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    かけはし2016.年6月27日号

目標は「民衆の力」の創出


フィリピン

新たな強権的政治指導者 @

「アウトサイダー」「フィリピンのトランプ」の実体

アレックス・デヤング


 フィリピン民衆は、これまでとはタイプが相当に異なるように見える人物を大統領に選出した。「アウトサイダー」、「フィリピンのトランプ」などと称されたドゥテルテ新大統領には、マニラを中心とする既成のエリートに対する民衆の不信が色濃く映し出されているように見える。しかし以下で示されるように、ドゥテルテ自身も実はまぎれもなく寡頭支配層の一人だ。しかし、CPPとの個人的つながり、ムスリムの自治要求への肯定的姿勢など、これまでと異なる側面も多い。対中包囲にフィリピンを引き込むことを目論む安倍にとっては、思わぬ攪乱要素となるかもしれない。いずれにしろアジアに生まれている変化の一つであり注視が必要だ。その一助として、このフィリピン新大統領選出の力学に関する分析を四回連載で紹介する。筆者は、第四インターナショナル・オランダ支部メンバーであると共に、IIREの中心組織者として同マニラの活動にも尽力している。(「かけはし」編集部)

 フィリピン大統領としてのロドリゴ・ドゥテルテの選出は、世界的ニュースとなった。その理由を知るのは難しくない。「アウトサイダー」そして「異端者」と表されたドゥテルテは、カリスマをまとった謎の人なのだ。
彼は、不敬を体した演説、女性蔑視の冗談、そして容疑者を殺害するフリーハンドを警察に与える約束で知られている。しかしまた彼は、自らを社会主義者であり、フィリピンで初めての左翼大統領であるとも主張する。
彼の成功は何を意味するのか? 彼の台頭は本当に、彼が約束する変革のような何かなのだろうか? そしてそれは、フィリピンの左翼にとって何を意味するのだろうか?

戦後の米支配と
寡頭制の形成


ドゥテルテの成功を理解するためには、ある種の民衆反乱の指導者という彼が自任するイメージをやり過ごして事態を見る必要がある。その代わりにわれわれは、彼をフィリピン経済およびその政治という全体関係の中に位置づけなければならない。
フィリピン経済は、国家の相対的弱さと諸々の地代・賃貸料金からの利益に依存している。フィリピンの低開発の産業基盤、また貧しい農業部門は、地代・賃貸料金が富の主な源泉であるということを意味している。
諸資本は、市場を支配し、諸資源の利用権獲得のために、国家機構内での影響力獲得をめぐって、あるいは国家機構の一部を確保することをめぐってさえも互いに競争している。地代の追い求めと国家支配をめぐる競争は、一体的に、構造的な腐敗をつくり出し、それは次に制度的な法的追及逃れを生み出す。
フィリピン資本主義は、アルフレッド・W・マッコイが「寡頭支配者」と表したような支配階級によって統制されている。この階級は、「血縁と婚姻によって編まれた一団の家族」から構成され、そして彼らは、「国家の運命を方向付けるために政治権力と経済的諸資産」を組み合わせている。
農業を出発点とした少数のこうした家族が、植民地の時代からフィリピン寡頭制を支配してきた。
一九世紀後半にスペインが貿易のためにマニラを開発した時、彼らは国際市場に焦点を合わせて資本主義的な農業部門をつくり出した。
スペインは、フィリピンのエリート家族を支配するために中央集権化された官僚制を築き上げようと試みたが、それは悲惨な形で破綻し、代わりに米国が権力をとった後に終わりを迎えて反乱を引き起こした。
米国は、この国の地域圏に一定の自治と選挙を導入し、地主のエリートに彼らの政治的支配の余地を残した。マッコイが書いているように、米国の諸政策は、「既成の諸家族と新興の諸家族による私有化に向けて国家諸資源を解放した、地方の政治家と全国議会からなる新しい階級を生み出した」。
保護者―依頼人の関係はフィリピン政治の背骨となった。つまり、裕福な地主政治家から都市地域の影響力がより小さな諸家族へ、次いでさらに村々へと下る垂直的な結びつきが伸びた。政党は、伝統的にマニラに集中した、上層階級家族と彼らの依頼人からなる集団となった。
マルコスの独裁はこの編成をひっくり返した。米国は以下のように考えたことを理由にマルコスを支持した。つまり、より強く、より中央集権化された国家は、米国の覇権に対する民族主義者の挑戦を吸収し、フィリピンが東南アジアにおける米帝国主義の安定した支柱にとどまることを確実にするだろう、ということだ。
しかし受動的な革命に向けたこのもくろみは、支配的徒党の略奪者的性格のゆえに大きく破綻した。つまりこの徒党は、フィリピン国家を前例のないほどまで「私有化し」、その歩みの中でさらに民衆を追いやった。
一九八六年にマルコスが打倒された後、フィリピンは前述のような「寡頭的民主主義」へと逆戻りしたが、そこには二、三の重要な違いが伴われた。マルコスという幕間は以前に存在した二党システムを壊し、新たな役者たちがトップに昇った。一連の政党が勢いを得た。
しかし以前とまったく同じに、これらの諸政党が首尾一貫した政綱をめぐって闘うことはなかった。代わりにそれらは、保護者と依頼人のネットワークを組織した。
一九世紀以来、このシステムが原理的に脅かされたことはなかった。しかしそれが生み出した諸政権はしばしば不安定となり、下から挑戦を受け、内部的な競合関係によって引き裂かれてきた。
その間人口増加と国家機構の肥大は、伝統的な保護者―依頼人の関係を相当に変えることになった。増大する暴力使用と恩恵供与のより分散化された諸形態が今や、家父長的保護者―依頼人関係を補っている。
政治家が政府の職や契約を分配し、あるいは支持を得るために票を買うことを必要とするに応じて、政治家の個人的な財産と国家資金を分ける境界線は薄くなっている。ある者がマニラから得れば得るだけ、こうした行為はもっと悪どくなっている。
このすべてが選挙キャンペーンの成功を非常に高くつくものにしている。巨頭や裕福な家族と政治家の提携は、政綱の実質よりももっと重要だ。キングメーカーの諸家族は、ハシエンデロ(大農場主)の根をもっているかもしれないが、金融、鉱業、建設業、さらに経済の他の部門に事業を広げてきたのだ。
この状況をさらに悪化させるものとして、フィリピンの政治資金法は、個人や企業の運動資金提供に制限を設けていない。そして政治家は、選挙が終わるまで彼らの支援者を明らかにする必要がない。
民衆階級がこの選挙の見せ物の中で無視されているわけではない。政治家たちはあからさまな票の買い取り、贈り物、賄賂、そして見せ物で満ちているがほとんど実質がないキャンペーン招待をもって、彼らに接触を延ばしている。公約されているものはほとんどまったく伝えられない。このキャンペーンであらゆる候補者は請負労働を終わりにするだろうと語った。しかし、この方向で寡頭支配者の利益に反して彼らが進むチャンスはほんのわずかなのだ。

彼の生い立ちと
政治経済的基盤

 ドゥテルテの政治的経歴は寡頭支配のゆえに豊かなものとなった。彼はドゥラノ家とアルメンドラス家と関係を結んでいるが、これらの家族は、ドゥテルテが生まれた地であるセブで何十年間も有名な政治的人物となってきた。
ドゥテルテ自身、セブ州の一都市「ダナオでは、長い間相当に重要な政治的家族」となっていた。ミカエル・クリナンは「諸家族がつくる混沌」の中でこう書いている。ドゥテルテの父親であるビセンテ・ドゥテルテは弁護士であったが、ダナオ市長、ついでアレハンドロ・アルメンドラスを引き継ぎ一九五九年から一九六五年まで、ダバオ州知事を務めた。ここは、彼の息子がその政治的基盤を築くことになるところだ。
一九八六年の「ピープルズパワー革命」がマルコスを打倒した後、ロドリゴ・ドゥテルテはダバオ市の副市長になった。彼は二年後市長に立候補し一〇年間その地位を保持した。
その時まで練達の政治家であり木材伐採業界の大物であったアルメンドラスは、マヌエル・ガリシア、エリアス・ロペス、リカルド・リスモといったマルコスの取り巻き同様、政治へ入り込むドゥテルテの最初の歩みを支援した。
ドゥテルテは市長としての三期目の制限に達した時、下院議員になった。そして三年後、ダバオ市長に復帰した。二〇一〇年には再び任期制限に達し、副市長になった。これは、彼の娘のサラ・ドゥテルテ・カルピオと地位を交換したものであり、彼女は彼の椅子である市長に座った。
ドゥテルテはダバオ市で、彼のイメージを民衆の控えめな使用人として磨いた。しかし、彼の個人資産に関する選挙前の発覚に驚く者など誰一人いるはずがなかった。
ドゥテルテが四〇〇万ドルを超える非公開銀行口座をもっていることが明るみに出た時、彼は、それは彼の「裕福な友人たち」からの贈り物がもとになっている、と語りながらさっさと片付けた。彼が言明した富の価値は注目すべき上昇を示した。それは過去一五年、平均で年に一三二・六%増大していた。
われわれはドゥテルテを、フィリピン政治ではまれではない人物、強権的政治指導者の普通よりももっと大きな型として理解しなければならない。政治学者であるパトリシオ・アビナレスのミンダナオに関する著作は、この強権的政治指導者を、より強力なマニラを基盤とする関係者たちの地域圏代表者として記述している。強権的政治指導者は、恩恵供与のネットワーク、決定的な企業に対する支配、そして「中でももっとも重要なこととして、強制と暴力の諸手段の専有」を通して権力を蓄積する。
この分析でロドリゴ・ドゥテルテは、マニラでは「アウトサイダー」であり、力がより弱い、フィリピンエリートのもっと地域的な層の代表となっている。財務相として提案されているカルロス・ソニー・ドミンゲスのように、彼の連携者たちの何人かも、ミンダナオに基盤を置いた一族出身か、あるいはドゥテルテと共に学んだ者たちだ。
しかし選挙後、権力や公的財源への彼らの利権保持を切望し、他の既成政党や現政権からの寝返り組が早々にドゥテルテ連合に加わった。
左翼的装いを脇にどければ、これがドゥテルテを理解するもっともはっきりした方法だ。すなわち、大統領を勝ち取り、伝統的高位エリート層を押しのけることにより、この者たちに大きな一撃を加えることに成功した一人の地域圏ボスとして。彼の選出が約束しているもっとも意味のある変化は、マニラのエリートが部分的に、この国の寡頭支配層における別のもっと地域圏に根を張る部分で置き換えられることになった、ということだ。(つづく) 

【訂正】本紙前号(6月20日付)1面リード右から6行目の「変って」を「代って」に、2面上から2段目右から8行目の「六月九日」を「六月六日」に、3面TPP記事上から3行目左から1行目の「訴えられる」を「訴える」に、3面コラム上から2段目右から1行の「順不動」を「順不同」に、同じくコラム最下段右から1行目の「国政」を「国勢」に、4面沖縄報告上から5段目左から11行目の「四女カン・シニョン」を「娘カン・シニョン」に訂正します。


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