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    かけはし2016.年7月18日号

狭山事件再審で完全無罪を


7.8

狭山江東地区集会

証拠開示 事実調べで

石川一雄さん、早智子さんが訴え



 【東京東部】七月八日、東京都江東区亀戸文化センターで「7・8狭山江東地区集会」が部落解放江東共闘会議の主催で開かれた。
山口純一さん(江東共闘代表幹事、東交10号乗務支部)が主催者あいさつを行い、加瀬純二さん(ふれあい江東ユニオン)が基調提起(案)を提案した。
共闘会議は一九八四年の結成以来、毎月二三日の亀戸駅頭での「23狭山デー情宣活動」をはじめ、学習会や狭山現地調査などの活動を行ってきた。狭山江東地区集会は、石川一雄さんが仮出獄した翌々年の一九九六年七月から毎年継続して開催し今回で二〇回目である。
「万人は一人のため、一人は万人のために」という狭山思想のもと、地域から市民的広がりをもって狭山の闘いを前進させ、石川一雄さんの完全無罪を勝ちとろう。
この基調提案が参加者の拍手で確認された。次に、狭山弁護団の河村健夫弁護士が「狭山第三次再審請求審の現状と課題」と題して講演を行った(別掲)。
河村さんは第三次再審が始まった二〇〇六年に狭山弁護団に加わった。狭山に対する知識はほとんどなかった河村さんは膨大な資料を読み、えん罪事件だと思ったという。河村さんは改めて狭山事件の事実経過から解き明かした。狭山事件とは何であったのか、その問題点が浮かび上がった。

闘いの中でこそ
道はひらける
次に風邪を引いてしまったというマスク姿の石川一雄さんが「いよいよ大詰めだと言われながらも、なかなか進まない。証拠を開示させる。事実調べが開始されれば無罪を勝ち取る。石川一雄は真っ白です。皆さん支援をよろしく」とあいさつし、「再審の求めもいまだ応答なし 皆の力で司法にメスを」と詠んだ歌を披露した。
連れ合いの早智子さんは「一雄さんは看守から字を学び、死刑囚で歌の先生に歌を教えてもらった。明後日参院選投票日だが石川一雄さんは五三年間選挙権を奪われている。七七歳になるが町議会選挙に一度だけ投票したのみだ。一雄さんに投票入場整理券が来たらいいなあといつも思う。今も東京高裁に向けて命を削ってアピール行動をしている。闘いの中でこそ道は開ける。それしかない」と話した。
戸村正明さん(全水道東水労江東地区協議長)が連帯のアピールを行い、集会決議を採択した。最後に雨宮圀清さん(部落解放同盟江東支部)が「鳥取ループ・示現舎が『全国部落調査 部落地名総鑑の原典 復刻版』と題した書籍を二〇一六年四月一日に発行・販売するという情報がインターネット上に掲載され拡散した。この復刻版には個人情報も多く含まれている。許せない」と指摘する閉会のあいさつを行った。狭山闘争の勝利に向けて団結がんばろうを三唱した。        (M)

河村健夫弁護士の講演から

「石川=真犯人」のストーリー

差別に満ちた「思い込み」

警察の失態と
「自白」のねつ造
狭山事件で、事件発生の翌日の一九六三年五月二日身代金受け渡し場所で犯人を取り逃がした。一九六三年三月三一日に起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件でも犯人を取り逃がした。警察の失態に世論の非難が強まり、結局警察トップの警察庁長官が辞任に追い込まれた。
狭山事件の犯人逮捕は至上命令になった。警察は初めから、被差別部落に狙いを定めて見込み捜査を行い、石川さんを五月二三日に窃盗容疑で逮捕したが、取り調べでは誘拐事件に集中した。六月一七日に保釈されたが、即時に誘拐事件で再逮捕された。石川さんの取り調べは石川さん専用に作られた川越分室で行われた。埼玉県警の並々ならぬ「決意」が表されていた。
六月二〇日、三人共犯犯行を内容とする「自白」。同二三日、単独犯行とする「自白」に変更。合理的理由がなく、「自白」が大きく変わっていった。例えば、犯行現場がお寺のそばから雑木林の中に。翌年の一九六四年三月一一日に一審死刑判決。一年も経たずに判決が出されたのは裁判所も、「石川犯人」という思い込みがあったのではないか。
控訴審の第一回公判で、石川さんは無実であることを初めて主張した。しかし、無期懲役に減刑したにも関わらず、有罪は変わらなかった。高裁判決で最初に有罪とする七つの証拠を挙げているが根拠が薄い。さらに特徴的なのは、「石川さんは嘘つきだ」と判決文に悪口を書いている。こんな判決文はそうそうあるものではない。

再審と証拠
開示について
@検察官はすべての証拠を裁判所に提出するわけではない。有罪にするための証拠のみを提出する。例えば一〇〇〇点の証拠を持っていても、二〇数点しか出さないこともある。裁判員裁判の導入で事前に証拠開示が進められるようになってきたが、再審ではこのルールが適用されないことになっている。
狭山再審で、検察は「証拠開示はしない。するかしないかは検察の判断だ」という立場を変えていない。裁判所の証拠開示要求に対し、検察は小出しにし時間稼ぎをし、裁判所はもうこれでお仕舞いと再審を打ち切らせる方向にもっていく。捜査の常識上、必ずあると思われる証拠については「不見当」を連発する。石川さんの筆跡のあるものはすべて提出したという検察であったが、五月二三日逮捕当日に出した上申書をその後出してきた。ないとしていた証拠が後から出てくることは袴田事件でもあった。
証拠の差し替え、証拠を変造していくことも警察はやっている。犯人を目撃した時間を最初は午後四時頃としていた目撃証人証言を後から午後六時頃に差し替えた。

「自白」録音
テープの特徴
@「自白」に落ちた瞬間の録音が一切ない。「自白」の任意性、信用性を立証する証拠としては非常に奇妙なこと。「三人犯行」を自白した瞬間もなければ、「三人犯行」から「単独犯行」を告白した瞬間もない。犯行動機につき強かん目的から誘拐目的に変更した瞬間も録音されていない。録音の途中で、録音を中断した形跡がある。捜査側に都合が良い場面のみ、提出した疑いA取り調べの一部しか録音がなく、テープに付随するメモの日時とも明らかにずれた録音がある。他の日時の録音が存在する(存在していた)可能性B捜査官の問いかけが主要であり、石川さんは「うん」などの短い受け答えに終始する場面が多いC石川さんが文字をかけていない様子が録音からも明らか。(例)六月二一日の調書添付図面の中に「じでんしやや」との記載あり。その記載をさせる際の取調官との問答。

なぜ、「虚偽の
自白」に陥る?

 「虚偽自白はこうしてつくられる―狭山事件・取調べ録音テープの心理学的分析」(現代人文社、浜田寿美男・花園大教授)の著者の浜田さんが出した浜田鑑定を紹介しながら、「虚偽の自白」の構造を河村弁護士は明らかにした。
一般的には自白への転落は、任意性を欠いた暴力的ないし欺瞞的な取り調べによるとされる。しかし、任意性があっても心理的に追い詰められて自白に陥ることがある。足利事件では、彼らは、自分たちにとって都合の悪い話には一切、耳を貸しません。「やっていません」と言っても、調べは絶対に終わりません。…「絶対にお前なんだ」と繰り返し、呪文のように言い続けるだけなんです。狭山事件では、脅迫状を書いたことを当然の前提とした執拗な追及。
被疑者が「自分が犯人だったらどうしただろうか」と想像し、取調官の追及に合わせ、取調官の示す証拠に合わせて自白を展開していく。「不思議なことに、逮捕された自分の立場を案じることはありませんでした。あの刑事たちにまた調べられのがおっかなくて、次の日どんな説明をしようかと、必死になって考えていました。「やった」と言ったからには、辻褄の合う説明をしないといけない。そんな心境になっていました(足利事件)。
自白の撤回。単に取り調べの圧力から解放されるのではなく、自分の無実を信じる他者と新たに「真の人間関係」を結び直すなどのきっかけが必要。

世論の動きが
大きな力に
今後について。「不見当」として証拠提出をしない検察に証拠を開示させること、裁判所に現地での検証や目撃証人での農作業していたOさんへの尋問など事実調べを行わせること、そのために世論の動きがきわめて大きな力になる。(発言要旨、文責編集部)

投書

 「殺されたミンジュ」を観て

S・M

 「殺されたミンジュ」(キム・ギドク監督作品/二〇一四年/韓国映画)を観た。
 「ある夜、女子高生が男たちに無残に殺害された。しばらく後、事件に関わった一人の男が武装した七人組の謎の集団に誘拐される。集団は男を拷問し、自分が起こしたことの告白を強要する。やがてその集団は事件に関わった男たちをひとり、またひとりと誘拐してゆく…」(この映画のパンフレットより)。
 女子高生の名はミンジュ。ミンジュは民主主義の意味だ。謎の集団はシャドーズ。シャドーズの一人(マ・ドンソク)がミンジュと親しかったらしい写真がある(『週刊金曜日』二〇一六年一月一五日号・四四ページには、「ミンジュの父」と書いてある)。『週刊金曜日』二〇一六年一月一五日号(四四ページ)によれば、ミンジュを殺したのは「政府機関の人間」だ。ミンジュを殺した人間たちは、「命令に従っただけだ」などと言い訳をする。キム・ギドク監督は、語る。「「命令に従っただけだ」と言うだけではなく、「上から言われたからやったけれども、そこには自分の信念があった」「最善を尽くした」ということを言う人もいます」(『週刊金曜日』二〇一六年一月一五日号・四四ページ)。「韓国語のタイトル『イルテイル(一対一)』には、はたして私たちが生きている社会は国民一人一人が尊重されている社会なのか?という問いかけが込められています」(この映画のパンフレットより)。
 この映画は、国家による犯罪を告発している。ミンジュを殺した人間たちは、まるでアイヒマンのようだ。国家は、恐ろしい。拷問は、イヤだな。私は、そう思った。DVの加害者と被害者のセックスシーンが私には良く分からなかった。
 (二〇一六年三月六日)


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