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    かけはし2016.年4月11日号

核と被ばくをなくす国境を越えた共同の行動へ


3.23〜28

初めての反核世界社会フォーラムが成功 (上)

学びあい、経験を共有しよう

共通の戦略を作り出すために

 三月二三日から二八日にかけて、「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」(反核WSF)が開催された。いわき市での集会、七つの分科会、院内集会、被ばく労働者の権利を求める国際シンポなどをふくめた多彩な企画とともに、三・二六の「原発のない未来へ」大集会への参加・デモをふくめたこの企画は、大きな成功を収めた。とりわけチェルノブイリの原発労働者、アジア、欧州、南北アメリカの活動家の参加の下に、国際的な展望に貫かれた討論を深めることができたのは大きな意義があった。以下、その一部を紹介する。(本紙編集部)

3.23

オープニングフォーラム

国際的視点と運動化へ

シコ・ウィタケーさんの提案


1年以上の準
備活動を経て
 三月二三日から二八日までの日程で、「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」が開催された。世界社会フォーラム(WSF)の運動と結びつき、その一環として原発と核兵器の問題を資本のグローバリゼーションに抗するグローバルな社会運動の課題として、改めて意識的に捉えかえし、受け止め、運動と経験を交流し、発信していこうという意欲的な企画だ。
 このイベントは、二〇一一年の福島第一原発事故を契機に、二〇一四年一〇月に来日したWSFの発案者の一人、ブラジルのシコ・ウィタケーさんが「核エネルギー問題に焦点を絞ったテーマ別世界社会フォーラムの日本での開催」を提案したことから始まっている。
 昨年三月チュニジアの首都チュニスで開催された世界社会フォーラムでは、福島原発事故の被災者の一人、大熊町の木幡ますみさん(現大熊町議)が報告するワークショップも開催された。そしてこのWSFチュニス、そして昨年一二月にパリで開催されたCOP21対抗アクションでも詰めの論議が行われ、昨年来のあわただしい準備活動を経て開催に至ったものだ(本紙昨年6月8日号、「世界社会フォーラム2015報告集会」記事参照)。

広島・長崎・
ビキニと福島
三月二三日夜、東京・神田の在日韓国YMCAで行われたオープニングフォーラムには約一〇〇人が参加した。司会の仲間は、一九四五年の広島、長崎、一九五四年のビキニ核実験と第五福竜丸の被爆、一九九九年のJCO臨界事故、そして二〇一一年の福島第一原発事故という「核による死者」を生み出し続けてきた日本の社会が、福島の惨事を引き起こした後も、原発の再稼働を加速度的に進めている現実を批判し、世界の人びとと経験を共有しながら運動を作り出していこう、と訴えた。
主催者を代表して小倉利丸さんは、世界社会フォーラムは「新しい社会」を議論し、行動を積み重ねてきたが、「核・原発」問題については十分に考え、議論してこなかった経過がある、と指摘し、「人びとの生存を脅かすファクター」である核エネルギーの問題を国際的な視点と自らの経験の中から論議していこうと訴えた。そして「交流し、知り合いになることを大切にしよう」と訴えた。
続いて、三月二四〜二五日の福島現地ツアーといわき市で開催される福島集会、二六日、二七日の各分科会などの紹介が行われた。海外からの参加者としてチェルノブイリ原発事故当時、同原発で働く労働者であり、収束作業にもかかわったウクライナの労働者もその経験を語った。
原子炉物理学者で、フランスの原子力庁・環境エネルギー庁の元高官でもあるベルナール・ラポンシュさんは次のように訴えた。
「私たちはどれだけ大きな勢力と闘っているのかを知ることが重要だ。気候変動を理由にして原発への依存を正当化する主張に、私たちは正面から反論してきた。しかし原発を即時廃棄するか、段階的廃炉を進めるのか、という点で分裂しており、医師、労組、ジャーナリストの団体では中間的グループが発展している。しかし原発を残して人類の未来はあるのか、という問題だ。廃棄物の問題も残っている」。

入管当局の
不当な弾圧
最後に、この反核WSFの提案者であり、世界社会フォーラム自身の共同創設者であるブラジルのシコ・ウィタケーさんが発言した。シコさんはこの日、成田に着いたのだが、なんと日本の入管当局は、八〇歳代半ばの高齢者であるシコさんを「反原発運動に関わっている」という理由で、四時間にもわたって拘束するという弾圧を行ったのである。シコさんが「なんのために拘束するのか」と質問しても答えは返ってこず、荷物の中身もすべて調べられ、手帳は全ページをコピーするというまさに念を入れた嫌がらせだった。参加者全員は、この不当弾圧に抗議の声を上げた。
シコさんは次のように語った。
「WSFは多くのテーマを扱ってきたが、問題をしぼって行動に移していく時期だ。世界でもテーマ別のフォーラムが行われ、別々に行動している人びとが結びつき、知り合うようになっている。さまざまな分野でつながり、『もう一つの世界』を作っていこう」。
「ブラジルには原発が二基あって、三期目が建設中だ。しかし人びとはあまり関心を持っていない。原発は清潔で安価な発電源であるかのように言われている。一握りの人びとが民衆を目覚めさせようとしているが、国際原子力ロビーの攻撃を受けている。左派のモラレス政権の下にあるボリビアでも原発が導入されようとしているが、そこにどういう危険があるのか人びとはまだ知らない」。
「原発も核兵器もない世界を求める一つの闘いを進めよう。お互いに認め合い、世界とつながろう。共通の戦略を作り出すことができる『われわれ』になろう。今年八月にカナダで行われるWSFに今回のフォーラムをつなげ、核のない世界のために行動しよう」。
シコさんの希望に満ちたアピールで、「反核WSF」が始まった。 (K)

3.26

分科会:クライメート・ジャスティスの視点

COP21交渉と原発再稼働

気候変動への取り組みとつながって


原発推進と温暖
化懐疑論は一つ
 三月二六日、「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム2016」の分科会「クライメート・ジャスティスの観点からCOP21交渉と原発再稼働を考える」が代々木公園での「原発のない未来へ 3・26全国大集会」とデモ終了後の午後六時から、東京・水道橋のスペースたんぽぽで開催された。同分科会にも主催者の予想を超える七〇人以上が参加し、会場は満席となった。
 最初に司会をつとめたATTACジャパンの秋本陽子さんが、昨年一二月にパリで開催されたCOP21について、「クライメート・ジャスティス」という観点からその問題点を分析し、原発が「地球化温暖化対策」たりえないことを批判していこう、と訴えた。
 最初の報告者は東北大学教員で環境エネルギー政策論が専門の明日香壽川さん。明日香さんは最初にフィリピンを襲った台風とインドの干ばつの写真を示しながら、気候変動の最大の犠牲者が、エネルギー使用量・排出量の少ない貧しい国・地域の人びとであることを明らかにした。そして、化石燃料を売る人びと、原発を推進する人びと、武器をつくって売る人びと、新自由主義の信奉者、温暖化懐疑論を広める人びとが同じであることを強調した。
 明日香さんは、東北電力が「女川原発再稼働ができていないので温暖化対策に影響が出ている」とのチラシを周辺住民に配っていることを紹介。脱原発と温暖化対策は両立しないと考えている一部の人びとの意見や、「地球温暖化」論は原発推進を肯定するための口実と主張する言説を厳しく批判した。さらに明日香さんはパリでのCOP21に触れながら、司法の場でも温暖化を促進する企業の責任が問われるようになっていることを紹介し、脱原発・脱温暖化のためにもシステム・チェンジが必要である、と強調した。

自然エネルギー
への方向転換
次にATTAC関西メンバーで科学技術社会論専攻の春日匠さんが「自然資源の過剰使用と過剰排出」、「環境債務」、「平和と脱中心化のためのソフトエネルギーパス」という観点から問題点を整理。中央集権的な巨大プロジェクトとしての原発が、エネルギーの過大消費を必然的に構造化するシステムとなり、それがまた「戦争と警察国家」、環境破壊と人権侵害を伴った政治・経済・社会のあり方を伴ったものであることを強調した。
原子力物理学者で元フランス原子力庁・環境エネルギー庁高官のベルナール・ラポンシュさんは、「原発は温暖化防止のためになる」という原発推進論者の言説を批判した。そして原子力も化石エネルギーも使用を中止し、自然エネルギーに方向を変えなければならないと語り、「原子力によって削減できる温暖化効果ガスはごくわずかである」ことに注意を喚起した。
ATTACフランス社会・エコロジー委員会のジャクリーヌ・バルヴェさんは、パリ協定の評価について次のように語った。
「パリ協定では拘束力のない文書であるだけでなく、クライメート・ジャスティスの視点を完全に失ったものとなってしまった。南の国での再生エネルギー開発は、北の多国籍企業によって行われることになった。再生可能エネルギーはエネルギー生産を減らし、分散化させるもので、多国籍企業が支配する社会では不可能。そのためには世界社会フォーラムのような繋がりが不可欠であり、運動により政府に圧力をかけることこそが求められる」。
討論の中では、原発、地球温暖化、環境破壊がすべて同一の根から発していることが強調され、国際的な社会運動の連携、裁判闘争等の手段を駆使しながら、システムチェンジを追求していくことが改めて強調された。
気候変動への取り組みと脱原発の運動が、ともすれば分断されてしまう現実の中で、それを克服する提起と討論が始まったことには重要な意味がある。 (K)

3.27

分科会:原発を輸出しないで!

アジアの人びとの叫びに応えて

国際的な連帯闘争が必要だ


輸出される国の
民衆の声を聞け
 三月二七日午前中、韓国YMCAスペースYで「原発を輸出しないで! ?アジアの人びとの叫び」(反核世界社会フォーラム2016の分科会3)が主催:No Nukes Asia Forumで開かれた。
 欧米諸国で行き詰った原子力産業は、生き残りをかけてアジア各国でその動きを強 めている。日本では国内での原発新増設の問題に加えて、原発輸出の問題も深刻さを増している。三菱とアレバが四基輸出予定のトルコ・シノップ、米仏の原子力企業と結んで日立、東芝、三菱が大規模な原発輸出をねらうインドなど、輸出される側の声に耳を傾ける。そして、輸出する側の国に住む者がどうすべきかを明確にし、原発輸出を「挟み撃ち」にして食い止めるための議論のきっかけとしたい。

トルコとインド
から切実な訴え
トルコの報告。プナール・デミルジャンさん (トルコ、脱原発プロジェクトnukleersiz)とメチン・グルブズ(トルコ、シノップ反原発プラットフォーム)が行った。
「二〇一三年五月に、日トルコ原子力協定が結ばれ、四基の原発を建設する。値段は二二〇億ドルとされていたが一六〇億ドルに値下げされた。しかしこのことをトルコ側は説明していない。建設反対の理由は次の通りだ。建設予定のシノップ市の近くに地震の断層がある。電力は不足していない。トルコは自然の豊かな国で、水力・風力・太陽力を活用できる。発電は天然ガスが四八・七%で、ロシアに依存している。ロシアとも原発協定を結んでいる」。
「シノップ市は黒海に面し、九九%が森であり、第一級の自然遺産だ。漁港もあり、漁業と観光業が盛んだ。二〇一四年にシノップ市で二万五〇〇〇人が建設反対のデモを行い、二〇一五年には三万人のデモを行った。チェルノブイリ原発事故の影響で三年後にガンが増えた。全世界の原発に反対する」。
インドの報告。ラリター・ラームダースさん(インド、核廃絶と平和のための連合)、アミルタラージ・スティフェンさん(インド、反核運動全国連合)。
「一九七四年にインドは最初の核実験を行った。その後核実験をしないとしていたが一九九八年に核実験を再び行った。核兵器と原発をリンクして考えることが大事。インドとパキスタンは一九四七年に分裂した。一九七四年、インドが核実験をした二週間後にパキスタンが核実験をやった。核国家主義になっている。安全保障アイデンティティと結びついていて、スーパーパワー国は核兵器・原発を持っているのに、なぜわれわれが持ってはいけないのか。ここに闘う難しさがある」。
「日印原子力協定の問題点。非常に危険だ。貧困層へ苦しみを与える。フクシマ、ヒロシマ・ナガサキがあった。日本が原発輸出するのは道徳違反だ。死んでしまいそうな核産業を復活させた。インドには原発が二二基あるがこれを四六基にする計画だ。原発企業は事故の免責を要求しているがこれは絶対に受け入れられない。核拡散反対の願いが打ち切られ、武器レースがエスカレートしていく。軍事主義になり、日本国憲法九条違反になる」。
「クダンクラム原発反対運動について。父が原発建設関係の仕事をしていた。原発は経済開発のものだと思っていたが福島の原発事故で変わった。情報公開を求めたが安全性は見せない。フクシマの恐怖が起こってきた。二〇一一年八月から、非暴力・平和デモを行った。多くの漁民が参加した。警察は激しい弾圧を行った。一日六億リットルの海水を使い、四〇度になる温水を海に流す。二〇一一年九月、海から抗議した。それに対して国家に対する扇動罪で弾圧した。五人が殺された。核廃棄物の処理計画がまったくない。日印原子力協定を止めたい。再稼働反対、原発ゼロを」。

止めた比国
輸出する韓国
フィリピンの報告。コラソン・ファブロスさん(フィリピン、非核フィリピン連合)。
「一九七〇年代にマルコス時代、独裁体制で秘密裏に建設が進められた。最初二三億米ドルで原子炉が二つであったが、三二億米ドルで原子炉一つとなった。マニラから車で三時間のバターンに作られた。電力不足、安い電力ということだった。IMFから大きなカネを借りた。汚職や人権侵害もあった。反対運動は消費者の問題として始まり、反マルコスキャンペーンの一部となった。一九八三年バターン原発は稼働した。しかし反対運動が全国化し、一九八六年にピープルズパワーがあり、原発は止まったままだ。一九九一〜二年に米軍基地が閉鎖された。政府は一三カ所の建設計画をあきらめていない。五月に総選挙があるが原発反対の候補者がいない。バターンから原発に反対している。世界中の仲間と共に反対している。『平和・連帯・再稼働反対』」。
韓国からの報告。イ・ホンソクさん(韓国、エネルギー正義行動)。
「韓国政府の原発輸出問題について十分な対応ができてこなかった。政府は原発輸出をどんどん進めている。韓国では二五基の原発が稼働しているがこれを二〇年で四六基に増やす計画だ。電力需要は増加しない、核濃縮サイクルがない、再処理はしないのにだ。二〇〇九年、ヨルダンに研究用の原子炉を輸出、二〇一一年三月一五日にUAEと原子力協定を結んだ。韓国にとってフクシマ原発事故は原発輸出のチャンスになった。そしてこの日を原子力の日として制定した。二〇一六年にアラブ首長国連邦(UAE)に輸出。このオプションで韓国の軍隊がUAEに行き、UAEの軍隊を訓練している。これに対して平和団体が反対している。国際金融機関からカネを借りてUAEに貸し付けて原発を作っている。低金利で返してもらう構造になっているので韓国にとって負担だ。また核兵器を持とうという動きが強まっている。韓国インド原子力協定を結んだ。さらに、サウジアラビアにはスマート原子炉の輸出をしようしている。反対する国際的な闘いを」。

原子力マフィ
アとの闘いへ
台湾からの報告。王俊秀さん(国立清華大学社会学研究所教授/台湾環境保護連盟)
「台湾には三基の原発があるが民進党政権ができ、二〇二五年には原発が止まる。日本が輸出する必要はない。今後核廃棄物が問題になる。自転車で発電するなど市民の電力の運動が起きている。日本のデモに参加した。若者が出てこないと運動は成功しない。がんばって」。
アジアの報告を終え、日本の運動団体が発言した。日印原子力協定反対キャンペーンの福永正明さんは「国際的な原子力マフィアがうごめている。世界中の原発を止める。輸出させない。次の世代に核の被害を受けさせないためにがんばろう」と訴えた。河合弘之さん(脱原発弁護団全国連絡会代表、弁護士)は「原発が稼働していないと輸出はできない。台湾は原発を止めた。『日本と原発』を自費で制作し、一一〇〇回の自主上映を行い、八万人が観ている。高浜原発3、4号機を止めた。稼働しているのは川内原発二基だけだ。四月二日には、差し止めの判決がある。原発なし自然エネルギーでやっていける」と発言した。宇野田陽子さん(ノーニュークス・アジア)が「原発には未来はない。原発や武器を売ってもうけるのは許せない。台湾へ日本企業が原発を二基輸出した。今回、アジアフォーラムとして富岡など福島被災地をアジアの人々に見てもらった。貴重な交流が持てた」と報告した。
アジアで反原発・反核の闘う仲間たちとフクシマの交流の実現は重要な機会だった。原発・核兵器のない世界の実現に向けて奮闘しよう。(M)

3.27

分科会:被ばく労働の現状

世界各国の現実を知る

仏・ウクライナ・韓国・日本

 

 三月二七日、「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」(主催:実行委)の分科会6「被曝労働問題の現状?フランス・ウクライナ・韓国・日本」( 主催:被ばく労働を考えるネットワーク)が韓国YMCAスペースYで行われた。以下の五人は被曝労働の実態と問題点について報告した。

仏・原発下請
労働者から
フィリップ・ビヤールさん(フランス、原発下請労働者)―一九八五―二〇〇六年、仏電力公社の下請け労働者として保全作業に関わり、複数の原発で働く。
「原発ロビー、仏政府によって制度化されている犯罪的組織と言える原発の中で働く見えない労働者の一人であり、同じような境遇の仲間たちは仏で三万人以上いる。原発ロビーによってまるで私たち自身が放射性物質の塊であるかのように扱われている。私は二二年間、原発で働いてきた。二〇〇六年までの間に二五〇ミリシーベルトの放射能を浴びてきた。ある同僚は、仕事を辞めるまで一シーベルトの放射線を浴びてきた人もいる」。
「私は、CGTというナショナルセンターの組合員です。原発下請け労働者の組合の代表をしている。組合を立ち上げたのは、原発で働く労働者が病気となり、彼等の権利を訴えていくために作った。多くの労働者は亡くなったり、津様々なガンや病気で苦しんでいる。仏電力が下請けに労働させる理由は、病気自体を下請けに出し、責任逃れが目的だ。さらに放射線にさらされるプロセスを見えなくさせ、健康診断を的確に受けさせていない。労働組合活動をさせないことも目的に入っている。原発労働者の給料を少なくすることも狙いだ。原発労働者を次ぎ次ぎと変えて、多くの放射線を浴びせている。今後も闘っていくために繋がりを強めていきたい」。

チェルノブイリ
の経験を語る
ムィコラ・ヴォズニュークさん(ウクライナ、チェルノブイリ原発事故処理作業者)―チェルノブイリ原発事故(一九八六年四月二六日)。原発から約一キロに仕事場(資材保管部門長)。関連作業で被曝。チェルノブイリ被災者認定(一九九二年)。
「チェルノブイリのショックは、ある程度過ぎ去っている。事故の原因は、事故以来、統一の見解はないが、そもそも原発の構造自体に問題があった。事故時、運転員の対策が不適切であった。四号炉では実験のために安全装置のスイッチが切られていた。実験そのものが事故の原因の一つだ。事故で炉心が破壊され、大量の放射性物質が大気中に放出された」。
「一九八六年から八九年の間、事故処理作業費用は、一〇〇億ドル以上。間接費用が二五〇億ドルと言われている。ウクライナは、事故後の問題を解決するために八億〜九億ドルも支出しなければならなかった。一〇万人以上の人々が避難させられた。チェルノブイリ事故があったにもかかわらず福島原発事故が起きてしまった。人類は原発を拒否しなければならない」。

世界的な医療プ
ログラムが必要
ヴァレンティン・ヘルマンチュクさん(チェルノブイリ原発事故処理作業者)―一九八五年より原発職員。チェルノブイリ原発事故当日、防衛隊に参加し被曝。キエフ放射能医療研究所から全ての臓器に問題があると言われた。高血圧で心臓に負担過重。
「原発の運転は慎重でなけれはならない。原発事故の原因は色々存在している。スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、福島事故を見れば、明らかなように数万人の人々が心も含めて犠牲になった。今後の提案として、原子力発電の構造的欠陥、安全システムの不備について情報交換をすること、原発労働者の採用、訓練をよりよいものにする。末期的な状況でも方策がとれるような訓練が必要だ。人口が密集しているところの原発建設は廃止しなければならない」。
「世界的な医療プログラムを被災者のために創設することが必要だ。予防的な措置もしなければならない。原発被災者のために訓練センターの設立も必要だ。放射線廃棄物の解決なくして新規に原発建設してはならない。国際的な情報交換を深めていくことは重要だ。だが国の主権の主張によって阻害されている。核兵器の輸出の可能性が存在し続けるかぎり、核を輸出してはならない。太陽光エネルギーにより関心を払うべきだ。核開発のために資金を使うのではなく太陽光エネルギーに使うべきだ。さらに労働者の労働条件改善、事故、病気対策は優先されなければならない」。

韓国原発労働
者の闘争報告
ギム・ヅチョンさん(公共非正規職蔚珍支会水処理分会長&全国の原発水処理連合会長)―二〇〇二年八月〜二〇一四年一〇月/ハンウル原子力韓国の整数工業勤務、二〇一四年一〇月から蔚珍原子力水産インダストリーハンウル推処理事業所。
「二〇一四年六月、韓国の四カ所〈ハンウル、ウォルソン、コリ、ヨングゥアン〉の原発で労働組合を結成し、私はハンウル原発で働き、全国水処理労働組合連盟の会長をしている。二〇一六年で二五基の原発が稼働している。電力生産の三〇%が原発電力だ。原則的には、国民の安全と核の安全管理のためにすべての従事者は直接雇用とすべきだ。しかし、整備や放射線官吏業務などは、協力業者(下請負)による間接雇用だ。協力業者は入札により、一年から三年単位で韓国水力原子力と契約するので、労働者は本人の意志とは無関係で間接雇用の非正規労働者となってしまう。すでに約三〇%が間接雇用・非正規労働者、新たに稼働する原発では約四〇%が非正規だ」。
「組合は、韓国水力原子力を相手に、間接雇用・非正規労働者の正規・直接雇用などの問題で対政府闘争を開始した。二〇一六年三月一一日、世宗市の政府総合庁舎で集会をスタートさせ、核労働者の正当な権利を獲得するために努力している。雇用と賃金の格差は、原子力発電所の安全問題と直結している。世界原子力協会や米国原子力規制委員会などに間接雇用禁止について厳格に規制し、持続的に管理基準を策定していくことが必要だ」。

福島の原発収束
労働者も報告
池田実さん(元収束作業員〈東電福島第一原発〉、元除染作業員〈浪江町〉)―二〇一四年二月〜五月まで福島の帰還困難区域の浪江町で除染作業に従事。一四年八月〜一五年四月末まで東電福島第一原発構内で廃炉に向けた事故収束作業に従事。
「除染と第一原発で約一年三カ月働き、積算被ばく線量は七・二五ミリシーベルトでした。法律では一年五〇ミリ、五年で一〇〇ミリシーベルトが上限と定められ、東電は年二〇ミリシーベルトを越えないように管理している。それから見れば十分低い値かもしれないが、厚生労働省が原発作業での白血病の労災基準としてあげている年五ミリシーベルトを越えている。昨年初めて福島第一原発で作業し白血病に罹病した労働者の労災が認定されたが、原発作業員の労災認定は狭き門だ」。
「私のように一度離職したら、その後の保証は全くありません。もし罹病したとしても自費で受診、治療するしかなく、労災申請するには多くのリスクを伴います。劣悪な労働環境の下で保障もなく使い捨てられているのが福島原発作業の実態だ。今後、果てしなく続く廃炉収束作業、東電任せ、下請け任せの組織体制を改め、国が前面に出て、原発作業員の雇用、労働条件、福利厚生の改善、そして被ばく保障にあたるよう望む」。

 各報告者に対して若干の質疑応答が行われた。最後に論議の掘り下げは、明日、二八日の「被曝労働者の権利を求める 国際連帯シンポジウム」で行っていくことが提案された。  (Y)


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