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    かけはし2016.年8月29日号

思想と経済を重ね合わせた攻撃だ


世界認識

新自由主義は政治的構想だ―デヴィッド・ハーヴェイとの対談

反資本主義の課題として考えるべき

60年〜70年代の資本家階級の巻き返しが始まり


11年前に「新自
由主義」を出版

 一一年前デヴィッド・ハーヴェイは新自由主義についての略史を出版した。今それは、この主題に関してはもっとも引用される著作の一つだ。以後の年月には新たな経済的かつ金融的諸危機が、しかしそれだけではなく新たな諸々の抵抗の波も経験されてきた。そしてこれらの抵抗それ自身はしばしば、そこにおける現代社会批判の中で、「新自由主義」を標的にしている。
コーネル・ウェスト(エチオピアをルーツとするアフリカ系米国人の哲学者・政治思想家、現在六三歳:訳者)は「黒人の命も大事」運動に関し、「新自由主義者の権力に対する一つの告発」として語っている。故ウーゴ・チャベスは新自由主義を「地獄への道」と呼んだ。そして労働運動指導者たちはこの用語をますます、職場の闘争が起きるより大きな環境を描き出すために使用しつつある。主流報道もまた、新自由主義などというものは現実には存在していないと力説するためだけであるとしても、この用語を取り上げてきた。
しかしわれわれが新自由主義に関し語り合う場合、われわれは正確には何について語り合っているのだろうか? それは社会主義者にとって役に立つ標的なのだろうか? そしてそれは、二〇世紀遅くのその始まり以後、どのように変わってきたのだろうか?
新自由主義の政治的本性、それが抵抗の様式をどのように変えてきたか、そして左翼が今なお資本主義を終わりにするために真剣にならなければならない理由、これらの議論のために、オーフス大学(デンマーク)の哲学・思想史学部博士課程のブヤルケ・スケルント・リサーゲルがデヴィッド・ハーヴェイと対話した。

イデオロギー戦線
であり政治戦線

――新自由主義の語は今広く使用されている。しかしながら、人々がそれを使う場合何に言及しているかは、しばしばはっきりしていない。そのもっとも体系的な使用法においては、それは一つの理論、一組の理念、一つの政治的戦略、あるいは歴史的な一時期に言及している可能性がある。新自由主義をあなたがどう理解しているか、その説明から始めてもらえますか?

 私は新自由主義を変わることなく、企業資本家が遂行した一つの政治的構想として扱ってきた。彼らはそれを、一九六〇年代から一九七〇年代の終わりにかけて、政治的にも経済的にも強く脅かされていると感じた中で、遂行した。彼らは必死の思いで、労働者の力を抑え込むと思われた政治的構想を始めたいと思ったのだ。
この構想は多くの側面で、反革命的構想だ。それは、当時発展途上諸国の多く――モザンビーク、アンゴラ、中国その他――で革命的運動だったものを、またそれだけではなく、イタリアやフランスのような諸国における共産主義者の影響力の高まりつつあった波を、またより小さな程度でだがスペインにおける共産主義の復活という脅威を、つぼみのうちに摘み取るだろう、というものだった。
米国においてさえ、諸々の労働組合は、その内容においてすこぶる急進的になった民主的大会を作り出していた。彼らは一九七〇年代はじめ、他の社会運動と足並みをそろえ、反企業的なたくさんの改良や改良主義的なイニシアチブを強要した。たとえば、環境保護局や職場の安全・健康管理機関の設立、消費者保護、それ以前に強化された以上ですらある労働者の力の強化をめぐる全一連のものごと、などだ。
それゆえこの状況においては事実上、企業資本家階級の権力にとっては世界的脅威があった。したがって問題は、「何をすべきか」となっていた。支配階級は全戦線にいるわけではなかったが、しかし、闘うべき一定数の戦線はある、という認識はもっていた。つまり、イデオロギー戦線であり、政治的戦線であり、何よりも彼らは、可能な手段すべてをもって、労働者の力を抑え込むために闘わなければならなかった。ここから、新自由主義と呼ばれることになる一つの政治構想が浮上した。

グローバル化により
金融資本を活性化

――いましばらく、イデオロギー戦線と政治的戦線、そして労働者に対する攻撃について話せますか?

 このイデオロギー戦線は結局、ルイス・ポーウェルという名の男(最高裁陪席判事を務め、後述の全米商工会議所宛メモを残した:訳者)の勧告にならう、ということに帰した。彼は一つのメモを書き、それは、ものごとは行き過ぎた、資本は集団的構想を必要としている、と語っていた。そしてこのメモは、全米商工会議所とビジネス円卓会議を決起させる助けとなった。
イデオロギー戦線に対しては諸理念も重要だった。大学は組織化不可能、というのが当時の判断だった。学生運動があまりに強すぎ、教授団の心性もリベラルすぎた、というのがその理由だった。それゆえ彼らは、マンハッタン研究所、ヘリテージ財団、オーリン財団といったシンクタンクを作り上げた。これらのシンクタンクは、フリードリッヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの考え方やサプライサイド経済学の考え方を取り入れた。
そのアイデアは、これらのシンクタンクにまじめに探求させることだったが、それらのいくつかは実際そうした。たとえば、経済研究全国ビューローは、非常に良好かつ徹底した研究を行った、私的に資金を提供された研究所だった。この研究はその後独立的に公表され、報道に影響を与え、少しずつ少しずつ様々な大学を包囲し、そこに浸透することになるだろう。
この進行には長い時間がかかった。われわれは、ヘリテージ財団のような何かをもはや人が必要としない地点に到達した、私はいまこう考えている。諸々の大学は、それらを取り囲む新自由主義の諸構想でほとんど接収されてしまっている。
労働者に関して言えば、挑戦されたことは、国内の労働者を世界の労働者と競争させることだった。一つの方法は移民の拡大だった。たとえば一九六〇年代、ドイツはトルコ人労働力を、フランスはサハラ砂漠以北の労働力を、英国は旧植民地の労働力を輸入し続けていた。しかしこれは、大量の不満と不穏をつくり出した。
代わりに彼らは別のやり方を選択する。つまり、資本を低賃金労働力があるところにもっていくことだ。しかし機能するグローバリゼーションのためには、関税を引き下げ、金融資本に力を与えなければならなかった。というのも、金融資本が資本のもっとも可動的形態であるからだ。それゆえ、金融資本と流動的通貨のようなものが、労働者を抑え込む上で決定的となった。
同時に、私有化と規制解体というイデオロギー的構想が失業をつくり出した。それゆえ、本国における失業と、海外に職をもち出す海外移転があり、そして第三の構成要素として、技術的変革、つまり自動化とロボット化を通じた脱工業化があった。
それはある種のイデオロギー的攻撃であったが、また経済的攻撃でもあった。私にとっては、これが新自由主義に関わっていたものだ。すなわちそれは、そうした政治的構想だった。そして私が考えるに、ブルジョアジーあるいは企業資本家階級は、それを少しずつ少しずつ動きに変えた。

資本家階級の
幅広い団結


――二〇〇五年の新自由主義に関する略史発行(邦訳『新自由主義―その歴史的展開と現在』、二〇〇七年作品社)以後、この概念に関し大量のインクが費やされた。主には二つの陣営があるように見える。つまり、新自由主義の知的歴史にもっぱら関心がある学者、そしてその懸念が「現に存在している新自由主義」にある人びとだ。あなたに当てはまるのはどちらか?

 社会科学には一つの傾向がある。それは私が抵抗したいものだが、一つのことですべてを片付ける何らかの論理を追い求める傾向だ。こうして、いいだろう、新自由主義は一つのイデオロギーだと語る人びとの翼があり、そして彼らは、その観念論的歴史を書く。
こうしたものの一バージョンが、新自由主義的諸傾向を一八世紀にすでに現れていたと見る、ミシェル・フーコー(フランスの哲学者)の統治者的心性を宿す議論だ。しかし、人が新自由主義を一つの理念、あるいは統治者的心性のこもる一組の限定された実践としてのみ扱うならば、その人は十分な数の先駆者を見出すことになるだろう。
そこで見落とされているものは、一九七〇年代と一九八〇年代始めに、資本家階級がその努力を組織化したやり方だ。当時――いずれにしろ英語圏世界で――企業資本家階級がみごとなほど統一するようになった、と言うことには正当性があるだろう、と私は考える。
彼らは、彼らを真実に代表する一つの政治勢力に対する必要性といった、多くのものごとで一致した。こうしてあなたは、共和党の攻略を受け、ある程度まで民主党を掘り崩すもくろみを前にしている。
一九七〇年代以後米最高裁は一束の決定を下した。それらは、企業資本家階級に過去できた以上簡単に、票の買い取りを許すものだった。
たとえばあなたが今見ているものとして、キャンペーンへの献金を発言の自由の一形態と扱った、運動資金集め改革がある。米国には票買い取りに関する企業資本家階級の長い伝統がある。しかしそれは、買収としてテーブルの下に置かれるというよりも、むしろ合法化されてしまった。
全体として私はこの時期を、数多くの戦線、思想的かつ政治的なそれを横断する幅広い運動で定義されたもの、と考えている。そして、その幅広い運動を説明できる唯一の方法は、企業資本家階級の相対的に高度な連帯を認めることによる。資本は、一九六〇年代から一九七〇年代にかけて深刻にむしばまれていた、その経済的富と影響力を回復しようとの、必死のもくろみの中でその権力を再組織した。

危機を始点に危機連続が本性に


――二〇〇七年以後数多くの危機が起きてきた。新自由主義の概念と歴史は、それらの危機をわれわれが理解する上で、どれだけの助けとなるか?

 一九四五年と一九七三年の間には極めて僅かの危機しかなかった。いくつか深刻な瞬間はあったとしても、しかし大きな危機はまったくなかったのだ。新自由主義的諸政策への転換は一九七〇年代の一つの危機のど真ん中で起きた。そしてシステム全体は、それ以後むしろ一連の危機となってきた。そしてもちろんそれらの危機は、将来の危機の諸条件をつくり出す。
一九八二―八五年には、メキシコ、ブラジル、エクアドルで債務危機があった。そしてこれらはすべて基本的に、ポーランドを含め発展途上国だった。一九八七―八八年には、米国の貯蓄・貸付諸機関に大危機が起きた。一九九〇年にはスウェーデンで広範な危機が起き、全銀行が国有化されなければならなかった。
次いでわれわれはもちろん、一九九七―九八年にインドネシアと東南アジアを経験し、その後危機はロシアへ、さらにブラジルへと動き、それは二〇〇一―二年にアルゼンチンを打ちのめしている。
そしてこの二〇〇一年には、米国内にもいくつかの問題があった。その危機を彼らは、株式市場からマネーを引き上げ、住宅市場に注ぎ込むことを通して切り抜けた。そして二〇〇七―八年、米住宅市場は爆発、こうしてあなたがここに一つの危機を前にすることになった。
あなたが世界地図をじっくりと見れば、危機の諸傾向が動き回っていることを見守ることができる。新自由主義について考えることは、上のような諸傾向を理解する上で有益だ。
新自由主義化の大きな動きの一つは、一九八二年の、世界銀行とIMFからのケインジアン全員の放り出し――ケインジアン的観点を保持していた全経済顧問のいわば全面的一掃――だった。
彼らは新古典派の供給サイド理論家で置き換えられた。そして彼らがやった第一のことは、その時以後IMFは、危機がどこにあろうがその時は常に構造調整政策にしたがわなければならない、という決定だった。
一九八二年、完全に確実に、メキシコに一つの債務危機があった。「われわれは君たちを救出するつもりだ」、IMFはこう語った。実際には、彼らが行おうとしていたことはニューヨークの投資銀行の救出であり、緊縮諸政策の履行だった。
メキシコの住民は、IMFの構造調整諸政策の結果として、一九八二年後の四年間で、生活基準の二五%低下のようなものごとに苦しんだ。
メキシコはその時からおよそ四回の構造調整政策を経験してきた。他の多くの諸国も一回以上それを経験してきた。これが標準的な実施策となった。
今彼らはギリシャに何をしようとしているのだろうか? それはほとんど、一九八二年に遡ってメキシコで行ったことの、ただより熟達しただけのコピーだ。これはまた、二〇〇七―八年に米国で起きたことでもある。彼らは財政投入で銀行を救出し、緊縮政策を通して人びとに返済させたのだ。

資本家階級の
勝利と遠心化


――最近の危機、および支配階級によってそれらが管理されてきたやり方に関し、あなたの新自由主義理論をあなたに再考させるような何かがありますか?

 そうですね、わたしは、現在の資本家階級の連帯がかつてあったものだとは考えていない。地政学的に見て米国は今、一九七〇年代にあったと同じようには、世界的に采配をふるう地位にはいない。
私は、国家システム内部での世界的権力構造のいわば地域化――欧州におけるドイツ、ラテンアメリカにおけるブラジル、東アジアにおける中国といった、地域的覇権保有国――を見つつある、と考えている。
明らかに、米国は今も世界的地位を保持しているが、時は変化を遂げた。オバマはG20に出かけ「われわれはこれをやるべきだ」と言うことができるが、アンゲラ・メルケルも「われわれはそれをやるつもりはない」と言うことができるのだ。こうしたことは、一九七〇年代には起きなかったと思われる。
こうして地政学的情勢はもっと地域化するようになった。そこにはより大きな自律性がある。それは部分的に冷戦終焉の結果だ、と私は考える。ドイツのような諸国はもはや、保護を求めて米国に頼ってはいない。
その上で、ビル・ゲイツ、アマゾン、またシリコンヴァレーといった「新資本家階級」と呼ばれてきたものは、伝統的な石油やエネルギーとは一定の異なった政治を身につけている。
結果としてそれらは、自分たち自身の特定の道を進む傾向がある。こうして、言うならば、エネルギーと金融、エネルギーとシリコンヴァレーの連中、またその他の間には、たくさんの部門間競合がある。たとえば気候変動のような何ごとかには明らかな、深刻な分断があるのだ。
私が決定的だと考えている別の問題は、一九七〇年代の新自由主義的前進が、強力な抵抗を受けずに進んだわけではなかった、ということだ。労働者からの、欧州では諸共産党からの、またその他からの大量の抵抗があった。
しかし私が言いたいこととして、一九八〇年代末までにこの戦闘は敗北した。こうして抵抗が消えた程度に応じて労働者は、かつてはもっていたその力を失い、支配階級間の連帯は、機能するものとしてはもはや必要なくなっている。彼らは、いかなる脅威ももはやない以上、寄り集まる必要はなく、下からの闘争に関し何かをやる必要もない。支配階級は非常な程度で成功しつつあり、それゆえ彼らは真実には、何も変える必要がない。
そうであっても、資本家階級が極めて成功しつつある一方で、資本主義はむしろ不健康になろうとしている。利潤率は回復したが、再投資率は明らかに低く、それゆえ大量のマネーは生産に向けて再循環しようとはせず、代わりに土地の略奪や資産獲得に流れ込んでいる。

価値実現の場
での異なる政治


――抵抗についてもっと話しましょう。あなたはあなたの著作で、新自由主義の猛襲には、個人的自由を求める「新しい社会諸運動」を有利にする形で、階級闘争の後退が平行していた――少なくとも世界の北では――と指摘している。新自由主義が抵抗の一定の諸形態を引き起こしていることをどう考えているか、その内容を明らかにできますか?

 ここには深く考えるべき一つの問題がある。生産の支配的様式すべてが、その特定の政治的地勢を付随させて、自身の鏡像として対立の一様式をもし生み出すとすればどうなるだろうか、ということだ。
生産過程のフォーディズム的組織化の時代には、その鏡像は、大規模な中央集権化された労働組合運動と民主的に中道化された諸政党だった。
新自由主義時代の生産過程再組織化と柔軟な蓄積への転回は、また多くのやり方でその鏡像である一つの左翼をつくり出した。つまりネットワーク化され、脱中央集権化され、非階層的なそれだ。これは極めて興味深いと私は考える。
そしてある程度までこの鏡像は、それが何を破壊しようと挑んでいるか、を固めさせる。結論として私は、労働組合運動は実際にはフォーディズムを下支えした、と考えている。
私が考えるに、まさに今、極めて自律的になり、無政府主義的になっている左翼の多くは、現実には、新自由主義の最終盤を補強しつつある。左翼を自覚する人びとの多くはこれは聞きたくないことだ。
しかしもちろん、問題は出てくる。つまり、鏡像ではないものを組織化する道はあるのかと。われわれはその鏡像を打ち壊し、新自由主義の掌中で踊らない、そうした何か別のものを探し出せるだろうか?
新自由主義に対する抵抗は、一定数のさまざまなやり方で起こり得る。私は私の著作で、価値が実現される点が同時に緊張点でもある、と強調している。
価値は労働の過程で生産される。そしてこれは階級闘争の極めて重要な側面だ。しかし価値は、市場の中で販売を通して実現される。そしてそれに応じる多くの政治がある。
資本蓄積に対する抵抗の多くは、生産点だけではなく、消費と価値の実現を通しても起きるのだ。
自動車プラントを考えてみよう。二万五〇〇〇人内外を雇用するのがこれまでであったが、今や、テクノロジーが労働者の需要を減じたために五〇〇〇人を雇用するプラントのことだ。こうしてますます多くの労働者が、生産の世界から追い立てられようとし、ますます多くが都会の生活に追い込まれようとしている。 資本主義の運動の枠内における不満の主な中心は一層、価値の実現をめぐる――都市における日々の生活に関する政治をめぐる――闘争に移ろうとしている。
労働者は明らかに重要であり、労働者内部には決定的である多くの課題がある。われわれが中国の深?にいるとすれば、労働過程をめぐる諸闘争が支配的となる。そして米国でわれわれは、たとえばべライゾンのストライキ(米通信大手ベライゾンでは今年四月一四日から、約四万人の労働者が六週間ストライキを続け、賃上げを勝ち取った他に、いくつかの合理化提案を撤回させた:訳者)を支持していただろう。
しかし世界の多くのところでは、日常生活の質をめぐる闘争が支配的だ。過去一〇年から一五年の大闘争を見てみよう。イスタンブールのゲジ公園のようなものは労働者の闘争ではなく、それは、日々の生活に関する政治や民主主義の欠如と決定策定過程に対する不満だった。二〇一三年のブラジル諸都市における反乱では、それはまたしても、交通や可能性といった日々の生活にまつわる政治に対する、そして、学校や病院や手頃な住宅に人がどのようなカネも使っていないのに、そのあらゆるカネを大スタジアムに使っていることに対する、不満だった。われわれがロンドン、パリ、ストックホルムで見ている反乱は、労働の過程に関するものではない。それらは日々の生活に関係しているのだ。
この政治は生産点に存在している政治とはかなり異なっている。生産点では、政治は資本対労働だ。都会生活の質をめぐる闘争は、その階級的地勢の点では鮮明さがぼやけている。通常は生産に対する理解から引き出される鮮明な階級的政治は、それがより現実主義的になるに応じて、理論的に曖昧になっている。それはある種の階級的課題だが、古典的な意味での階級的課題ではない。

反新自由主義か
反資本主義か


――あなたは、われわれが過剰に新自由主義について語り、資本主義については語らなすぎる、と考えますか? 一つの語あるいは他の語を使用するのに適切な場合とは何であり、またそれらを混ぜ合わせることに関わる危険とは何ですか?

 多くのリベラルは、新自由主義は所得の不平等の点で行きすぎた、この私有化のすべても行きすぎた、たとえば環境のように、われわれが大事にすべき共有財が多くある、と語っている。
また、高度に資本主義化され高度に搾取的であることが判明しているのだが、分かち合い経済のような、資本主義に関するさまざまなやり方での語りもある。
倫理的資本主義への言及もある。しかしそれは、盗む代わりに単に合理性を持った正直さに関するものであることが分かっている。それゆえ一定の人びとの心中には、新自由主義秩序の資本主義を他の形態に向わせる何らかの種類の改革、という可能性がある。
私が考えていることとして、あなたが現在存在しているものよりも良い資本主義を作ることができるということはあり得ることだ。しかしそれは、多くの程度でより良い、というものではない。
しかし本質的問題は実際のところまさに今、非常に強力な反資本主義運動がなければ、われわれがどこかに進むよう方向付ける方法はまったくない、というほどに深いのだ。したがって私は、ものごとを新自由主義という語で考えるよりも、むしろ反資本主義という語で考えたいと思う。
そして私が考えるに、危険は、私が反新自由主義について語る人びとを傾聴する場合、形態が何であれ、資本主義それ自身が問題という感覚がまるでない、ということだ。
ほとんどの反新自由主義は、終わりのない複合的な成長というマクロの問題――エコロジー的、政治的、そして経済的な諸問題――を扱うことができていない。それゆえ私は、反新自由主義というよりも反資本主義について語り合うだろう。(二〇一六年七月二三日)

▼デヴィッド・ハーヴェイは、ニューヨーク市立大学(CUNY)大学院センターの著名な哲学者。前掲書や『資本の謎』を含め、邦訳も多数。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年八月号) 

【訂正】本紙前号(8月15日付)1面最下段の「お知らせ」の中の「8月27日号」を「8月29日号」に、3面7・31集会の下から3段目左から6行目の「湯浅一郎さんがが」を「湯浅一郎さんが」に、4面研究ノートの上から2段目左から6行目の「日韓条件締結」を「日韓条約締結」に、上から4段目右から7行目の「決定的にに」を「決定的に」に、下から3段目左から4行目の「みぬく」を「みぬき」に、最下段左から14行目の「軍事態勢」を「軍事体制」に、8面上から4段目右から19行目の「ハン・シンク」を「ハン・ミング」に訂正します。

 


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