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    かけはし2016.年6月27日号

三里塚闘争50年の集い


呼びかけ

7・17東京集会のご案内

主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)

呼びかけ

 1966年7月4日、政府は地元に事前に一切知らせることなく、突然三里塚の地に空港を建設することを閣議決定しました。政府は農民など金で簡単に立ち退かせる事ができると考えていたのです。こうした農民蔑視の政府のやり方に対して、三里塚農民は空港反対同盟を結成して自らの生活・農業を守るために立ち上がりました。
「国策」としての空港建設に刃向かう農民に対して政府は国家権力の暴力装置である警察機動隊を全面に立て、農民を排際して空港建設を強行してきました。
三里塚農民はこうした政府・公団の強権的なやり方に村ぐるみ、家族ぐるみの体を張った闘いを展開しました。こうした闘いは民衆の正義、民主主義とは何かという問題を突き付け、多くの労働者・学生・市民が三里塚に駆けつけ、共に反権力実力闘争を闘いました。
また、世界的にもベトナム反戦闘争やパレスチナ人民の解放闘争、フランスのラルザックの空港反対の闘いをはじめとする民衆の闘いとも連帯と共感を作り出してきました。
現在、安倍右翼政権のもとで人民の生活や権利はますます後退させられ、戦争する国家体制の構築が進められています。三里塚の闘いは今こそ大きな意義をもっています。
三里塚ではいまだに当初計画された空港は完成させていないのです。これは多くの犠牲を払った50年に及ぶ農民・人民の闘いの成果です。こうした成果や生活、権利、民主主義も闘い続けることによってしか守ることはできません。それが三里塚闘争の教訓でもあります。
政府・空港公団は1991年からおこなわれた「成田シンポジウム・円卓会議」をうけて「これまでの強権的やり方は間違っていた」と全面的に謝罪し、「これからは地元との話し会いによって問題の解決を図る」と確約しました。しかし、それ以降も約束を反故にし、地元を無視して平行滑走路の建設、供用、延長を強行し、今回第3滑走路の建設を画策しています。利潤の追求のみを目的とした空港機能の拡張はとまることがありません。闘いは続いているのです。
ここで再度、三里塚闘争の普遍的な意義を確認し、闘いを前進させていこうではありませんか。

集会要綱

語り
柳川秀夫さん(代表世話人)
石井紀子さん(成田市川上、農業)
平野靖識さん(三里塚らっきょう工場)
講演
加瀬勉さん(三里塚大地共有委員会[U])

上映:「抵抗の大地」(1971年強制代執行阻止闘争の記録)

?日時:7月17日(日)/開場・正午/映画・12時半
トーク開始・午後1時
?場所:文京シビックセンター26F・スカイホール
(地下鉄後楽園駅・春日駅)
?資料費:500円
?賛同募集 個人1000円 団体2000円
振替口座 00290─1─100426 大地共有委員会(U) 
通信欄に「集会賛同」と明記してください。
?主催:三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)
連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90―5/電話:FAX0479―78―8101

三里塚現地からのアピール

柳川秀夫(代表世話人)

 50年前、国によって有無もなく空港は決められた。
生活と農地を守るため反対を続けてゆくには実力阻止の道しかなく、結果、対決のエスカレートは必然のことであった。戦争の論理に当てはめて阻止の方針を考えてゆくと物事が見え、適切な闘い方が見えてくる事態でもあった。
また、このような闘いは流血の犠牲を伴うことでもあり、個々それぞれが参加し続けるには、何故そこまでして空港に反対するのか、その意味は常に自らに問い続けることでもあった。
体を張って農地を守る船出は長い道のりで何故という問いと共に、単に土地を守ることではなく土を守るという考え方を厳しい闘いは教えてくれた。
現代社会は空港を限りなく拡大してゆく方向が相も変わらないように、消費を際限なく拡大してゆく経済成長が続けられ、この社会の仕組みは変革なしには変わることは出来ない事柄でもある。
結果、深刻な課題となっている「持続可能な」ということと、闘いの中で生まれた土を守るということは同義である。
1971年、第一次代執行時、駒井野の地に立てられた世直しの筵旗は今もはためいている。

加瀬勉(大地共有委員会[U]代表)

 三里塚反対同盟は全国の住民運動と連帯・共闘してきました。人間の命の尊厳、一切の価値を生み出す生産と労働、大自然は絶対に侵してはならないし、破壊してはなりません。国家権力はそれを侵し、破壊し、強奪し金と物に置き換えることを国家の政治の理念としてきました。人間の尊厳よりも金と物を最高の価値とする国家を人間と自然が共存する国家にしていかなければなりません。
三里塚では多くの村がコンクリートの下に埋められました。騒音地帯で廃墟になった三里塚の村々、福島で原発で廃墟になった村々、村を追われた人々と三里塚の農民の運命がかさなります。沖縄辺野古で基地建設の強行の現実が三里塚闘争と重なってきます。戦争法反対、絶対あきらめない闘争の持続と50年の歳月を国家権力に屈することなく闘い続けてきた三里塚闘争が重なってきます。日本人民の闘争の熱い思いを共有していきたいと思います。
三里塚では第3滑走路建設計画が浮上してきました。国家権力は着々と陰謀を組んでいますが、初心に返って闘いに挑んでゆく決意です。

石井紀子(成田市川上・農業)

 反対同盟は半世紀にわたって闘い続け、しかもまだ闘いは終わってはいないのです。
飛行機が何万回飛んでも畑を手離す人がいても、この地に生きて農に携わる人が居る限り闘いは終わらないのです。
空港会社は更なる拡張、拡張と騒いでいますが、拡張の行き着く所はどこなのでしょうか。
チョウチョウのいない春、トンボのいない秋、春なのに夏のように暑い昼、寒い夜、何かとてつもない変化が地球規模で起きているような気がします。人間の過剰な文明がもたらした災厄なのでしょう。
空港会社はそのことに気づかず自分の首をしめるばかりか、大勢の人の首をしめているのです。これ以上の拡張を許すことはできません。
みんなの力で第3滑走路を止めましょう!

平野靖識(三里塚らっきょう工場)

 ナリタは日本の民主主義の砦。
50年前、理不尽に位置決定され、力ずくで建設された成田空港は、代執行阻止、管制塔占拠・破壊などの実力闘争の末、政府・空港公団(当時)を言論戦の場に引きずり出し、その全過程が民主的でなかったと謝らせました(空港問題シンポジウム/円卓会議)。円卓会議では空港問題の平和解決の方向も示され、国・県・公団も合意しました(隅谷調査団最終所見)。
しかしその後、国交省・空港会社はこの合意を踏みにじり、地域のコンセンサスを得ぬまま、2本目の滑走路の建設と供用を進めました。今、平和解決へのプロセスは見失われ、地域は騒音地獄に置かれています。
ナリタの経験は民主主義は闘いなしには達成できず、その成果も闘いなしに維持できないことを教えています。ナリタの内外に総反動の風が吹いていますが、50年守り抜いた土地と人々のネットワークで、民主主義の闘いを推し進めたいものです。これからもナリタは民主主義の砦です。

投書

映画「バナナの逆襲」を観て

S・M

「バナナの逆襲」(フレドリック・ゲルテン監督作品/スウェーデン映画)の「第1話 ゲルテン監督、訴えられる」(2011年)と「第2話 敏腕?弁護士ドミンゲス、現る」(2009年)を観た。
「米国のドール・フード社は、米国内で禁止されたDBCPという農薬を中米ニカラグアのバナナ農園で散布し続けた。その結果、無精子症など、労働者たちに大きな健康被害が出た。スウェーデンのドキュメンタリー映画作家フレドリック・ゲルテン監督は、ニカラグアのバナナ農園労働者たちがドールを訴えた裁判の映画を作った。だが、ドールはその上映を阻止するために訴訟を起こし、強力なメディア操作などで攻撃を仕掛けてきた。ゲルテン監督は、その?末(てんまつ)を新たな作品に仕立て上げた」(『週刊金曜日』2016年2月26日号、49ページ)。
「バナナの逆襲」は、この二作をまとめて公開したものだ。
小林和夫氏(オルター・トレード・ジャパン)は述べる。「映画に映し出されたニカラグアのバナナ農園の風景を見て思った。私たち日本人が主に消費しているバナナの故郷、フィリピン、ミンダナオ島のバナナ農園と瓜二つだと。バナナだけが植えられた果てしなく広がる農園、その上を農薬空中散布のために飛び回るセスナ機。栽培されているのも同じジャイアント・キャベンディッシュだ。農園の周囲に並ぶ質素な労働者の住居。バナナの方が労働者より大切に扱われていることそうだ」。
「特売商品の目玉となるほどに安価なフィリピンバナナが、農園労働者の安い賃金と大量の農薬によって支えられている実態を調査し、痛烈に批判したのが鶴見良行氏の著作、『バナナと日本人』(1982年、岩波新書)である」。「まだまだ全体像は見えていないものの、農薬禍を含めて鶴見氏が告発したバナナ農園における多国籍企業の人権蹂躙、環境破壊の構造は大きくは変わっていないように思われる。食卓のありふれた風景の一部となったバナナ。消費者としてそのバナナとどう向き合っていくのか。映画の舞台はニカラグアとアメリカだが、提起された問題は重く、決して他人事ではない」(この映画のパンフレットによる)。
この映画は、言論の自由について考えさせる。大企業の犯罪について考えさせる。日本でも「反スラップ法」を作るべきだ。世界中で「反スラップ法」を作るべきだ。バナナを買う気がしなくなった。ドール社の食品を買う気がしなくなった。この映画は、テレビ(地上波)で午後八時から午後一〇時くらいの時間に放送するべきだ。言論の自由は、言論の自由のための闘いなしに勝ちとることは出来ないのだ。そう思った。(2016年5月5日)

コラム

都知事と庶民の声

 「介護保険料がきたけど高くなった。年金は年々低くなっていくけど、保険料だけは高くなっていく」、「固定資産税もきたけど、七万円も取られる。高いね。舛添はやめてよかったけど、今度は選挙で何十億円もかかるんだってね。それも私たちの税金。やんなっちゃう」と六月一七日の地下鉄で高齢の女性たちが会話をしていた。普段は政治の話はしない妹の連れ合いが舛添の居直りに「最低だね、次は政治家ではない人がいい」。久しぶりに庶民が怒り、舛添問題はこの間の話題の中心であった。
 高額海外出張費・高級ホテル代が問題とされれば、「東京都の格を上に見せるために必要だ」。湯河原への公用車使用については、「動く知事室」。千葉の家族旅行については、「都知事選に出馬を相談するための会議」だったと舛添は居直り、声高に反論をする始末であった。政党助成金を美術品や食事代、家族旅行で使っていたことが次々と明らかになるなかで、形勢は逆転した。
 ついに六月一五日都議会全会派による不信任決議が確実になる中で舛添都知事は辞任した。石原慎太郎が国政に転身するということで辞任、次に副知事の猪瀬が当選。しかし、五〇〇〇万円を医療法人・徳洲会からもらったことが発覚し辞任。そして、自公の推薦を受けて舛添が当選して、わずか二年四カ月で辞任。こんな異常な事態は初めてのことだ。それほど、「都知事」という座は「利権」という「うまみ」があるということだろうか。
 二〇一四年一月時点の東京都の規模。予算規模は一三兆円でインドネシアの国家予算並み、国の税収の四割、株式売上高の九割、銀行貸出残高の四割、大企業の本社・外国企業の五割が東京に。ここに二〇二〇年の東京五輪が舞い降りた。新スタジアムやオリンピック選手村、新たな競技場、道路・鉄道整備などなど、数千億円をかけた一大事業が始まっている。
 自民・公明は不祥事でやめた猪瀬の後釜に、自民党候補をあきらめ自民党を脱党し新党改革の舛添を推薦した。そして、都政で築地移転問題など対立している問題について、自公の言うことを聞き、「利権」に手を突っ込まないことを条件にしたというのだ。
 舛添は知事就任後、全力で「東京五輪」のために、高額のおカネを注ぎ込み知事外交を繰り広げた。彼は自分の別荘の湯河原に行くことはあっても、多摩地域や介護施設や保育園に視察に行ったことはないとも言われた。
 舛添は「湯河原の別荘の売却、自分の給料の一部返上」をするので知事を続けたい、リオ五輪までは辞めさせないでほしいと懇願した。最後まで自民党東京都連は舛添への不信任案を出すとは言わなかったが、参院選への影響を心配した官邸がトップダウンで決めたとも言われている。猪瀬四三四万票、舛添二一〇万票での当選は何だったのか、最も庶民派・人権派の宇都宮健児さんは九八万票だった。次の都知事選は野合ではなく、宇都宮さん的資質が問われている。    (滝)

 


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