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    かけはし2016.年8月29日号

暴力はね返しヘリパッド阻止へ


沖縄報告 8・8〜8・19 高江現地の激しい攻防

那覇 T・N

8.8〜8.12

工事阻止へ連日の闘い

弾圧・逮捕に怒りがつのる

砂利ダンプを止めよう

 

8.8

泊まり込み
の人数拡大


 高江では、八月六日に続き座り込みテントや車両の八日朝からの強制撤去を警戒し、N1裏では昨日からの泊まり込みの仲間がたくさんいて、今のところ車と大きく拡張したテントは維持されていた。
インターネットやツイキャスで七月二二日の日本本土から動員された機動隊による無法な弾圧の映像を見たのだろうか、今まで見たことがない若者もたくさん来ている。
国会議員の玉城デニーさん、赤嶺政賢さん、福島瑞穂さん、山本太郎さんもN1裏に泊まったようだ。
飲み物・食べものも現地からの呼びかけに応えてたくさん届いている。カレーライスが振る舞われていた。
しかしN1表では悪天候の中でも、警視庁・福岡県警など多くの機動隊に護送されて、きょうも北勝建設の砂利ダンプが十数台入っている。メインゲートとN1表の間の県道七〇号に七〇人程が集まってノロノロ運転などで抵抗したがこちらは圧倒的に人が足りない。昼前にはN1裏から応援が来て、いつもは一〇時頃に終わる搬入を一二時過ぎまで引き延ばした。なんとかこちらを止めたい。
高江現地行動実行委員会からは今日も午後六時よりN1裏で集会を持ち、明日九日火曜日は、早朝五時より行動を開始する、との行動提起。「昨晩からは三〇〇名の人々が工事開始を食い止めましたが、人数が減ると撤去強行の可能性が高まります。この数日が肝です。どうかよろしくお願いします」とのこと。

8.11

はじめて逮捕者が出た


きょうもN1表ゲートに向かう県道七〇号線で、抗議行動。
朝九時前、県道での工事車両阻止行動ではじめての逮捕者が出てしまった。それで私たちも午後は高江から名護署に直行した。
砂利ダンプを護衛する警察車両の前でノロノロ走行して抵抗したバイクが狙い撃ちされたようだ。
名護署には既に、辺野古の闘いでも救援対策を担った仲間たちが来て、対応していた。
幸い仲間が逮捕時の状況を車載カメラで撮影していて、こちらが全く抵抗していないことが動画で確認できるという。明らかに警察のでっち上げ逮捕だ。
それなのに、名護署で弁護士さんが二時間余り折衝しても出てこない。

8.12

釈放かち取ったぞ!


きょうも急きょ呼び掛けて、午後三時から名護署前抗議行動をやることになり、金曜恒例の嘉手納基地第一ゲート前早朝抗議のあと、辺野古に向かう。辺野古ゲート前座り込みの仲間も二時には全員、名護署に向う。
緊急の呼びかけだったため、さすがに五〇〇人には足りなかったが三〇〇人くらいは集まっている。三時になり山城博治さんのリードで抗議行動開始。今日は右翼の街宣車まで来て名護署の周りはいつも以上に騒然とした。入口のガードも県警ではなく、神奈川県警・千葉県警などの若い機動隊員が並ばされていた。その目の前で向かい合い、私たちも声を張り上げて闘争現場の歌を唄ったり、シュプレヒコールで逮捕された仲間を激励。「決して逮捕された仲間を一人にさせない」これが辺野古の闘いから続けてきた山城博治の流儀だ。
一時間余り過ぎても名護署側に動きがない。すでに地検に送致されているのかもしれない。だとすれば、五時までには地検を出て六時頃には名護署から釈放されるはずだ。と思いつつ、所用で那覇に戻るため現場を離れた。
その後、午後八時頃に「名護署から釈放された」との連絡。さすがに動画が残っていては地検も起訴するわけにはいかなかったのだろう。彼らにとって砂利ダンプ前のノロノロ運転は、よほど癪に障るらしい。それで今回、見せしめのためでっち上げ逮捕におよび失敗したわけだ。これからも多くの人々が現場に集まり、あるいは監視し続けることが、こうした権力の無法行為に歯止めをかけるうえで重要になってくる。

8.13

12年前の米軍機墜落


きょうは、二〇〇四年沖縄国際大学に普天間基地のCH53ヘリが墜落した日だ。
その日わたしは宜野湾市内に勤務していて、今は組合員となった同僚と現場に行った。渋滞を避けて迂回しながら到着するとすでに消火に当たった宜野湾消防すら米軍に追い出され、県警の黄色のテープで阻止線が貼られており、油の焦げたにおいの中で、近くの建物の階段に上って覗くことしかできなかった。
あの状況で一人も犠牲者が出なかったのは、ほんとに奇跡的幸運だと思った。
あの時もマスコミはオリンピックのニュースばかりで、この大事故をろくに報道もせず、小泉は夏休みを取って稲嶺知事と会おうともしなかったのだ。
あれから一二年たった一三日、島ぐるみ会議宜野湾、普天間爆音訴訟団、沖縄平和運動センターなどの呼びかけで午後五時に宜野湾市役所前に一五〇人程が集まり、普天間飛行場の即時閉鎖とオスプレイ撤去を要求して石平のキャンプ瑞慶覧四軍司令部前まで一時間ほどデモと抗議を行った。もう少し集まるかと思ったが一二年たって毎日あれこれある中では仕方ないことなのかも。
一五日から三日間、沖縄は旧盆で静かな日々。高江の工事すら休むようだ。
しかし、工事が再開される一九日朝にはまた高江に結集することになる。

8.19

午前6時半から抗議集会

工事再開500人以上で抗議

週1の集中行動日を設定

 高江現地行動実行委員会の呼びかけで、早朝四時前、仲間の車に乗り合わせて那覇を出る。那覇から高江までは一二〇キロくらいあるのだ。東村平良にある役場付近の県道七〇号線でいったん集合し、北部訓練場メインゲート前に向かい、そこで六時から抗議集会の予定だ。
日の出前の薄暗い中、五時半頃集合地点に着くと北向け車線には前が見えないくらい車がつながっている。すわ、早くも検問か?と思ったが前方の仲間に聞いてみると一斉に出発するため待機中とのこと。ほどなく一斉にメインゲートに向けて北上を始めた。
途中、検問どころか機動隊の姿すら見えず四〇分ほどで愛知県警機動隊が立ち並ぶゲートに到着。すでにゲートをはさんで南北に仲間の車が並び、かなりの人数がゲート前に座り込んでいる。急いで車を降り座り込みに加わった。
六時半前、山城博治さんの司会で集会が始まる。「たくさんの仲間が集まってくれた。オスプレイ配備に抗議して普天間のゲートを封鎖した時を思い出す。ここから南北各六〇〇mにわたって仲間の車が一八〇台止まっている。五〇〇人を超える結集だ。今後辺野古でやったように先ずは週一回の集中行動日を設定して止める。それを積み重ねて二月時間切れで中止に追い込む。大勢集まれば止められることを全県全国に発信しよう。今日はメインゲートを封鎖したぞー。ヒヤサッサ!」といつものカチャーシー。

負担軽減なん
て大ウソだ!
続いて主催団体あいさつ。始めは沖縄県統一連の瀬長和男事務局長。
本土から大勢の機動隊を導入しての沖縄の民意無視は許せない。多くの人が結集しN1の工事を止めるため、今日の形ができた。県民の水がめの上をオスプレイが飛び回り、ヤンバルの貴重な自然を破壊する。これは今止めるしかない。基地のない沖縄のためみんなで頑張ろう。
次に平和市民連絡会の北上田毅さん。
七月二二日、一〇時間にわたり抵抗したが、一〇年間守ってきたN1ゲートを破られ悔しい思いをした。
しかしそれ以降流れが変わっている。N1裏に若い人たちが結集してきている。二二日の暴力弾圧が全県・全国に配信されたからだ。
日本政府は北部訓練場の過半が返還されるので、ヘリパッド建設は止むを得ないというが事実は違う。建設予定G地点に隣接する宇嘉川河口と海域が九八年に米軍に提供された。ここで強襲揚陸艦から歩兵が上陸してG地点でオスプレイに乗り込む。陸海空一体となった最新鋭訓練施設として求めているのが高江だ。負担軽減なんて大うそ。海兵隊は、大半が不要となったベトナム戦争時代のジャングル訓練場を返して、使い勝手のいいオスプレイ訓練場が欲しいだけ。二月末完成の方針には米軍からの相当な圧力が働いている。なんでもやってくるだろうが必ず止める。流れは変わっている。

今ここで砂利
搬入止めよう
平和運動センター:大城悟事務局長。「二二日の暴力は絶対許せない。安倍にはここが見えているのか?戦後七一年、沖縄はこれ以上の基地押しつけを許さない」。
ヘリパッドいらない住民の会の儀保昇さんや最後に高江現地行動委員会:間島さんが発言した。
八時一五分、採石場のダンプに動きなし。九時前おなじみディアマンテス「勝利の歌」のラインダンスで気勢を上げる。
九時を過ぎて各地域から駆けつけた「島ぐるみ会議」の仲間にマイクが回され、歌やパフォーマンス有りの決意表明が続く。
その中で、うるま市の伊藝さんは去った四月末に起こった元海兵隊軍属による凶悪事件に触れ、「私たちの地域に暮らす若い女性が米軍に暴行を受け、無残に殺され、山中に遺棄されるという凄惨な事件が起こった。怒りと悲しみでいっぱいだ。今までもこれからも米軍基地がある限りこんなことが繰り返される。もう限界だ。六月一九日の県民大会に六万五〇〇〇もの人々が集まり、海兵隊の撤退を決議した。うるま市島ぐるみ会議は二九日一六時からキャンプコートニーで毎週月曜日の抗議行動を始める。それぞれの地域から基地をなくす行動に立ち上がろう」と呼びかけた。
つぎにマイクを握った作家の目取真俊さん。連日辺野古・高江の現場で行動を続けてきた。
「機動隊の暴力弾圧は二二日ばかりでなくそれ以降も連日県道で工事車両を止めようとする仲間に向けられている。ヘリパッドの工事は辺野古の埋め立てと違い着工を許せばすぐにできてしまう。N1裏の防衛も大事だが今ここで何としても毎日の砂利搬入を止めなければならない。今日もこの集会が一〇時に終わり多くの人が那覇での裁判支援に向かえばダンプカーが来る。残れる人は残って阻止行動を続けてほしい。」と訴えた。
目取真さんの提起を受けて現場実行委が協議の結果、一旦、一〇時に集会を閉じ、残れる人で一二時までは搬入阻止を頑張ろうということに。 
一〇時前メインゲート前でスクラムを組んで「沖縄を返せ」を唄いいったん解散した。
残った仲間はN1ゲート前に移動してテント内で待機。一部は工事車両に備えて県道途中の高江橋付近に分散した。

悔しい思い
かみしめて
一一時頃採石場からダンプが動いたとの情報。テント内で食事休憩を取った後一二時半にN1ゲート前の県道を一〇〇人余でデモ行進を始める。ゲートは大阪府警の車両と機動隊が固めている。機動隊の規制を避けるため座り込みとデモ行進を繰り返す。陽が高く昇り道路に座るお尻が熱い。
午後一時、北勝建設の砂利ダンプが三台来る。全員で道路に座り込むが三〇分程でゴボウ抜きされ機動隊の人垣に閉じ込められる中、怒号を浴びながらダンプが入っていく。「人殺しのオスプレイパッドに協力するなー。ヤンバルの自然を壊すなー。県民のための仕事をしろー」。
ここからN1地点までは約二キロ。七月二三日以降連日の搬入ですでに一キロ程度の道路工事は終わっていると思われる。一〇分ほどで、さきほど入って砂利を降ろした空のダンプが戻ってきた。機動隊に守られ国頭村安波方面に向け県道を北上していく。やっぱり悔しい。五〇〇人いれば止められるのに。
いったん座り込みを解いて大阪府警・千葉県警とにらみ合い。北上田さんがマイクで防衛局職員に、県道路側帯の使用許可が条件に違反し違法であると糾弾。
午後一時五〇分、休憩を兼ねてテント内で集会。
現場担当の中村弁護士が「規制・拘束には全く根拠がない。自信をもって闘って。ただし、こちらから手は出さないように」と激励。 
博治さんは「七月二二日は悔しい思いで心が折れそうだったが、今日の結集で払拭できた。一〇時間を超える行動になってしまったが、もうすこし頑張ろう!」と檄を飛ばす。
一四時過ぎ、残りのダンプ七台が高江橋周辺での仲間の抗議を振り切ってN1に現れた。しかしゲート前は増員された機動隊で制圧され、道路に出ることもできない。声を枯らして抗議のシュプレヒコールを繰り返す中、次々ゲートに入る。悔しい。来週以降、週一の大結集を実現して一二時までは必ず止めよう。一五分ほどで空のダンプが出ていきゲートが閉まった。
午後二時三〇分、まとめの集会。
六日からのN1裏への大結集の裏方を担ったP・Hさんが最後の挨拶。
「きょうは早朝からの大結集で、いつもは一〇時過ぎに終わる搬入をここまで止め、一歩前進することができた。小さな勝利だがそれでいい。これを二月まで続けることが大事だ。全国からの支援で今日の勝利がある。でもありがとうとは言わない。共にあると思っているから」。
大きな拍手に続きみんなでスクラムを組んで「ウイシャルオーバーカム」を唄い、がんばろう三唱して早朝からの行動を終えた。
週明け以降も引き続き高江への注目と結集を仲間の皆さんにお願いしたい。

 


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