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    かけはし2016.年7月25日号

危機の深まり 新しい模索へ


読書案内

 トロツキー研究所 柘植書房新社 2500円+税

『トロツキー研究』67号

 特集マンデル没後二〇周年(上)

 

 本紙上で『トロツキー研究』誌の紹介を掲載しないようになってから、かなりの年数を経てしまったので、本紙読者の中ではもう発行していないのかと思われる方もいるかもしれない。
しかしこれはひとえに私をはじめとして「忙しさ」を口実にした本紙編集部の怠慢のためだ。『トロツキー研究』誌は、年二回発行にペースダウンしたものの、トロツキー研究所の情熱と努力によって、そのほとんどが「本邦初訳」である豊富な文献を掲載するとともに、日本人研究者による新しい論文をも随時掲載している。その反省をふくめて、これからは、毎号の紹介をできるだけ早く本紙上に掲載していきたい。来年は「ロシア一〇月革命一〇〇周年」でもあり、『トロツキー研究』誌の役割はその意味でも大きなものになりうると考えるからである。

すぐれた学者、
指導的活動家


昨年末に発行した六七号は「マンデル没後20周年(上) 戦後革命から新自由主義まで」を第一テーマにしている。マンデルとは言うまでもなく一九九五年七月に七二歳の「若さ」で亡くなったエルネスト・マンデルのことだ。一九二三年に生まれたマンデルは、第二次大戦のさなか、ナチスの占領下にあったベルギーで第四インターナショナルの若き革命家としてレジスタンス運動に身を投じ、逮捕・強制収容所送りを経験しながら、収容所からの脱走をふくむ生死を賭けた闘いを通じて彼の政治活動をスタートさせている。この死と隣り合わせになった過酷な青年期の体験が、多くの人が語る彼の「楽観主義」の背景にあったものだろう。
マンデルは、第二次大戦後の第四インターナショナルを代表する指導的人格の一人であるとともに、『現代マルクス経済学』(全4冊で東洋経済新報社から邦訳刊行)や『後期資本主義』(全3冊で柘植書房から邦訳刊行)に代表される、傑出したマルクス主義経済学者でもあった。革命家であり学者・研究者でもあることは彼にとって当然のごとく一体だった。『トロツキー研究』ではマンデルの伝記であるヤン・ウィレム・ストゥーチェの大著『エルネスト・マンデル――反逆者の先送りされた夢』を邦訳連載中だ。

欧州の戦後革命
とソ連邦の崩壊


本号に掲載されたマンデルの論稿は、戦後直後の一九四六年に書かれた「ヨーロッパ革命の諸問題」に始まり、チトーに率いられたユーゴスラヴィア共産党のクレムリンからの離脱の積極的意義とその限界について論じた「ユーゴスラヴィア事件のバランスシート」(一九五一年)、「キューバ革命の擁護」(一九六四年)、「インドネシアの敗北の教訓」(一九六六年)、一九六八年五月に始まるフランスの青年学生たちの急進的闘いと、労働者自主管理に体現された現場からの自主的運動の意味について論じた「帝国主義諸国における革命的戦略」(一九七〇年)、一九七五年のベトナム革命勝利の意義を論じた「ベトナムにおける帝国主義の敗北」(一九七五年)、一九八〇年に柘植書房から邦訳出版された『マルクス主義と現代革命』の未邦訳部分の一部で、日本における労働運動の諸問題についても一問一答形式で論じている「現代革命の諸問題」(一九七九年)、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体以後の現実について語った「社会主義か新自由主義か」(一九九三年)から成っている。
いずれも現実のダイナミックな運動と情勢展開のただ中で、そこに貫かれた力学を動的に解明していこうとする鋭利な批判と、マンデル特有の「楽観主義」が浮き彫りになっている。

あるエピソード
楽観主義の功罪


私は第四インターがコーディネートして、オランダ・アムステルダムで毎年開催されている「国際学校」に参加した一九八八年、当時、韓国で大きなうねりとなっていた学生を中心にした反独裁・民主化と南北統一をめざす運動についてマンデルに問われた。「いま東西ドイツの統一を実現しようとする運動は現実的なものではない。なぜ韓国では南北統一が大衆的な基盤を持った運動となり得るのか」と。
しかしその一年後、ベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツの資本主義的統一が急速にもたらされることになった。マンデルは、彼にとって当面「非現実的」に思われた東西ドイツの統一、東欧におけるスターリニズム体制の崩壊と資本主義化の進展が急速に現実のものになった時、自らの過去の誤りをとらえ返し、その意味を咀嚼していく作業に取り組むことになった。しかしその中でも、彼のマルクス主義への信念と労働者階級に対する楽観主義は損なわれることはなかった。それは一九九三年にニューヨークで行われた彼の講演を文章化した「社会主義か新自由主義か」を見れば明らかである。
彼の体験に根差した労働者階級への楽観主義を示すエピソードを一つ。
同じ「国際学校」での講義の中での話だったと思うのだが、彼は、ナチス政権時代に亡命していたドイツ社会民主党の幹部が終戦後帰国したとき、ある労働者がリュックを抱えて社会民主党の事務所を訪れた際のことを話した。リュックの中にはいっぱいの小銭が入っていた。この労働者は社会民主党の幹部にこう語ったという。「いや届けるのが遅くなってすみません。このカネはナチス時代に私がひそかに毎月集めていた地域の社会民主党員の党費です」。
マンデルは、この逸話を「ドイツ・プロレタリアートの階級意識はナチス時代にも解体されることはなかった」ことを説明する材料として紹介したのだが、さすがの私もこの「すっとんきょう」とも言える労働者階級への信頼の深さにはびっくりせざるを得なかった。

批判的に、だからこそ追従的に

 マンデル死後一年(一九九六年)に開かれた国際シンポジウム「マルクス主義理論に対するエルネスト・マンデルの貢献」を収録したジルベール・アシュカル編『世界資本主義と二十世紀社会主義 エルネスト・マンデル』、つげ書房新社刊)の中で、編者のアシュカルは「追悼は一般にその人の生涯と業績を賞賛するためのものであるけれども、われわれはエルネスト・マンデルの理論的遺産への追悼が同時に彼の業績のいくつかの側面の批判的検討の機会ともなることを明確に望んだのである」と書いている。
アシュカルは述べる。「エルネスト・マンデルが定めた民主主義的模範への最良の追悼となるのは、……ひとつの政治運動への中心的指導者と理論家が、その死の直後に自分の同志たち……によって神聖化されないようにすることであろう」「批判的に、そうであるからこそ真の意味で追従的に!」と。
ちなみに、マンデルの「労働者階級への信頼の深さ」を示す、私がふれた先のエピソードとも重なっているのだが、同書の中でイギリスの「ニューレフト・レビュー」誌のロビン・ブラックバーンは「マンデルの政治的予言の方は、その経済的予測に比べればあまり正確ではなく、しばしばあまりにも楽観主義的であった」(「マンデルと社会化への道」)と述べている。

「中国革命」関係
の小特集を掲載


なお『トロツキー研究』の本号では「小特集」として「中国革命――過去と現在」を組んでおり、陳独秀の「日本の社会主義者に告ぐ」(一九三八年)と唐宝林(中国社会科学院近代史研究所)の『陳独秀全伝』前書き、香港トロツキー派の區龍宇による長堀祐造『魯迅とトロツキー』(台湾・人間出版社刊)の書評、早野一による長堀祐造『陳独秀―反骨の志士、近代中国の先導者』(山川出版刊)の読書案内、岡田一郎による區龍宇『香港雨傘運動』(つげ書房新社)書評も掲載されている。
中国における民主主義と人権のための闘いという観点から、ぜひ一読していただきたい。  (平井純一)

読書案内

アンドレス・ダンサ他 角川文庫 760円+税

ホセ・ムヒカ 世界で
いちばん貧しい大統領

 

今年の四月、フジTVなどがスポンサーになって来日したウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカが話題を呼んだ。いかにも好々爺然とした風貌も、人気の秘密だろう。彼は二〇一二年にリオデジャネイロで開かれた「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)で行った演説で、一躍、名声を博した。彼はこの演説の中で多くの先進諸国の首脳が発した「持続可能な開発」という概念に疑問を呈したのである。
彼はグローバルな市場社会に基づく発展をベースにして「連帯」や「共生」を語ることに疑問を投げかけ、市場が必然的に作り出した「文明」の形を批判した。
彼は語っている。「わが国の労働者仲間は、八時間労働を勝ち取りました。そして今や、六時間労働をも獲得しつつあります。しかし六時間労働の人でも、もう一つの仕事をしていて、前よりも長時間働いているのです。なぜでしょうか。それは、多くのローンを払わなければならないからです。バイク、車のローンを払い続けているのです。そして気がついた時には私のようにリューマチにかかった老いぼれになっているのです……」
彼が有名になったのは、この「リオ+20」での資本主義的市場をベースにしたグローバル化がもたらした環境破壊への批判演説や、彼のきわめて質素・シンプルな「世界で一番貧しい大統領」の生活態度であるだけではない。何よりもそれは彼が一九六〇年代から七〇年代にかけて都市ゲリラとして名を馳せた「ツパマロス」の活動家として最長一三年にわたるものを含めた四度にわたる投獄を経験したこと、そしてツパマロスが武装闘争を放棄した後に形成された「拡大戦線」から国会議員に当選し、さらには大統領にものぼりつめた特異な経験によるものだ(ちなみに第四インター・ウルグアイ支部もこの拡大戦線に合流した)。
本書はムヒカに一〇数年以上も密着して取材したジャーナリストによるものだが、そこではムヒカによる、同時代の南米左派政権指導者たち(ベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレスなど)の人物評価も興味深い。    (河村恵)

コラム

都知事選で問われること

 不思議な光景だった。告示日の七月一四日午後二時過ぎ、渋谷区の掲示板。都知事選の候補者ポスターが小池百合子のもの一枚しか貼っていない。次に五時過ぎ江東区で、鳥越俊太郎と小池のみ。翌日、江東区で外国人への生活保護を打ち切れとするレイシストの桜井誠が増えたのみ。自公が推す増田寛也のポスターがないのだ。
 これから分かるように、直前に参院選があったという事情があるにせよ、与野党とも決められない内部事情を抱えていた。自公にしてみれば、石原を含めて三代にわたって推薦してきた知事が途中でやめざるをえなかった。その責任をまぬがれることはできない。そこで政治家よりも「行政」に通じた者や国家官僚に的をしぼった。それに反発して、小池がいち早く手をあげた。小池の自民党都連批判や議会解散発言など一見「利権」批判のようにも見えるが、大阪の橋下や名古屋の河村がやったように、「敵」をつくり「改革」意識を煽りながら、上から強権的に再編し、自らの「利権」を作るようなやり方に思える。
 一方野党の民進党都連幹部は一度出ていた自民党の与野党統一候補論に乗っても良いというように、自民党に近い部分だ。民進党の支持基盤の東京電力労組を会長とする東京連合は前回の都知事選で、自公が推した舛添を支持した。本音は共産党や市民派と組みたくないのだ。今回も東京連合は自主投票を決めた。
 そんな中で、参院選東京選挙区でも待望論のあった宇都宮健児さんが満を持して、立候補を決意し、告示日前日の一三日の夕方までテレビ討論に参加し、四人の中では最も中・下層の庶民に寄り添う政策を訴えていて共感の持てるものであった。最後に野党統一候補として鳥越が名乗りをあげた。結局、宇都宮さんは下りて、野党四党推薦の鳥越対増田・小池という対決構造になった。参院選東京選挙区の野党三党(239万余票)と自公(230万余票)のとった票を見ると野党四党の方が多い。自民の分裂によって、鳥越の勝利の可能性が現実味を帯びてきた。
 仮に鳥越が勝っても、都議会は自公だけで六割を超えている。また、石原都政以来続いている知事と官僚によるトップダウン方式は「日の丸・君が代」処分の例が典型のように「強固」に作られていて、職員を萎縮させ、自律した行動を妨げている。
 都政改革は息の長い、市民と労働者・組合の下からの共闘を作り出さなければならない。都政を都民に取り戻すとはどういうことかが問われている。参院選での野党統一候補による勝利の構造は安倍自公政権を突き崩す有効な闘い方であることが立証された。都知事選でも勝利できるかどうか、次の全国政治を見通す上でもきわめて重要な闘いだ。何としても勝利を。(滝)

 


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