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    かけはし2016.年9月5日号

戦争犯罪追及は民衆自身の責務だ


8.15

新たな「代替わり」攻撃との闘いへ

「生前退位」の狙いを暴け

天皇制の再編と改憲攻撃を撃て!




戦争国家化・
改憲と天皇制
 八月一五日、「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15 反「靖国」行動は、憲法改悪と連動した新たな天皇の代替わりに向けた「Xデー」状況下(八・八、明仁天皇の憲法違反である「生前退位」表明)、日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任と戦後の象徴天皇制の犯罪を批判し、戦争賛美神社の靖国神社解体を掲げて反「靖国」行動を行い、二八〇人が参加した。
 安倍政権は、グローバル派兵国家建設の一環として三月二九日に戦争法施行を強行し、一一月に陸上自衛隊を南スーダンに国連平和維持活動(PKO)として派兵する。すでに自衛隊の「部隊行動基準」(行動できる地理的範囲、武器の使用方法)の策定作業に着手し、交代部隊に「駆け付け警護」と、他国軍と共同で拠点を守る「宿営地の共同防護」の任務を付与する。まさにいつでもどこでも「人を殺し、殺される」軍隊の構築に向けて派遣準備命令を出し、訓練を開始する。
 連動して明仁天皇は、民衆統合に向けた天皇制の任務の強化に向けて憲法違反である「生前退位」を表明し、皇室典範改正に向けて踏み込んだ。天皇主義右翼らは、八・八明仁表明に対して賛成・反対・沈黙などの反応を示しながら動揺しているのが実態だが、靖国神社賛美を軸にした戦争国家化のバックアップで統一している。高市早苗総務相、丸川珠代五輪相、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の衆参両院の国会議員七〇人が靖国神社に参拝した。日本会議と英霊にこたえる会は、靖国神社で「第三〇回 戦歿者追悼中央国民集会」を開催し、「総理靖国参拝定着」、改憲と戦争国家化のための運動を叫んだ。
 だが安倍晋三首相は、アジア諸国からの批判をかわすために自民党総裁として靖国神社に私費で玉串料を納め、稲田朋美防衛相もあわてて一三〜一六日にアフリカ東部・ジブチで海賊対処活動をしている自衛隊への激励スケジュールを入れざるをえなかった。安倍政権の脆弱性の一端の現れだが、このようなウソとペテン手法を許さず、矛盾と混乱を拡大させていく闘いが必要だ。憲法改悪と戦争国家化、新たな天皇制強化の野望を暴き出し、反対していこう。

毅然としたデモ
で「反靖国」貫く
反「靖国」行動の前段集会を水道橋の在日本韓国YMCAで行った。
発言は、No Welcome ! Tokyo Olympic Games 実行委員会、米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対する荒川・墨田・山谷&足立実行委、天皇出席の山形「海づくり大会」反対実行委、福島原発事故緊急会議、警視庁機動隊は沖縄・高江に行くな!緊急抗議行動、Stop!辺野古埋め立て 大成建設抗議アクション、辺野古リレー、有事立法・治安弾圧を許すな!北部実行委員会、東アジアの平和実現9・17集会実行委員会から行われ、取り組み報告と呼びかけが行われた。
最後に参加者一同で8・15集会宣言を確認(別掲)。デモに移り、九段下交差点前で靖国神社に向けて「天皇制解体!戦争賛美の靖国神社反対!憲法改悪を許さないぞ!」のシュプレヒコールを繰り返した。
なお天皇主義右翼らは、反「靖国」行動デモに対してイヤガラセ、妨害を繰り返してきたが、デモ隊は毅然と対応し挑発を跳ね返した。 (Y)

2016・8・15
集 会 宣 言

 

 参院選の結果、改憲勢力が衆参両院で改憲発議が可能な全議席の3分の2を超え、また日本会議国会議員懇談会副会長でもあった小池百合子が東京都知事に 当選し、そして第3次安倍改造内閣に、4・28と8・15に靖国神社を、閣僚であった時期も含めて欠かさず参拝してきた稲田朋 美が防衛相となる──。このような時代状況のなかで、われわれは今年も、8・15反「靖国」行動を迎えた。
安倍政権下、具体的に「戦争をする」国家体制は日々現実のものとなっている。中国や朝鮮の脅威を煽り、沖縄を日米の前線基地にするために、先島への自衛隊配備や、大量の機動隊を辺野古や高江に投入して、暴力的に新基地建設を推し進めようとしている。「日米同盟」のためのパフォーマンスは、「伊勢志摩サミット」にともなうオバマの広島訪問においてもみられた。そこでは、原爆殺戮の当事者であるアメリカ政府の代表者であるオバマも、植民地支配と侵略戦争の結果として、原爆被害を招いた日本政府の代表者である安倍も、その戦争犯罪について 謝罪することなく、原爆の死者を日米同盟の強化、「和解と未来志向」の場へと利用したのだ。
8・15もまた、戦争の死者を利用し尽くす場である。本日、天皇出席のもと九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式である。8・15はけっして戦争終結の日ではなく、「終戦の詔勅」の「玉音」が放送された日に過ぎない。にもかかわらず、この日が「終戦の日」とされていることは、「戦後日本の平和」が天皇の「ご聖断」によってもたらされたとする神話を再生産していく。
そしていま、いわゆる明仁天皇の「生前退位」の意向表明によって、新たな形態での天皇の「代替わり」が開始された。
8月8日の天皇の「玉音放送」が示したことは、憲法解釈学においても論点となっている、「天皇の仕事」とは何であるのかということを天皇自身が決め、そしてそれを天皇が円滑に遂行するためのシステムをつくるように促したという事実である。その行為も、それを当然のように受け入れる申請も、民主主義とはほど遠い態度である。憲法の天皇条項は、こうした現実政治への関与を防ぐために、かつての天皇制国家への反省として定められた。天皇の行為は明らかに違憲の行為だ。
天皇の憲法違反は許されない。そもそも、天皇の「公務」自体はいらない。天皇制そのものが廃止されなければならない。本日のデモは、今後数年間にわたる、天皇主導の新たな天皇制づくりに反対する最初の街 頭デモとなる。最後までともに闘おう!

8.14

「慰安婦」メモリアルデー

被害者が切り開いた地平

旧ユーゴの活動家を招いて

 

 八月一四日は、一九九一年に韓国の金学順(キムハクスン)さんが、初めて日本軍「慰安婦」被害者として名乗り出た日。この日を国連の「メモリアルデー」にしようという集会が、今年も開催された。東京では「『慰安婦』被害者が切り開いた地平」――旧ユーゴの活動家を招いて」という集会が、東京の日本教育会館で開催された。戦時性暴力問題連絡協議会と日本軍「慰安婦」問題解決全国行動が共催した。
渡辺美奈さんの司会で行われた集会の講演は、シン・ヘボンさん(青山学院大教授)とクロアチアのフェミニスト活動家・研究者のラダ・ポリッチさんが行った。

日韓「合意」は真
の解決ではない
シン・ヘボンさんは「重大な人権侵害の被害回復とは――日韓『合意』はなぜ真の解決にならないのか――」と題して報告。昨年一二月の日韓政府「合意」について「日本軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた責任を痛感している」ことを新たに盛り込み、民間ではなく日本政府の資金拠出によって財団を設置する、としたことの意義を強調しつつ、「軍の関与の下に」という表現については「軍が設置し、運用した制度であったと明確に述べるべき」とシンさんは強調した。
また「人権侵害の実態」について、安倍政権がこれまで「人さらいのような強制連行」でなければ、女性たちが自らの自由意思で「性的奉仕」を行ったかのような言い逃れで被害者の尊厳を傷つけてきたことからすれば、その立場を明確に否定し、被害女性たちは性奴隷状態に置かれていたという事実を認めるべき、と訴えた。またシン・ヘボンさんは「事実を後世に語り伝えていく教育の欠落」を指摘し、「重大な人権侵害について、事実を教え語り継ぐことは、被害者の名誉回復、同じ過ちを繰り返さないという再発防止の観点からも不可欠」と強調した。

フェミニスト的
な「正義」への道
クロアチアのラダ・ボリッチさんは「旧ユーゴスラビア女性法廷――正義と平和構築のフェミニスト・モデル」と題して報告した。旧ユーゴスラビアの分裂に伴う戦争・内戦では、女性への性犯罪が多発し、女性たちの人権は踏みにじられた。一九九二年クロアチアのザグレブで「女性戦争被害者救援センター」を発足させて活動を開始したラダ・ボリッチさんは二〇一〇年から「女性法廷――正義へのフェミニスト・アプローチ」の組織化に打って出た。
二〇一五年にボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで行われたイベントでは旧ユーゴの各国から五〇〇人以上の女性が参加し、三六人の女性が戦中・戦後に行われた女性への犯罪について報告した。女性法廷は判決を宣告せず、刑罰も与えなかったが、犯罪と加害者を名指し、現在に至るまで女性を苦しめているさまざまな暴力の形態・関係を告発した。
その結果として、女性のサバイバーに補償を行う法律が、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、コソボで可決され、ボスニアの裁判所では旧ボスニア・セルビア人兵士に対してレイプ被害者に金銭的補償を行うよう命じる判決が出された。
ラダ・ボリッチさんは、内戦終了後も帰還した男たちによる暴力、企業の民営化による女たちが職場を奪われる暴力が続いていると語り、「女性法廷が被害者たちの癒しの場となった」意義を紹介した。そして女性たちの連帯の重要性と「痛みから力へ」という旧ユーゴスラビアの女性たちのスローガンを紹介。「家父長制、男性優位主義、軍事主義からの解放」をめざす女性たちの国際的連携を呼びかけた。
クロアチアでは、被害女性がその被害を「証明」しなければならない負担はなく、委員会が被害女性の話を受け止め、その証言が正しいかどうかは検事に委ねられるのだという。これは「民間の非公式の法廷が実際の司法に大きな影響を与える一つの例」として強調した。すでに旧ユーゴ全体で一〇一人が訴追され、そのうち七八人が性暴力関連。三〇人が有罪判決を受けている、という。
質疑の中でボリッチさんは、旧ユーゴでは性暴力で有罪とされてもなかなか報じられないこと、レイプは旧ユーゴの兵士だけの問題ではなく国連の兵士が加害者という例もあること、難民の女性が被害に遭っていることなどについても語った。そして難民の女性自身が難民キャンプでお互いを支援していくことの必要性についても指摘した。
アピールを採択した後、参加者たちは神田の町をデモ行進した。 (K)

追悼

巨星落つ! 反骨のジャーナリストむのたけじさん死去

秋田県湯沢市  奈良 昭夫


もうあの訴えを
聞けないとは!
八月二一日朝、東京多摩市に住む友人から「むのさん死んだ」と訃報が入った。体調を壊し臥していることは聞いていたが、五月の有明の集会で登壇していたのを知っていたのでまさか!と驚いた。そして、あの五尺の体躯を震わし、全身から迸る警世の咆哮を聞くことが出来ないと思うと、心底から寂しくなった。
むのさんは一九一五年生まれの一〇一歳だった。一九二七年旧制の横手中学(秋田県)に入り、石坂洋次郎の薫陶を受けている。その後東京外語大のスペイン語科に入学し、一九四〇年に朝日新聞に入社している。そして、敗戦のその日に退社している。この行為に世間は、「己の戦争責任をよしとしなかったからだろう」と言うのだが、むのさんは「そんな抹香くさい気持ちからではない。やめ方に反発した。あれじゃ戦争の原因は少しも解決されない」、「日本の新聞はやがて同じ過ちを犯し、再び戦争協力の記事を書くことになるだろう」と今日のメディアの現状を予言していた。一九四八年故郷の横手市に帰り、週刊新聞『たいまつ』を創刊し、反戦平和、農業、教育などを論じた。一九七八年七八〇号で休刊している。そして今日まで、全国各地での講演会は三〇〇〇回を優に超え、著書も二〇冊近く著している。

魂から発する
警世の咆哮
むのさんの発する警世の咆哮は、時として激しく、時には真綿で包む優しさで我々の心耳を揺するのであった。その時、期せずして感涙は頬を伝わり、忘れかけていた人間の本心良心が晴れ晴れと覚醒するのであった。
私とむのさんの出会いは、二〇〇三年、私が退職したその年、有事法制反対の集会に、講演者として依頼した時でした。前年、胃がんの手術を受けた体の八八歳でした。三〇〇人ほどの聴衆者を前に、「おれ、マイクも椅子もイラネ」と、二時間に及ぶ長時間を、立ったまま、肉声で話されました。文字通り、口角泡を飛ばし、火を噴くがごとくの警鐘に度肝を抜かされた思いでした。演題は「歴史に学んでどごぉんまでも平和を」でした。『どごぉんまでも』とは、むのさんは、「自分の立っているその足元から、と言うことだ」。安保法を巡る今日の運動は、正にそのことを体現しているように思える。私たちはこの演題の一部を模して、「『どごぉんまでも平和を』の会」(通称「どご平」)を結成して今日も活動を続けている。

「車座」形式で
進めた平和塾
その後私たちは、集会の成功を受けて二〇〇三年一二月から二〇〇八年一二月まで一二回、「むのたけじ平和塾」を開講し、むのさんの講義を受けることができた。受講生は全県から集まりました。講義はむのさんの提案で『車座』形式で進めた。テーマは多岐にわたり、例えば「太平洋戦争の本質と今日の状況」「民衆の歴史」「新しい社会行動・新しい人間関係」「憲法九条の人類史的意義」「地方自治の崩壊と社会保障」「教育基本法改悪批判」「女性差別撤廃条約三〇周年」などなど。今考えると、今日を先取りするようなテーマでした。それから五年ほど、毎年「どご平」の主催する八・一五、一二・八の反戦集会・デモに参加して頂きました。
むのたけじの生涯は、宮武外骨、鈴木東民などと同様反骨のジャーナリストだったと思う。この国から「巨星」また一つ消えた。しみじみと寂しい。しかし、むのは言う、「楽観と悲観を突き抜けるもの、それは燃えるもの」。そうだ!俺はまだ七二歳だ!これからも燃え続けて生きていく。むのたけじさんに報いるためにも。合掌。


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