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    かけはし2016.年6月13日号

東電は事故の責任を取れ


5.21原発事故被害者集会

裁判勝利へ全国で支援を

世論の力で逃亡を許さない

 五月二一日、東京・千駄ヶ谷区民館で「原発事故被害者集会」が開かれた。集会が始まった午後二時には、二階席まで埋まり参加者は三〇〇人を超えた。
最初に福島原発告訴団長の武藤類子さんが「四年半にも及ぶ闘いの結果、今年二月二三日、東京電力の幹部が強制起訴になった」と報告すると会場は拍手でわいた。「あれだけの事故を起こし、誰も責任を問われないということを許しておくわけにはいきません。絶対に裁判に勝利しましょう」と呼びかけた。
次に福島原発刑事訴訟支援団長の佐藤和良さんが報告した。
「東京地裁は公判整理手続きとして、論点整理を持ち出してきている。これをやると裁判を始めるまでに一年以上もかかる。その上結審までは一〇年も二〇年もかかり、福島の事故は風化してしまう。勝俣はいま七六歳であり、一〇年先だと八六歳、二〇年だと九六歳になる。東京地裁のねらいは判決を出させないことにあるのは明白です。ただちに公判を開けと地裁に申し入れましょう。同時にこの裁判に勝利するために支援団員を増やしてください」と佐藤さんは訴えた。

汚染水排出の
責任問われず

 その後、三人の弁護士が公判に対する心構えと考え方を述べた。保田行雄弁護士は東京地裁が言い出している「公判前整理手続き」について解説した。「一見、論点整理と言われると合理的に思えるが、裁判が始まる前にすでに裁判官が検察、弁護側の主張、提出される証拠を知ることになり、予断を持つことは必至であり、そしてその全過程がすべて非公開である。これを打ち破るのは市民が声をあげ、集会などを通じて裁判所に人々の声を届けることが重要だ」と訴えた。
また甫守一樹弁護士は、東京地裁が「汚染水告発事件」を不起訴にしたレトリックを説明した。「汚染水が原子炉建屋に封じ込められているから『排出』されているとは言えない。……立証困難なため罪には問えない」という検察官の主張を認めて不起訴するというあきれた判断だ。
集会の後半には、七人の原発被害者のリレースピーチが行われた。びっくりしたのは代読ではあったが福島の原発事故では二本松から熊本県に避難し、熊本で再び地震で被災し、今は鹿児島県に避難している高済コズエさんの報告であった。
「私は熊本から鹿児島県に避難しました。川内原発から三〇キロの場所です。驚いたことにこれだけ地震が続いているのに川内原発はいまも稼働しています。福島の事故は何も教訓化されておりません。いま近所の人たちといっしょに『ただちに川内原発を止めろ!』という闘いを始めています。くじけてはいられません」。
最後に、「事故の責任を明らかにし同じ過ちを食い止めるとともに、困難の中にある被害者の救済をしなければなりません」という集会アピールを採択した。(D)

5.21被ばく労働春闘集会

初めて被ばく労災認定

実態を明らかにする必要

 五月二一日、被ばく労働ネットワーク主催の被ばく労働春闘集会が約八〇人の参加で行われた。
主催者より、昨年一〇月、福島原発事故後初めての、原発労働に起因する労災認定が行われたこと、しかし厚生労働省の不当な発表の仕方を受けて、被ばく労働の労災はデマであるとのマスコミの報道もなされたことから、今回はこの問題に焦点をあてて集会を持ったことが明らかにされた。
まず最初に原発での収束作業、除染作業に関わり、『福島原発作業員の記』(八月書館)を発刊した池田実さんが発言した。
「除染の仕事に比べて、福島第一原発での労働は労働条件や福利厚生などはひどい。住むところはプライバシーもなく劣悪。除染は厚生労働省の管轄、それに対して収束作業は東電の下受けの民間、という問題がある」。「いま、マスクなどしなくてもいい場所が拡大され、どんどん装備なども軽くなる、と言う動きがあり、非常に不安である」。
「住民の帰還が進められているが、それにともなって、インフラの整備も進められていく、たとえば郵便配達なども屋外で毎日配達業務を行えば確実に被爆していく。一緒に『いちえふ』で働いた福島の先輩は『再稼働なんてふざけるな! 福島をバカにしている』と言っていた。今回の熊本の震災を受けても川内原発も止めないなど福島原発事故の後も国は全く反省していない」。
「福島原発事故の後に、事故の収束作業の現場で働きたいという思いだけで飛び込んだ私を受け入れてくれた、同僚たちの為にも、今後も被ばく労働の問題については自分のライフワークとして関わっていきたい」。池田さんはそのように訴えた。
次に神奈川労災職業病センターの川本浩之さん。
産経新聞などが被ばく労働による労災についてデマだと断じている問題について反論。
「ふつうのガンと違って白血病についてはかなり早い時期から被ばくとの因果関係が明らかになっている。ただし、被ばく労働をした人が全員もれなく白血病を発症するわけではない。だからといってデマとするのは間違いである」など、詳しくこの問題について解説した。

補償の枠組み
作り出す闘い
続いて木下徹郎弁護士(東京共同)被ばく労働と労災認定、そして損害賠償について、法的な観点から、業務起因性と相当因果関係の違いについて、など詳しく解説した。
そして九州から駆けつけてくれた、原発労災裁判の原告の梅田隆亮さん、そして弁護士の岡部史卓さん。
「一九七九年に島根原発、敦賀原発で働き、心筋梗塞を発祥したが労災認定されなかったことについて、国を相手取って裁判を行っていた、残念ながら、四月一五日、福岡地方裁判所において敗訴したが、重要な問題提起となった裁判であった。敗訴となったが、みなさんのおかげで一太刀あびせることは出来た」との梅田さんの発言に参加者一同胸が熱くなった。
岡部史卓弁護士は、梅田裁判について振り返り、電力会社が被ばく労働の実態について隠蔽しているのに、証拠がないとして退けるやり方は許せないと語り、これから始まる控訴審について、「裁判官をつれての実況検分もありではないか? 裁判官はいやがるだろうけど」と述べ、「福島原発事故が起こり、今後原発での収束作業に従事する人も増えるだろうと考え、自分の労災が認められれば今後原発で働く人の労災も認められやすくなるのではないか?」という梅田さんが裁判へ立ち上がった思いを紹介し、今後の控訴審についての支援を訴えた。
続いて休憩を挟んでの質疑応答の後、被ばく労働ネットワーク事務局より、今後の闘いに向けての提起が行われた。「今年はチェルノブイリ事故から三〇年、チェルノブイリでは事故後、チェルノブイリ法が作られ、それによって収束作業に関わり、被ばくした人々への補償の枠組みが作られた。今必要なのはそのようなことではないか」と提起。
さらに「厚生労働省の今回の間違った説明について改めさせ、被ばく労働者が労災申請をしやすく出来るようにしていかなくてはならない」と結んだ。 (板)

 

5.24 狭山事件の再審を求める市民集会

不当逮捕53年!いまこそ事実調べ・再審開始を!

 五月二四日、東京・日比谷野外音楽堂で「不当逮捕53年!いまこそ事実調べ・再審開始を!」狭山事件の再審を求める市民集会が市民集会実行委員会の主催で行われた。野外音楽堂をいっぱいにする部落解放同盟員や支援の労働組合、市民らが全国から集まった。
 再審請求人の石川一雄さんは「闘いは最終段階に来ている。三次再審で決着のために不退転の決意だ。三者協議が足踏みしている。隠し持っている証拠を出させることだ。無実を晴らすためにご支援を。私はいま七七歳だが元気なうちに無罪を勝ち取りたい」と決意を述べた。連れ合いの早智子さんは「真実は必ず明らかになる」と語った。
 弁護団や基調提案(片岡明幸・部落解放同盟中央本部副委員長)が攻防の現段階と今後の闘いを報告した。
 「裁判闘争は確実に前進している。今度は勝てる。三者協議を通じて、一八五点の証拠が開示された。その中で、石川さんの無実を証明するものがある。それは石川さんが逮捕当日に書かされた上申書、犯人が殺害に使った手ぬぐい、そして石川さんを尋問した録音テープだ。とりわけ録音テープを聞くと、石川さんが事件について何も知らないことがはっきり分かる」。
 「今後の闘い方。証拠開示をさらに進める。証拠リストの一覧表を明らかにしたが隠している物がある。例えば、埼玉県警が捜査のために、八ミリで撮影しているがどこにも出てこない。どこかにあるはずだ。埼玉県警、埼玉地検に証拠を開示させる。そして、東京高検は『必要性・関連性がない』などとして全証拠の開示に応じていない。全証拠の開示を。第三次再審請求で弁護団は一八二点の新証拠を提出している。東京高裁は鑑定人の尋問など事実調べを行うべきだ」。
 小林節さん(憲法学者)が狭山弁護団に新たに加わり会場で発言した。そして宇都宮健児さん(日弁連元会長)も参加すると報告があった。菅家利和さん(足利事件)、桜井昌司さん(布川事件)、袴田秀子さん(袴田事件再審請求人・袴田巖さんの姉)などが連帯アピールを行った。民進党、社民党の代表が政党あいさつをして激励した。古今亭菊千代さん(噺家)が市民の会のアピールを行った。集会アピールを採択し、プラカードを掲げてアピール行動を行い、虎ノ門を通り芝公園に向けて都心をデモ行進した。     (M)

コラム

はじめてのソウル

 韓国の首都ソウルでとある集まりがあり、二泊三日で出かけることになった。「出かける」と書けば、さも旅慣れているように思われがちだが、海外と国内では勝手があまりにも違いすぎる。ボクが今まで行ったことのある海外と言えば、西表島や礼文島、三宅島、それに佐渡島くらい。つまりパスポートを持って税関を通るのは初めてのこと、飛行機に乗るのも二度目(さすがに西表島まで陸路では行けませぬ)という大海外旅行(?)なのだ。ましてや集団行動が苦手なボク。しかし、そんな四の五言ってもはじまらない。かくして約二〇人の御一行様団体旅行のひとりとして機上の人となったのだ。
 ソウルの仁川国際空港まで日本から約二時間。我が家から東京へ出かけるのと変わらない。確かに近い隣国である。「集まり」とやらは最終日の三日目にあるため、初日と二日目は観光コースがギチギチに組まれていた。空港を出た貸切バスは、高層住宅が林立する街並みを抜け高速道路を疾走、漢江を渡りソウルの街へ。ここで冷麺の昼食。ビルに掛けられた看板がハングルでなければ、日本の都市と変わらない風情だ。
 昼食後は、観光コースの定番、韓国と北朝鮮を分断する軍事分界線(休戦ライン)へ向かう。訪ねる場所は、臨津江(イムジン川)に架かる「自由の橋」と「烏頭山統一展望台」。「自由の橋」とは、一九五三年、朝鮮戦争休戦協定が締結された後、北朝鮮に捕らわれた捕虜一万三千人がこの橋を渡って帰還したことを記念して整備されたという所。展望台からは、臨津江を隔てて北朝鮮の村々を望見することができた。
 さて二日目であるが、集団行動は遠慮(離脱)させていただき、かねてからソウルに行く機会があればと念願していた「西大門刑務所歴史館」を訪ねることにした。韓国人の視点から見た独立運動史を学びたかったからである。しかし、韓国語が分からないボクひとりでは到底無理。そこでソウルで語学を学びながらDTPを生業とする年下の友人に案内を乞い、一日観光客が行かないソウルの濃い場所を案内してもらうことにした。
 まずは「西大門刑務所歴史館」。一九〇八年(明治41)「京城監獄」として設立、日韓併合後は「西大門監獄」、そして一九二三年(大正12)には「西大門刑務所」と名称を変え、植民地化された大韓帝国の独立運動家たちを弾圧する日本帝国主義、朝鮮総督府の暴力装置として機能した刑務所である。館内には、独立運動家関連の活動や事件を時系列に展示しているほか、望楼、獄舎、独房や地下拷問室、死刑台などを当時の状態で保存。刑死、収監された運動家の顕彰と、獄囚の生活などが事細かに展示され、その抵抗の歴史を垣間見ることができる。同刑務所は、解放独立後もソウル刑務所、教導所、拘置所とその名を変えて一九八七年まで存在した。
 今日では、独立運動の歴史のみならず、戦後、朴軍事独裁政権などがでっち上げ収監し犠牲となった人民革命党事件や民青学連事件など民主運動家の顕彰も行われている。
 もちろんソウル歴史探訪はこれでは終わらない。三・一独立運動の舞台となったタプコル公園、「月の街」へと続く。続編を乞うご期待。  (雨)



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