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    かけはし2016.年7月4日号

現下の闘争は新しく開いた窓


フランス この地が動く時全欧州が震える

歴史貫く反逆の道の中で飛躍果すために何が求められるか

ミゲル・ウルバン・クレスポ

 以下は、労働法改悪に反対してフランスで展開中の大闘争について、スペインから見た評価と課題提起を行っている。フランスの闘争の全欧州的意義を確認した上で、闘争の国際主義的発展を図る観点から、特に、新しい運動を政治的に表現できる政治的ツールの建設を、この闘争の熱の中でこそ討論課題にすべきだ、と訴えている。(「かけはし」編集部)


大規模なストライキと抗議行動が、憎むべき「反改良」労働法の元老院討論が六月一四日に始まる中でもっと大きな衝撃が到来するという怖れを伴って、フランスを今揺さぶっている。
フランソワ・オランド大統領とマヌエル・ヴァルス首相が率いる社会党政権は、長く保持されてきた労働者の保護を排すると思われる法、いわゆるエルコムリ法を強引に押し通そうと挑んでいる。しかしこの法は、巨大な抵抗を引き起こすことになった。それは、「ニュイ・ドゥブゥ」と呼ばれている公共的広場の占拠から、ゼネストを含む大衆的な労働者階級の行動の復活までの、さまざまな形態に表現された。支配階級が大陸中で抜本的な緊縮を成功裏に押しつけてきた、そして極右が絶望的な状況の難民や移民をスケープゴートにするレイシズムを基礎に影響力を増大させつつあるその欧州で、フランスのストライキと抗議行動はもう一つの方向を示している。
ミゲル・ウルバン・クレスポはスペインの左翼政党、ポデモスの創立メンバーであり、今はその欧州議会議員だ。最初はスペイン語で発表された以下の論考の中で彼は、フランスの闘争の重要性と欧州内であり得るその反響を考察している。

一段抜けた政治的対立しるす地で


「被抑圧者の諸伝統」と関係づけて考えられる国がどこかにあるとすれば、ドイツ系ユダヤ人社会主義哲学者のウォルター・ベンヤミンが書いたように、それはフランスだ。一七八九年のフランス革命から一九六八年のゼネストまで、一八七一年のパリコミューンと第二次世界大戦中の反ファシズムレジスタンスも忘れるわけにはいかないが、フランスは、一段抜けた政治的対立の現場だった。それゆえ、カール・マルクスが彼の諸々の考えに対する三つの源泉を挙げた時、ドイツの哲学、英国の経済学、そしてフランスの政治を名指ししたのも、まったく偶然ではなかった。フランスの歴史は、平民の蜂起とせっかちな労働者で満ち、どことも分からないところから現れ、それ自身の内的なエネルギーで激しさを増す、そうした諸対立で満ちている。
ニュイ・ドゥブゥも、CGT〔労働総同盟、フランス最大の労組ナショナルセンター:原注、但し現在は勢力を後退させ、フランス最大とは言えなくなっている:訳者〕が率いるストライキの波も、それを予測することはたとえできないとしても、われわれがこの爆発の理由を分析し、出発点としてフランスの情勢を考えつつ、国際主義的な鍵を導きとして、戦略的討論を取り戻そうと挑むことは可能だ。

新自由主義への抵抗とその限界

 ヤニス・ヴァロファキス〔シリザ政権下の元ギリシャ財務相:原注〕は先頃のコメントで、フランスは、新自由主義的再構築と反改良の強制がこれまでうまくゆかなかった欧州で唯一の国だ、と語った。
いくつかの方向からこの観察を深めることが必要だ。一方で、反改良に対する抵抗が事実としてフランスでは他の国よりもっと効果を上げてきた、ということははっきりしている。保守派の首相、アラン・ジュペが提案した社会保障切り下げに反対する公共部門の巨大なストライキを特徴として、最初の大戦闘は一九九五年に起きた。
彼の時代にジャン・ポール・サルトルが果たしたように、労働者階級の運動に献身してきた重要な一人の現代知識人であるピエール・バディウは、一つの勝利を勝ち取った最初(一九八八年のスペインのゼネストと並んで)となったこのストライキについて、一九八四―五年のマーガレット・サッチャーに対する英国炭鉱労働者の敗北が印した新自由主義的転回を逆転したわけではないとしても、このストライキは、オルタナティブについて考えることを可能とする場に道を開いた、と語った。
続く年月に巻き起こった反グローバリゼーション運動は、その多くをこの一九九五年のストライキに負っていた。そしてこのストライキは、一〇年後のEU憲法に対するフランスの拒絶への出発点としても機能した。
一つの疑問もなく、新自由主義反対の闘争は労働組合に決して限定されなかった。それはまた、政治と選挙の領域でも組織されてきた。しかし、一九九五年の勝利は一つの逆説を抱えていた。ストライキの波と大衆的抗議行動を何百という統一した職場闘争委員会を基礎に組織したのは、左翼だった。しかしながら左翼は、この闘いを政治的展望を備えた一つの組織された運動に移し替えることができなかった。こうして結局、ネオファシストの国民戦線が、エリートの利害に沿って営まれているEUに対する大衆的不満につけ込んだ。

抵抗にも新自由主義の前進の影


フランスのさまざまな他の高揚を通して二〇一〇年までずっと続いたこの遺産も、新自由主義の支配的影響力をひっくり返すことはできなかった。急進的著作家のピエール・ダルドとクリスチャン・ラヴァルが説明してきたように、新自由主義は、規制に関する諸規則からなる一つの複合体に切り縮められてはならず、それはまた、社会的諸関係の一モデルとして自らを押しつける体系的な社会的力学をも含んでいる。何百万人という黒人とアラブ人の「公式」社会からの構造的排除は、市場と市民社会への新自由主義の前進がつくり出した直接的な結果だ。
新自由主義の前進は、資本から自らを守るために以前に労働者階級が築き上げた防衛線をすっかり破壊した。高度に訓練を積み、組織された労働者階級のいくらかの部分――特に、他の諸国では私有化されてしまった広範な経済部門を依然占めている公的被雇用者――が彼らの生活基準を何とか守ってきたとしても、先のことはなお事実として残っている。
フランス社会の爆発的抵抗と新自由主義モデルの底に潜む前進、この間の対照を描き出す上で二つの結果が役に立つ。
第一として現在のストライキの波を維持している労組、CGTは、その主な指導者がオランドに対する反対を擬人化するにまで到達した、ある種の急進的組合となっている。CGT書記長のフィリップ・マルチネスは、英国の映画監督であるケン・ローチのフランス版、ロベール・ゲディギャン監督の一映画から直接抜き取られた性格を身に帯びた一人物のように見えている。同時にCGTは、ここ何十年かを通じて三〇〇万人から僅か六〇万人にまで組合員を減らしてきた、極めて弱体な組合だ。
他方で国民戦線は、何百万人という労働者がその中で自身の集団的経験を深めてきた製造業を中心に築き上げられた生活共同体の破壊、そして脱工業化によって駆り立てられた不満、これらにつけ込んできた。国民戦線は、労働者階級に一定の基盤を確保しているにもかかわらず、今日のストライキに敵対する強硬路線を求め、このことでその反動的な性格を――しかし同時に労働者階級との結びつきを失ってしまっている政治的左翼の諸々の限界をも――表にさらしている。
一個人の階級的地位と彼らのイデオロギーとの間に明白な直線的つながりがまったくないとしても、フランスが示すものはまた、諸々の理念は階級的関係によって形作られ条件付けられるという事実だ。そしてこの実体こそ、ある方向や別の方向に怒りを向ける点で決定的なのだ。

既成勢力 運動を懐古派と中傷

 われわれは、これらすべてを基礎に、フランスで今起きようとしている出来事をいかに読み取るかをはっきりさせなければならない。
奇異に映ることは、主流の左翼と右翼の双方が、彼らの分析をどのように保守的な鍵に沿って調節しているかだ。右翼は、首相のヴァルスが率いる社会自由主義左翼と歩を並べて、この運動に「変化に反対する」ものとレッテルを貼ることに強調点を置いている。彼らは運動を、フランス社会が必要としている近代化反対に傾く懐古的運動、と描いている。しかしそこで想定されている近代化とは、当然のこととして、労働に関する諸関係の自由化、並びに一九六八年のゼネストの中で労働者が勝ち取った歴史的成果の一掃を必要とするようなものなのだ。
対照的に進歩とは、エリートたちのためのフランスの過去におけるうまみを回復する目的の下に、歴史に恨みを晴らす形態をとると思われる。ヴァルスと彼の経済・産業・デジタル問題相のエマニエル・マクロンは、このねじくれた物語の中ではさながら、集団主義的かつ反動的な実体――つまり、労組、およびほんの少数しか利用できない「特権」として定義された職場の権利――を破壊することによって社会を自由にすることをもくろんでいる、対抗文化的ヤッピー(都市に住み専門職に就き高収入を得ている若い中流階級の者たち:訳者)のように見える。
こうして社会民主主義の危機は、特別に悪質な形態をとりつつある。社会党は、二つの者たちの間に分裂させられつつある。一つは、先のような諸方策が彼らの基盤から彼らを引き離すことになると実感している者たち、そしてもう一つは、首相のように、社会福祉の破壊が彼らの歴史的使命だと信じ込んでいる者たちだ。
一方で、フランス共産党書記長のピエール・ローレンがニュイ・ドゥブゥの若者に、「私は君たちに共産党に加わるようお願いする」と意思表示する時、彼は、同じ保守的な無理解――新しい何かに開いた窓として今日の闘争を読み取ることができない無理解――をさらけ出しているにすぎないのだ。

潜在的可能性に満ちた飛躍

 しかしながらわれわれは、違った読み方にわれわれの賭け札を置くことができる。われわれには、今起きようとしているものを、フランスの歴史を貫いて伸びる破壊力を秘めた道筋にとどまる中で、「飛躍」という類型として理解することも可能なのだ。
この飛躍には、探索されるべき潜在的可能性が満ちている。何よりもまず今日の諸々のストライキは、ここ何年もわれわれが聞かされてきたあらゆる物神崇拝的理論にもかかわらず、一つの重要な理念を再び机上に戻している。それは、組織された労働者階級は、エネルギー生産や交通における価値の連鎖に攻撃をかけることによって、国全体を麻痺させることのできる格別の戦略的な力を保持している、という理念だ。
このストライキは、単なる特定の産業部門の問題ではない。むしろそれは、この国を動かしている者は誰なのか、という問題を提起している。つまりそれは、彼らの労働を通じて富を生み出している民衆なのか、それとも他人の労働によって生きている者たちなのか、という問題だ。
これは小さな問題ではない。それはまた、異なった物質的現実と力の相関関係に対応する、異なった用具と闘争諸形態を課題に設定する。われわれは、それらのさまざまな組み合わせ(諸々のストライキ、デモ、公共的広場での大衆的総会、その他)の中に、諸々の必要性だけではなく潜在的可能性もが表現されていることを見ている。
他方でこの運動は、並行的な爆発が共通の利害を分かちもつさまざまな層を貫いてあり得る、ということを示すことになった。分かちもたれた利害というこの現象は、ニュイ・ドゥブゥがそこに基礎を置いている中産階級の不安定化と貧困化、そして伝統的労働者階級諸層の不安定化と貧困化、こうしたことの創出を基礎としている。最貧困居住地域に集中しているアフリカやアラブ出身の若者たちにこれらの闘争を結び付ける点での現在進行形的な不首尾を強調しなければならないとしても、それでも先のことは真実なのだ。
社会的不満が行動的闘争に、さらに実体的経験に移し替えられるに応じて、政治的既成エリートに対する主なオルタナティブとして国民戦線が自身を押し出すことを妨げることができる、そうしたある種の戦闘的な政治的諸層が登場するに違いない。

闘争の熱の中で挑戦すべき議論


フランスで今起きつつあるすべてのことは、欧州中で底深い反響を得る可能性がある。
私はもちろん、フランスのわが同志たちにやるべきことは何かを告げるつもりなどない。しかし私は、一定の普遍的な妥当性を帯びる一つの考察で終わりたい。そして私は、それが他の諸国での経験からくみ取られた一つの教訓だと考える。つまり重要なことは、新しい社会構想をはっきり表現できる一つの社会ブロックを建設する目的の下に、防衛的な諸要求の先まで広がる一つの政治的表現を提供する中で、不満をどのように定着させるかを討論することだ。
フランスの左翼は、不幸なことだが非常にバラバラになり、自分の殻に閉じこもっているが、マルクスがそこに割り当てた中心的な役割を再びつかむ好機を前にしている。それを行うためには、他の諸国でこれまでに示されてきたように、新しく、参加型で、また開かれたものと見える、一つの政治的・社会的な用具を建設することが決定的だ。
闘争の熱の中でこれをやらない理由はあるのだろうか? 今日のストライキをどのようにして勝利させるか、闘争の諸構造をいかにして安定させるか、そしてそれらを組織化のための空間へといかに転換するか、こうしたことと平行して先の課題をを討論し、そのことで、今日表出中の恐るべきエネルギーすべてが、権力を争うために使用可能な一つのツールの基礎を形作ることができるようにする、というようなことをやらない理由はあるのだろうか?
もちろんこれはわれわれに必要なことだ。われわれは、欧州の残りのところで前進するために、フランスで前進しなければならない。
最良の国際主義的伝統は常に、一国で起きていることは他の国に反響を起こす、ということに意識的だった。われわれは、世界を変革するために、多くの国に友人を必要とする。それゆえに、フランスおよび労働者民衆の闘争と連結を築くことは、連帯のもっとも正確な意義にわれわれを導く。つまり、彼らがわれわれを必要としているだけでなく、われわれも彼らを必要としているのだ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年六月号) 




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