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    かけはし2016.年4月18日号

今こそ沖縄から米軍を追い出そう


沖縄報告 4月11日

目取真俊さんが怒りのアピール

沖縄 K・S

4.6

米軍司令部ゲート前

緊急県民抗議集会に七〇〇人

目のあたりにした米軍の横暴


 四月六日午後、米軍の横暴・弾圧を許さない!をスローガンに、沖縄に駐留する米軍司令部のある北中城村石平のキャンプ・フォスター(キャンプ瑞慶覧)第1ゲート前で緊急抗議集会が開かれ、七〇〇人の市民が結集した。
子ども連れの人々も見える。取材陣も多い。第1ゲートが面する国道三三〇号線の両側はすべて基地だ。『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社、二〇一一年)のキャンプ・フォスターの項目を開けて地図を確認すると、基地の中を国道が通っていることが一目で分かる。やはり、基地の中にオキナワがあることを実感する。
集会の始まる三時前から集まった参加者はゲート前に座りこみ、「沖縄を返せ」を歌い、ゲートを完全に封鎖した。車両は一台も通過できない。ついに米軍司令部のゲートを封鎖したぞ! 参加者が叫び、拍手する。機動隊は姿を見せない。警官は十数名が入口付近に並んでいるだけだ。軍警(米軍に雇用された民間警備員)が数十人、ずらりと並んで警戒態勢を取り、マイクで「車が通ります。道を開けてください。歩道へ上がってください」と叫び続ける。そのような妨害を無視して、平和市民連絡会、ヘリ基地反対協議会、刑特法違反で不当拘束・逮捕された芥川賞作家の目取真俊さん、普天間基地爆音訴訟団、嘉手納基地爆音訴訟団の代表が次々と立ち、工事が中止になっているもかかわらず米軍警備員が拘束をくりかえす米軍の横暴を批判した。
目取真俊さんは「基地の中は治外法権だ。いったん基地内に監禁されると、情報は何も得られなくなる。まるで復帰前に戻ったかのように米軍が直接県民を弾圧している。沖縄からすべての米軍基地を追い出そう」と訴えた。
集会がそろそろ終わりに近づいた三時五〇分頃、初めは姿を見せなかった機動隊が基地内のゲート入口付近に集まり、何か打ち合わせをはじめた。司会の山城博治平和運動センター議長が県警に「あと五分で集会は終わるのでそれまで待って欲しい」と再三訴えたにもかかわらず、突然、指揮官が指揮棒を振りかざして、整然とした集会に警官を突入させた。
排除に抵抗する人々、座り込む人、寝ころぶ人、ゲート前の国道に広がり座り込む人、ゲート前一帯は騒然となる。一体何事か、と思っていると、基地の中から一台の米軍車両が出てくる。二人の米兵が乗っているが、たくさんの勲章をぶら下げており、一目で司令部の高官だと分かる。ふたりの米兵は激しく抗議する集会参加者など意に介さないかのように平然として談笑する。なんという高慢な米兵たちか。集会参加者から守るようにこの車を取り囲んでデモ隊を排除しながら機動隊が車を通過させようとする。「県警はいつから米軍の用心棒になったのか」。あちこちから怒りの声が上がる。こうして、約二〇分にわたりゲート前は大混乱に陥り、国道は三〇分以上最大二・三キロ渋滞した。
結局機動隊が導入されたのは基地司令部の高官が乗った車一台を通すためであることが明らかになった。ただそのためにだけ平穏に進行していた集会の終わり間近に介入し集会を妨害しただけでなく、あたり一帯の交通渋滞を招いたのである。渋滞を招いたのは全面的に警察機動隊の責任である。そして米軍の指示に従順に従う警察という図式はまさに、安保条約の下でのアメリカにみずから進んで従属する日本という関係の縮図だといえる。
米軍車両が通り過ぎたあと、参加者は再度ゲート前にあつまり、総括集会を開いた。統一連の中村さんが集約として、辺野古基地は絶対に造らせない、すべての米軍基地返還に向けて闘いをすすめる、の二点を確認し、ガンバローを三唱して解散した。

和解成立後相次ぐ軍警の
不当拘束は危機感の反映


軍隊の規律が支配する基地内で上司の命令は絶対的である。現場の米軍警備員の行動は米軍当局の指示がなければ勝手にできるものではない。この間のゲート前や海上での軍警による不当拘束は米軍当局の指示により行なわれていることは明らかだ。いっこうに収まる気配を見せないどころか、ますます広がりを見せながら頑強に闘い続けられる辺野古の現地闘争に対し、基地の安定の揺らぎを感じる米軍は落ち着きがなくなり神経質になっているのだろう。
米軍にしてみれば、一九七二年の沖縄返還後日本の法的支配の下で沖縄の米軍基地が安定的に運用されると思っていたところ、辺野古新基地に公然と反対する名護市長と県知事が誕生し、現地では海でも陸でも一日二四時間、三六五日絶え間なく抗議運動が展開される状態に危機感を抱いているに違いない。戦後71年にわたって沖縄を軍事要塞として支配し植民地同然に無法の限りを尽くしてきた歴史にいよいよ幕を下さなければならないのではないか―米軍のこのような危機感は今後いっそう現実味を増していくだろう。それに伴ない、軍警たちの不法行為は今後も止むことがなく、むしろエスカレートしていくかもしれない。そうなればわれわれの反撃の闘いもより大きく激しく、すべての米軍の撤退を求めて高揚していくだろう。

4.5

辺野古総合大学開講

新崎盛暉さんが第1回講義


和解で工事が止まり、早朝からのゲート前阻止行動をすることもないキャンプ・シュワブの闘争現場では、再び訪れる闘いの日々に備えて、深く学び、認識を共有するための「辺野古総合大学」が四月五日から三〇日まで、全一七回の予定で始まった。
予定されているプログラムは多様で、どれも興味深い。「過去に学ぶ―喜瀬武原闘争」「―反CTS闘争」「―昆布の土地闘争」、「基地と人権」「基地と経済」「沖縄の沿岸漁業と豊かな大浦湾を守るには」「沖縄東海岸の海の魅力」「新基地と環境破壊」「地元住民の新基地反対の二〇年の闘い」「代執行訴訟―和解の意義と今後の展望」「“標的の村”から“標的の島”へ」「海上での闘いと今後の取り組み」「和解後私たちが注意すべきこと―建設事業の現状と課題」「遺骨収集―糸満から辺野古まで」のほか、歌、サンシンのコンサートや琉舞もある。この期間、沖縄辺野古に立ち寄る機会があれば、ぜひゲート前テント村に立ち寄っていただきたい。
四月五日午後、キャンプ・シュワブ第1ゲート前をデモ行進したあと、沖縄大学名誉教授の新崎盛暉さんが第一回目の講義として、「日本にとって沖縄とは何か」をテーマに講演した。
新崎さんの講演は、先週号の「かけはし」にも紹介されている、『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書)の内容に沿うものだった。締めくくりに新崎さんは最も強調したい点として「『安保反対』というスローガンでは安保は変わらないが、辺野古が阻止できれば安保も変わる。小異を残して大同につくという場合、小異は安保で、大同は辺野古だ」と参加者に語りかけた。

4.7

第2回講義は糸数隆さん

喜瀬武原闘争に学ぶ

 辺野古総合大学の第二回目講義は四月七日、糸数隆さん(マスコミOB会事務局長)が、過去に学ぶ@「喜瀬武原闘争」をテーマに報告した。
復帰前、キャンプ・ハンセン演習場でやりたい放題に実弾演習を行なっていた米軍は復帰後も相変わらず演習を継続していた。特に、恩納村喜瀬武原(きせんばる)と金武町金武を結ぶ県道104号線越えの実弾演習(105ミリ・155ミリ榴弾砲)は住民の生活道路を封鎖し、農作物の出荷や生徒・教員の通学通勤に支障を与えるだけでなく、水源地汚染、山火事、砲弾の破片による人身事故や家屋の損壊、着弾地近くの喜瀬武原小中学校への危険などで県民の反対が強かった。
米軍は機動隊を動員し実弾演習を強行していたが、一九七四年一〇月一六、一七日の復帰後八回目の演習の時に転機が訪れた。当時の原水協(仲吉良新理事長)は現地で抗議行動を行なっていたが、県道封鎖が緩んだ昼食時間に乗用車一〇〇台が県道104号線に進入して午後からの演習を中止に追い込んだ。翌日は労働者・学生五〇人が演習場とされた恩納岳・金武岳・ブート岳の山中に突入し、古タイヤを燃やし、発炎筒を焚いてのろしを上げた。その結果、米軍は演習を中止せざるをえなくなり、以降二年間にわたって演習することができなかった。
演習中止に追い込まれた米軍からのクレームで、当時の防衛施設局は演習場内の山中に鉄条網を張り巡らす一方、八億円かけて迂回する産業道路をつくり、地域住民と抗議団の分断をはかった上で、実弾演習を再開した。一九七六年九月一七、一八日の演習に山中に突入し阻止行動をした労働者・学生の内、全駐労、北部地区労など四人の労働者が逮捕され、刑特法違反で起訴された。当時、沖縄タイムス労青年部長だった糸数さんもそのひとりだった。
一九七七年二月に始まった刑特法裁判は全国的に注目を集めた。かつて砂川裁判で刑特法違憲判決を下した伊達秋雄裁判長が弁護団長をつとめ、弁護団は総勢一二〇人になった。二五回にわたる審理の後、一九八〇年、執行猶予付きの有罪判決が下されたが、被告四人は判決文読み上げが始まるや「デタラメだ」と抗議して退廷させられ、被告不在のまま判決文が読み上げられた。
その後、104号線越え実弾演習は北海道、山梨県、大分県など日本本土の5ヶ所の基地に分散され持ち回りで実施されることになり、現在にいたっている。
糸数さんは講義の終わりを次のような言葉で結んだ。
「タイムス記者として三六年。うち二二年は執行委員をした。CTS、全軍労などあらゆる闘いにたずさわった。先輩に教わった言葉がある。右手にペン、左手に石。すなわちきちんと報道すると共に、権力に対して闘うという意味だ。言論人は常に民衆と共になければならない。演習場内の山中は夜間に迫撃砲が飛んでくる、不発弾がある、イノシシの落とし穴もある。私は当時二七才。行動することにより世の中を変えることができると信じた。」
講演後、糸数慶子さんと当時お腹の中にいた娘さんが、当時を回想し涙ぐみながら父に対する思いを語った。

4.8

第3回講義は高里鈴代さん

基地は人権侵害の元凶

 四月八日は、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんが「基地と人権」をテーマに講演した。テントにいたある女性は「高里さんの話をきくと、当時のことが思い出されて辛くなるので、先に帰ります」と言って、席を立った。それほど米軍による人権侵害は県民に深く悲しみと苦しみを与えているのである。
七一年前の沖縄戦で米軍が沖縄に上陸すると共に米軍の犯罪、人権を侵害する事件・事故が起こり始めた。かつて沖縄人権協会理事長として米軍犯罪の調査と追及に情熱を持って取り組んだ福地曠昭さんが詳しく報告しているように、絞殺・刺殺・轢殺など数え切れないぐらい多くの殺人、赤ちゃんから老婆まで数多くの強姦、強盗、窃盗、暴行、傷害、住居侵入などの事件、銃剣とブルドーザーによる強制収用、飛行機の墜落や飛行中の軍用機からのさまざまな部品、物品の落下により命を奪われ傷ついた事件・事故の数々―県民は米軍が駐留し軍事基地があることにより生じる悲しみと苦しみ、そして怒りをこれまで無数に味わってきた。元凶は基地だ。
外国軍隊の存在により起こる人権侵害は外国軍隊の撤退によってしか解決できない。人権を守るためには基地撤去しか道はない。


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