3.11

「福島」から5年、チェルノブイリから30年

「福島を忘れない」シンポジウム

「棄民」政策を許さない


「対立」させら
れる被害者
三月一一日、東日本大震災と福島第一原発事故から五年のこの日、「福島第一原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年 シンポジウム福島を忘れない」が午後二時から参議院議員会館講堂で行われた。主催はFoE Japan。シンポジウムには椅子や資料が足りなくなるほどの四〇〇人以上が参加した。
第一部「福島」では、最初に飯舘村民で事故前は酪農業を営んでいた長谷川健一さん(「ひだんれん」共同代表)が「福島原発事故から5年」と題して基調講演。長谷川さんは「大丈夫」と言われながら突然「全村避難」を命じられた飯舘村の悲劇を、怒りを込めて弾劾した。村で最高齢の一〇二歳のおじいさんが自殺し、さらに八三歳のおばあさんは「お墓に避難します」との書き置きを残して自らの命を断った。
現在では村全土が除染土を詰めたフレコンバッグの仮置き場と化している飯舘村の現状の中で、二〇一七年三月までに避難を解除し、学校も再開すると言われている。長谷川さんはこうした無責任きわまる政府の「棄民」政策を厳しく糾弾した。
続いて「避難の権利を求める全国避難者の会」の宇野朗子(さえこ)さんが「避難者は今」というテーマで報告。昨年一〇月二九日には「全国避難者の会」が結成された。ところが政府は「自主避難者」が全国にどれだけいるかを把握しておらず、「把握するつもりもない」と、完全に「自主避難者」切り捨ての居直りを決め込んでいる。
宇野さんは、「避難した人びとが多極化していく中で、まとまることの難しさ」があるが、「被ばくから守られる、被害者どうしが対立させられない」を原則にすること、みんなが貧困・孤立の中で疲弊している状況の中で、昨年一〇月に結成された「会」の活動について紹介した。
次に福島市の押山靖子さんは、子どもたちの保養の活動について紹介。「放射能を気にしているなら福島から出て行け」という言葉が投げかけられる中で、子どもたちが安心してのびのび動ける「保養」の取り組みが必要であることについて語った。

「第2部チェ
ルノブイリ」
最初にチェルノブイリ子ども基金の佐々木真理さんが報告した。佐々木さんはベラルーシでの放射能汚染地域に住む病気の子どもたちのための特別保養活動に参加した経験(二〇一五年八月、「子どもリハビリ・健康回復センター『ナデジダ(希望)』」)について説明した。
「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク」の吉田由布子さんは、「原発事故の被災者支援 日本とチェルノブイリの比較」をテーマに報告。よく知られているのは、チェルノブイリでは年間被ばく量1〜5mSvの地域では移住権が保障され、5mSv以上の地域は義務的移住地域とされているのに、日本では20mSv以下の地域は「居住可能地域」とされて、帰還・居住が奨励されていることである。
「日本では内閣府原子力被災者支援チームがチェルノブイリ事故後の旧ソ連三カ国のさまざまな対策を調べ、参考にすべき点を挙げていたにもかかわらず、それらは日本の政策に生かされていない」「日本の政策は、原発事故の被害に関する定義がなされていないことが大きな問題。たとえば『汚染地域』の基準、『被災者』とは誰なのかが不明確であり、これらが明瞭にされないまま、被ばく線量年20mSv基準での避難および避難解除政策を続け、事故収束関連作業に携わる人びとの健康管理は民間企業任せ、被ばくした住民の健康管理についても、国は責任を持とうとしていない」。
吉田さんはこのように、日本の政府当局のご都合主義、無責任を批判した。
FoE Japanの深草亜悠美さんは「ベラルーシで見た希望と架け橋」というテーマで、昨年四月のベルラド研究所、保養施設、移住村訪問などについて報告。ベラルーシの市民社会では「チェルノブイリ法」の存在によって守られるべき権利、提供されるべき支援が最低限のところで存在するものの、ベラルーシ政府による言論統制などによって実際の現実がとりわけ若い世代に伝えられていない問題があることも指摘した。
FoEドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさんは、チェルノブイリ原発事故のドイツ・バイエルン州への影響について報告。彼は、チェルノブイリ原発事故によってドイツの脱原発への政治的議論が強化されたと語り、「独立した情報システム、放射線測定システムが市民を守るために欠かせない重要な役割を果たした」と強調した。彼が強調する「唯一の再発防止策」は「即時脱原発」である。

今、何が問わ
れているのか
第三部は「今、必要なこと」。
FoE Japanの満田夏花さんは、避難指示の解除と賠償の打ち切り、甲状腺がんの多発などを取り上げながら、「被ばくの影響」について論じることがタブーとされている現状に警鐘を乱打した。生物学者のメアリー・オルソンさんは、女性のガン発生リスク、とりわけ子どもや若い女性の場合はそのリスクが男性よりも高いことが無視されている、と批判した。
吉田明子さんは電力自由化のすすめの中で、再生可能エネルギーをベースにした自然エネルギーへの「パワーシフトを!」と訴えた。ピースボートの川崎哲さんは日本がすでに四八トンものプルトニウムを保有していることの危険性に注意をうながした。
最後にスティーブン・リーバーさん(前広島平和文化センター理事長)は述べた。「もし津波が午前二時ごろに福島原発を襲っていたら、いまこんな話を東京でしていることはできなかっただろう。人がいなければ緊急事態に対処できなかったからだ。核産業はウソと秘密の上に成り立っている。端的に言おう。『核は悪』だと!」。
この日の集会は、「五年目の福島」に思いを致し、原発も核兵器もない世界への、人びとの強い意志を示すものとなった。  (K)


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