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    かけはし2016.年8月8日号

韓半島東部は安全なのか


再び福島の災央に遭わないためには

蔚山沖M5・0で跳ね上がる原発事故への不安感

 2011年3月11日、日本東北部の海底でM9・0の大地震が起きた。その後のことは我々はよく知っている。地震によって巨大な津波が起き、津波が襲った東京電力福島第一原発の4基が爆発する事故が起こった。

市民たち非常階段に待避

 ここで2つの質問を投じてみよう。
第1に、日本の市民の中でM9・0の地震が起こり得ると考えた人はどれほどいただろうか。おそらくほとんどいなかったことだろう。M9・0の地震は日本でも史上最大の地震であったし、地震の観測以来、地球上で発生した地震の中で4番目の規模の大地震だったからだ。
第2に、東京電力と日本政府はそのようなことが起こり得るということを知らなかったのだろうか。答えは「分かっていた」あるいは「分かることができていた」ということだ。東京電力は2008年、自主的に最大高15・7mの津波が福島第一原発を襲うことがあり得るとの計算をした。ところで福島第一原発にある各原発は10mの高さの津波までのみ対処できた。当然にも補強工事をしなければならなかったが、工事には数百億円の費用と4年の時間がかかるものと予測された。そこで東京電力はカネを惜しんで、補強工事をしなかった。その結果、事故が起きたのだ。
日本政府も巨大津波発生の可能性を知っていた。1993年7月、北海道南西沿岸で最大高30mを超える津波が発生したことがあるからだ。だが日本政府は津波対策をなおざりにしていて、阻むことのできる事故を阻むことができなかった。
福島の話を持ち出したのは、我々にとって示唆する点が多いからだ。韓(朝鮮)半島において、さらに大きな地震が起きはしないだろうか。
去る7月5日夜8時33分、蔚山東方52qの沖合でM5・0の地震が起きた。月城原発から52q、古里・新古里原発団地から65q離れた地点だった。蔚山や釜山など近い地域の市民たちは、建物が揺れるのを感じて慌てて戸外に待避したほどに恐怖感を持った。蔚山では映画館で映画を観ていた観客らが非常階段に待避した。
我々は2つの質問を投じてみる必要がある。第1に、「今後、より大きな地震またはより危険な地震が発生する可能性はないのか」ということだ。政府はこれまで韓半島は地震の安全地帯だと主張してきたけれども、今回の地震は政府の言い分に疑問を投げかけている。第2に、「慶州の月城原発団地、釜山・蔚山の古里・新古里原発団地は、はたして安全なのか」という点だ。

活性断層vs活動性断層

 現在、月城に6基、古里・新古里には7基の原発が運営中であり、新古里4号機がまもなく稼働予定であり、新古里5・6号機に対する建設承認が最近下された。このような問題に対する判断を専門家たちにのみまかせるのは愚かなことだ。専門家の意見を参考にすることはできるが、全面的に頼ることはできない。専門家たちの予測も間違うことはあり得るし、事故が起きた時には専門家たちが被害の責任をとるわけでもないからだ。したがって市民たち自らが質問を投じ、情報を集めて判断する必要がある。福島の原発事故を阻むことのできなかった理由のうちの1つは、日本の市民たちがこのような質問を自ら投じてみなかったからだ。
まず大地震発生の可能性については専門家たちの間でも意見が分かれる。論争が起こらざるをえない理由は、地震を研究するのに根本的な限界があるからだ。世界的に地震計が発明されて地震観測を始めてから、せいぜい100年余りにすぎないからだ。韓(朝鮮)半島では1905年、仁川に設置されたのが始まりだ。
だから実際に計測した資料によって研究するのには限界がある。歴史の中の地震記録を通じて研究しようとしても、歴史の記録はたかだか数千年程度しか存在しない。ところが歴史記録の中の地震の研究を通じて、韓半島でも大地震が何度もあったということが明らかになった。
779年、統一新羅時代に慶州で大地震が発生し、100人以上が亡くなったという記録がある。「朝鮮王朝実録」にも1643年、M7・0程度と推定される地震が発生したとの記録がある。このような大地震は韓半島でおおむね400年周期で発生してきたという主張もある。そうであれば、今がその時期だとも言い得る。
「活性断層」の調査結果も不安感を助長する。大韓民国最初の原発である古里1号機を建てるときは、韓半島に活性断層が存在しているのかも分からなかった。1980年代に入って初めて活性断層の存在が発見されたからだ。ところで地震研究の結果によれば、大部分の地震は活性断層で発生する。韓半島で発見された活性断層は南東部の原発団地に極めて近い。
現在までに明らかになったところによれば、月城原発と古里・新古里原発のある韓半島南東部で60余個の活性断層が発見されている。蔚山断層、梁山断層、東來断層、日光断層などの名称がメディアに登場している理由だ。779年に慶州で発生した大地震は梁山断層に関連があるものと推定される。
これと関連して市民たちをこんがらからせている用語がある。原子力界では活性断層という言葉のほかに、「活動性断層」という言葉を使っているからだ。活動性断層は3万5000年以内に1回以上の動きがあったか、50万年以内に2回以上の動きがあった断層を意味する。反面、活性断層は第4期(180万〜200万年前)以降に動いたことのある断層のことを言う。
似たような用語でこんがらがせているが、地震学においては活性断層が地震と関連があるものと考える。原子力界は、できるならば問題となる範囲を縮めるために活動性断層という用語を使っているけれども、これは手のひらで空を遮るという、児戯にも等しいやり方にすぎない。

耐震設計規模M6・5〜6・9水準


実際に、活性断層によって事業が取り消されたこともある。仁川沖合にある屈業島の場合、核廃棄場の建設地に選定されようとしていたのだ。ところが1995年、韓国地質資源研究院が精密な敷地調査をしている最中に海底で活性断層を発見したため、屈業島核廃棄場は白紙化された。核廃棄場は活性断層のゆえに白紙化されたが、原発は活性断層の近くにあっても問題はないという異常な国に我々は暮らしている。
2011年12月に発行された地質学界誌・第47巻第6号には「活性断層の理解:最近の研究結果に関する考察」という論文が載った。同論文の作成には「韓国水力原子力」の中央研究院所属の研究員も参加した。同論文の結論に「地震に備えた研究をしていた日本で、東日本大地震に備えられなかったのは活性断層を認知できなかったことに根本原因がある」との内容が出てくる。現在の韓半島の活性断層については全面的な調査が必要だ、という話なのだ。特に、調査自体がほとんどなされなかった海洋の活性断層についての調査が急がれた。それなのに、政府は「原発は安全だ」という話ばかりを繰り返している。
大韓民国の原発は耐震設計をM6・5〜6・9の水準で行った。万が一にもそれ以上の規模の地震が発生すれば、どうなるのだろうか。当然にも危険に陥る。またはそれ以下の地震だとしても他の要因と複合的に作用し、原発が危険に陥るということもあり得る。緊急な状況において百%の安全を担保する方法はない。「マニュアル国家」といわれていた日本がとんでもなく崩壊したことが、その点をあまりにも明確に示している。
6月23日、原子力安全委員会は新古里5・6号機の建設許可を承認した。こうして古里・新古里原発団地には全部で10個の原発が立ち並ぶことになった。慶州の月城原発まで合わせれば実に16基に達する。これほどに数多くの原発が密集する場合(このようなケースを「多数号基」と言う)、安全性についての慎重な評価が必要なことは常識だ。ところが、まだ多数号基についての安全性評価の方法は検討中なので、新古里5・6号機は従来通り建てようというのが政府の態度だ。

あり余る発電所がむしろ問題


そのうえ今は電力供給に全く問題がない状況だ。むしろ最近、余りにも多くの発電所が完工しているので発電所があり余って深刻な問題になっている。完成した、問題のない発電所をキチンと稼働させられない状況が繰り広げられている。新たな原発の建設を中断し、活性断層についての全面的な調査を進めなければならない。いささかでも安全性に心配のある原発は稼働をとめるようにしなければならない。それが、この国が第2の福島にならないようにする道だ。(「ハンギョレ21」第1120号、16年7月18日付、ハ・スンス/緑の党共同運営委員長)

コラム

故郷の友人に会いに行く夏

遠くから子どもたちの騒ぎ声が聞こえる。ベランダから眺めると思い思いの遊びに興じているたくさんの子どもたち。「そうかあ!」今日から「夏休み」だ。
 住宅に囲まれた小さな公園。神社の脇に拡がる広場は、大きな樹木もなく四方八方から見渡せる小さな空間である。時々、近所の保育園から幼児が手をつないでやってくる。      
 家の中にいたら「子どもは外で遊べ!」と追いだされた昔(狭い住宅事情もあった)。遊んでも、遊んでも遊びきれないほどの一日を「くたっ!」となるほど駆け回った。
 小一時間ほどサッカーやドッチボールや鬼ごっこをする子ども達を眺めながら昔を思い出す。
 遊びは自分で考える。「肥後守」を自由に使えれば「一人前」。細竹・木を切り加工して遊び道具を作る。今思い出してもあの時代は楽しかった。
 「赤ちゃんは泣くのが仕事」。泣く子に近所の人が「なにした!」と気にかける。世の中せっかちになって人の子などかまってられない今と大違いだ。
 故郷の町。「避難指示」が解除されNHKで「再開 故郷の駅 〜避難解除それぞれの再出発〜」が放映された。新たに開通した九・四キロの鉄路と一番列車をむかえる人の姿が映し出された。「避難解除」に向き合わざるを得ない住民の気持ちが少しずつ吐き出されてくる。
 福島弁でとつとつと紡ぎだされてくる言葉のなかに五年の歳月が積み重なっている。「戻って来る」と言う意思の人は一五%に満たない。しかも高齢者が多いと言う。病院も無く、店はシャッターが落ち、田畑は汚染されたままの姿で夏草に覆われている。「原発事故避難者」と言う枠組みをなかったことにするための「解除」でしかない。
 夏休み。「バンセン」を丸く折り曲げ手拭いを縫った袋を取りつけ竹棒の先につけて「虫取り網」の出来上がり。クマゼミやオニヤンマを取ったら鼻高々で自慢する。いま福島の子どもたちは自然の中で思いっきり遊べない。眼には見えず、音もせず、匂いもなく、触れてもわからない。どこに潜んでいるかもわからない「放射能」を避けて生きよと国は言う。
 解体した自宅跡地、実った梅の実……ひとり言のようにそこで暮らしてきた「過去」を話す。そこには還られない、還らない人の寂しく悔しさを押し殺した後姿があった。
 マスコミは「二〇_Sv以下に下がった地域の避難指示が解除された」と報道している。根拠もない「二〇_Sv以下は帰還」が大手を振って歩き、それを見て「良かったね」と言う遠くの人びと。加害者への「思いやり」は大したものだが「被害者」には厳しい視線で「帰れるのに」と。
 日が傾いた夕暮れ。広場には子どもたちが三々五々集まって来る。二〇一六年夏。子ども達のまっすぐな視線の先にあるものは……。 (朝田)

 


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