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    かけはし2016.年4月18日号

人種的抑圧は日々の挽き臼、軽視許されず


米国

民主党からの人種問題消失

黒人の新しい行動主義の登場と
リベラル政治との決別の必要性

マリク・ミオー


 米国大統領予備選におけるバーニー・サンダースの健闘が多方面に驚きを広げている。しかしそこで触れられていない重大な問題があり、それは、民主党予備選の争点から黒人差別、米国社会に深く埋め込まれた構造的レイシズムの問題がすっぽり落とされているということだ。以下はこの問題に、米国リベラル政治の本源的な限界として光を当て、そこからの脱却に真剣に踏み出さない限り意味のある変革は不可能、と論じている。(「かけはし」編集部)

黒人のクリントン支持とは?


 「主流メディアは政治システム(その真の勝者と敗者)に関し真実を告げることができないということを疑う者が誰かいるならば、予備選においてヒラリー・クリントンを支持する大多数の黒人大衆という壮観な絵柄は、余りある証明となるはずだ。ほとんどの人がクリントンがどれほど多くの損害を黒人に与えたか――ホワイトハウスに彼らがいた最後の時期に、大量投獄機構との彼ら自慢の抱擁、そして右翼の人種、犯罪、福祉、税に関する作り話に対する彼らの全面的な屈服、それらによって破壊された何百万という家族――を知っていたとすれば、黒人の支えという彼女の現在の差をもってヒラリーが予備選で滑り込むだろう、などと私は信じることができない。この話題について話すべきことはこのようにはるかに多く、もっと多くの人々がそれを言葉にしようとしないことは恥だ」(ミシェル・アレクサンダー、フェイスブックコメント、二〇一六年一月二八日)。アレクサンダーは、「色覚障がいの時代の新ジム・クロウ」(ジム・クロウとは、米国南部で制度化されていた、あらゆる側面で黒人を排除していた一種のアパルトヘイト的分離策を指す:訳者)の著者だ。
 多くの黒人知識人、学者、そしてBLM(「黒人の命も大事だ」)運動活動家たちは、ヒラリー・クリントンへの黒人支持に対するアレクサンダーの驚きをそっくりまねてきた。「エスタブリッシュメント」のアフリカ系アメリカ人「指導者たち」は、主としてクリントンを支援しつつあり、二〇一六年大統領選で彼女に挑んでいるとして、「民主的社会主義者」のバーニー・サンダースに対し強い批判を示している。彼らは、彼の「政治革命」呼びかけは非現実的であり夢物語だ、と言っている。
 何人かのBLM活動家は、バーニーが宣言する階級問題に関する急進主義を理由に「フィール・バーン」キャンペーンに加わった。サンダースは彼の奮闘を、一%へより多く税を支払わせ、ウォールストリートの大銀行は解体されるべきと要求しながら、所得の不平等に絞ってきた。
 彼の綱領は、所得の不平等がアフリカ系アメリカ人をもっとも厳しく痛めつけているからには、「すべてのボートを引き上げること」は人種問題の根源的な原因を解決するだろう、というリベラルの観点を体現している。サンダースは明らかに、このキャンペーンが始まって以後彼の立場を手直ししたとはいえ、人種にはらまれた社会問題および超法規的な警察の暴力と殺害を、彼の選挙キャンペーンの中心とは見ていない。
 ミシェル・アレクサンダーは、「ヒラリー・クリントンはなぜ黒人の投票に値しないのか」との辛辣なコメントで、バーニー・サンダースの立場をまさに超える視野を示している。
 「もちろん、新たな政党を建設するという考えはほとんどの進歩派を恐怖に陥れる。彼らは、理解できることだが、それが右翼過激派が選出されることに向け扉を開くことになるだろう、と恐れている。こうしてわれわれはより小さな悪というゲームをやる。このゲームは何十年間も続いてきた。著名な学者であり、NAACP(全米有色人向上協会、一九〇九年設立:訳者)の共同創設者の一人でもあるW・E・B・デュボイス(一八六八年〜一九六三年、完全平等をめざして活動した学者、晩年はガーナに渡り当地で没した:訳者)は、一九五六年の選挙で、二つの名前をもつ一つの悪の党しかなく、われわれが何を言い行うかに関係なくその党が選出される、という土俵の上で票を投じることへの彼の拒否を防衛し、このゲームに協力するふりをすることを拒否したとき、多くの者にショックを与えた。……このゲームが何十年も行われた後、もしかしたら眠れる獅子がまさに目覚め、四肢を伸ばし、ゲームは終わった、どけ、と両党に告げるかもしれない。今こそこのトランプを切り直すときなのだ」と。

階級的課題優先の先に落とし穴

 人種を階級に埋没させることは、米国での、また国際的な社会主義運動や急進的労働組合運動と同じほど古い。多くの社会主義者はかつて、植民地の民衆と抑圧された民衆の民族主義は労働者階級の革命によってはじめて解決される可能性をもつ、そしてあらゆる民族主義は反動的だ、と主張した(レーニンとボルシェビキは正しくも、抑圧された者の民族主義には革命的な推進力がはらまれる可能性があり、彼らの闘争は支援されなければならない、と説明した)。
労働者の諸条件の改善は、自動的に、あるいはやがては、レイシズムと人種的分断を排除するわけではない。人種を「かき消すこと」は、人種とレイシズムに関する白人労働者の間違った意識の問題を迂回する一つの道となっている。階級的課題と向きあうことはたやすいが、人種の緊張に対処する場合は、極めて感情的になり個人的になるのだ。
私には驚きではないがサンダースは、黒人奴隷に対する賠償に関し肯定的立場をとることをサンダースが拒んでいることについて、「アトランティック」誌の全国問題担当記者、タ―ネヒシ・コーテスが行った批判を拒否した。クリントンもまた賠償を支持していないとの議論に応え、コーテスは次のように説明した(「バーニー・サンダースとリベラルの想像力」、一月二四日号)。
つまり「ヒラリー・クリントンには、急進派、左翼、あるいはリベラルとさえラベルを貼られることに、何の利点もない。それゆえ、クリントンは賠償を支持していないと告げ知らせることは、テッド・クルーズ(共和党大統領候補者指名予備選でトランプに次ぐ位置に着け、右派のキリスト教原理主義者から強い支持がある:訳者)は女性の選択権を支持していないと告げ知らせることと同類なのだ。立場は確かに正しくない。しかしそれはほとんど驚きではなく、選ばれた候補者の名前と逆方向になるものではないのだ」と。「これについては理論的である必要はまったくない」とコーテスは続ける。
さらに「サンダースが支持する強固な福祉国家の型――より高い最低賃金、普遍的な医療保険、低費用のより高い教育――は、欧州中で取り入れられてきた。これらの政策はレイシズムを克服したのだろうか? あるいは人種は、国家の気前の良い施しからだれが利益を受けるべきであり、だれがそうでないのか、を主張するためのもう一つの法規となっているのではないだろうか? そして、欧州で階級を基礎とする政策だけではレイシズムを追い払う上で不十分だとすれば、白人優位主義の上に創立された一つの国において、なぜそれで十分だと分かることになるのだろうか? そして、それで十分でないとすれば、民主党の左翼の側ですら急進的で直接的な反レイシズムの回答に対する深い考察が消えてしまっていることが意味するものは何だろうか?」と。

黒い肌はいつも標的にされる

 人種は、米国の歴史とわれわれの現在の社会の中に織り込まれている。それはある種付け足し的な障壁ではない。それはあらゆるものに影響を与え、人種との関連を理解することのない階級闘争は、米国、欧州、また世界のどこであれ、政治的、社会的な成功を見る革命に導くことは決してないだろう。
ワシントンポスト紙のアフリカ系アメリカ人コラムニストであるユージン・ロビンソンは、オレゴンで起きた公共施設に対する白人武装集団の占拠に関して書いた際、人種に関するこの同じ観点を突いた。すなわち「憤激で一杯になり歯まで武装した黒人民衆の一群が連邦政府の施設を占領し、彼らをたたき出そうとする官憲にものともしない姿勢を見せたとして、その時対応がどうなるとあなたは考えるだろうか? 私はほぼ確信するが、それが待機・監視、となることなどないだろう」「おそらく、もっともありそうなことは狙撃だ」と(二〇一六年一月四日)。
アフリカ系アメリカ人は人口の一三%を占めるが、監獄に入れられている男全体の中ではその六〇%近くとなる(米国司法省、二〇〇九年)。非武装の黒人に対する警官による法的に容認された暴力は、この国中で日常のこととして行使されている。黒人の失業率は全国平均の倍であり、それは経済の健康状態とはまったく関わらない。
この理由は何か? それは明らかに、階級の問題ではない。
人種について語ることを少なくしている初めての黒人大統領は、このことを分かっている。彼は同時に古典的なリベラルの立場を主唱する。全員を助けることは貧しい黒人をも助けるだろうと。しかし現実は違っている。年に六桁稼ぐ黒人でも、その稼ぎがはるかに少ない白人が住むような居住区に住む傾向があるのだ。
諸々の事実が示すことは、何人かの黒人だけが利益を受けているということであり、白人の多数派はそれをオーケイとしている――これらの教育がありより高い所得のあるアフリカ系アメリカ人が歴史的なレイシズムについて、またそれに関し今日何かをやる必要があることについて語らない限りにおいて――、ということだ。
W・E・B・デュボイスは一九〇三年の「能力ある者の一〇番目の枠」という彼の有名なエッセイの中で、当時の教育を受けた黒人中産階級の、全体としてのコミュニティを持ち上げる助けをする責任について説明した。指導的黒人知識人、公民権戦士、そしてNAACPの共同創設者としてデュボイスは、自由と全面的な平等を求める闘いに参加することは教育を受け暮らしに余裕のある黒人の義務、と固く信じていた。
一九六〇年代と一九七〇年代、南部におけるジム・クロウ分離に対する勝利の後、全面的平等を求める闘いにおける新中産階級と黒人知識人の役割に関して、論争が鋭さを増した。民主党内で被選出の公職者となるだけで、今や法的な権利を勝ち取った。以前は全員が白人であった諸機関内に職を得ることだけで、それで十分なのか、と。
マーチン・ルーサー・キングジュニアは彼以前のデュボイス同様、教育を受けた者たちを駆り立てコミュニティ内のもっとも貧しい者たちのために闘わせた。法的な平等は経済的平等ではなかった。一九六八年の彼の暗殺は、アフリカ系アメリカ人のためのアファーマティブアクション(差別の下低処遇のまま放置されている人びとに教育や職に特別枠を設ける政策、特にレーガン時代以降、逆差別との攻撃を受け後退させられた:訳者)、および勤労民衆すべてのための経済的前進に焦点を絞った、かれの「貧困民衆キャンペーン」を中断させた。
黒人解放運動の極左(ブラックパワーの唱道者たち)は、現状および国家権力と対決する革命を強く求めた。革命派は政府とその警察によって打ち砕かれた。公民権運動指導部の同化主義的翼は、ほとんどが運動の中から選出された黒人公職者として勝ちを収め、伝統的な諸組織を中央舞台から押しのけた。労働者階級、いつまでも失業のままの人びと、そして代表をもたないホームレスは、寒風の中に忘れられている。

黒人内階級分割は確実に進行

 今日、黒人コミュニティ内の同じ階級分割がかつて以上に強くなっている。能力ある者の一〇番目の枠はその富を高めた。しかし階級的階層化は、それ以上に大きく成長した。黒人の働く貧困層は、はるかにより貧しい。ハーバード大学のヘンリー・ルイス・ゲイツジュニアは、ニューヨークタイムス紙二月一日付の「ブラックアメリカと階級分割」で、この分割を論じた。
「ハーバードの社会学者であるウィリアム・ジュリアス・ウィルソンは黒人所得の注目すべき増大を、キング博士の死後ではもっとも意味のある変化と呼んでいる。二〇一四年のドル価値に対するインフレ率を調整した上での年収七万五〇〇〇ドル以上となるアフリカ系アメリカ人の比率は、一九七〇年から二〇一四年までで二倍以上の二一%に達した。年収一〇万ドル以上は四倍化に近く、一三%に達している(対照的に白人のアメリカ人の場合、一一%から二六%への上昇であり、その印象はもっと弱い)。デュボイスの能力ある一〇番目の枠は『富裕な一三%』となった」。
しかしウィルソン博士は、年収一万五〇〇〇ドル以下のブラックアメリカの比率は二二%と四ポイントしか低下していない、とすぐさま言い添えなければならない。
「つまり、ブラックアメリカ内部には本当は二つの国民がいる。ウィルソン博士の結論では、不平等な所得の問題は、ブラックアメリカとホワイトアメリカの間にではなく、もてる黒人ともたざる黒人の間にあり、恐怖と破綻という物語、およびレイシズムはまったく同じやり方で四二〇〇万人の民衆に影響を与えているという主張が支配した一時代において、公然とはあまり論じられていない何か、だ」。
BLM運動の高揚は、初期のアフリカ系アメリカ人活動家世代が第一に掲げた旗印を取り上げている、若い黒人女性と黒人男性の新世代を映し出している。彼らは、単に自分自身のためではなくすべての黒人民衆のために闘っている。それは、連邦旗(南北戦争の時に南軍が使用した:訳者)のようなシンボルにではなく、実体のある構造的レイシズムに取りかかっている。

人種は問題すべてにつきまとう


ヒラリー・クリントンの企業「リベラリズム」とバーニー・サンダースの「急進的な」民主的社会主義間の論争は、米国社会の底に潜む人種問題を見落としている。共和党大統領候補者たちが、彼らたちのものだと信じているものを黒人と移民が取り上げたと思い込んでいる白人の労働者階級に訴えていることは、偶然ではない。「われわれの国を取り戻せ」および「アメリカを再び偉大にせよ」は、白人優位主義に関わっているのだ。
一九三〇年代と一九四〇年代の労働組合運動全盛時、ほとんどの組合内でレイシズムは階級的課題だとは考えられていなかった。南部における人種分離の組合支部、およびほとんどの問題を公民権の戦闘に丸投げする政策が、一九六〇年代まで大い行き渡っていた。
一九三〇年代のニューディール、そしてその後の一九五〇年代の下で白人労働者が勝ち取った偉大な成果は、家を買うことを含んで、黒人を大きく排除したものだった。銀行は適格性をもっていても黒人には貸そうとせず、あるいは彼らに搾取的な貸し付けを行った。都会の街でもあらゆるところで、黒人に対する停止線設定は普通のことだった。不動産屋は、アフリカ系アメリカ人のブラックリスト化を実施した。
人種は、政治、法、経済を理解する上では決定的だ。それは全階級――最大のものとして労働者階級――に影響を及ぼしている。それは居住、教育、雇用に影響している。それは、警察とぶつかるとき、有色のあらゆる個人が知っていることとして、命と死の問題だ。
黒人の命は、白人と国家の公的諸部門の見方においては値切られている。こう言ってもそれは陰謀論ではない。それこそ固い事実なのだ。

新しいエネルギーを生かす道は

 黒人の行動主義の今日における新世代の中で特に強力なものは、闘いを指導する――大学キャンパス、街頭、そしてあらゆる運動圏で――女性の、比例からは考えられない数だ。彼女たちははっきりと表現でき、教育がある。そして、相対的に特権があり、コミュニティ内で彼女たちの兄弟姉妹より暮らし向きがよい、ということがどちらかと言えばより白人に近づける、というようなことを受け入れない。それはある種新鮮な空気を吸うようなことだ。
リベラル政治における人種の消失と人種の第二義化は、多くの若いアフリカ系アメリカ人がクリントンにもサンダースにもあまり燃えない理由だ。
サンダースキャンペーンに加わっている活動家たちはそれを、人種とレイシズムに対する闘いを階級論争の中に持ち込み、政治的、社会的革命を押し進めるための一つの道と見ている。しかしながらサンダースキャンペーンは、強力なBLM運動の奮闘の代わりとなることはできない。
人種的、民族的抑圧の現実は、日々の挽き臼なのだ。反レイシズムの変革は、選挙ではなく闘争を通じて到来する。

▼筆者は、米国の社会主義フェミニスト組織であるソリダリティの機関誌、「アゲンストザカレント」の編集者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年三月号)  


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