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    かけはし2016.年7月4日号

犯罪と紛争の解決?


フィリピン 新たな強権的政治指導者 A

アレックス・デヤング


 ドゥテルテ陣営は、さまざまな社会階級中に広がる怒りと不満の波を編み上げることによって勝つことができた。
彼は、ダバオ市の彼の基盤がなければ勝つことができなかった。二四四四平方キロメートルに一四五万人が住むダバオ市は相対的に人口密度が低い。この町は商業的なハブであり、フィリピン群島中二番目の大きさを誇るミンダナオ島の圧倒的に最重要都市だ。ミンダナオ経済は主に農業であり、依然フィリピンの社会生活並びに政治生活の周辺にとどまっている。

反共自警団の
役割を是認


今や良好な統治の一例と告げられているダバオ市は、一九八〇年代にはある種の戦場だった。
フィリピン共産党(CPP)とその軍事部門である新人民軍(NPA)は、彼らの力を大いに高めていた。NPAは、彼らの地方的ゲリラ戦を都市に持ち込む手法を開発することに挑みつつ、ダバオ市での都市戦争戦術を試していた。
しかしドゥテルテが市長になった時までに、ダバオ市におけるCPPの影響力は崩壊していた。政府は、元軍人と元警官の個人、当地のちんぴら、NPA離反者から構成された反共産主義民兵、アルサ・マサ(立ち上がった大衆)を利用した。そしてこの民兵は、NPAを外にとどめるために軍の指揮官たちと当地のビジネスマンたちによって支援を受けた。彼らは、地下活動の左翼とゲリラだけではなく、合法的かつ公然活動の左翼グループをも取り除くことに成功した。
アルサ・マサは主にドゥテルテの前任者の下で活動した。しかし現代世界事情研究所のエリク・グヨットによる一九八八年レポートによれば、ドゥテルテは反共産主義自警団を支援した。想定では彼は彼らに金を与え、「平和と秩序に関する情勢はアルサ・マサの出現によって大きく改善を見た」と公言した。

犯罪との闘い
殺人部隊の影が


今日ダバオ市は「東南アジアでもっとも安全なまち」と呼ばれている。そして、そこでの犯罪との闘いにおけるドゥテルテの成功と見られているものが、彼の大統領選挙キャンペーンでは中心となった。
しかし彼の「犯罪に対する厳しい姿勢」は、遠慮した言い方だ。つまり彼の市政下では、ダバオの死の部隊とあだ名された殺人部隊、あるいはDDSは数百人の民衆を殺害し、この都市のいわば備品となった。DDSはアルサ・マサとまったく同じに、元NPA戦士と当地のちんぴらから構成され、当地の当局者との協力とその保護の下に機能している。
人権監視団レポートによれば、「この地の活動家が語るところでは、麻薬売人と疑われた者、軽犯罪者、そしてダバオ市でのストリートチルドレンに対する死の部隊の殺人は、一九九〇年代半ばのどこかで始まった」。
報告は、即決執行反対連合(CASE)と虐待を受けた子どものタムバヤン保護センター(タムバヤン)を引用している。彼らは、ダバオの死の部隊殺人数は二〇〇〇年代後半に激的に増大した――見たところ、市の成長にしたがった犯罪率上昇に応じた――と主張している。
CASEは一九九八年から二〇〇九年はじめまでの間で八一四件の死の部隊殺人を記録にとどめた。その犠牲者は、都市の貧困層の人びと、ほとんどは麻薬使用、小規模な麻薬取引、あるいは携帯電話窃盗のような街頭軽犯罪を疑われた者たちだった。
ドゥテルテはDDSの存在を否認してきたが、犯罪容疑者に対する超法規的殺害への支持をはっきりさせた。彼は、自ら殺害したと想定されている人数を自慢すらしてきた。

富裕層と保守層
の中に高い期待


殺人は不人気というわけではなかった。それらは多くから、司法システムと汚職法執行における効果のなさに対する実際上の対応と見られている。この信念は、フィリピン右翼の多数によってより一般的に共有されている。彼らは、犯罪に対する一つの「回答」として、即決執行を含んだ警察の暴力を支持している。
ドゥテルテは「犯罪バスター」として、ダバオを超えた全国的人気を博している。労働者階級の多くのフィリピン人は、犯罪は統制を外れて螺旋的に上昇中であると信じているが、それは、特に身の毛のよだつような事件に合わせられたメディアの人騒がせな焦点によって大きくされた印象だ。しかし、「社会的気候観測所」による世論調査によれば、ドゥテルテの支持者の出所は比例を外れて人口の富裕層だ。そして彼らは、街頭の犯罪を根絶するという彼の約束に引きつけられている。
彼らは、ドゥテルテは彼の伝えられた成功を全国規模で繰り返すだろうとの期待の中で、進んで、国家の暴力の高まりを受け入れ、ダバオ市の安全はほとんど虚構――操作された統計を基礎とし、このまちのもっとも脆弱な住民に対する考察を欠いた――という事実を無視している。
ドゥテルテ称賛者の多くにとっては、彼は、彼の下で仕える者たちを保護する――しかし罰する――、そうした家父長のような人物だ。彼の強権的な政治指導者という仮面は、現存の支配で問題がある唯一のことはその強制力だ、と信じている保守層に訴えるものとなっている。
彼の支持者は、フィリピン人は「規律を欠き」、住民に秩序の尊重を迫る上で大きく彼を頼りにしている、と不平を言っている。全国規模の門限実施、街頭での喫煙禁止、アルコール販売の制限といった彼の提案すべては、この感情に適合している。

アキノの相対的
成功が逆に作用


富裕なフィリピン人がそれほど多くドゥテルテを支持している事実は、驚きであるかもしれない。前アキノ政権から最大に利益を受けた者は結局エリートだったのだ。アキノは、フィリピン社会のより豊かな部分の中で幅広い支持がある類の諸政策を実行し、汚職との闘いに優先性を置くと言明し、新自由主義的諸方策にしたがって進んだ。
彼の大統領期に、フィリピンのGDPは記録的な数字で成長した。この地域の基準では、アキノ政権は例外的に安定していた。それは、民衆階級からの深刻な脅威も、他の寡頭支配的分派からの脅威も、前にすることがなかった。
しかし富裕なフィリピン人は、選挙でドゥテルテを支持し、現職政権の候補者であるマル・ロクサスを拒否した。
アキノ政権の信用度は、ドゥテルテが圧勝できるほどまでひどい形で、どのようにして崩壊したのだろうか? 一つの回答は、アキノの相対的成功がいらいらを育て上げた、というものだ。そのいらつきは、アキノが実効力のない指導者と見られるにいたるに応じて、より一層ひどくなった。
これは、民衆階級がドゥテルテを支持しなかった、ということではない。フィリピンの社会学者で政治活動家であるウォルデン・ベローは、汚職と貧困に反対するドゥテルテの路線設定、富裕層に対する彼のあからさまな侮蔑、そして何よりも、「仲間の一人」という彼の印象振りまきを挙げている。この最後のものは、労働者、都市貧困層、農民、また低所得中間階級に対し、磁石として機能した。
アキノ政権の成功は主に富裕層を利し、それが民衆階級の批判を無視した時、横柄であり、事情に疎いとの印象を与えた。
ロクサスは似たような弱点に悩まされた。この国の最名望家の一つの御曹司(独立を果たしたフィリピン共和国の初代大統領である、マヌエル・ロクサスの孫)であるロクサスは、ありに緊密に政権と結びつき、あまりに有資格政治家、高位エリートの特権的子息のように見え、不満をもつ有権者に訴えることはできなかった。
ドゥテルテはロクサスとの論争で、特権をもつ者たちを政策ガリ勉とからかうことで普通の男という仮面を強調した。
彼は、紛争になっている環礁にフィリピン国旗を個人的に立てることで、東シナ海(あるいは西フィリピン海)海域に関するフィリピン・中国間紛争を終わらせる、と語った。ドゥテルテは、彼の相手の、驚きのあまり言葉をなくした反応を見て、そこに達するにはジェットスキーを使うと付け加えた。

CPPと和解し
ムスリムに自治


こうしたアウトサイダー的な鋭い嗅覚は、常に彼を支える形で働いた。ドゥテルテに対する支持は、彼の提案が直接にマニラに対する彼らの不平に訴え、何十年という不穏の終焉を提供しているように見えるがゆえに、ミンダナオという彼の本拠地で特に強い。
政府のより脱集中化された連邦システムを求める彼の提案は、彼らが「帝国的マニラ」と呼ぶものによって無視され搾取されていると感じている人びとに、直接対応している。彼はさらに進んで、ムスリムフィリピン人の自治を支持している。
ミンダナオのムスリムの反逆者たちは、分離という彼らの当初の目標をずっと昔に放棄し、今は自治を求めている。彼らに対する軍事作戦へのドゥテルテの反対は、彼が伝統的なマニラの寡頭支配者よりも彼らの不満により同情的であることを示している。
最後に彼は、CPPとの和平交渉再開を約束している。NPAの活動はミンダナオに大きな集中があり、何十年にもわたる「武装闘争」を経て、多くの住民たちは、単純により多くの兵士を注ぎ込むことで政府が反乱を消すことなどできない、と見ている。しかし高位エリートの人びと――毛沢東主義者の反乱を、無学な農民に対する悪のイデオロギー操作が作りだしたものと見ている――は今なお、「無神論者の共産主義者」は粉砕される必要がある、と信じている。

極右と毛沢東派
の間でバランス

 民衆は、ドゥテルテは毛沢東派との和平交渉ができる、と信じている。彼が八〇年代に、彼らとの個人的関係を深めたからだ。元マルコスの仲間たちと彼の提携にもかかわらず、当時に遡る彼の政治的連携者には、CPPの元指導者、レオンシオ・「フン」・エバスコジュニア、および親CPP「民族主義的民主主義」潮流と提携している労組運動の、キルサング・マヨ・ウノ・ミンダナオの書記長故エラスト・「ノノイ」・リブラドが含まれていた。
彼は、ダバオと境を接する地域に集中されたNPAの作戦に対する軍の作戦を支持しないことによって、ゲリラとの、自分も活かすが他をも活かす関係を発展させた。
合法的な民族主義的民主主義諸組織は、ドゥテルテに対する批判においては相対的に温和となり、代わりにある種の同盟者として扱った。DDSに対する批判の多くは、民族主義的民主主義派の人権グループからではなく、より幅広い自由主義左翼のそれから出ている。
ドゥテルテは、この国の極右と毛沢東派の間で何とかバランスを取ることができている。二〇〇一年以来彼は、民族主義的民主主義のブロックに発する諸政党を承認し、その一方、マルコスに対する彼の賞讃をも表明し、民族の英雄に捧げられた共同墓地に彼を埋葬することまで求めている。
ドゥテルテの矛盾と思われていることの多くは、彼が彼の地域的な背景に置かれた場合に初めて意味をもつ。彼がフィリピン民族主義者になり得るのは、脱集権化された政府を支持し、ムスリムの自治を要求し、CPPとの和平を約束する中でのことなのだ。
男の誇示、女性蔑視、そしてゲイの結婚に対する支持からなる、彼の奇妙な組み合わせは、はっきり見えるものだ。しかし、強力な表現をもち脅しも受けない、ミンダナオにおける同性愛の長い伝統を理解すれば、それは意味のあるものになる。    (つづく)

イタリア

M5S大勝の地方選

レンツィ 大きくつまずく

フランコ・トゥリグリアット

 英国国民投票結果を端的な例として、EU諸国とEU自体の政治が極度に不安定化、不確実さを深めつつある。イタリアでも、先頃行われた地方選が、この間イタリアを支配してきた二大政党の敗北として先の趨勢をはっきり示した。イタリアの場合、イタリア民主党が先の総選挙で若い世代のレンツィを党首に担ぐことで、党勢の低落を逆転させ政権を奪取、欧州の社会民主主義勢力に一つの期待を抱かせていた。今回の結果はその期待に冷や水を浴びせるものであり、それだけに既成勢力にとって深刻さは大きい。以下は、この選挙結果の意味を最初の評価として論じている。(「かけはし」編集部)

PDにとって
の完璧な敗北
今年六月一九日のイタリア地方選第二回投票は、政権党の民主党(PD)およびその指導者であるマッテオ・レンツィに対する大敗北を示した。五つ星運動(M5S)は、この国で最大規模の二都市、首都であるローマ、およびイタリア最大の工業都市トリノで勝利を収めた。ローマでのM5S候補者のヴィルジニア・ラッジは、PD候補者のロベルト・ジアチェッティに対する反感に乗り、民衆地区で極めて高い得票を実現し、第一回投票の票よりも三〇万票以上上乗せする圧倒的勝利を獲得した。
トリノでは、PD候補者、現職市長のピエロ・ファッシノに対する、この都市で影響力をもつ諸勢力すべて(フィアットからバンカ・インテサ・サンパウロまでの)の支援にもかかわらず、M5Sのチアラ・アペンディノが、労働者内部の非常に高率の失業率とますますの貧困化にさらされているプチブルジョアジーを含むこのまちの、巨大な社会的不満に磁性を与え、民衆が住む郊外でのはっきりした成功に基づき、彼女の一回目の得票をほとんど倍化した。
ボローニャとミラノにおけるPD候補者の好成績も、この党の全般的敗北を小さくするものではない。なぜならば、それらは第一回得票をあらためて固めたにすぎず、それ自身に困難を抱えている右翼に対して獲得されたものだからだ。その上、平均規模の多くの都市で勝利したのは、中道右派連合かM5Sだったのだ。
M5Sの成功は、正直さと政治階級に対する反対という主題を立脚点として、しかしそれだけではなく、より社会的で「左翼」的な、あるいはより曖昧、あるいはより右に向かう目標にその時々に進む中で、支持を勝ち取ることを基礎としている。この後者の目的は、政治的な空間の大きな部分を包含することだ。この取り組み方は、この運動の階級中立的本性に対応している。

ナポリが示した
左翼の新たな道
その勝利は、この間の過去における諸々の選択に対価を払いつつある、そして彼らの綱領に疑いをかけている、そうした左翼諸勢力の第一回投票における深刻な敗北と組になっている。その点でナポリの例は特別なものとなる。そこでは、PDが第二回投票から外される中での、現職市長デ・マジストリスの右翼候補者に対する大勝利は、はっきりと左翼に立つ一つの連合の勝利として、ここ二五年この国の政権にあった政治の陣営の鮮明な敗北を示している。この連合と市長は、緊縮諸政策に対する根本的な反対、諸運動と社会的諸闘争との強い結びつき、また多様性を尊重する統一を基礎としている。デ・マジストリスは、彼の勝利はPDとの対決、右翼との対決、M5Sへの反対として獲得されたのだ、と強調した。
結論的にこの選挙は支配的諸階級に対し、二党体制による(中道左派と中道右派間での)緊縮管理のために考案され今や危機にある制度的枠組みの脆さを示している。さらに、この枠組みが、驚くようなことや政治的事件を妨げるどころか、それらをむしろ促進する可能性があるという危険をも示している。現行選挙法(注)は、イタリア政治の安定化という点で大いに吹聴されたとはいえ、ブーメランのように戻って制度的な安定性に打撃を与える可能性がある。そして、レンツィが簡単に勝てると期待した反民主的な対抗制度改革に関する秋の国民投票は、今や首相にとって少しばかりさらに難しくなっている。

▼筆者は元上院議員であり、シニストラ・クリティカ(批判的左翼)の分裂から生まれた、イタリアの第四インターナショナル二組織の一つ、シニストラ・アンティカピタリスタ(反資本主義左翼)指導部の一員。同組織の創立セミナーは、二〇一三年九月二〇―二二日に開催された。

注)二〇一五年導入のこの法は、多数派への上乗せと三%の閾値得票率で修正を受ける、政党リスト比例代表制を基礎とした二回投票制を規定している。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年六月号)




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