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    かけはし2016.年7月25日号

36年ぶりの党大会と今後の展望


研究ノート

 朝鮮労働党第7回党大会開催にあたって

これからの討論のための研究課題

 木下 正

 

 今年五月六日から九日までの日程で、朝鮮労働党第七回大会が平壌で開催された。同大会は、朝鮮民主主義人民共和国を「核保有国」と宣言すると共に、金正恩を党委員長とする体制を内外に明らかにした。現在の北朝鮮の体制をどのように評価するかという問題は、とりわけ今年になって核実験や弾道ミサイル発射実験が繰り返され、そのことを理由として安倍政権が改憲と戦争国家化への道を正当化しているということもふくめて、あらためて注目し、論議を深めていくべきテーマである。今回、木下同志が提起した研究ノートは、一九六〇年代の金日成路線の評価など、これまでのわれわれの朝鮮労働党ならびに北朝鮮体制を分析していく視点とは異なった角度からの問題提起を行っている。木下同志の問題提起に対しては、批判的な意見も寄せられている。われわれは、今日の東アジア情勢における朝鮮半島問題の重要性にかんがみ、今後も積極的な論議を本紙上で公開していくことが必要だと考えている。(「かけはし」編集部)

は じ め に


 二〇一六年五月六日から九日までの四日間、朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」という)の首都平壌で朝鮮労働党第七回党大会(以下、「七回大会」という)が開かれた。一九八〇年に開催された朝鮮労働党第六回党大会(以下、「六回大会」という)から三六年ぶりの党大会の開催となる。
 この間、共和国は、臨時党大会格の党代表者会議を行うにとどめてきた。共和国において党大会は、形式上は朝鮮労働党の最高政策決定機関である。朝鮮労働党の規約第二一条には「党大会は党中央委員会により、五年に一回招集する」としているが、同第二一条には「党中央委員会は、必要に応じて党大会の招集を繰り上げるか、または延期することができる」という規定も設けている。一九八〇年から今年まで、後者の規定が適用されてきたため、党大会が開かれなかったのである。
 五月六日に金正恩党第一書記(以下、「金正恩」という)は事業総括報告を行い、その中で共和国が「責任ある核保有国」であることを宣言し、「先制攻撃されない限り核兵器を使用する意図はない」と表明した。経済分野では、二〇二〇年までの五年間に遂行する「国家経済発展五カ年戦略」を提示し、核開発と経済発展を並行して進める並進路線を提示した。この報告は全会一致で採択された。
 党大会最終日の五月九日、金正恩は新設された党委員長ポストに推戴され、共和国における金正恩時代の幕開けを告げた。本稿では、朝鮮労働党第の各党大会の個別の検証と比較を中心に行っていく。

朝鮮労働党の各党大会
の個別の検証と比較


 一九六一年に開かれた朝鮮労働党第四回党大会は、朝鮮戦争後、金日成主席(以下、「金日成」という)がソ連派と延安派を退け、党内闘争で勝利を宣言した大会であった。イデオロギー的には抗日革命伝統の唯一化を掲げたものである。
 一九七一年に開かれた朝鮮労働党第五回党大会(以下、「五回大会」という)では、「思想革命、全社会の革命化・労働者階級化」が掲げられ、一九七二年には、金日成の還暦を記念して巨大な金日成の銅像が建設され、朝鮮革命博物館が開館した。これらの建設を指導したのは金正日総書記(以下、「金正日」という)であり、金日成の銅像は六回大会以降の金正日の指導体制の確立への布石となった。
 六回大会については、一九八〇年一〇月一〇日に金日成が行った「朝鮮労働党第六回大会中央委員会総括報告」にみられるように、金正日の後継体制の公然化が大きなテーマであった。六回大会以降、金正日の指導のもとに、主体思想の体系化が進められた。主体思想は金日成が創り出し、金正日が体系化したものである。
 一九六〇年代後半から一九七〇年代にかけて今日の共和国の代表的な芸術作品を創作しつつもほとんど対外的に姿をあらわすことのなかった金正日は、六回大会において姿を表した。中央委員に選出されるとともに、政治局常務委員会委員、秘書局秘書、軍事委員会委員にも選出された。当時、これら三つの機関すべてに選出されたのは、金日成をのぞいて金正日のみであり、金正日がナンバー2であることが内外に示された。
 金正日は、主体思想の体系化を行うと同時に金日成の主体思想を純粋イデオロギーとして棚上げし、先軍思想を具体的な実践のイデオロギーとして採用していた。それでは金正日の次の金正恩の後継体制が半ば公然化したのはいつごろであろうか。
 二〇一〇年九月二七日、金正日は金正恩ら六人を一〇月一〇日付けで朝鮮人民軍の大将に昇進させる朝鮮人民軍最高司令官命令を発した。そして九月二八日に開催された朝鮮労働党代表者会において、金正恩は党中央委員に選出され、同日に開かれた党中央委員会総会で党中央軍事委員会副委員長に選出された。しかし、当時、金正恩は金正日の後継者としての地位は確定していなかった。
 日本において金正恩の後継体制が半ば公然化したのは、二〇一一年七月九日に東京の朝鮮総連中央本部で開かれた「朝鮮総連中央委員会第二二期第二回会議」であろう。報道によると会議では「金正恩大将の偉大性教育を推進する」などの発言があったという。金正恩は二〇一〇年九月に朝鮮人民軍大将として公の場に登場していたが、金正恩後継体制の公然化がこの時期に党大会の形で行われなかったのは、金正日の健康悪化、その他の要因があったと思われる。
 党大会の開催のためには、かなりの準備が必要なのに加え、成果がないと開きにくい。二〇一一年の時点で成果がない金正恩の後継体制の公然化は無理がある反面、金正日の健康悪化により大会とは別の敷居の低い形で公然化していったものと思われる。二〇一一年一二月一七日に金正日は死去している。一九六〇年代後半より一九八〇年の六回大会まで一〇年以上の準備期間があった金正日に対し、二〇一〇年九月二七日の大将への昇進が発表されてから二〇一一年一二月一七日に金正日が死去するまで一年しかなかった金正恩には、時間があまりにも少なかった。これは過去二人の指導者(金日成と金正日)には見られない金正恩の特異性といえるだろう。
 ただ、イデオロギー分野において準備期間の少なさから、著作数等の面での金正恩の金正日に対する脆弱さはありつつも、金正恩体制下において金日成・金正日主義という形で、イデオロギー的再編は進んでいる。金正恩は、先軍思想も主体思想と併せて純粋イデオロギーとして棚上げし、新しい実践イデオロギーを採用しつつある。暫定的な実践イデオロギーとして提唱されているのが、祖国愛、人民愛、後世代愛の三愛からなる金正日愛国主義である。
 金正日は一九七〇年代にすでに自らが「全社会の金正日主義化」路線の推進と主体思想の一層の体系化を進め、六回大会においても中央委員会総括報告に「全社会を主体思想化しよう」とうたわれ、思想、技術、文化の三大革命を掲げた。それに対し七回大会におけるイデオロギーの扱いについては、八日の活動報告の四番目に「世界の自主化実現のために」が述べられているが、チュチェ思想の概念の抽象的な説明にとどまり、金正恩が掲げる「金日成・金正日主義」については、五番目の「党の強化発展のために」で数行触れられているだけである。
 六回大会の報告に比べてイデオロギーの扱いが小さい。現在はイデオロギー的な再編の過程と思われる。国際関係においては、前回の六回大会以後、共和国は米国、大韓民国(以下、「韓国」という)との三者会談の開催を提案し、金日成はソ連・東欧諸国を歴訪、対外経済交流を活発化させ、企業自主権の強化をはかり、外交・経済の分野における新たな政策が展開された。金正日時代の対外戦略は対米安保依存と対南経済依存の二本柱だった。
 一方、金正恩体制においては前者の対外方針とは性格を異にする。金正恩体制では、選択的平行戦略が取られようとしている。中国が大きく存在感を浮上させたことを背景に、安保面では中国と米国の対立を前提に、両者を天秤に掛けながら最大利益を確保し、経済面では中国と韓国の間での利益をもとに、対ロシア、日本を俯瞰しながらの多方面外交を展開して利益を確保しようというものである。
 七回大会に対するこれまでの友好国の国際社会の反応は冷ややかなものであった。共和国の友好国である中国の対応について、第六回大会と第七回を比較してみよう。第六回大会において中国は共和国に代表団を派遣しているが、第七回大会には中国から代表団は派遣されていない。六回大会の際には中国の最高指導者であった華国鋒が中国共産党中央委員会主席の肩書(現在の中国共産党中央総書記と同様の肩書)で約一三〇〇字の長文の祝電を送っている。祝電では中朝関係の緊密さと重要性を強調したものであった。
 一方七回大会に中国から送られた祝電は約二五〇字と非常に短い。送り元は中国共産党中央委員会で現在の中国の最高指導者の習近平のものではなく、金正恩に関する言及もなかった。今回の七回大会で中国の外交部の報道官は、七回大会が開幕した六日に記者会見で、共和国は国際社会の声に耳を傾けるべきと発言した。核実験や長距離弾道ミサイル発射実験の自粛を求めたにも関わらず、共和国が実験を強行したことへの不満の現れだと思われる。
 今年の五月九日に中国の習近平国家主席が金正恩宛に祝電を送っているが、「同志」という表現が使用されなかった。しかし朝鮮中央通信の報道では「金正恩同志」という表現を使っており、共和国側の偽装がより問題を浮き彫りにした。外交における選択的平行戦略をとりつつも、旧来の友好国の後ろ盾が弱まりつつある現状で、金正恩はこれまでとは違った外交戦略、政権運営が迫られる形となっている。

金正恩政権の今後について

 上記のように共和国を取り巻く情勢は厳しい状況にあるが、金正日が死去してから四年半近く経つ現在、金正恩は国家・軍・党すべてにおいて最高首位にたっており、金正恩を第一位に戴く統治機構も確立されている。二〇一〇年に金正日が打ち出した党主導の形を継承し、さらにそれを整備している状態である。
七回大会以降の共和国の金正恩体制の展望であるが、安定性の増大の側面と弱体化の側面の両面がある。韓国の共和国についての経済統計によると、諸外国から経済制裁を受けつつも共和国は現在、経済面において順調な成長を遂げており、これが国内的には一定の支持を得ていると予想される。食糧事情が改善されており、中朝交易も順調に伸びており貨幣流通、市場経済、スマートフォンを含む携帯電話、自動車の普及、中産階層の拡大がみられる。弱体化の側面は情報統制のゆるみである。
ミサイル失敗の発表や張成沢の処刑などの報道であるが、弱体化の反面、情報公開の迅速化ととらえることができる。携帯電話の共和国における急速な普及にともない、中国側からの情報流入が阻止できないという現実から、中国側から情報が共和国国内に入る以前に発表するという姿勢が徹底されているといえる。
市場経済の拡大はもはや後戻りできない状況にある。金正恩は国民に対して「強盛大国」が既に実現できたとアピールし、一方、先軍主義を棚上げし新しい方向を模索する政治的志向が生まれている。また金正恩は金正日時代一九九〇年代の苦難の行軍の時代には戻らないと表明している。対外政策においても対外融和でも強硬策でもない選択的平行戦略をとり、どの大国にも偏らない外交に臨んでいる。
核武力建設、経済開発を並行させる並進路線を表明しているが、これは核の保有によって国防費の支出なしに戦争の抑止力と防衛力を高め、経済建設と人民生活向上に集中させることが出来ると位置づけている。公開情報で見る限りも共和国は、従来とは大きく異なる転換期にあると思われる。
最近の共和国のメディアで放送されている音楽も、旧来の革命歌劇、反日歌謡の放送は一定数ありながらも、南米の音楽と聞き間違えるような従来とは性格の異なる音楽が放送されているという。共和国の家庭、公の機関、日本においては朝鮮総連の各級施設等で掲示されている肖像画、また、共和国において人民、在外公民が左胸に掲げる肖像徽章というバッジにおいても、従来の共和国の体制とは異なる状況が見て取れる。
肖像画については、掲げられているのは金日成と金正日の太陽像の肖像画のみで、金正恩の肖像画が掲げられていない。共和国の公民が左胸に付ける徽章は金日成と金正日のもののみで、金正恩の徽章は映像でも報じられていない。公開情報で金正恩婦人の李雪主の肖像徽章を外した映像が報じられていた。
共和国における最高指導者以外の公人で肖像徽章をはずしていたのは、保衛部に頭を押さえられ処刑される寸前の張成沢のみである。いずれにせよ権力掌握から約四年になる金正恩の肖像画、徽章が製作されていないという現状は、先に述べた金日成・金正日主義という形でのイデオロギー的再編、先軍思想も主体思想と併せて純粋イデオロギーとして棚上げした新しい実践イデオロギーの採用と密接な関係があるとおもわれる。二〇一一年後半にそれまで金日成氏のものだけだった屋外掲示の肖像画が金正日氏のものと二人セットに掛け替えられていることは、金日成・金正日主義のイデオロギーの再編を象徴している。
一方で「金正恩指導部」という、側近が作成した政策を金正恩は認可するのみであり、金正恩が今の共和国の政策を決定していないことの反映という仮説も立てられる。金正恩は側近が立案した政策を阻止する権限を持たされていない、というものである。イデオロギー的再編の中で、現在の指導者の肖像画への出現をなくし、より抽象化した指導体制の中で、これまでの突出したリーダーによる政治から集団指導体制に移行する兆候ともとれなくもない。
ただ共和国のように金日成と金正日が親子二代にわたって半世紀以上権力を掌握し続けたことは世界にも例がなく、金正日の血を引く金正恩を抜きにして安定した体制が構築できるとは考えにくい。
「金正恩指導部」の仮説が正しいとすれば、指導体制の混乱を避けるためにも共和国の権力層は金正恩には権力は望まないが権威を必要としている。権威がなければ現在の共和国のシステムはうまく機能しない。したがって「金正恩指導部」の側近たちは、金正恩の権威を早く増長させ、共和国の公民が忠誠心を持つように仕向けているのでいるとも考えられる。

今後の共和国との対話について

 最後に、共和国との対話の可能性と研究課題について述べる。以下、ある時期までの共和国の政策の文字通りの肯定ではないにせよ、討論の可能性の存在としての部分的肯定も視野に入れ、一九六六年前後の共和国の言論を中心に紹介していく。
共和国における首領制と唯一思想が形成されはじめ、普天堡戦闘三〇周年にあたる一九六七年以前の段階では対話の可能性を見ることができる。一九六四年は都市と農村の格差の是正が大きな問題であり、金日成は『わが国の社会主義農村問題に関するテーゼ』が発表されている。
中ソ論争が強まり、同年の『労働新聞』の社説は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにおける反帝国主義闘争の扱いをめぐりソ連を現代修正主義と公然と批判している。そのような時代背景の中、一九六五年ごろの朝鮮労働党中央委員会の機関紙『労働新聞』は一般的な社会主義国の新聞とあまり変わりがない。金日成は一九六五年のインドネシアのアリ・アルハム社会科学院での講演で「主体の思想」について言及をしているものの、当時の労働新聞のスローガンには主体思想のものは見られない。
一九六六年の朝鮮労働党第二回代表者会で金日成が行った報告『現情勢とわが党の課題』では冒頭に「朝鮮革命は世界革命の一環であり、朝鮮人民の革命闘争は、平和と民主主義、民族的独立と社会主義のための全世界人民の闘争と密接に関連している」と述べられている。
ここで金日成が述べている世界革命の目的とは、帝国主義を完全に打倒し、世界的な範囲で社会主義・共産主義の勝利を勝ち取るものである。ソ連の修正主義と中国の教条主義を批判し、南朝鮮(韓国)革命の路線、国防と経済の並進路線を明示している。
報告では、プロレタリア国際主義の旗を高く掲げることを呼びかけ、マルクス・レーニン主義の思想、共産主義思想での武装を強く訴えている。当時の報告は、現在の韓国におけるNL派(民族解放)というよりもPD派(プロレタリア民主主義)に近い傾向といえる。一九六六年七月の労働新聞の一面トップには「マルクス・レーニン主義はわれわれの革命の武器だ」という見出しが見られる。このころ主体思想は朝鮮労働党宣伝部の公式見解になっていなかったようである。一九六六年九月の『労働新聞』は文化大革命の暴力主義を批判し、一〇月朝鮮労働党と日本共産党に対する中国の内政干渉を批判し、共和国と中国との関係が冷却化した。
一九六七年以前の金日成の演説にはレーニンの著作の引用が頻繁にみられる。一九六六年当時に金日成が提示した共和国の並進路線は、国防と経済政策であったが、今年の七回大会で提示された並進路線と比較すると、国防から核開発に置き換わっている。金正恩が金日成・金正日の政策を継承しつつも、修正を加えている。

ま と め

 以上、朝鮮労働党の各党大会の個別の検証と比較を行い、同時に現在の共和国の指導体制についての仮説、共和国との今後の対話の可能性と研究課題について述べてきた。
「共和国の指導体制についての仮説」としたのは、共和国の現在のきわめて閉鎖的な国家体制のなかで、限られた公開情報から共和国を俯瞰する際、確証というものがどうしても得られないためである。したがって本稿はこの文で完結したものではなく、今後も引き続き追加、訂正等が必要となる可能性もある。
このような状況のなかでわれわれ日本の労働者・民衆が共和国に対して必要なことは、対話である。それぞれの立場、信条を越えた相互の対話が必要である。対話においては、共和国が現在も帝国主義による抑圧下にあるという前提でなければならない。
現在の日本における対共和国の論調は共和国に対する一方的で反論を許さない文章の押し付けであり、現在の状況では共和国の情勢に対する科学的な分析も困難な状況にある。今後も帝国主義・独占資本の手先による売文媒体、興味本位のゴシップ本、韓国または韓国系の反動紙等の雑音に惑わされない基本文献の研究の継続が必要である。場合によっては一九六六年以前のマルクス・レーニン主義を掲げプロレタリア国際主義を掲げた共和国の政策の部分的肯定の可能性も視野に入れなければならない。日本と共和国の労働者・民衆の、今後の継続的な対話の経験の蓄積を期待していきたい。


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