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    かけはし2016.年5月23日号

軍事要塞・沖縄を打ち破るぞ


沖縄報告 5月15日

5・15平和行進を貫徹した

沖縄 K・S

5.13〜15 3コースで平和行進

県民大会に2500人

韓国、台湾の人びとと共に

 五月一二日、沖縄平和運動センターなどが主催する第三九回五・一五平和行進全国結団式が那覇市で開かれ、七〇〇人が参加した。
翌一三日は、東、西、南の三コースに分かれて炎天下、平和行進に出発した。東コースは、キャンプ・シュワブ第一ゲート前から、国道三二九号線を南下、金武町の米海兵隊キャンプ・ハンセン、うるま市のキャンプ・コートニー、沖縄市の陸上自衛隊白川分屯地、嘉手納基地を通るコース。ピョンテク平和センター、駐韓米軍犯罪根絶運動本部、小さな兄弟会の神父・神学生、チェジュ道の農民団体、神父・修道女、海軍基地反対の市民団体などからなる韓国訪問団三〇人と台湾の参加者は東コースに参加し行進した。
西コースは、読谷村役場を出発、米陸軍トリイ・ステーションを通って国道五八号線を南下し、嘉手納基地、キャンプ・レスター、キャンプ・フォスター、普天間基地を通る。南コースは、南城市役所から、沖縄戦終盤の戦場となった南部地域の八重瀬町、糸満市の平和祈念公園、魂魄の塔、白梅の塔を通るコース。
行進最終日の五月一五日正午から、那覇市の新都心公園で、各コースの行進団が合流して一堂に会し、五・一五平和とくらしを守る県民大会が開かれた。
新都心公園は、米軍天久基地(マチナト・ハウジングエリア)が復帰後返還され、県立博物館・美術館、国際高校、大型スーパー、映画館、各種飲食店など再開発計画の一部として造られた公園だ。七一年前の沖縄戦では、首里城の地下壕に置かれた日本軍司令部を守る砦として、シュガ―ローフの戦いに代表される日米軍の激戦地となった場所である。再開発され復興した新都心は、米軍基地が返還されれば大きく発展する沖縄経済の見本として、米軍基地が沖縄経済発展の最大の阻害要因になっている証明として、繰り返し語られている。
新都心公園で県民大会が開かれるのは初めてだ。最高気温が三〇度を超える真夏日の晴れ上がった空の下、行進参加者と県内からの参加者が集まり、各団体ののぼりや旗が林立した。参加者は主催者発表で二五〇〇人だったが、実際には五〇〇〇人くらい集まっているように感じた。

沖縄の平和!カ
ンジョンの平和


集会は山城博治沖縄平和運動センター議長のあいさつで始まった。山城さんは「沖縄が軍事要塞とされ再び戦場とされることを決して許さず、安倍政権の戦争政策を打ち砕き、日本が戦争国家への道を進むことをみんなで阻止しよう」と呼びかけた。
城間幹子那覇市長(代読)、照屋寛徳衆議院議員、玉城デニー衆議院議員、糸数慶子参議院議員の激励あいさつのあと、各地の闘いの報告が行なわれた。新川秀清さん(第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団長)、伊波洋一さん(普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団顧問)、安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会共同代表)の各報告につづいて、海外ゲストとして海軍基地反対闘争を続ける韓国チェジュ道のカンジョン村婦人会長のカン・ムンシンさんが発言した。韓国訪問団も演壇の前で横断幕を掲げ連帯をアピールした。
カン・ムンシンさんは開口一番、沖縄の女性のあいさつ言葉「ハイタイ」で切り出し、要旨次のように述べた。「チェジュと韓国の訪問団は海を越えてみなさんと平和の手をつなぐために参加した。一〇年前、平和の島・チェジュ道のカンジョン村に突然海軍基地建設計画が持ち込まれた。軍事基地は人々に恵をもたらす海や土地を殺してしまう。これまで必死に反対運動をしてきた。基地は大分出来たがあきらめてはいない。沖縄とチェジュは似ている。サンゴの海、豊かな自然。沖縄は知事、国会議員も住民と共に闘っている。ところがチェジュはそうではない。選挙のときは美味しい言葉をならべるだけで、選挙が終わると何もしない。子どもたちに愛すべき自然を残すことが出来るよう、沖縄と連帯しともに闘って行きたい。ともに集い、ともに歩き、ともに叫ぼう。沖縄の平和!カンジョンの平和!」
そのあと、東、西、南の三コース行進団の決意表明、報告が行なわれ、復帰四四年大会宣言が採択された。
会場の周りには例のごとく右翼の街頭宣伝車五、六台が集まり、恥ずかしげもなく汚い言葉を大音響のスピーカーでわめき散らした。政府危機が深まると共に街頭に登場する右翼の役割は、嫌悪感を与える汚い言葉と暴力で人々を萎縮・沈黙させ、危機に陥った体制を救おうとするものだ。右翼の介入を粉砕する強固な隊列を築き、国境を越えたアジアの民衆の団結を強めて、戦後七一年間アジアに居すわる米軍を追い出し、軍事基地と戦争のない共存共栄のアジアをつくり出そう。

5.14 県立博物館に120人

第9回米軍基地国際シンポ

武力で平和はつくれない

 五月一四日、「海を越えて手をつなごう―武力で平和はつくれない」をテーマに、二〇一六沖縄韓国平和交流実行委員会による第九回米軍基地に関する環境・平和国際シンポジウムが沖縄県立博物館で開かれ、約一二〇人が参加した。
司会は沖縄韓国民衆連帯の豊見山雅裕さん。はじめに基調講演が行なわれた。沖縄国際大学の佐藤学教授は冷戦後の世界経済の動きと行き詰まりを説明し、「世界各地で軍事対立と軍事力による解決の方向に事態が進んでいるが、その先は世界の破滅しかない。過去の戦争から人類は学ばなかったのか。人類はそれほど愚かなのか。解決の道は対話しかない。二一世紀が二〇世紀の繰り返しではあまりにも悲しい」と訴えた。
韓国の「開かれた軍隊をめざす市民連帯」のパク・ソクチンさんは「新たな戦争危機の原因は日米韓三角軍事同盟への動きにある。アジアの新冷戦構造を瓦解させ、平和と共存のアジアを構築しなければならない」と提起した。
基地の環境、人権に関する現場の報告は、神奈川、ピョンテク、イジョンブからパワーポイントを使って行なわれた。すべての基地に「NO!」を・ファイト神奈川の木元茂夫さんは、「安保法制と自衛隊」と題して、「日米共同訓練、多国間訓練が激増し、自衛隊の海外進出が進む一方、国内的には高速フェリーの乗務員を予備自衛官補として採用する動きがある。戦争の準備だ。その中で、自衛官の人権が踏みにじられ、自衛隊内のいじめ、暴行、自殺が増えている。過去二〇年間で一六五一人が死んでいる。」と報告した。
ピョンテク平和センターのカン・ミさんは、韓国の米軍基地を取り巻く問題点について、四点を挙げた。@駐韓米軍の不法な炭素菌搬入、実験、訓練、A米軍の高高度ミサイル防衛システムたるサード配備の問題、B返還された米軍基地の油と重金属などによる深刻な汚染、C米韓軍による軍事訓練、実は戦争訓練。
トゥレバン(シェルター)のキム・テジョンさんは、米軍基地とイジョンブなど基地村の女性について、要旨次のように報告した。「一九八六年イジョンブの基地村で、女性たちの自立をめざし病と貧困から逃れる活動をスタートしてから今年で三〇周年を迎えた。朝鮮戦争を契機に韓国に入ってきた米軍は停戦後も韓国に居すわり、基地周辺に基地村が出来はじめた。生きていくために人びとは基地村に集まった。女性たちの人権が蹂躙され続けたのは国家安保の名の下の政府の基地村管理政策のためだ。二〇一四年、基地村の女性一二二人が政府を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。基地村は韓国だけの特別な存在ではない。米軍が駐屯するところどこにでも生じる。この問題の解決に向けて協力できたらと思う」。

京丹後・沖縄・
カンジョン結び
昼食を挟んで午後は、『圧殺の海 第二章 辺野古』の抜粋映像と韓国の基地平和ネットが作成した映像を見たあと、戦争の脅威に立ち向かう各地の闘いの報告を受けた。京都からは、Xバンドレーダー基地反対近畿・京都連絡会の大湾宗則代表世話人が京丹後のXバンドレーダー基地反対闘争の経過と今後の取り組みについて報告した。大湾さんは辺野古とXバンドレーダーと朝鮮敵視政策は互いに関連しているとし、「朝鮮に対する敵国扱いをやめ、東アジアの緊張緩和を実現すれば、Xバンドレーダー配備の意味を失うとともに、沖縄の米軍基地も存在意義を失い、辺野古新基地は必要なくなる。今こそ国際主義に基づく闘いを進めよう」と訴えた。
沖縄からは、中城村の新垣徳正村議がオール沖縄の辺野古新基地反対闘争の取り組みについて報告すると共に、「琉球の先人たちのように自らのアイデンティティーを確立しながら日米両政府に対して決してあきらめることなく立ち向かっていこう」と決意を述べ、民衆運動のシンボルだとして「沖縄を返せ」を歌うと、会場の参加者も呼応し歌声が響き渡った。
韓国からは、カンジョン村のチッキミ(守り人と呼ばれる支援メンバー)から住民として定着したチェ・ヘヨンさんが海軍基地建設に反対する運動の経過と現状を映像と共に要旨次のように紹介した。「チェジュ島はユネスコの自然環境分野の三冠王(生物圏保全地域、世界自然遺産、世界地質公園)の美しい島だ。カンジョン村の沖合の海にはコーラル・ガーデン(サンゴの庭園)が広がっていた。海上工事が始まった二〇一二年から調査を続けているが、海は堆積物が積もり、サンゴが死んでいっている。現在カンジョンでは海軍基地ゲート前での毎朝のお祈りと昼前のカトリックのミサと人間の鎖が続けられている。今年二月、生命平和文化村宣言をした。これまでの運動で、約一三〇〇人が連行されたり、裁判にかけられたりした。すでに罰金約四億ウォンを抱えている。加えて、三月に海軍は工事の遅れの損害名目で三五億ウォンを住民一二〇人に請求した。不法で反民主的だ。しかし私たちは屈しない。勝つ方法はあきらめないことだ」。
さいごに、「海を越え平和の手をつなごう」とのアピールを採択し閉会した。

国際シンポジウム宣言

海を越え、平和の手を
つなごう 2016


日本復帰44年目の沖縄
今年もここに多くの人が集いました

428、515、623、
813、1995……

日本史の教科書に載らない多くの日々を沖縄は記憶してきました
この歴史を記憶する意味を理解し、苦しいときに勇気をくれたのは、
誰だっただろうかと思いをめぐらせたとき、私たちは気づきます
手をさしのべ、知恵を授けてくれたのは、同じような痛みを経験した人々だったと
その時にまた気づきます
信じるべきは国家でなく、未来への意思と生きる意味を共有する人々との?がりだと
だから、私たちは声をあげます「海を越え、手をつなごう」と
私たちは自分の自尊心のためだけでなく、次の世代の子どもたちに
美しい自然と心豊かな人生を贈るために闘います
私たちは自分の子だけでなく、他の誰の子も安心して生きられる社会をつくるため
私の愛する家族や友人や恋人に、今日もし理解してもらえなくても明日また話してみます
見知らぬ人に、アカだ、売国奴だと罵られても、その人を憎まないように努めます
政治の貧困、社会の貧困が、人々の心をも貧しくし想像力を破壊しています
しかし、私たちは傷つき、癒しを求めるだけの弱者ではありません
痛みを克服し、過ちを繰り返すまいと、考え、行動する者です
だから私たちは、小さな島に閉じ込められた罪人のように生きるのではなく、
平和の開拓者として、海を越えていきます

 2016年5月14日


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