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この珠玉を輝かせろ……


フランス
ニュイ・ドゥブゥ

デニス・ゴダル

 

 フランスの広場占拠運動は二週間〔以上:原注〕続いた(注一)。その進展は予想が難しい。その根は深いとはいえ、多くの見通せないできごとが待ち構えているからだ。
まさにこの時点では、パリの共和国広場の象徴的な占拠が本当に継続可能なのか、あるいはそれが可能だとしてどのような形となるのか、それを知る手立てはまったくない。
一直線的な軌跡をとらないことは、支配的秩序に挑んでいる運動の特性だ。一方では、それがとる前進への歩みであっても、運動は新たな挑戦、新たな目標、新たな問題にぶつかるからだ。運動はこうして占拠の二週間後、抑圧に対する姿勢、闘争中の諸運動との関係、その拡張の必要性……、といったものに関係する戦略的な諸問題に直面している。
他方では、驚きの最初の効果が過ぎ去り、支配的秩序が再び組織立ちつつあるからだ。こうして政府は開けっぴろげに、共和国広場の支配権の取り戻しを追求しようとしている。社会党(PS)から国民戦線(FN)までの全主流政党は今、警察がこの広場を一掃するよう要求している。
しかし見通せないことは、政府危機、およびこの運動の本性に関係した、はるかに深い諸々の理由の結果でもある。実際ニュイ・ドゥブゥ(「夜中起き上がれ」)は、伝統的な枠組みの外で広範に発展中である表現形態の一つなのだ。

運動の起源ははっきりしている

 ニュイ・ドゥブゥは、いくつかの力学の結果だ。つまり、広く行き渡った怒り、さまざまな闘争の多少とも地下茎的な発展、反社会法(労働相の名前からとられたエルコムリ法、またいわゆる「労働法」)に反対する一つの全体化した闘争の登場、そして伝統的枠組み外で発揮された三月三一日の夜共和国広場を占拠するというイニシアチブだ。
これを理解しようとすることは、この運動の記録者として行動するためではない。そうすることは、この運動とその対応能力の深さを予測する力をわれわれに与え、この運動が将来どのように発展するかについて何らかの考えをわれわれに与えるのだ。
システムと政府に対する広範な怒りは、さまざまなやり方で何ヵ月も表されてきた。たとえば、政府からの離反、全主流政党からの離反として。この怒りは、極右への投票によって表現される場合、必ずしも進歩的というわけではない。しかし怒りに紛らさしさはない。その怒りはまた、昨年秋人事責任者を激しく追及していた(彼のシャツを破りながら)エールフランス労働者の人気、あるいは有期投獄刑を宣告されたグッドイヤー労組活動家を支援する請願署名の成功、これらによっても表された。
そしてこの過去を通じて諸闘争は、地方で切り離された形で、職場で増大し、二〇一〇年九月の最後となった大社会闘争(年金改悪反対の:役者)の敗北以後に続いた退却の年月を経て、戦闘性刷新の一兆候となってきた。戦闘性と自信が再建されつつあり、これらの経験の中でこそ、幅広い基盤をもつ運動に対する必要性が感じられつつある。
そして次に、この二、三カ月は、特性的諸闘争、移民に対する連帯運動、政府の大規模プロジェクト反対の、特にノートルダム・デランデにおける空港計画反対の立地点占拠抵抗によって特徴となってきた。反エルコムリ法の始まり以前の数週間には二つの注目すべきできごとがあったが、それに言及することは的外れなことではない。一つはカレー(劣悪さで国際的に有名となった難民収容所がある:訳者)での国境開放を求めたできごとだが、それは、大々的にということではなかったとはいえ、全国的な反響を呼んだ。ノートルダム・デランデにおけるもう一つは、支援するデモ参加者の、重要なことだが農民と活動家の占拠からなる、何万というテントを結集した。
これに加えられるべきこととして、一一月一三日のテロ攻撃が起こした茫然自失効果の後の、政府がとった厳しい警察手法に対する反攻開始がある。
政府が、さらに一層労働基準を解体する法をもってさらに厳しく労働者に攻撃を加えることを決定したのは、こうした全体的つながりの中でのことだ。

伝統的枠組み外で発進を見た反攻

 この労働法に反対する反攻は、労組指導部がまたも撤退の準備を整えていた中で、伝統的な枠組みの外側で始められた。その発端として、この法案の全面的な撤回を求める請願がソーシャルネットワーク上で始められ、一〇〇万人以上の署名が集まった。次いで青年の諸組織が、同じことを基礎に(法案の撤回)、三月九日を全体が合流する行動日とするよう呼びかけた。反攻に向けた幅広い支持は諸労組を、合流し、三月三一日木曜日の一日全国ストライキとデモを呼びかけるよう強制した。しかし運動が通常日のデモと封鎖という形でその駆動力を見出したのは、高校と大学の若者たちの中だった。
二三日火曜日にはパリで、ファキル紙を軸として闘争をまとめる会合が開催された。ちなみにこの新聞は、独立しているが急進左翼、エコノミストたち(フレデリック・ロルドンをふくむ)、そして臨時雇いの俳優やミュージシャンと協力関係にあった。この時を前後して、同じ人びとから支援された映画「メルシ・パトロン」(「ありがとう、ボス」)が、大入り満員で上映されていた。
パリでの先の会合は「労働紹介所」(共和国広場近くのパリ中央部にある労組に所属する建物)で開催された。それは一つの部屋で開かれたのだが、人びとが入るのをことわられるほどぎっしりと詰め込まれた会合となった! この成功に続いてその主導者たちは、実践的な仕事を行いたいと思っている人びと向けの会議を招集した。彼らはおよそ五〇人の参加を見込んでいたのだが、実際は二〇〇人以上が現れた。その会合で、三月三一日には行動後、「われわれは家に帰らない!」という考えが産声を上げたのだ。そして徐々に、デモ終了時点で広場を占拠するという考えが定着した。その結果がニュイ・ドゥブゥおよび共和国広場の占拠となった。

ニュイ・ドゥブゥ離陸す!

 三月三一日にはフランス全土で一〇〇万人以上がデモに決起した。雨にもかかわらず、共和国広場には何十万人ものデモ参加者がやって来た。ホームレス防衛を求める市民団体、ドゥロワ・オ・ロジュマ(DAL、「居住の権利」)は先の呼びかけを支持し、彼らが次の土曜日に向け組織を続けていたデモまで、彼らのテントと共に数日間広場にとどまることを決定した。そして三月三一日の余波の中、毎日数を増す人びとと共に、占拠集会が離陸した。集会は、土曜日と日曜日、何千という人びとの参加の下開催された。諸々の委員会が設立され、人びとが自由に話す論争が数々行われた。共和国広場は一面見出しを飾った。
主導者たちは日曜日、次の火曜日と土曜日の広場全日占拠呼びかけのみを決めた。その日は諸々のデモがある日だった。公共交通機関が午前二時に止まった後、夜二、三〇人だけで持ちこたえることは実際難しいことだった。人々が次の日仕事に出かけなければならないウィークデー期間、それはさらに難しい、彼らはそう考えた。
しかし四月四日月曜日の午後から、数百人の人びとが再び広場に集まり、一〇〇〇人以上がその夜総会を開いた。首相のマヌエル・ヴァルスが近くで開いたある会合に抗議するために、その場で午後に決定された一つのデモまでが始まった。このデモには、難民の、臨時雇いかつ不安定労働者……の代表たちが到着した。
広場では映画が上映された。火曜日のデモの終わりには、数千人が民衆総会に参加した。その時からそれは、毎夜起きるものと思われた。
そしてその第一週から、一つの質的な飛躍が、次週の進行の中で強まるだろうと考えられた。さまざまな目的(一つの宣言の起草、必要物資補給の仕組み、民主主義の「組織化」、諸行動の設定、診療所、調理所……)に向けて数多くの委員会が組織された。次第に、ラジオ、テレビ、ついには一つの庭園(!)まで続いた。警察は毎朝広場から立ち退かせた。しかしその午後には、信じがたい巧妙さで、テントやキャンバスカバーや木製パレットからなる村が再び生み出された。そして何千という人々が、何時間も民衆総会に参加した。
平行して、テーマ別の会合が開かれ、市民諸団体、出版社、オルタナティブ書店が自分たちのブースを設立した。聴覚に困難をもつ人々は手話で集会を行い、青空民衆大学が組織され、子どものための活動や、ポスターワークショップ、法的訓練、その他があった。
しかし何と言ってもこの広場で、運動は、潜在的可能性としてあった行き詰まりの回避を、反労働法運動から切断されることの回避を始めた。運動は、それに燃料をくべる役に立つ運動との結びつきを作り上げた。闘争が進行中であった諸々の場所との接触、大学生と高校生との接触、またもちろん鉄道労働者や郵便労働者などとの接触も諸々つくり出された。四月九日に設定された反労働法デモへの動員のために、広場からの放送が職場に向けて組織された。その頂点に、闘争合流という枠組みの中で、多くの行動が組織された。臨時雇いの俳優やミュージシャン支援の、難民連帯の、またソシエテ・ジェネラル銀行支店を占拠する遠征、あるいは諸々の銀行の正面にペンキを塗る遠征、ホームレスのデモ……、といった広場から出発する諸行動だ。
そしてその上さらに、毎夜自然発生的な、特に逮捕されたデモ参加者を釈放させるために警察署に行進するような、デモ行動の発展があり、難民が一定の場所に留まることを妨害する格子を解体する行動、あるいは単に「ヴァルスの居所で飲み物を」取りに行くだけ、という行動もあった。政府は非常事態宣言をもって、行動のためのあらゆるスペースができないように抗議活動を禁止したいと思ったのだが、この運動はそのスペースをあらためて占拠し、歓喜しながらそれを利用した。

警察との関係

 これらの成功、そしてこの運動に対する高まる抑圧(また同時に、時には疲れ)が今ニュイ・ドゥブゥを、その未来に関係するいくつかの直接的問題に直面させつつある。その問題はまた戦略的な課題でもある。つまり、その拡張という問題、運動との関係性という問題、警察との関係という問題、そして暴力への姿勢という問題だ。
政府は今、諸々の広場の占拠、特に象徴的役割を果たしている共和国広場の占拠を終わらせようと、さまざまなやり方で挑みつつある。この問題に関しメディアの攻撃が増大している。つまりここは、暴力が組織されつつある無秩序の場だ、と。
警察は徐々に、毎日少しずつ、広場の支配を取り戻そうとしている。諸々のデモは、特に若者のデモと自然発生的なデモは、ますます暴力的なやり方で警察から攻撃されている。
諸々の対応はこの運動内部で現れてきた。
第一の対応は、道義に基づいた根拠の上で抗議すべきだと語り、暴力を終わりにすることを求め、さまざま形で、われわれに合流するよう警察に訴えることを提案している。この対応は抑圧に対決する運動を武装解除する危険を犯すものだ。
われわれは、直近の選挙(地域圏)で国民戦線が警察と軍内の票の五〇%以上を獲得したことを忘れてはならない。その結果は、精力的に活動していた警察の中では七〇%という高さにもなっていた。警察と軍は、国家権力の心臓部に位置し、それらの直接的暴力は、支配階級による支配にはらまれた暴力の実際的表現だ。この運動は、警察との対決について一つの戦略を欠いたままでは、その獲得成果を、第一にそれが占拠している諸々の広場を明け渡さざるを得ないだろう。
それ以上に、警察とは連携もあり得るかもしれないという考えを広めることは、民衆的居住地域、移民、難民と無資格労働者、急進的労組活動家といった領域への不可欠な運動の拡張に対しては、一つの障害となるだろう。こうした人々すべては、直接にまた極めて具体的に、警察の暴力に苦しめられているのだ。
第二の対応は、警察との直接的対決というものだ。さまざまな層から現れているこの対応は、しばしば「自治」と呼ばれ、警察との体系的で暴力的な対決を主張し、それをかき立てることまで追求している。全般的急進化の、特に若者内部の表現としてこれは、デモ参加者内部のますます多くの若者たちを引きつけつつあり、消極的だとはいえ、ますます広い支持を得ている。この戦略は、国家の心臓部を基本的な標的に定め、それによって社会の多数が支配階級とその国家との全般的衝突へと引き入れられる、そうした仲介要素すべてを否認する傾向がある。あらゆるところで警察との体系的な直接対決を組織することは、抑圧がはるかに容易になるマイノリティの周辺化、そしてこの運動の残りの部分を怖じけさせることに導く可能性がある。
しかし、これがまたこの運動の特性なのだが、優勢な考えと戦略は極めて流動的だ。一つの逸話がこれを絵に書いたように示している。
月曜日、民衆総会が特にこの種の問題を討論していた中で、機動隊が物資補給のバンが広場に入るのを阻止しようとした。すぐさま数百人が警察を追い払うために結集し、その数と決意の圧力の下で、警察は広場の外へ撤退しなければならなかった。「あらゆる者は警察を憎んでいる」と叫び声を上げ、彼らを押し戻していた者たちの中で、何人かはその二、三時間前、われわれは「警察はわれわれと共に」と語るべき、と力説していたのだ。

拡張の問題

 すぐさま浮上した第二の問題は、第一の問題と分離したものではない。この運動を直接に抑圧する警察の能力を弱めることは、運動の拡張を、それを地理的に、 また同様に「社会的に」かつ政治的に広げることを必要とする。
地理的拡張は、ニュイ・ドゥブゥが関わる場所の急増を意味する。ニュイ・ドゥブゥ的できごとはさまざまな都市で今始められている。共和国広場とは異なり、このイニシアチブは今度は、急進的な組織された活動家たちから、特に(多かれ少なかれ)言葉の広い意味における急進左翼のメンバーからはるかに多く現れているように見える。これらのイニシアチブの将来は、彼らが数で超されることを許し、怒りの表現を「他に向ける」ことのないようにする、こうした活動家たちの能力にかかっているだろう。
社会的拡張が意味することは、労働者階級と民衆居住地域内部でのニュイ・ドゥブゥ発展だ。そしてこれに必要なものは、この運動が展開している場で同じ程度に取り組まれるものとしての、諸課題と諸要求だ。特にパリの共和国広場にはこうした没頭が存在し、これは非常に前向きなことだ。しかしそれは、父権的保護主義のあらゆる形態と絶縁することによってのみ達成可能だ。活動家たちにとって居住地域は政治を欠いた場であり、「天職の地」ではない。ニュイ・ドゥブゥとの結合は、こうした地域に自身が暮らしている人びとの駆動力を通してのみ、そこにあるネットワークを通してのみ作られ得る。無資格移民や難民との連帯に関しても、問題は似た条件で提起されている。
最後の点として、政治的拡張には、ニュイ・ドゥブゥとその諸目標のあらゆる「制度化」を拒否することが含まれる。フレデリック・ロルドンによって最初始められた新たな「憲法」起草という考えは、すぐさまいくつもの総会で取り上げられた。この進め方の魅力的な側面は、そこに潜む急進主義だ。現存の制度的な枠組みから得られるものはこれ以上何もない、問題は、「下から」本当の民主的正統性を再建することだ、と。
しかし、新たな世界の諸々の決め事は少数によって書かれてはならず、多数の反乱を想定している、ということを忘れている点で、新たな形式主義という危険もまた大きい。こうして、居住地域で提起されている諸問題への政治的拡張の必要性、反レイシズム、国際主義、性差別主義とLGTB嫌悪に対する闘い、などの必要性が提起される。こうして、労働の役割、疎外の方向性をめぐる諸問題、それだけでなく諸闘争と社会的力が潜在的に共同可能な場をめぐる諸問題も必要な論点だ。

運動との関係性

 ニュイ・ドゥブゥの駆動力は、諸闘争からなる運動に、そして非常に直接的には労働法に反対する闘いに密接に依存している。これはニュイ・ドゥブゥにとって主要かつ基本的な燃料だ。ニュイ・ドゥブゥ現象は、運動や拡大、集団的経験、そして急進化の力学がなければ、抽象的な論争と少数派的行き詰まりに取り残され、あるいはまた強さと経験の欠落を理由に、制度化の諸形態に引き戻され、堂々巡りをするという危険にあるのだ。
危険はまさにそこにある。ニュイ・ドゥブゥの未来はかつて以上に、労働法反対の闘いと結びつき、ゼネラルストライキを作り上げることに貢献する、その能力の中にある。
ある者たちは、学校休日のために高校と大学が閉鎖される中で、四月九日のデモが三月三一日の五分の一から半分程度となったことを受けて、早くも、この運動がエネルギーを使い果たしたと語り、失敗を予測している。
しかしこれらの分析はそれ自身、ニュイ・ドゥブゥと運動の間にある弁証法の欠落から苦しさを免れない。ニュイ・ドゥブゥがもっとも根付いているパリで、四月九日の反労働法デモが三月三一日以後の弱体化を目立って見せたわけではなかった、ということは重要だ。
それは一方で、ニュイ・ドゥブゥが労組指導部に対する代わりとなる「指導部」を潜在的に代表し始めつつある、という理由があるからだ。そして労組指導部は、運動が彼らの指導から逸れ始めつつあるという見通し、また政府との全面衝突という見通しから、後ずさりしている。
労組の指導者たちは四月九日の後、四月二八日に一つのデモ……を呼びかけた。「左翼」と見られているCGT鉄道の指導部は、運動に異なった一つの共同課題を対案として提起することで、今やこの運動を裏切ろうとしている。ここまで指導的な役割を果たしてきた学生団体のUNEF(全国学生連合)は、四月二八日までの中間にもはや動員日を呼びかけていず、政府から獲得した譲歩を歓迎している。
また他方で、反労働法運動が、労働法典に対する攻撃への単なる抵抗以上のはるかに幅広い怒りを結晶化し、この運動を法案撤回という単一の目標に限ろうとする、またその方向を変えようとするどのようなもくろみも、その潜在的な可能性と戦闘精神を抑え込むことになる、という理由もある。ニュイ・ドゥブゥが反エルコムリ法闘争の運動に依拠しているならば、この闘争もまた、ニュイ・ドゥブゥが結晶化している世界的な反乱の表現に依拠しているのだ。
運動は通常の枠組みの外で始まった。ニュイ・ドゥブゥは、この「枠組みの外」のあり得る範囲を相当程度広げてきた。それが労組内および高校生と大学生内部のもっとも戦闘的な部分とさらに結びつくことができるということを条件に、この運動は、労働法反対の戦闘における新たな前進の歩みに、政治ストライキになると思われるストライキに貢献できるだろう。

将来はまだ空白だ

 この運動が前進し、自らに諸問題を問いかけている一方で、国家権力の支配的な諸要素は、レイシズムと民族主義の感覚の中で、社会的諸攻撃の感覚の中で、警察国家強化の方向で作戦を継続している。諸々の怪物は物陰に潜んでいるわけではない。それらはまさにはっきりと姿を現しそこにいる。その形の一つこそ極右だ。これはまた、運動の軌跡が必然的に、支配階級の諸政策と国家との抜本的な衝突として表れる理由でもある。
再度言うが、この衝突は一直線的な形では進まないだろう。運動は疑いなく部分的な後退を経験するだろう。また退潮しつつあるとも見える。しかし疑いなくそれは、かつて以上にその形を変えるだろう。時にそれは、その粉砕や飛び越えのやり方を学ぶ目的で一つの壁にぶつかることさえ行いつつ、大衆的で自然発生的な前進の突進に自らをどのように巻き込ませるかを知らなければならないだろう。時にそれは、一つの少数派、しかしより多数のものに意義のある少数派が引き受けるイニシアチブを頼りにするだろう。
確かなことがあり、それは、明らかな無関心の年月、およびフランス社会でのまったく反動的な諸傾向の漸進の年月が続いた後で、再び希望を高めるように、何かが変わった、ということだ。前回の運動が残した固まった溶岩中に埋め込まれた珠玉は、さらに赤くなり、さらに輝き、溶岩の表面に戻ってきた。
今後に続く時期はこれまで同様困難なものになるだろう。しかし今われわれは、後ろに控え、それを耐え忍ぶよう運命付けられてはいない。(二〇一六年四月一二日)

▼筆者はフランスNPAのメンバー。

注一)共和国広場は、新労働法反対の大デモの後、三月三一日夜に占拠された。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年四月号) 

 


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