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    かけはし2016.年8月15日号

現職閣僚相手に勝利した


参院選・野党共闘の成果

増子輝彦さん当選!

 

 『福島』沖縄選挙区と並んで福島選挙区でも現職閣僚を打ち破って野党共闘候補が勝利した。得票数を見ると.二〇一三年は自民党森雅子が約四八万票で当選、落選した民主党の金子恵美が二四万票、共産・社民各候補と合わせて三五万票であったが、今回は落選した岩城光英法務大臣四三万票に対し、当選した増子輝彦氏が四六万票と、野党共闘の成果がくっきりと表れた。この変化は、比例選挙でも与党側が四七万票から四二万票に減少し、野党側が二九万票から三九万票へと一〇万票増としても示された。原発事故被害地福島での勝利のみならず、宮城、山形、岩手、青森で野党共闘が与党候補を破った。北海道では民進が三分の二を占め、新潟でも野党共闘が勝利した。いずれも大資本の利益の前に犠牲を強いられてきた地域だ。

安倍首相との
闘いだった!
増子輝彦さんは、遊説期間中も当選後も「私の相手は岩城さんではなく安倍首相」と語り、政権側が総力を挙げて襲いかかってきた中での「異常な選挙」であることを絶えず訴えていた。事実、安倍首相は公示日前後に三回も福島県内入りしたのをはじめ、菅義偉官房長官や小泉進次郎自民党農林部会長らを投入した。
しかもその選挙戦術は、「与党の国会議員を減らすことになれば、復興に水を差す。金を捨てることになる」との森雅子参院議員発言に示されたように、現職大臣岩城光英が落ちれば復興予算が来ないぞ、と県内首長や地元企業を徹底して締めつけて票を絞り出そうとするものであった。
これに対し、野党統一候補となった増子さんは、安保関連法の廃止や集団的自衛権行使を容認する政府見解の閣議決定撤回を主張。旧民主党政権時代に経済産業副大臣を務め原発推進の立場だったことから、演説では「安全神話に漬かっていた」と必ず自己批判と謝罪を行い、脱原発と復興に力を注いでいくことを表明して支持を訴えた。

市民連合結成
と野党共闘
全国各地での市民連合と同様、福島での市民連合も二〇一五年の安保法案反対のたたかいを基盤として形成された。昨年六月の「戦争させない・9条壊すな!戦争法案反対県中県南集会」を皮切りに、金曜行動や、緊急集会、若者デモなどが繰り返され、九月と一二月には県民統一集会が開かれ、参議院選に向かって「野党は共闘!」の声があげられていた。二月にはふくしま県市民連合が発足、三月に同連合主催の三野党討論会が開かれた。
だが、民進党がなかなかまとまらず野党統一候補実現には時間を要した。増子輝彦氏を民進・共産・社民の三野党統一候補とする合意がなされたのは五月六日、投票日の二カ月前であった。市民連合の地域版というべき「ミナセン」が各地に組織され、具体的運動が開始された。このうち、「ミナセンなかどおり」は五月二二日に結成集会を郡山市で開き、六月一五日には沖縄のヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんを迎え「沖縄と福島を結ぶつどい」を三〇〇人の参加で開催した。増子候補と三野党、四つの市民団体代表があいさつに立ち、安次富さんの「沖縄と福島で現職閣僚を落とす運動を展開しよう」との呼びかけに会場は沸き立った。ミナセンなかどおりの賛同人は短期間に三百数十人となり、「ミナセンパンフ」は好評を博し一万部以上が配布された。街頭演説や決起集会、スタンディングでは、市民連合、ミナセン、女勝手連おされ部、それに二〇代三〇代の若者でつくるDAPPE(Democracy Action to Protect Peace and Equality)の色鮮やかなプラカードが掲げられ、従来の選挙キャンペーンの雰囲気を変えるものとなった。

衆院での野党
共闘に向かって
一人区で野党統一候補一一名が当選という一定の成果を受けて、ふくしま県市民連合は声明を出した。「日本政治史上初めて、市民が主権者として連帯して野党の統一を促し、市民が政治を変える試みが実現するなかで、震災・原発事故災害に今なお向き合いつづけるこの福島が、その成果をいち早く示したことの意義は大きい」「県市民連合は、間を置かず始まると想定される憲法改悪の動きに毅然と反対し、個人の尊厳を擁護する政治の実現をめざして、安保法制の廃止と立憲主義回復、県内原発全基廃炉を実現する取り組みに、より広範な県内各地域のみなさんが参加されることを呼びかけ、その先頭に、ふくしま県市民連合が立つ決意を表明」した。「ミナセンなかどおり」も運動を継続していくことを確認した。
県市民連合と増子輝彦参院議員、民進党県連、共産党県委員会、社民党県連の各代表らが出席しての「連絡会」では、平和と県内原発の全基廃炉を求め、連携を継続する方針で一致した。市民連合側は、衆院選での野党共闘の提案を検討する姿勢を示したが、民進党県連側は、党本部の議論を見守り、対応を検討するとした。衆院選の野党共闘は未定だ。衆院選でも野党共闘に進むのかを見通すことはできないのは福島に限ったことではない。反対に「動は反動を呼ぶ」のことわざ通り、民進党右派や連合による野党共闘つぶしの動きが顕在化していくことが予想される。
しかし、安倍政権の野望を打ち砕くには、沖縄と福島で、東北、北海道、新潟などで示された「犠牲のシステムへの反攻のたたかい」以外にないこともまた明らかだ。私たちは、沖縄での厳しいたたかいに連帯する運動を強化しながら、戦争法反対運動と参議院選挙でつくられた共同戦線・大衆運動を持続・発展させ、衆院選でも勝利する共闘陣形づくりを全国と地域でめざしていかなくてはならない。     (世田 達)      

8.2

経産省前テントに上告棄却

最高裁の不当決定許さない

反原発の意思を砕くことはできない


福島の被災者
たちと連携し
七月二八日、最高裁小法廷(大谷直人裁判長)は経産省前テントの撤去、「損害賠償」支払い(三七〇〇万円)を命じる高裁判決(二〇一五年一〇月二六日)を不当とする被告人(渕上太郎、正清太一)の上告を棄却する決定をくだし、八月一日にその決定を「送達」してきた。
この不当な上告棄却決定に対して、八月二日、「経産省前テントひろば」は同テント前で記者会見を行い、声明を発表した。同声明は「私たちにとって、この決定は想定された範囲とは言え、断じて認めることのできないものです。私たちは、改めて大きな怒りと抗議の意思を表明すると共に、経産省前テントを守り脱原発の闘いを引き続いて押し進める決意です。私たちが自らの意志で経産省前テントを撤去することはありません」と述べている。
二〇一一年九月一一日、東電福島事故が起きてから半年になるこの日、首都圏の仲間たちは被災者への支援とあらゆる原発の停止を求めて経産省包囲行動を行った。その時、中国電力上関原発建設に反対する学生など、若い仲間が経産省前でハンストに突入した。経産省前テントひろばを作った人びとは、この若い仲間とともに、福島の被害者を支援して脱原発への舵を切ることを求めて、経産省前の一角にテントを建設したのである。
それ以来、テントひろばは福島の女たちをはじめ、脱原発の思いを共にする人びとの交流と連帯の場となっていった。
記者会見でテントひろば訴訟弁護団の大口弁護士は、「最高裁の決定は、『民事訴訟法の適法な上告理由にはあたらない』という一枚の紙にすぎず怒りにたえない。原発の深刻な状況が見えていない。裁判所の責任は大きい」と批判した。同じく弁護士の河合弘之さんは「テントひろばへの共感は、原子力ムラ中枢部にかみついた闘いだったからだ。脱原発への心のよりどころという役割りを果たしている」と述べた。
さらに女たちのテントから福島の女たちの黒田節子さん、亀屋幸子さんが「テントのおかげで心のよりどころができた」と訴えた。
被告とされた渕上太郎さん、正清太一さんたちは、脱原発のうねりが社会的に広がっていることを鹿児島県知事選で「川内原発の再稼働」に異を唱えた三反園訓さんが当選したことをあげながら訴えた。  (K)

コラム

二年ぶりの帰省

 今年の盆休みは二年ぶりに帰省する。帰省するといってもすでに両親は亡くなっており、実家の方も五年ほど前から空き家になっている。地元の新聞社に勤めている弟のところに転がり込むしかない。
 地元の親友たちは「帰ってこい!帰ってこい!」とうるさいのだが、今回の帰省の最大の動機は、一〇年ぶりに開かれる高校時代のクラス会への参加である。還暦を期しての開催ということなのだろう。会場は小学校以来の「悪ガキ」が経営する炉端焼き屋になった。みなどのような容貌になっているのか再会が楽しみである。
 現在S市に暮らす担任だった先生は八九歳で車椅子生活だ。また今年送られてきた年賀状の字もほとんど解読不可能に近く、出席はできないだろう。帰りがてらに自宅を訪問して、写真など見せながらクラス会の様子を報告しようと思っている。
 また今年八七歳になった小学校時代の先生宅も訪問しようと思いハガキを出したところ、長文の返事が届いた。いつものように愚痴の多い内容なのだが「長生きしすぎて友人もいなくなった。教え子たちも顔を出さない。二人の息子らも帰省してこない」。しかし一番多く書かれていたことは「老老介護の苦労話」であった。
 連れの奥さんが認知症だということは以前に訪問したときにわかっていたが、その奥さんがくも膜下出血で入院し、退院後も自宅での車椅子生活。デイサービスに頼りながらも自宅での生活と介護は相当大変なようだ。
 その手紙のなかで「毎年行ってきた庭の手入れもできない」という愚痴があった。先生の置かれている状況を考えると、訪問時に「茶飲み話」だけではすまされないだろうし、庭の草取りと庭木の剪定作業をするために訪問しようと思ったのである。ま〜いわゆるボランティアということになるのだろう。同行する予定の地元の同級生が嫌がっても、たまにしか会えない私の気持ちを伝えるためにもそうすることが一番いいのではないかと思えたのである。
 庭仕事は私の父が亡くなる前の五年間ほど、夏に帰省すると私の仕事だった。兄と弟はまったくその仕事をしようとはしなかった。兄は虫が飛び出すと悲鳴を上げる人だし、弟は剪定のセンスゼロなのだから父は私を頼りにし、手ぐすね引いて私の帰省を待っていたのであろう。父にしっかりと仕込まれたのと「天分のセンスの良さ」もあるのだろう、今では「プロ並み」だと勝手にそう思っている。ちなみに薪割り作業だけではなく、八ヶ岳別荘住人宅の庭の剪定も私が主導している。一〇月の三連休には栗の木をバッサリと楓の木をサラリと仕上げる予定だ。
 今回の帰省は二泊三日の短期の予定なのだが、役所に勤める友人らとのバスケOB会の飲み会も入っている。兄と弟はみなと知り合いなので、その飲み会に合流してもらうしかない。できれば漁港で竿も出したい。この時期には五百円のエサ代だけで良形のアイナメ・黒ガレイが狙えるのだ。
 もちろん両親の墓参りも空いている時間に済ませる予定である。
         (星)

 




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