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    かけはし2016.年7月4日号

沖縄と共に反基地・反安保へ


6.12第7期沖縄意見広告運動報告集会

軍事基地こそ暴力・犯罪の根源

今こそ「平和に生きる権利」を


安次富浩さんが
沖縄の現地報告
六月一二日、第七期沖縄意見広告運動の報告集会が、東京・御茶ノ水の連合会館で開催された。六月五日、琉球新報、沖縄タイムス、朝日新聞の三紙に掲載された意見広告の賛同者は、沖縄での闘いが「島ぐるみ」の闘いを通じて日米両政府とのさらなる緊張関係に入ったこと、とりわけ五月一九日に明らかになった元米海兵隊員による沖縄の女性への暴行・殺人・死体遺棄事件への怒りを反映して、昨年の六八二七人から今年は九〇〇二人へと増加した。集会には、会場をいっぱいにする四〇〇人が参加した。
司会をつとめた元国立市長の上原公子さんは、辺野古訴訟で裁判所が提示した「和解」を国も受け入れたことには「敗訴必至」という判断があった。と語った。基本的人権と自己決定権の原点でもある「平和に生きる」という原則を国が踏みにじっていることこそが問題の核心だ、と上原さんは紹介した。続いて、七月参院選の「島ぐるみ」候補である伊波洋一前宜野湾市長からのビデオメッセージが紹介された。
沖縄から報告したのはヘリ基地反対協の安次富浩さん。安次富さんは、橋本・モンデール会談による「普天間返還」合意から二〇年後の今日、沖縄の自己決定権に口を出すなという声がますます県民の多数の声になっていると主張した。この二〇年間の闘いの経過、政府の主張の変遷、最近明らかになった梶山静六文書(日本への移転だと反対運動が起きるから普天間の「移転先」は沖縄県内以外にない)というメモを紹介した安次富さんは、日本政府の基地押しつけの一貫した態度を糾弾。さらに県議選の勝利は参院選で安倍を倒す第一歩をしるした、と訴えた。

軍隊内の暴力
と女性への暴力
この日のメインゲストは「ベテランズ・フォー・ピース」(平和のための退役軍人)のメンバーで、陸軍に二九年間勤めた元陸軍大佐で、外交官も務めたアン・ライトさん。
アン・ライトさんは沖縄に四日間滞在し、高里鈴代さんの案内を受けて米軍による犯罪の記録を調べ、今回の元海兵隊員による犯行現場を訪れた。アン・ライトさんは「暴力で国際問題を解決しようとする軍隊のあり方は、私生活の中でも行使される」と批判。それはコミュニティーや家庭生活でも表現されると指摘。さらに軍関係者による他の軍関係の女性に対する性的暴力としても現れると批判した。アン・ライトさんはこうした頻発する軍関係者による性暴力事件のうち、起訴されるのは七%程度だと指摘した。
さらにアン・ライトさんは「米軍が沖縄に存在する限り犯罪行為は続く。この恐ろしい犯罪行為を止めよう。米軍の責任で、破壊された環境を元に戻そう」と語った。
質疑応答の後、戦争をさせない一〇〇〇人委員会の福山真劫さん、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの木村辰彦さん、辺野古リレーの仲間、米軍性暴力被害者のキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんが発言。花輪伸一さんが八期の意見広告運動に向けた呼びかけを行った。  (K)

6.12戦争法の実働化阻止へ

陸自練馬駐屯地撤去デモ

首都圏の軍事拠点化との闘いへ

 【東京北部】六月一二日、 戦争法実働化阻止!海外派兵反対! 6・12練馬駐屯地撤去デモが地域の労働者・市民四四人の結集で闘われた。主催は反安保・反自衛隊・反基地を闘う東京北部実行委員会と有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会。
 東武練馬の徳丸第二公園で、一時から始まった集会ではまず始めに発言に起った実行委員会の仲間が次のように提起した。
 「昨年は戦争法案の反対闘争で闘いが盛り上がりました。一方、熊本の大地震では自衛隊の災害派遣が行われ、自衛隊に対する評価も上がっています。就職でも不景気の中で自衛隊は志願者が増えていると言われています。しかし、防衛大に進学した学生が上級生に裸で腕立て伏せを強要されたり、イジメに遭うなど、旧軍隊の体質を引き継いでいることが明らかです。このような中で、自衛官の人権というのは大きな意味を持つだろうと思います。六月二五日には文京区民センターで『実働化する安保法制』と題して集会を行います」。
 「練馬駐屯地に対するデモは約四〇年続けていますが、練馬駐屯地の機能も徐々に変化しています。第一師団司令部が練馬の地にあるという位置の大きさ、そこに異議申し立てするということをやり続けているわけですが、もっともっと注目していかなければならないと考えています」。
 「自衛隊の海外派兵が進められているわけですが、もう一つの側面として、人民への弾圧というものがあり、我々は反自衛隊闘争を日常的な展開の中で闘っていく、労働者の治安出動に対する闘いを目的意識的に形成していきます。人民に銃口を向ける自衛隊との闘い、海外派兵の側面のみに目を奪われるのではなく、戦争する軍隊としての性格をきちんと捕らえ返して闘っていくということがいま問われているんじゃないかと思います」。

朝霞自衛隊観閲
式反対の訴え
続いて、パトリオットはいらない!習志野基地行動実行委員会の仲間は、「木更津市にある陸上自衛隊の駐屯地が来年一月より普天間に配備されている米海兵隊のオスプレイ二四機の、そして一機二〇〇億円かけて導入される自衛隊のオスプレイ一七機の整備拠点となるが、自衛隊のオスプレイは木更津基地の第一ヘリコプター団に所属となる、この部隊は習志野の第一空堤団とセットであることから、単なる整備拠点ではなく第一空堤団の隊員を乗せて千葉県民の頭上を飛ぶことは明白である。米軍は何があろうと嘉手納、横須賀、横田は絶対手放さない。神奈川県、東京都、そして千葉県までもが米軍と一体化する軍事拠点になろうとしている。全力で抵抗していきたい」と訴えた。
続いて破防法組対法に反対する共同行動、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、辺野古実、米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対する荒川・隅田・山谷&足立実行委員会、北部労働者共闘会議、板橋・歩こう会、経産省前テント村からの発言を受けてデモに出発した。
デモは東武練馬駅を通り、練馬北町駐屯地へ、正門前で申し入れ書を読み上げて手渡した。
解散地では実行委員会の仲間がまとめの発言を行い、「秋には朝霞自衛隊観閲式が行われる。陸海空の持ち回りの観閲式が三年ぶりに回ってくるというだけではなく、朝霞に陸上自衛隊の総隊司令部が置かれることになる。第一師団の三四普通科連隊がジブチにおける海賊対処に派遣されているが、次回派遣部隊より、駆けつけ警護が任務に加わると言われている。 陸自の「総隊」化は安保法制の実働化の動きである」として秋の観閲式反対闘争を提起した。    (板)

6.12 川出勝さんを偲ぶ会

理論と実践の遺産を継いで

故人への思い、全国から届く

 六月一二日、「川出勝さんを偲ぶ会」が都内で行なわれ、生前に親交のあった約五〇人が参加した。主催は「川出勝さんを偲ぶ会実行委員会」。
 川出勝さんはJRCL東部地区委員会に所属していた。二〇一六年二月初頭、住居である都営住宅の一室で倒れているのを、同じフロアの住人が発見した。
 突然の訃報に大きな衝撃を受けながらも、関係者は事態の収拾に奔走した。二月一二日には住居近くにある斎場で簡素な葬儀が執り行われ、同日中に荼毘に付された。その後、部屋にあった遺品の整理や、本人が書き遺した文章の確認が、残されたパソコンを手がかりに続けられた。
 偲ぶ会会場である飲食店の前には、開場の三〇分以上前から列ができていた。午後一時過ぎ、司会者があいさつ。この日に間に合わせるために作られた追悼文集「川出勝取扱説明書」(※)についての解説を加えた。誰もがまったく予測しない、あまりに突然の死である。故人の意思も確認できないまま、手さぐりの編集作業に多くの時間と労力を費やした。
 「週刊かけはし」編集部で、毎週の輪番コラム欄を担当するAさんが発言した。「川出さんが亡くなってから四カ月。残された執筆者との原稿のやりとりで、ようやく実感がわいている。亡くなる三日前。彼は私に、『脱原発福島集会に行く電車の時間が決まったら教えてくれ』と言い残していた。彼と初めて出会ったのは、一九六八年の三里塚だった。私は彼に山の中に連れて行かれた。われわれより先に亡くなったことが今でも信じられない」。
 地域で共に活動をしていたBさんは、引っ越し先への転入手続きなど、故人の生前の生活手段に、直接かかわっていた。葬儀から遺品の整理まで中心になって働いた。葬儀の後に火葬場を間違えるなど、「一連の流れの全体を取り仕切る人物がいなかった」と振り返るBさん。混乱のなかでなんとか追悼会開催にこぎつけた経過を語った。

後に続く人々を
理論的にけん引

 歓談が始まると、故人とかかわりのあった全国の仲間たちから、次々と発言があった。京都や大阪で活動していた当時を知る人々。故人の出版社勤務時代と独立後編集・販売された数多の文献に、それぞれのエピソードが披露された。
第二次安倍政権の登場と、福島原発事故、安保法案の成立をめぐって盛り上がる国会前闘争に、川出さんも精力的に参加していた。晩年は東京東部の地域で、ATTACの運動や「かけはし読者会」を通じて、後進たちを理論的にけん引していた。
いっぽうで、集団の指導的な立場と、そこから派生する任務と実務を、おそらくただ一人で抱えていたことの弊害も明らかになったのではないか。遺された者たちの右往左往を、本人は想像していたのだろうか。あくまでこれは、本稿筆者の個人的な感想である。ともあれ、川出さんなき後の大きな空白を、どんなに時間がかかっても、私たちが埋めていくしかないのだろう。
来場者はスパイスの効いたアジア料理を堪能しながら、故人を偲んだ。ランチタイムのため貸切りではなかったが、他の客とのトラブルもなく、予約した二時間があっという間に過ぎた。会場には、本人の写真のほか、これまで出版された文献や遺品の一部が展示された。横断幕も手持ちで広げられた。閉会後は三々五々。帰宅する者、二次会に流れる者と、盛況の余韻が続いていた。 (佐藤隆)
※つげ書房新社刊「マルクス取扱説明書」を模した文集。



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