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    かけはし2016.年6月6日号

市民センターと被害者らが孤軍奮闘


親環境殺菌剤? 農薬用だった

企業も政界もみな共犯


 「検察は、なぜ英国やデンマークに捜査官を派遣しないのか。NGOや被害者らが直接、足で回った結果、ここまでたどりつきました。今や検察が乗り出すべき番です」。
チェ・イェヨン環境保健市民センター所長の声は断固としていたけれども、いささか疲れぎみだった。5月12日、ソウル中区の環境財団で行われた記者会見。加湿器殺菌剤「セピュー」の原料物質を供給したと伝えられたデンマークの会社を現地で調査した結果を説明する席だった。
チェ所長は加湿器殺菌剤のせいで2009年に息子を失ったキム・ドッチョンさんと共に5月4〜11日、英国とデンマークを抗議訪問して戻ってきた。チェ所長は5月11日に到着するやいなや3日間連続して強行軍の記者会見を続けた。11日にはソウル汝矣島のオクシーレキットベンキジャー本社前で帰国報告記者会見を行いオクシー英国本社を批判し、13日にもソウル政府総合庁舎前で緊急記者会見を開き、2013年の政府責任を全く認めなかったユン・ソンギュ環境部(省)長官の辞任を求めた。

「中国から輸入したもの」

 加湿器殺菌剤事件を今日のような大型の社会問題として暴き出した「隠れた助力者」は環境保健市民センターだ。政府が責任を取らなかった被害の事例申告や被害者の調査などを引き受けた。2010年、環境保健市民センターを設立して以降、最近が最も大忙しだ。センター常勤者はチェ・イェヨン所長とイム・フンギュ・チーム長のたつた2人だけだ。加湿器殺菌剤事件が全国民的関心事になるとともに1日に数百通もの記者たちからの電話やメールが彼らにどっと注がれる。
今回の抗議訪問の際、チェ所長は「捜査」まで自ら買って出た。チェ所長はデンマークに行って「セピュー」の原料物質である塩化エトクシエティルグアニジン(PGH)を生産したものと伝えられていた会社を探した。それは難しいことではなかった。グーグル・マップで住所を入力さえすればよかった。セピューは、オ某パタフライイフェクト代表が2008年にデンマークから輸入した親環境の原料を使用すると広報し、インターネット・カフェなどで共同購買方式などによってかなり広く売られていた加湿器殺菌剤だ。2008年5月〜2011年11月に販売されたセピューのせいで亡くなった被害者は現在まで確認された数だけで14人だ。
ところで「ケートクス」という会社を運営していたフレデ・タムゴール代表は、全く意外な話を聞かせてくれた。ケートクスは2年前に破産した。チェ所長は5月8日に会ったタムゴール代表との対話の動映像を12日に公開した。

 「韓国にPGHのサンプルを送ったことはあるか」(チェ・イェヨン所長)
「2007年に40?にもならないごくわずかばかりの量を農業用殺菌剤として送ったことがある」(フレデ・タムゴル代表)
「あなたが送ったサンプルでセピューという加湿器の殺菌剤を作って売り、14人が亡くなった。どういうことか」(チェ所長)
「私は全く知らない。けれどもデンマークではなく中国からPHMGを輸入したのだろうと確信している。中国の生産業者から『韓国に大量に輸出した』と聞いた」(フレデ代表)

 これまでの政府調査によって明らかにされていたこととは異なる事実だ。加湿器殺菌剤に含まれていたと伝えられる毒性化学物質は大きく3種類だ。「オクシーサクサク(商品物)などに主に使われたポリエクサメチルレングアニジン(PHMG)、セピューの主原料であるPGH、そしてエギョン産業の「加湿器メイト」の主成分であるクロロメチルイソチアゾリノン(CMIT)とメチルイソチアゾリノン(MIT)だ。
CMITと MITはネズミを対象とした毒性実験のたびに肺繊維化症状が現れなかったとの理由などによって現在、検察捜査の対象外となっている。けれども人体内の免疫細胞を破壊する式に肺の損傷をひきおこすとの研究論文が報告されているなど、PHMG、PGHと同様に危険な毒性物質だ。現在のところ、CMIT、MIT系列の被害者たちは被害の認定を受けられずにいる。

いかなる制御装置もなかった


セピューの被害者たちもまた、どうしていいか分からないという点では一緒だ。オ某が代表としてやっていた1人製造社で作った製品なのに、会社が破産したはずみで、補償を受ける方法がない。オ代表はさまざまな論文情報をつぎはぎし、モヤシ栽培工場で製品を作ったという。
ソウル中央地検の加湿器殺菌剤被害事件特別捜査チーム(チーム長イ・チョリ)は「オ代表が2008年の製造初期にはデンマークから輸入した原料を使った後、PGHの大量輸入が難しくなると2010年からPHMGを勝手に混ぜて加湿器殺菌剤を作ったと言っている」と発表した。
このようにとんでもない殺菌剤の原料輸入・製品製造・販売の過程でいかなる制御装置も働かなかった。セピューはむしろ「ヨーロッパ連合の承認を得た最高級親環境殺菌剤」という宣伝文句をつけて堂々と親環境売り場で売られていた。製品の裏面には「吸入時にも安全だ」との文句まで書かれていた。検察は業務上過失致死容疑などでオ代表を5月13日に起訴した。
カン・チャノ「加湿器殺菌剤被害者と家族の会」代表の娘ナレもセピューの被害者だ。9歳のナレは肺の片側がカチカチに固まっている。カン代表は12日「もはや政府の発表内容を信じられない。デンマークに捜査官を派遣し、被害者の家族も立ち会えるようにしてくれ」と語った。
息子を失ったキム・ドッチョンさんは5月5日、英国ロンドンでオクシーレキットベンキジャーの親会社であるレキットベンキジャー最高経営者(CEO)ラケシ・カプル代表に会うやいなや、息子の顔が映っている写真を突き出した。キムさんの息子スンジュンは2004年に応急室に運ばれてから4日目に肺疾患で亡くなった。36カ月、息子を天国に送った後にキムさんは腕に「My son seungjun」(わが息子スンジュン)という文身(いれずみ)を刻んだ。けれどもカプル代表はキムさんが渡した写真を見もせずに机上にそのまま置いた。
チェ・イェヨン所長は「心からの謝罪をしようとする態度ではなかった」と語った。カプル代表は「遺憾だ」「個人的にすまない」という表現を使って語り、企業のCEOとしての謝罪は行わなかったとチェ所長は説明した。この日に開かれた株主総会場でも「謝罪」への言及なかったのだという。環境保健市民センターは海外の各環境運動団体と手を握り、全世界的な「レキットベンキジャー不買運動」を展開する方案を検討中だ。

余りにも遅く謝罪

 遅ればせに検察や政府が加湿器殺菌剤事件を解決するとして乗り出したけれども、被害者や家族らが置かれている位置はそのままだ。国会で被害者救済などの関連法案の処理は霧散し、大きく変わったものはない。
カン・チャノ「加湿器殺菌剤被害者と家族の会」代表は「オクシーが50億ウォンの寄付金を出したと恩着せがましくしつつ遅ればせの謝罪をすることだけでは充分ではない。政府もまたこれまで責任放棄していたことを謝罪し、国会は『加湿器殺菌剤特別法』の制定、国政調査、国会聴聞会などを今からでも始めなければならない」と強く求めた。(「ハンギョレ21」第1112号、16年5月23日付、ファン・イェラン記者)

加湿器殺菌剤事件年表

1994年11月 SKケミカル、加湿器殺菌剤を初めて開発・販売始める。
2001年 「オクシーサクサク」販売開始。
2006年 小児急性癇疾性肺炎が流行。大韓小児科学会、関連論文
      発表(2008〜2009)。
2011年4月 重症肺炎妊産婦患者の入院増加、疾病管理本部が調査。
2011年8月 保健福祉部疫学調査結果発表、製品使用の自制勧告。
2012年8月 被害者1次刑事告訴(2013年、起訴中止決定)。
2015年5月 オクシー英国本社を抗議訪問。
2016年1月 ソウル中央地検、加湿器殺菌剤特別捜査チーム構成。
2016年5月 オクシー英国本社2次抗議訪問。
 資料:韓国保健市民センター

アッパが倒れてから6カ月

警察の水大砲が直撃

健康悪化も捜査進展なし

 アッパ(お父ちゃん)の肺に水がたまった。アッパは昨年11月14日、水大砲に撃たれて倒れた。水大砲によって脳の根元と大脳の半分以上が損傷を受けたが、今は肺に水がたまった。アッパは農民、ペク・ナムギだ。昨年11月、麦の幡種を終えてソウルに向かうパスに乗り込んだ。ぺクさんと農民たちは民衆総決起行動に参加し「米価の正常化」を叫んだ。種を植えた麦は青々と育ち、収穫する時期になったのにアッパの健康は次第に落ちこんでいる。

「流れ行く
時間が恐い」
長女ペク・トラジさんは5月12日夕刻8時、重患者室にいるペク・ナムギさんとの面会を終えた後、「これまで脳以外には他の臓器の損傷は大きくなかったアッパの状態が次第に悪化している」と伝えた。ペクさんは長く横たわっており腸マヒが起きた状態だ。排便ができず、腸が破裂する危険も大きくなった。ペク・トラジさんは「重患者室患者の死因として最もよく挙げられるのが肺炎と共に腸の破裂」だと語った。脳圧が高く頭からは周期的に血が流れる。血が出れば縫うことが繰り返される。感染の数値も重患者室の他の患者に比べて高く、ずっと抗生剤を処方している。
5月14日はペク・ナムギさんが倒れた時からちょうど6カ月が過ぎた時点だ。6カ月という時間が流れている間、彼の健康状態は次第に悪くなっているが、彼をとりまく変わったことは何もない。
撒水車を運用した警察の責任者は、行政自治部(省)の責任者、政府の責任者、あるいは与党議員の誰一人として病院に顔を出さなかった。カン・シンミョン警察庁長、ク・ウンス前ソウル地方検察庁長らを未必的故意による殺人未遂で告発した刑事告発の件は進展がない。担当検事は3回も変わり、3番目の担当検事が誰なのかは告発人である家族でさえ知らない。どのぐらい検察庁のキャビネットの中に眠っているのかも見当がつかない。
もどかしい思いからペク・トラジさんは3月から週末ごとに青瓦台(大統領府)の噴水台の前で1人デモを始めた。「整えられた司法体系の中で国民ができることは、すべてやりました。ところが解決されるものは何もないんですね」。刑事告発、損害賠償請求を行い、警察の直射撒水行為と「撒水車運営指針」が国民の基本権を侵害するという憲法訴願(違憲訴訟)も既に請求した。
司法手続きの中で解決されないと、結局は政治の門を叩いた。5月11日、ペク・ナムギさんが倒れてから正確に180日となる日、「ペク・ナムギ事件真相糾明のための聴聞会を開くこと」を(今年4月に選出された)第20代国会に要求する記者会見を行った。「今は19代国会と20代国会が交替する時期なので国会議員たちに要求するのも簡単ではない。アボシ(父)の健康は悪くなっているが、ただ流れ行く時間が恐い」。
5月12日にはオランダで暮らしているペク・ナムギさんの末娘ペク・ミンジュファさんも韓国に帰ってきた。ペク・ミンジュファさんはアボジが倒れてから6カ月目になる日の5月14日、ソウルと光州からペク・ナムギさんの自宅の麦畑に向かう希望のバス(連帯行動)に乗り込む。全羅南道宝城のペク・ナムギさんの麦畑で開かれる「生命と平和の麦畑ウォーキング」に参加するためだ。

被害者が泣訴しなければならない国
「被害者はアッパなのに、むしろ我々が泣訴し、やりきれない声をあげなければならない現実が、あまりにももどかしい。我々ばかりではなく、セウォル号の遺家族ら、この国のすべての被害者が同じです」。ペク・ナムギさんの家族がセウォル号の被害者たちと深く連帯している理由でもある。(「ハンギョレ21」第1112号、16年5月23日付、パク・スジン記者)

 

【訂正】本紙前号(5月30日付)3面「沖縄平和行進に参加して」の上から4段目右から3〜4行目の「沖縄線」を「沖縄戦」に、同上から6段目右から16行目の「意味出している」を「つくり出している」に、4面5・19記事の上から2段目右から6〜7行目の「約六〇〇人(子どもも含む)」を「約六〇〇人(子どもも含む)が病院より避難した」に訂正します。

 


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