もどる

    かけはし2016.年4月25日号

若者先頭に政権との総対決へ


フランス

抗議、全国、全階層へ

反労働法改革掲げる社会的決起
が新しい形含み底深く始まった

レオン・クレミュー

抵抗は全地域、全部門で発展中

 日本の一般紙ではまったく報じられていないが、今フランスでは政府の非常事態宣言継続をはね返す形で、巨大な社会的決起が進行中だ。直接には政府による労働規制の大幅緩和に反対する社会的決起だが、この間の政府の政策に対する強い反抗も込められている。オランド政権を危機に陥れる可能性をもつ重大な社会的抵抗が始まっている。英国で同時並行的に進むキャメロン政権の危機並びにEUをめぐる国民投票と結びついて、この危機はEU全体に及ぶ可能性もある。フランスで発展中のこの決起について、労組活動家であるフランスの同志による、とっかかりとしての論評を紹介する。別掲のサバド、ブザンスノー両同志による論評も合わせて参照していただきたい。(「かけはし」編集部)
 三月三一日のストライキとデモの全国行動日は疑問の余地のない成功だった。労組・団体共闘機関(CGT、FO、FSU、ソリデール、UNEF、UNL、FIDL)は、二六〇にのぼる都市で一〇〇万人以上がデモに決起したと公表した(CGTは主要労組連合であるフランス労働総同盟、FOも同規模連合の労働者の力、FSUは教職員を主体とする統一組合連合、ソリデールはSUD―連帯統一民主労働組合、UNEFは仏全国学生連合、UNLは高校生連合、FIDLはリセ生徒連帯連合)。
 ほとんどの都市で隊列は、土砂降りであったパリですら、三月九日よりもはるかに数が多かった。警察自身、彼ら独自の数字に基づき、三月三一日のデモ参加者数は三月九日の倍になったと認めた。
 新たに多くの部門が、公的部門、民間部門双方でストライキに入った。フランス国鉄では、労働者の四〇%以上がエルコムリ法に反対して、しかしそれだけではなく、鉄道労働者の地位のさらなる規制緩和に向けた基準を確定する指令にも反対して、ストライキに入った。
 若者の決起もまた、三月九日以後広がった。この間、学校生徒と大学の学生は三月一七日と三月二四日、二回の決起を組織していたが、そこには多くのデモの中に職場の隊列の出現が伴われた。
 三月三一日には、二五〇の高校が封鎖されたが、それに対比される数字として、三月九日は一二〇、三月一七日は二〇〇だった。学生の動員は発展に向けもっと時間がかかっているが、諸々の動員委員会が数十の大学内に形成されつつある。デモには、労働者階級居住区からの若い人びとが三月九日以上の数で現れた。
 警察はいくつかの都市で、三月二四日におけるパリ一九区(パリ北東部)での若い学生に対する暴力的な攻撃に続いて、山のような挑発と若者に対する暴力行為で介入した。
 したがって運動は、五月九日に予定された問題の法に関する議会での討論の始まりを照準にとらえて広がり続けている。

社会党政権への反抗という異例

 この決起はすでに、二〇一〇年以後では政府が直面するもっとも大衆的なものとなっている。その二〇一〇年とは、年金システムに対する新たな攻撃を、数々のストライキやデモが阻止できなかった時のことだ。しかしすべての者が心に抱いているものは、勝利に終わったCPE反対運動のあった、二〇〇六年のできごとだ。ちなみにCPEとは、ド・ビルパン(二〇〇五年から二〇〇七年まで、シラク大統領の下で首相:訳者)が導入を策した「初期雇用契約法」(失業対策を口実に、はじめて職に就く労働者を対象に、解雇規制などの規制を大幅に緩めることをめざした:訳者)であり、労働者の支援を受けた若者の大規模決起を前に、政府はそれを撤回しなければならなかった。
今回の全体背景は、一つの鍵となる変数に関して二〇〇六年と同じではない。つまりこの間のフランスにおける大規模な社会的決起(一九九五年、二〇〇三年、二〇〇六年、二〇一〇年)は常に、右派政権との対決として起きた、ということだ。
こうして多くの活動家たちは、二〇〇三年と二〇一〇年の匂いをかぎ取りつつある。しかし今のところ学校と大学でのストライキ運動は、二〇〇三年とは異なり、その広がりの程度でも、自己組織化の程度でも、二〇〇六年の水準には達していない。そして労働界の中では、どの部門も指導的な役割を果たす十分な用意ができているようには見えていない。二〇一〇年には鉄道労働者、ゴミ清掃労働者、またタンクローリー運転手が、また他の運動では郵便労働者や教員たちがそうした役割を果たしたのだった。
エルコムリ法は明らかに、労働法、労働協約、そして企業内協約にしたがっている民間部門の労働者にもっとも厳しい打撃を与える。しかし、教員労組であるFSUの隊列が他の決起の際と同じほどは大きくなかったとはいえ、三月三一日のデモにおける公的部門労働者の隊列は同じほどの多さだった。というのも彼らは、政府の反社会政策があらゆる部門に無差別に打撃を与えているということを分かっているからだ。

左右両主流勢力の信用失墜受け


それ以上に全員が、この運動はある種これまでとは異なる様相を呈しつつあるということを理解している。その特殊な性格が運動に、肯定的にも否定的にも双方で影響を及ぼしている。
第一にこの運動は、一種奇妙な情勢の中で起きつつある。三月九日まで情勢は、一一月に起きたテロ攻撃、政府の逆上した治安政策、そして非常事態宣言の永続化を特徴とした。そこにはまた、二〇一五年一二月地域圏議会選挙の紛れもない勝者となった国民戦線がつくり出した政治的分極化という特徴もあった。
オランド(大統領)とヴァルス(首相)は、右翼(代表がニコラス・サルコジである共和党)を窒息させるために、また断固とした政治家という衣装を二人にまとわせるために、先のテロ攻撃を利用しようと望んだ。後者は、二〇〇一年九月一一日後にブッシュがやり遂げ、それによって彼の再選を確実にした先例だった。
この計画は一点で成功した。つまり右翼の危機は、かつて以上に深まっている。共和党は割れ、サルコジは彼の復帰という点で完全に失敗し、アラン・ジュペは彼よりもはるかに人気が高く、サルコジの党内では二〇一七年(大統領選)に向けた立候補者が増殖中だ。UDI(民主主義・独立連合)の中道派は、共和党との共同予備選には参加するつもりはない、と公表するにいたった。伝統的右翼は、今廃墟の原野となっている。
しかし他方で、戦争指導者と政治家としてのオランドとヴァルスの信用もまた、日向の雪のように解け去ることになった。エルコムリ法は、政府を深く傷付けつつある政府側に突き刺さった二番目の棘にすぎないのだ。
実際一番目の棘は、憲法改定の政治的ブーメランだ。それはまさに今彼らに真っ向からぶち当たっている。オランドとヴァルスは、非常事態宣言の永続化、および国際法を踏みにじり市民権のない個人を生み出す可能性のある、テロ行為を理由とする国籍剥奪、この二つへの支持投票を右翼に迫ることで、右翼を罠にはめようと望んだ。
治安問題と社会問題両者に関する社会党執行部の信用失墜は、彼らに刃向かうワナに変じ、そして政府は憲法問題に関して右翼の人質となった。最終的に共和党上院は、社会党と合意することを拒否し、三月三一日前夜にタオルを投げ込むよう、オランドとヴァルスを押し込んだ。
オランドは、支持率一五%という形で、かつて存在した第五共和制下のどの大統領よりも信用を失っている。ヴァルスは同じ道をたどりつつある。彼らはもちろん、社会党外の左翼から見て信用を失い、政府の反動的政策は「左翼の民衆」の大部分からそれだけ多く拒絶されてきた。非常事態宣言の治安政策には明らかなこととして、マクロン/レベサマン法という社会破壊が、それだけではなく移民敵対の下劣な諸政策、および最新事例であるノートルダム・デランデ空港といった「無益な構想」への頑固な固執も加えられなければならない。このすべてもまた、前雇用相のマルティン・ウーブリーが強化している「異論派」を強めながら、社会党を苦しめつつある。
社会党の青年組織代表、ベンジャミン・ルーカスですら、エルコムリ法の撤回を訴えつつあり、社会党に近い学生組合、UNEFの指導部は学生の決起におけるその部署を維持している。
労働組合活動家に対する抑圧もまた、グッドイヤーの活動家のように、この情勢の重要な要素だ。後者の活動家たちは、彼らの職場の閉鎖に抵抗するためにその経営を機能不全にしたことをもって、起訴され有罪宣告を受けたのだった。

草の根の自立的創造性が扇動

 最後に挙げることとして、非常事態の確立、およびイスラム嫌悪の国家レイシズムキャンペーンの解き放ちがここ数カ月、居住区における何千という家宅捜索に行き着いた。そして、これらの居住区出身の数多くの若者たちが、決起の中に、またこれらの攻撃に反対する対応においてもまた、姿を現している。
この社会的連なり全体が、われわれの論議を今ぼやけさせている。労働組合、社会的勢力あるいは政治的勢力のいずれもがさしあたり、この憤激、および社会的公正と民主主義を求める要求に意味と首尾一貫性を与えることができていないからだ。
その上この情勢の中で労働組合指導部は、普段よりもさらに一層無力なように見えている。エルコムリ計画反対の対抗行動は、二〇日間のうちに一〇〇万人以上の署名を集め、三月九日の行動日を設定するという、ソーシャルネットワークの活動を通じて、若者たちの決起によって可能なものにされた。もちろんこうしたネットワークには、今回の決起に対し社会的推進力全体をもたらしている労組活動家チームの決然とした行動が加わっていた。
労組の指導者たちは明らかに、二〇一〇年の時よりもさらに一層、緊縮に対するオルタナティブという政治的問題を直接に提起すると思われる社会運動を恐れている。そうであればなおのこと、先の要求はこの運動の中ではじめて、社会党政府の面前に押し出されることになるだろう。それゆえこれらの官僚たちは、政府の諸政策との世界的衝突をせかせない口実として、国民戦線が待ち伏せしているという脅威を振り飾し続けている。

社会的発酵映し出す運動の姿


しかしながらこうしたことを背景として、社会的ネットワークの本物の発酵があり、連帯、社会的公正、クライメートジャスティス、諸決定並びに社会に関する決定への民主的統制といった、基本的問題すべてを提起している。この発酵が、今日のフランスにある政治的かつ社会的生活に対し活性化を促進する性格を与えている。
こうして三月三一日前夜、四〇〇人の無資格労働者がすばらしい勝利を勝ち取った。労組/団体共闘機関および市民団体のドゥロワ・ドゥヴァン(場の権利)の支援を得た労働省本部事務所占拠を経て、彼らは、規則を変更し彼らの正規化を可能にする、そうした交渉枠組みの開始を強要できたのだ。多くの都市では、裁判にかけられ法廷から有罪を宣告されたグッドイヤー労組活動家たちを軸として、諸々の委員会が形成されつつある。
三月三一日夜、広場占拠のはずみを始動させるために、数千人の若者たちがいくつかのソーシャルネットワークを軸にパリの共和国広場に結集した。市民団体の「居住の権利」(DAL)が、三月三一日夜のこのイニシアティブと連携を始めた。
これらのバラバラの現象すべてが、CGT、ソリデール、FSUの数百人の活動家による統一した動員を構築するためのアピールを例とする、社会的推進力を求める探求の、また沸騰の証拠だ。今後の数週間がわれわれに、これらの潜在力をもつ力学すべてが収斂し、統一し、増幅し、そしてオランドとヴァルスを後退させる十分に強力な勢力を築き上げるのかどうか、それを告げるだろう。(四月七日)
▼筆者は、SUD航空の労組活動家。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年四月号) 

ベルギー

政治弾圧の暴挙糾弾!

警察トップを解任せよ

LCR―SAP全国指導部

政治的見解を狙
った逮捕を強行

 ブリュッセルの証券取引所(「ブース」)前で四月二日に計画された、ファシズムとイスラム嫌悪に反対し、テロ攻撃の犠牲者たちを偲ぶ沈黙のスタンディングが、警察によって暴力的に中断させられた。一〇〇人近い人びとが逮捕され、ブリュッセル南郊のエテルビークにある警察施設に収容された。隣のカフェのテラスに座っていた客が、さらに店内にいた人びとまでもが逮捕された。
 逮捕されたLCR活動家の一人は「逮捕は系統だったものであり、時に残忍だった」「私がいた監房には、今回のスタンディングとは関係のない理由でまさにたまたまブースに居合わせた人が最低一人はいた」と語った。われわれとして付け加えなければならないことだが、人権連盟代表のアレクシス・デスワエフが逮捕された最初の人物だった。彼はその時、現場に到着したばかりだった。警察長官のヴァンデルミッセンによれば、彼は「手本を示すために」逮捕された。
 逮捕されたこれらの人びとはデモをしていたわけではなかった。彼らはそこでただ立っていたにすぎない。横断幕は一つもなく、プラカードも、メガフォンも、スローガンも、何であれどのようなものもまったくなかった。警察長官のヴァンデルミッセンは明らかに、そこにいた、そしておそらくは反レイシストであるように見えた者すべての逮捕を個人的に指示するために、デモに関する警察の禁止を利用した。それゆえに、ここで進行しようとしているものは、そこにいた人びとの(想定上の)政治的見解に基づく逮捕であり、「平和を破る」人びとの逮捕ではない。

警察はファシ
ストを後押し


 時を合わせモレンビークでは、行動を起こしたファシスト三〇人が、十分すぎるほどの機会をつかみ、横断幕を携えて行進し、アトミウム(一九五八年のブリュッセル万博のために建設されたモニュメント)にまで達した! 反イスラムの行動を起こした者たちは、ブラバント州のブリュッセルのすぐ外側にある町、ディルビークのヴェストラント文化センターに集まった。その後彼らは、横断幕を打ち振りスローガンを唱和しながらモレンビークに進んだ。RTBF・TVチャンネルによれば、このグループは一五分後アトミウムに向かった。
 モレンビークで逮捕された者たちのほとんどは当該地区の若者たちだった。極右につながりのある者で逮捕された者はわずか七人にすぎない。
 三月二七日同じブリュッセル警察は、四〇〇人のファシストグループが死者を追憶してそこにいた人びとを暴力的に攻撃し、ナチ式敬礼を行いながらブースに行進するのを放置した。これらのならず者たちのうち逮捕された者はわずか一ダースにすぎなかった。そのボスの権威下に置かれたブリュッセル警察が演じた「政治的役割」は、再度、明らか以上のものであることが露呈している。
 ヴァンデルミッセンと彼の部下たちは、多文化的な追悼、並びに三月二二日以後ブースで起きていることを含む内省に向けた運動を打ち砕くことに、精力的に力を貸しつつある。彼らはこのような行動によって、ファシストの小集団が押し出している、相互交流からの撤退、他者の拒絶とイスラム嫌悪、因習的共同体の墨守、といった選択肢に好意を示そうとしている。

政治的責任のあ
る者たちは明白


 ファシストグループはインターネットで「『私はなにがし』やろうそくで追悼する行為を今こそ終わりにするときだ」と語っている。四月二日、この任に着いていた者こそ、ヴァンデルミッセン率いるブリュッセル警察にほかならない。
 ブリュッセルのPS(社会党、フランス語圏社会民主主義党)市長、イヴァン・メイヨール、そしてブリュッセル圏PS首相、ルディ・ヴェルヴォートは、モレンビークのMR(「改革運動」、フランス語圏中道右派政党)市長の手本にしたがい始めることになった。彼らは、過酷さの限度を高めた治安方策を採用したのだ。しかしそれらは、ブリュッセル運河対岸にあるモレンビークでの極右によるデモ呼びかけに対する対応としては完全に無益だ。
 彼らは「治安部隊」が行った権力の乱用に対し政治的責任がある。それら部隊のふるまいは、それ自体非常事態宣言にふさわしいのだ。これは、民主的であると宣言している体制にとっては、危険であると共に受け入れ不可能だ。LCRは、あらゆる政治勢力と労働組合勢力がこの状況を強く非難することを期待している。
 黙って立っていた人びと、平和的に追悼するためにやって来た人びと、そしてそれ以上にデモへの参加意思を何ら示さなかった人びとの逮捕は、容認できない。それは、三月二七日のブリュッセル警察のファシスト活動家に対する恥知らずな共謀と対照をなしている。そして両者の件で、長官であるヴァンデルミッセンにははっきりした責任がある。LCRは、彼の解任、またブースにおける三月二七日と四月二日のできごとに全面的に光が当てられるべきこと、を要求する。(二〇一六年四月二日)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年四月号) 

フランス

「ニュイ・ドゥブゥ」(夜に起き上がれ)

新しい急進性軸に闘争の合流へ

フランソワ・サバド/オリビエ・ブザンスノー

右翼が勢いに乗
った時期の後に

 大衆的抗議の新しいラウンドが「ニュイ・ドゥブゥ」(夜に起き上がれ)のスローガンの下にフランスを揺り動かそうとしている。二〇一一年のスペインにおける怒れる者たちの抗議行動や米国におけるオキュパイ運動といくらか似たやり方で、夜通しのデモが、この国の労働法を書き替える政府の計画に抗議する何回かの大衆的決起に続いている。
政治的空気におけるこの変化は、勢いが右翼の側にあった一つの全期間の後に現れている。
左翼と労働組合は、フランソワ・オランド大統領に率いられた社会党政府が経済停滞を悪化させた新自由主義の諸政策を採用してきた中で、ここ何年か守勢に置かれてきた。失業率は、二〇〇九年以後九%を超えたままにとどめられ、それはこの一月、一〇・二%に達した。シャルリー・エブドでの殺人と一一月のパリにおけるテロ攻撃に続いて、与党である社会党から極右の国民戦線党までの主流政党は、反移民レイシズムとイスラム嫌悪の波をかき立て、事実上の永久的非常事態という口実の下に、自警団的暴力と警察のローラー作戦的行動を前例のない水準に導いた。中でももっとも懸念を呼ぶものとして、国民戦線は、一一月の地域圏議会選挙で二七%以上を獲得、六八〇万票を取り込んだ。

世界的共通性宿
す若者の急進化

 三月三一日、与党社会党のフランソワ・オランド大統領によって提案された新たな労働改革に反対してデモを行うために、一〇〇万人の人々が街頭に繰り出した。その前三月九日には、国中の二五〇以上の町や市で、およそ五〇万人が抗議に立ち上がった。これが表現するものは、若者、退職者、労働者、高校生、大学生、トラック運転手さらにそれ以上からなるある種の全国的な民衆決起だ。このもっとも重要な特徴は、学校や大学キャンパスでの抗議やストライキにだけではなく、職場の行動や組合の行動にも参加している、新しい世代の出現だ。
決して間違ってはならないことだが、運動は自身を各国毎に違う形で表現しているとしても、怒れる者たちの旗印の下にスペインの最大規模の諸都市でその中心部を占拠した何百万人という若い人びと、新しい左翼政党であるポデモスに参加している人びと、そして米国でのオキュパイ・ウォールストリート運動に加わった若者、これらの人びとの間には一つの共通性があるのだ。
若者の急進化のこの新しいラウンドはまた、昨年一二月のパリにおけるCOP21国際会合に際した反気候変動の抗議行動でも表現された(それは、一一月のテロ攻撃の余波の中で強要された政府による禁令に、公然と挑まなければならなかった)。

労働法改革は社
会的獲得物破壊


これらの闘争すべてを結集し統一しているものは、諸権利と社会的獲得物の幅広い範囲に対し「原爆」的規模で及ぶ脅威を意味する政府の労働改革法であり、これに対する拒否を人びとが第一番目に置いていることだ。与党である左翼は、もっとも反動的な右翼ですら厚かましくも挑もうとは決してしなかったことを、つまり、資本主義の搾取から労働者を保護するために何十という闘争と社会的紛争という経過をたどって勝ち取られた労働法典――諸々の法、指令、規制――の破壊を、あえて遂行しようとしているのだ。
現在まで労働法典の諸条項は、企業内協定、個人的雇用契約、そこでの権利の放棄、さらに新労働法――社会党労働相であるミリアム・エルコムリにちなんで時にエルコムリ法と呼称されている――に対してさえ優位性をもってきた。提案されている変更は、社会的諸基準の階層を逆転させ、社会的諸権利を「企業の適切な機能」の下位に置くと思われる。
こうして、経営と労働者間の局部的協定が、経営者の良心を基礎に、また失業による脅迫の下に、いくつかの現存する規制を参照することなく、労働日の長さや賃金、またレイオフを確定することになるだろう。週三五時間労働の終了は、より少ないもののためにより長く働くよう労働者に迫るだろう。そして経営者は、利益が落ちれば、一年を通じて賃金を抑え込みつつ労働時間を増やすことができるだろう。つまり新たな改革が意味することは、労働のあらゆる側面を不安定化する、ということだ。このすべてを考慮に入れれば、労働運動と若者の強力な反応は簡単に理解できる。

運動は飛躍
を遂げた!


世論調査がフランス住民の七〇%がこの法案に反対していることを示し、ソーシャルメディア上での請願がすでに一二〇万人以上の署名を集めている時、政府は用心すべきだ。その時から運動は飛躍を遂げた。なぜならば、人びとは労働改革に怒っているばかりではなく、資本主義の危機の長く続く影響にも反対して立ち上がろうとしているからだ。そしてその影響とは、爆発的な不平等の拡大、社会的不公正、緊縮諸政策、資本主義的収益性と競争性に基礎付けられた経済生活、さらに環境に対するむこうみずな生産による破壊、といったことだ。
こうした社会経済的不満が、オランドが提案し今や破綻した憲法改定に反対し民主主義を防衛する要求と合体することになった。実際オランドの憲法改訂提案は、テロリズムの罪状で告発された人びとから市民権を剥奪すると脅すものであり、移民の住民全階層に汚名を着せることにしか役に立たないと思われる提案だったのだ。さらなる緊縮と差別とレイシズム、もうたくさんだ。ダムは壊れつつあり、人びとは今街頭にいる!

新しい闘争形態
の登場が始まる


そして、大規模な抗議行動に続く象徴的な位置を占める場所の占拠を例として、闘争の新しい形態が発展中だ。何千という若者たちが、共和国広場――パリの中心的広場――で「夜に起き上がれ」(フランス語ではニュイ・ドゥブゥ)という名のイニシアチブに参加し続けている。ジャーナリスト、知識人、また活動家たちの一共同体が発進させた呼びかけに応じて、何千という人々が、どのような組合のつながりも政治的なつながりもなしに諸々の広場の占拠に、そして何時間もの政治の討論に合流することになった。今これらの何千という若者たちは、この歩みを続けることを決めた。
何よりも大切なこととしてこの運動は、社会的危機と政治的危機の新たな絡み合いの中に根づいていくにしたがい、新しい様相を身に帯びる可能性がある。若者と労働運動からなるこの運動は、オランドと政府がかつてあった時と同じほど弱みを見せているその時に現れている。オランドは撤退を、そして市民権に関し彼が提案した憲法改定の取り消しを強制された。しかし何千という若者たちと労働者たちにとってこの撤退は思いがけなく、動員解除ではなく、もっと多くの要求へと導くかもしれないのだ。
事実としてこれは、問題の法案を拒否している若者、労働者、諸労組と政府の間のいわば決戦へと発展中だ。政府はとりあえずだが、CFDT(民主労働総同盟)の支持を取り付けることによって部分的に労働者の分断に成功した。しかし労働組合の多数――CGT、FO、FSU、ソリデール――は、労働者内部の広範な支持に勇気を得て、労働法改革の撤回を要求し続けている。その間に、この法案に関する議会討論は六月まで進行する予定であり、立法機関で何らかの種類の、それによって政府が自身の提案を支えることができず、こうして全国的な政治的危機の幕を開く、そうした「事件」も排除はできない。

全運動の接合と
展望が核心問題

 今後に続く何週間か、もっと多くの抗議行動が計画されている。この運動は、まさに今継続し、深まり、姿勢を硬化させかかっており、政府との決戦に向かう潜在力を高めようとしている。それは、上述の新しい闘争諸形態――特に、公共の場や特別の領域の占拠、また普段のビジネスを中断させる封鎖――を伴う住民多数を動員する全般化する運動の間で、諸々のつながりをいかにして接合するか、という問題を提起している。
若者と労働者の自己組織諸形態と労働組合の行動の組み合わせは、どうすれば可能か? われわれはどうすれば期日を合わせた全国ストライキの信用と強さを復活できるだろうか? それだけではなくまたわれわれは、政府が労働法改革案を撤回しない場合、長期ストライキに向けたどのような展望を押し出せるだろうか? これらこそわれわれが今向き合わなければならない諸問題だ。(二〇一六年四月五日、NPAウェブサイトにフランス語で掲載、英訳はトッド・クレティエ)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年四月号)

コラム

初めての沖縄

 四月八日から一〇日の沖縄ツアーで感じたことを記す。まずは食べ物。北部の名護から南部の糸満まで車で移動したが、行く先々で「沖縄そば」の看板があった。東京では「そば」と言えば、そば粉のものだが、沖縄ではめん類のことを「そば」と言うらしい。沖縄そばを食べてみたが「そば」ではなく、ラーメンとうどんの間ぐらいの小麦粉を原料とするもの。ダシは何で取っているのであろうか。昆布、とんこつに醤油ベースか。昆布が採れないのに消費量が日本一。沖縄そば定食などを注文すると、カヤクごはんがついてくる。ステーキ丼定食を食べた時は沖縄そばがついてきた。かなりのボリュームだ。
 日本の他の地方でもあるが、お客をもてなす時、腹いっぱいになるように食事を出すという風習を聞いたことがある。沖縄料理もそうしたものだろうか。
 ひめゆりの塔の近くの食堂に寄った時「タコライス」のメニューの旗がなびいていた。「タコ」と言えば、海に泳いでいるもの。タコを混ぜたチャーハンのようなものか? 実はメキシコ料理のタコス(ひき肉をトウガラシなど辛めの香辛料で炒めた料理)をご飯にかけたものだ。沖縄ではポピュラーな食べ物と聞く。
 二日目の昼食でごいっしょした人が山羊そばを頼み、食べてみないかと勧められたが定食の量が多く断った。後になって食べてみればよかったと悔やんだ。果たしてどんな味だったのだろうか。
 揚げたてのさーたーあんだぎーをAさんにおごってもらった。Aさんがここの店のものが一番おいしいと勧めてくれた通り、揚げたてはほんのりと甘く、おいしかった。
 沖縄の植生もずいぶんに違って、初めて見る樹木が多かった。チビチリガマやひめゆりの塔近くには大きなガジュマルがあった。幹が太く枝もこんもりとしている。非常に存在感があり、おごそかな気持ちになった。また、街路樹として、根元が太いデイゴがたくさん植えられていた。葉っぱが落ちると枝先がくるりとまとわりつくようで、不思議な感じがした。赤い可憐な花が咲き、県民の圧倒的な人気で県花となった。花咲く季節ではなかったのか、花を見ることはなかった。
 轟の壕に案内してもらった時、ガマの上は植物が生い茂っていた。「米軍はどうして、ここにガマがあるか分かったのですか」と聞いてみると、「沖縄戦の時はガマの上に草木はなく、ガマの入り口は丸見えだった」とのことだ。六月といえば最も草木が繁茂する時期なので、米軍はそれをなぎはらって攻めたのだろう。
 地名に「中城」、「豊見城」など「城(グスク)」の名前が多いのも特徴だ。また、大きな亀甲墓があちこちに見られた。高速道路は米軍用地の中を通っている所もある。それほど米軍基地が沖縄の人々の生活を圧迫しているということでもある。
 摩文仁の丘に向かう途中、山頂に大きな箱型のレーダーが見えた。米軍の]バンドレーダーと提携するのが、自衛隊の新型レーダーFPS-5(通称ガメラレーダー)で、全国に四カ所(沖縄、青森、新潟、鹿児島)にある。ここにも緊迫の最前線の姿があった。   (滝)

 


もどる

Back